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勝っても晴れない

勝った翌朝には、もう次の戦。

ちょっと待って……

梁山泊、止まったら死ぬ生き物なの?

マグロと一緒なの?

「昨日は関勝、今日は曾頭市だねェ」

孫二娘が楽しそうに言う。

「楽しそうに言わないで!」

顧大嫂は朝飯を食べながら平然としていた。

「あたしは動くなら動くで構わないよ。腹さえ減らなきゃねぇ」

「基準が全部お腹なの!?」

しかも今度は晁蓋の仇討ち。

相手は史文恭。

こっちが熱くなる理由まで揃ってる。

「心理学的にも、怒ってる集団は止めにくいよォ」

「急に真面目なこと言わないで!」

夜には李俊まで、

「そういう時の梁山泊は強い。だから危ない」

とか言うし……

「三娘ォ、また李俊見てた?」

「見てない!」

……もうこの返事、条件反射になってない?

そして曾頭市へ着いたら、道の真ん中に黒い矢。

歓迎から物騒すぎるんだけど!?

その時――

遠くで銅鑼が鳴った。

官軍側だ。

アタシは顔を上げた。

林の隙間から、月明かりを拾った槍先が揺れ、その向こうで青龍旗が前へ出る。

「来る」

玉楼もすぐに身体を起こした。

「関勝軍、動きます」

さっきまで息を潜めていた兵たちの空気が変わった。

誰かが槍を握り直し、馬の鼻面を押さえていた兵が手綱を締める。

声を出す者はいないのに、林の中だけが一斉に目を覚ましたようだった。

街道では梁山泊本隊がさらに退いている。

逃げるように見せるため、旗の間隔まで崩していた。

その後を関勝軍が追う。

速すぎず、遅すぎず、先頭だけが突出することもない。

「追い方まで綺麗ね……」

顧大嫂が口の端を上げた。

「だから厄介なんだろうねぇ。崩れてくれりゃ、あたしが横から殴って終わるんだけどさ」

「それ、作戦じゃなくて願望でしょ」

「勝てりゃ作戦だよ」

孫二娘が朴刀を握ったまま笑った。

「顧大嫂に軍学を聞くと、最後はだいたい力技になるねェ」

「アンタも大概でしょ!」

「アタイは心理学があるからねェ」

「戦場で心理学を万能札みたいに出すな!」

「静かにしてくださいませ」

玉楼に二人まとめて止められた。

……アタシまで入ってる?

聞く暇はなかった。

関勝軍の先頭が通り過ぎ、中軍も続く。

青龍旗はまだ遠い。

最後列が林の前へ近づくにつれ、胸の音が大きくなる。

今なら出られる。

でも、まだ早い。

あと少し。

身体は前へ行きたがっているのに、今日は待たなきゃいけない。

「三娘様」

玉楼がこちらを見る。

その目だけで分かった。

もういい。

アタシは頷いた。

「今」

玉楼が立ち上がる。

「第四軍、出ます!」

林の中で押し殺されていた気配が一気に弾けた。

伏せていた盾が起き、槍が上がる。

馬が土を蹴り、枝が揺れ、第四軍が街道へ雪崩れ込んだ。

「退路を塞げ! 追い込むだけ! 勝手に突っ込みすぎない!」

言いながら、何だか自分に向けても言っている気がした。

「聞いたかい、顧大嫂?」

孫二娘が嬉しそうに叫ぶ。

「聞いたよ。三娘が自分で言ったねぇ!」

「そこ拾わなくていい!」

二人は笑いながら左右へ散った。

孫二娘は左から飛び出そうとした官軍を押し返し、顧大嫂は右の狭い逃げ道へ盾兵ごと圧をかける。

無理に敵陣へ食い込まず、逃げ道だけを潰していく。

玉楼はアタシのすぐ横にいた。

「右、閉じます」

「アタシは中央!」

「では、その先を見ます」

言葉が終わるより先に、二人で馬を出す。

アタシが前へ出れば玉楼が横を見る。

玉楼が槍で一騎を止めれば、アタシが空いた場所へ入る。

どちらが先かなんて考えない。

必要な方が出て、もう一人がその先を塞ぐ。

関勝軍の後列が初めて揺れた。

前へ行くか、戻るか。

左右へ抜けるか。

ほんの一瞬、判断が割れた。

それで十分だった。

別の林から梁山泊兵が出る。

丘の裏からも伏兵が姿を現し、前方では退いていた本隊が反転した。

道が閉じる。

関勝軍の進路が消えていく。

「囲め!」

怒号が街道を満たした。

けれど、青龍旗は倒れない。

「……まだ折れない」

「はい」

玉楼も同じものを見ていた。

関勝がいる。

騙されたと分かったはずなのに、あの男は馬上で周囲を見回しているだけだった。

怒鳴り散らさない。

無理に前へ出ない。

青龍偃月刀を構えたまま、退路、本隊、左右の伏兵、自分の兵を順番に見ている。

やがて何かを命じた。

こちらまでは聞こえない。

それでも、乱れかけた官軍の兵が止まった。

盾がまとまり、槍が揃い直す。

「うわ、まだ戻すの?」

「嫌な上司だねェ」

孫二娘が真顔で言った。

「この状況で部下を落ち着かせる上司は、むしろ良い上司じゃない?」

「敵としては最悪だよォ」

「それはそう!」

顧大嫂も槍の列を眺めながら笑った。

「あたしでも、あそこへ今から正面で入るのは嫌だねぇ」

「また人間になってる!」

「三娘、あとで話があるよ」

「ごめんなさい!」

こんな時まで口が動くのは、たぶん怖いからだ。

関勝軍は囲まれた。

でも、囲んだだけで勝ったわけじゃない。

あの青龍偃月刀が振られれば、人が死ぬ。

関勝だけが斬り抜けようとすれば、それだって止めるのは簡単じゃない。

その時、前方から宋江の声が通った。

「関勝殿! これ以上の抵抗は無益! 兵を失わせることは、本意ではございませぬ!」

出た……

またその言い方だ。

喉まで何か出かかったけれど、今回は飲み込んだ。

実際、その通りだからだ。

ここで戦えば官軍も梁山泊も死ぬ。

関勝が意地を通せば、もっと死ぬ。

嫌いと間違いは同じじゃない。

昨日、自分で分かってしまったことが、また胸の中へ戻ってきた。

関勝はしばらく動かなかった。

青龍偃月刀を握ったまま、自分の兵を見る。

その視線が一人ひとりを数えているように見えた。

やがて――刀が下がった。

官軍の兵たちがざわめく。

関勝はそれを制し、馬を前へ進めた。

誰も斬りかからない。

宋江も動かない。

関勝が青龍旗の下を離れ、梁山泊本隊の前で止まった。

声はここまで全部届かなかった。

でも、意味は分かった。

降る――

そう言ったのだ。

槍が一本、また一本と下がっていく。

盾も下がる。

最後まで立っていた青龍旗も、ゆっくり傾いた。

アタシはようやく息を吐いた。

「……あの人、自分が斬り抜けるより兵を取ったのね」

玉楼が頷く。

「良い将でございます」

「そうなのよねぇ……」

孫二娘が寄ってきた。

「だから宋江が欲しがるんだろォ?」

「言わないで」

「何で?」

「分かってるから嫌なの!」

顧大嫂まで笑う。

「嫌いな策で、嫌になるほど良い将を取ったわけだ」

「まとめないで! 余計に気分悪くなる!」

それでも、呼延灼たちの姿が関勝軍の中から戻ってきた時だけは、素直に肩の力が抜けた。

韓滔も彭玘もいる。

三人とも無事だ。

「……戻った」

「文句を言えるねェ」

「今日は言わない」

「明日は?」

「知らない!」

呼延灼がこちらを見た気がした。

アタシは手を上げる。

あっちも小さく返した。

それで十分だった。

その夜、当然のように宴になった。

本当に当然のように宴になるの、梁山泊の制度なんじゃないだろうか?

昼まで敵だった関勝が中央に座り、宋江が何度も盃を勧めている。

呉用は静かに笑い、呼延灼たちもようやく肩の力を抜いていた。

「勝ったんだから飲みなよォ」

孫二娘が隣から酒を押してくる。

「飲んでるわよ?」

「顔が勝った顔じゃないねェ」

顧大嫂が肉を頬張りながら言った。

「あたしは勝ったら食う。それでいいと思うけどねぇ」

「アンタは本当に強いわね……」

「おう、三娘!」

聞き覚えのある声がした瞬間、玉楼が立った。

王英だった……

盃を片手に、こっちへ来ようとしている。

「三娘、今日は俺と――」

「王英様」

玉楼が笑顔で一歩前へ出た。

それだけで王英の足が止まる。

「な、何だよ?」

「本日は関勝様をお迎えする宴でございます。どうぞ、あちらで存分にお楽しみくださいませ」

「いや、俺は三娘と――」

玉楼の拳が、ほんの少しだけ握られた。

王英は踵を返した。

「関勝! 飲もうぜ!」

判断が早い。

「学習したねェ」

孫二娘が感心する。

「王英まで心理学の教材にしないで」

「条件づけは大事だよォ」

「何を条件づけたの!?」

聞かない方がいい気がした。

「賑やかだな?」

今度は別の声だった。

振り向くと、李俊が盃を手に立っている。

さっきまで笑っていた孫二娘の目が、急に楽しそうになった。

嫌な予感……

「何よ」

「何よ、って何だ?」

「アンタが来ると、この人が余計なこと言うから」

「アタイのせいかい?」

「百割アンタのせい!」

李俊が笑った。

「昼より元気そうだな」

「誰のせいで顔赤いとか言われたと思ってるのよ」

「俺か?」

「違う!」

「じゃあ誰だ?」

答えたら負ける気がする。

孫二娘が酒を一口飲んで、にやにやしている。

顧大嫂までこっちを見ている。

玉楼だけが何も言わない。

言わないけど、見てる。

全員見てる!

「……関勝、良い将ね」

無理やり話を変えた。

李俊は一度だけ中央の関勝を見た。

「ああ、自分だけで斬り抜けなかった」

「アンタも、そこ見るのね」

「兵を置いて逃げる大将じゃ、舟は岸まで着かねえだろ」

また舟だ……

でも、今日はその言葉が妙に残った。

関勝も、自分だけが生きる道を選ばなかった。

李俊も、たぶんそういう男だ。

そう思って顔を見たら、目が合った。

「何だ?」

「見てない」

「まだ何も言ってねえぞ?」

「うるさい!」

背後で孫二娘が吹き出した。

「三娘ォ、自白が早くなってるよォ?」

「何の自白よ!」

宴の笑い声がまた大きくなる。

関勝は降った。

呼延灼たちは戻った。

兵も、思っていたよりずっと少ない犠牲で済んだ。

勝ったのだ。

それでも胸の奥には、まだ少しだけ引っかかるものがある。

嫌な策だった。

けれど、その嫌な策で生き残った者がいる。

それを見なかったことにはしたくない。

玉楼が何も言わず、隣で盃を置いた。 孫二娘と顧大嫂だけが、少し離れた所でまた笑っている。

宴は続く――

夜も続く――

でも、胸の奥の重さだけは――

まだ、少し残っていた。

玉楼でございます。

関勝様を迎えた翌朝には、もう曾頭市のお話でございました。

「梁山泊、止まったら死ぬ生き物なの?」

三娘様が真顔で仰います。

「マグロみたいだねェ」

孫二娘様が乗りました。

顧大嫂様は朝飯を口へ運びながら、

「あたしは飯さえ出るなら動くよ」

「そこ基準にしないで!」

夜になると、三娘様は眠れず水辺へ。そこには偶然、李俊様がいらっしゃいました。

「偶然だねェ?」

「偶然よ!」

まだ何も申していない孫二娘様へ、三娘様が先に答えております。

「条件反射だねぇ」

「顧大嫂まで覚えないで!」

ですが翌朝、笑いは消えました。

曾頭市へ続く道の中央には、黒い矢が一本。

歓迎の印にしては――

少々、殺気が強すぎるようでございます。

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