強さを一番効く場所へ
曾頭市、村じゃないでしょ。
柵に櫓、その上から矢。
近づけば火まで飛んでくる。
「焦った方から崩れるねェ。こういうのは心理的に効くよォ」
孫二娘が妙に楽しそう。
「楽しむな!」
顧大嫂は柵を睨んだまま朴刀を握り直す。
「あたしは早く殴れる距離まで行きたいねぇ」
「アンタは焦るな!」
「三娘も前へ出てるじゃないか」
「アタシは大将だから!」
「また便利な言葉が出たねェ」
うるさい!
でも曾頭市は、こっちが焦るのを本当に待っていた。
火で崩して、槍兵を出して、その隙へ史文恭本人まで突っ込んでくる。
強い上に、強さの使い方まで上手い。
二人がかりでも押されてるんだけど!?
……と思ったところで、後ろから盧俊義。
ちょっと待って。
今度は何が始まるの!?
曾頭市の外柵が見え始めた頃には、もう日が傾きかけていた。
林を抜けても、空気は軽くならなかった。
むしろ視界が開けたせいで、曾頭市がどれだけ面倒な場所なのかがよく分かる。
柵は一重じゃない。
前方には櫓が立ち、その下には土を盛った場所まである。
見張りは姿を隠しているつもりらしいけれど、時々弓の先が覗いた。
「……村?」
思わず口に出た。
顧大嫂が鼻を鳴らす。
「あたしもそう聞いてたけどねぇ。これ、砦じゃないか」
「村にしては防犯意識が高すぎるよォ」
孫二娘が笑う。
「防犯の範囲を超えてる!」
時遷が前方から戻ってきた。
「正面は閉じてる。左右にも柵だ。裏も見たが、簡単には入れねぇ」
「簡単じゃないのばっかり……」
「三娘様」
玉楼が櫓を見たまま呼ぶ。
「弓兵がおります」
目を凝らすと、影が動いた。
一人じゃない。
林で散々射ってきた連中とは別に、ここにも最初から弓兵を置いているらしい。
「こっちが来ること、完全に分かってたのね」
「晁蓋殿の件がございますから」
そりゃそうだ。
梁山泊が来ないと思う方がおかしい。
背後で銅鑼が鳴り、軍が止まった。
林冲が前へ出る。
「急ぐな」
それだけで、ざわつきかけた兵が静まった。
林冲は柵を見たまま続ける。
「ここは焦った側から死ぬ」
誰も反論しなかった。
顧大嫂さえ腕を組んでいる。
「言われなくても分かるよ」
孫二娘が横から覗いた。
「でも、壊したそうな顔してるねェ」
「壊すのは駄目なのかい?」
「駄目とは言ってないよォ。今すぐ走っていきそうだから言っただけさ」
「走らないよ」
アタシは思わず顧大嫂を見る。
「本当に?」
「三娘にだけは疑われたくないねぇ」
「何でよ!」
「お二人とも、お静かに」
玉楼にまとめて叱られた。
またアタシまで入ってる。
でも、今回は言い返している場合じゃない。
曾頭市そのものが、林で出会った史文恭と似ていた。
近づけば刺す。
追えば引く。
焦れば罠へ入る。
地形も柵も、全部まとめてこちらの気持ちを急かしてくる。
「三娘」
横から声がした。
李俊だった。
別の隊を見ていたらしく、馬を寄せてくる。
「何?」
「顔が怖いぞ」
「考えてるの!」
「ならいい」
「何だと思ったのよ」
李俊は柵を見た。
「史文恭を見つけたら、そのまま飛んでいく顔だ」
「行かない!」
「珍しいな」
「またそれ!?」
後ろから孫二娘の笑い声が聞こえた。
「李俊、三娘の扱い慣れてきたねェ」
「扱いって何!?」
李俊は気にせず言う。
「火を使われるかもしれん。前へ出るなら逃げ道も見とけ」
「前へ出る前提なの!?」
「出ないのか?」
答えに詰まった。
顧大嫂まで笑っている。
玉楼だけが真面目な顔で頷いた。
「李俊様のお考えには同意いたします。柵の内側に火の用意が見えます」
「玉楼までそっち!?」
でも、言われて見れば確かに櫓の下で人が何かを運んでいる。
桶。
しかも一つではない。
嫌な予感しかしない。
「……分かった。今日はちゃんと見る」
李俊が一度だけアタシを見る。
「そうしてくれ」
その言い方が妙に真面目で、今度はこっちが視線を逸らした。
孫二娘を見る。
にやにやしてる。
「何も言わないで」
「まだ何も言ってないよォ?」
またやった。
もう嫌……
やがて日が落ち始めると、梁山泊側も陣を広げた。
盾兵を前へ出し、その後ろに槍兵を置く。
馬は少し下げ、射線へ無駄に晒さない。
曾頭市側も動く。
櫓の灯りが増え、柵の内側では人影が絶えず行き来していた。
まるで向こうも、
――来るなら来い。
そう言っているみたいだった。
その時、櫓の上へ一人の男が現れた。
黒い外套。
長槍。
「史文恭」
アタシが呟く。
林で見た男だった。
向こうもこちらを見ている。
怒鳴らない。
挑発もしない。
ただ、見ている。
顧大嫂が嫌そうに眉を寄せた。
「本当に感じの悪い男だねぇ」
「完全に待ってるねェ」
孫二娘の笑みも薄くなった。
その直後、曾頭市側の銅鑼が鳴った。
櫓の上で一斉に弓が上がる。
「盾!」
アタシが叫ぶ。
矢が来た。
夜空を埋めるほどじゃない。
でも、間を空けずに落ちてくる。
盾へ刺さり、土を抉り、馬の足元へ突き立つ。
梁山泊側は動かない。
「前へ出ないで! 列を崩さない!」
今度は言われる前に自分で止めた。
孫二娘が聞き逃さない。
「三娘がまた止める側になってるねェ」
「今それ言う!?」
「成長確認だよォ」
「確認しなくていい!」
顧大嫂が盾の陰から叫んだ。
「あたしも出てないよ!」
「それは偉い!」
「何であたしだけ子供みたいに褒められるんだい!」
矢が盾へ突き刺さった。
笑ってる場合じゃない。
でも、少しだけ兵たちの顔が戻った。
それでいい。
孫二娘が矢の間隔を見ながら目を細めた。
「休ませないつもりだねェ。まとめて殺すより、いつ来るか分からない方が人は疲れる」
「心理学的に?」
「そう。注意を張り続ける方が消耗するんだよォ」
「じゃあどうするの?」
「慣れる」
「急に根性論!」
「最後は人間だからねェ」
顧大嫂が笑った。
「あたしのやり方に近づいてきたじゃないか」
「一緒にするなよォ」
その時、玉楼が柵の奥を指した。
「火が動きます」
桶が前へ運ばれている。
油だ。
続いて、弓兵の一部が火矢へ持ち替えた。
「やっぱり来た!」
林冲の声が飛ぶ。
「盾を重ねろ! 前列、下がるな!」
梁山泊軍が形を変える。
盾を一枚ではなく重ね、後ろの兵が支える。
真正面から柵を壊しに行くんじゃない。
まず耐える。
相手が何を出してくるのかを見る。
林で史文恭に教えられたばかりだ。
勝てる場所へ、自分から入らない。
夜が深くなるにつれ、曾頭市の外柵前は嫌な戦場になった。
火が増えたせいで明るくなったのに、見えない場所まで増えた気がする。
櫓の影や柵の裏、火の届かない場所にも敵が潜んでいそうで、どこに何人いるのかまでは分からない。
矢だけが一定の間を置いて飛んでくる。
「こういうの嫌い!」
顧大嫂が苛立った。
孫二娘は盾へ刺さった矢を抜く。
「アタイは嫌いじゃないねェ」
「何でだい?」
「相手が何を狙ってるのか考える余地がある」
「考えてる間に殴った方が早いだろ」
「ほら、心理学の実例がいる」
「誰が実例だい!」
二人の漫才を聞きながら、アタシは柵を見た。
近い。
距離だけなら走れば届く。
でも届かない。
それが曾頭市の怖さだった。
行けそうに見える。
その気になれば行けると思わせる。
そして行ったところを潰す。
「三娘様」
玉楼の声が変わった。
火矢が上がる。
赤い線が夜空を走った。
次の瞬間、前列で火が弾ける。
油を染み込ませた何かが盾へ絡み、炎が広がった。
「火だ!」
兵が揺れる。
「慌てないで! 燃えた盾は前に捨てて! 後ろから詰める!」
煙で喉が焼ける。
馬が暴れる。
そこへ二射目。
火そのものより、煙と熱で列を崩す気だ。
「中央、少し開きます!」
玉楼が叫ぶ。
「アタシが埋める!」
「では、わたくしは右を見ます!」
二人で前へ出た。
アタシが崩れかけた盾兵を戻し、玉楼が横から入り込もうとした敵の射線を読む。
左では孫二娘が兵を動かし、炎の薄い場所へ盾を寄せている。
右では顧大嫂が燃えた盾を蹴り飛ばした。
「熱いじゃないか!」
「素手で触るな!」
「触ってないよ!」
「アンタならやりそうだから!」
その瞬間、曾頭市側の銅鑼が鳴った。
さっきまで閉じていた柵の一部が開く。
「出るぞ!」
顧大嫂が叫んだ。
槍兵が一斉に飛び出してきた。
火で乱れた箇所へ、最初からそこしか見ていなかったみたいに押し寄せてくる。
「合わせて!」
玉楼の声とともにこちらも槍を出す。
激突した。
盾が鳴り、槍の柄がぶつかる。
曾頭市側は深追いしない。
こちらを完全に破るのではなく、火で崩れた場所だけを押してくる。
「固ッ!」
顧大嫂が一人を押し返しても、すぐ後ろが埋める。
孫二娘が左から切り込み、槍の列をずらした。
「一人倒しても穴にならないよォ!」
「じゃあ穴が出来るまで押すよ!」
「だから力技に戻るな!」
それでも二人は止まらない。
左を孫二娘が乱し、右を顧大嫂が押す。
その間を、アタシと玉楼が繋ぐ。
崩れそうな方へアタシが入れば、玉楼が反対側を支える。
玉楼が槍を受ければ、アタシがその隙へ双刀を差し込む。
二人で一つの穴を塞ぐ。
何とか持つ。
そう思った時だった。
敵の槍兵が、一斉に半歩だけ開いた。
道が出来る。
その奥に黒い槍が見えた。
「来る!」
史文恭だ。
火を背にしているのに、焦っているようには見えない。
むしろ、こちらが崩れる瞬間を待っていた。
槍が上がる。
次の瞬間、史文恭が一直線に入ってきた。
「止める!」
玉楼と同時に前へ出る。
最初に玉楼が槍を合わせた。
金属音。
一撃で弾かれる。
「玉楼!」
「大丈夫でございます!」
史文恭の槍が、そのまま玉楼を追う。
アタシは横から割り込み、日月双刀を交差させた。
重い。
腕の奥まで衝撃が走る。
「ぐっ……!」
林で林冲と打ち合った時とは違う。
今の史文恭には後ろがいる。
槍兵が道を作り、火と煙がこちらの足を奪い、その一番崩れた場所へ本人が入ってくる。
強いんじゃない。
強さを一番効くところへ持ってきてる。
「三娘様、右!」
玉楼の声で身体が動いた。
史文恭の槍を外し、二人で位置を入れ替える。
アタシが前なら玉楼が横。
玉楼が受ければアタシが入る。
それでも押される。
史文恭の槍は、こっちが崩れやすい角度を知っているみたいに入ってくる。
「何なのよ、この男!」
「褒めてる場合かい!」
顧大嫂が怒鳴る。
「褒めてない!」
孫二娘も横へ回ろうとするが、敵の槍兵に塞がれた。
史文恭は止まらない。
一歩。
また一歩。
こちらの中央へ食い込んでくる。
その時だった。
後ろから声がした。
「開けろ」
大きな声じゃない。
なのに、前列が自然に割れた。
誰かが進んでくる。
盧俊義だ。
火の明かりの向こうから、ゆっくり前へ出る。
その瞬間、史文恭の目が初めて動いた。
玉楼でございます。
曾頭市へ着いてからも、孫二娘様と顧大嫂様は相変わらずでございました。
「だから燃やせば早いって言ってんだろォ」
「アンタは脳みそまで火薬かい!」
「じゃあババアが柵壊して来いよォ」
「誰がババアだい!!」
周囲の兵まで笑っております。
ですが、不思議なものでございます。
あのお二人が騒いでいると、矢が飛び、火が上がっても、第四軍は止まりません。
顧大嫂様は押し返す力を作り、孫二娘様は崩れた場所へ迷わず入る。
そして三娘様は、その二人と兵たちを見ながら、敵ではなく「どこから崩れるか」を見ておられました。
曾頭市は、戦場そのものがこちらを崩しに来る場所。
そこへ史文恭様まで現れ――
わたくしたちが押された、その時……
「開けろ」
今度は、盧俊義様が前へ出られました。




