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嫌いと間違いは同じじゃない

林冲と関勝の勝負は、銅鑼で止まった。

で、その直後に軍議。

嫌な予感しかしない。

「学習したねェ、三娘?」

孫二娘が笑う。

「したくてしたんじゃない!」

顧大嫂まで頷いた。

「あたしも分かってきたよ。正面で駄目なら呉用が何か始める」

「その理解、嬉しくない!」

案の定、呼延灼を見た。

さらに韓滔と彭玘まで見た。

三人で偽投降。

「本格的に騙す気じゃない!」

「最初から騙す話だねェ」

そこ正論で殴らないで!

正面から戦えば死人が増える。

だから、この策が間違いだとも言えない。

それが一番嫌だった。

「……無事に戻りなさいよ」

「命令だねェ」

「命令よ。アタシ、大将だから」

顧大嫂が笑う。

「こういう時は大将なんだねぇ」

こういう時こそ大将なの!

――嫌いでも、選ばなきゃいけない時があるらしい。

林冲がわずかに目を動かす。

関勝も青龍偃月刀を下ろしたまま、梁山泊側の本陣へ視線を向けた。

銅鑼を鳴らさせたのは宋江と呉用らしい。

遠くからでも、あの二人がすでに一騎討ちの先を見ていることだけは分かった。

嫌な予感がする。

そして、こういう時の嫌な予感は本当によく当たる。

林冲は関勝から目を離さないまま、蛇矛を引いた。

「続きは、まただな」

「望むところだ」

それだけ言葉を交わすと、林冲が馬首を返す。

関勝も追わず、青龍偃月刀を掲げて官軍へ退く合図を送った。

梁山泊側も動かない。

誰も勝鬨を上げなかった。

決着はついていない。

でも、不満を言う者もいなかった。

言えるわけがない。

あと少し続けば、どちらかが本当に死んでいたかもしれない。

そう思わせる勝負だった。

「……終わり?」

孫二娘が珍しく小さな声で聞いた。

顧大嫂が関勝の背を見ながら、

「ひとまずはねぇ。あたしなら、もう少し見たかったけど」

と答える。

「まだ見たかったの!?」

「強い奴同士の勝負は面白いだろ?」

「観戦じゃないのよ!」

ようやく声が出た。

さっきまで手綱を握り締めていた指が痛い。

力を抜こうとしても、まだ少し震えていた。

玉楼は林冲を見送ったまま、

「真正面から関勝軍を崩すのは、難しいかと存じます」

と言った。

「……うん」

郝思文を捕らえた。

第四軍も押した。

林冲隊まで出た。

それでも官軍は折れず、関勝本人に至っては林冲と互角に打ち合って戻っていった。

力で押し切れないなら、次に何が始まるか。

考えたくない。

でも、梁山泊に少し慣れてきたアタシには、もう分かってしまう。

「軍議よね?」

「おそらく」

「そして悪巧み」

「策でございます」

「玉楼、そこ綺麗に言わないで」

孫二娘が横で吹き出した。

「学習したねェ、三娘」

「こんな学習したくなかった!」

顧大嫂まで頷いている。

「あたしも、そろそろ分かってきたよ。正面で駄目なら呉用が何か始める」

「嫌な信頼感ね!」

第四軍をまとめて本陣へ戻ると、案の定、軍議の支度はもう整っていた。

早い。

本当に早い。

さっきまで林冲と関勝が殺し合っていたのに、もう次の手を考えている。

第四軍からはアタシだけではなく、玉楼、孫二娘、顧大嫂もそのまま呼ばれた。

四人で入ると、卓を囲んでいた何人かがこちらを見る。

宋江が最初に口を開いた。

「扈三娘殿。郝思文殿を捕らえた働き、見事だった」

「どうも」

手柄なのは分かっている。

でも、あまり浮かれる気にはなれなかった。

呉用が地図へ視線を落としたまま続ける。

「しかし、関勝軍は容易には崩れませぬ。先鋒を失ってなお統制が乱れず、正面から押し続ければ、こちらの損耗が増えるでしょう」

誰も反論しなかった。

アタシにもできない。

実際に第四軍がぶつかって、それを見てしまった。

孫二娘も珍しく真面目な顔をしている。

「兵が勝手に動かないんだよねェ。怖くなっても逃げないし、腹が立っても追ってこない。上からの命令を待てる軍は、こっちからすると崩しにくい」

顧大嫂が腕を組む。

「押しても後ろが埋めるしねぇ。あたしも、あれをずっと押すのは御免だよ」

「アンタが押すの嫌がる相手って相当じゃない?」

「あたしだって疲れる時は疲れるよ」

「人間だった!」

「三娘、あとで話があるよ」

「ごめんなさい!」

軍議の最中なのに、何をやってるんだろう?

玉楼が何事もなかったように話を戻した。

「左右へ誘っても、大きく釣られる様子はございませんでした。第四軍だけで動かそうとすれば、こちらが先に形を崩す恐れもございます」

「そういうことだねェ」

孫二娘も頷く。

宋江が少し考えてから、

「関勝殿ほどの人物、できることなら傷つけずに迎えたいものです」

と言った。

出た……

アタシは思わず目を細めた。

玉楼が隣でほんの少しだけ顔をこちらへ向ける。

気づいた。

絶対、同じこと考えた。

呉用の視線が呼延灼へ向く。

アタシもそちらを見る。

呼延灼は何も言わずに座っていたが、しばらくして小さく息を吐いた。

どうやら本人も分かったらしい。

「……また始まった」

思わず口から漏れた。

玉楼が静かに訂正する。

「策でございます」

「だから綺麗に言わないで!」

孫二娘が肩を震わせる。

「条件づけが完成してるねェ。呉用が誰かを見ると、三娘が警戒する」

「心理学的に分析しないで!」

「かなり強化されてるよォ」

「何が!?」

顧大嫂が呉用と呼延灼を交互に見た。

「で、今度は何を騙すんだい?」

直球すぎる。

呉用は怒りもせず、むしろ穏やかに答えた。

「関勝殿でございます」

ほら!

宋江が困ったような顔をした。

「顧大嫂殿、騙すという言い方は少々……」

「でも騙すんだろ?」

宋江が黙った。

強い。

顧大嫂、こういうところでも強い。

呉用が話を続けた。

「関勝殿は官軍の将。ならば、元官軍の将の言葉には耳を貸すでしょう」

呼延灼が立ち上がる。

「私が参ろう」

返事が早かった。

アタシは眉を寄せる。

「何する気?」

聞かなくても、大体分かっている。

呉用が地図の一点を指した。

「呼延灼殿には梁山泊を離反したと偽り、関勝陣へ降っていただきます」

「やっぱり!」

孫二娘が笑う。

「予測成功だねェ」

「嬉しくない!」

呉用はさらに別の二人を見る。

韓滔と彭玘だった。

「お二方にも、同行をお願いいたしたく」

「ちょっと待って。呼延灼だけじゃないの?」

「一人より三人の方が、真実味が増しますゆえ」

「本格的に騙す気じゃない!」

「最初からそう言ってるねェ」

孫二娘、そこは味方しなさいよ!

玉楼は地図を見ながら納得したように頷く。

「呼延灼殿だけでしたら、偽降を疑われるかもしれません。韓滔殿と彭玘殿まで揃えば、梁山泊内で官軍出身者が離反したという話にも形がつきます」

「玉楼まで普通に分析し始めた……」

「副将でございますので」

正しい。

正しいんだけど!

呼延灼は嫌そうな顔もせず、韓滔と彭玘を見る。

「危うい役になる」

韓滔は短く答えた。

「承知している」

彭玘も頷く。

「我らが揃って行く方が、関勝も話を聞くだろう」

もう本人たちが納得している。

アタシだけが引っ掛かっているみたいで、余計に居心地が悪かった。

宋江が三人へ向かって言う。

「危険な役目をお願いすること、心苦しく思います」

「元より戦場に身を置く者です」

呼延灼はそれだけ返した。

宋江の言っていることも分かる。

正面から戦えば人が死ぬ。

関勝を殺さず、こちらの兵も減らさずに済む可能性があるなら、騙す方がましなのかもしれない。

分かってしまう。

それが一番嫌だった。

間違っていると断言できれば、止められる。

でも、これは違う。

嫌いと間違いは同じじゃない。

そのことまで分かるようになってしまった。

軍議が終わり、外へ出る。

呼延灼たちはすぐに準備へ向かった。

「難しい顔してるな」

横から声を掛けられて見ると、李俊がいた。

「そう見える?」

「見える」

「また即答」

「今さら誤魔化す必要があるか?」

ないらしい。

孫二娘が少し後ろから、ものすごく楽しそうにこちらを見ている。

嫌な予感。

「李俊は三娘の顔をよく見てるねェ」

「孫二娘!」

「観察頻度が高いと変化にも気づきやすいんだよォ?」

「恋愛に心理学を持ち込むな!」

「恋愛とは言ってないけどねェ?」

またやった!

李俊まで笑っている。

「アンタも笑うな!」

「で、何が気に入らない?」

話を戻された。

アタシは準備している呼延灼たちを見る。

「騙すこと」

「でも止めなかった」

「……正面からやったら死人が増えるもの」

李俊も三人を見る。

「なら、それでいい」

「簡単に言うわね」

「簡単じゃない。嫌でも選ばなきゃならないだけだ」

返す言葉がなくなった。

李俊はいつもそうだ。

舟が沈むか、岸へ着くか。

余計な飾りをつけず、最後に残るものだけを見る。

それが時々、妙に胸へ残る。

「三娘ォ」

孫二娘の声がする。

「何よ」

「今、李俊のこと見てたねェ」

「見てない!」

「見てたな」

李俊本人まで参加した。

「アンタは黙って!」

顧大嫂が豪快に笑う。

「戦の話してたのに、よくそこへ戻れるねぇ」

本当にそう思う。

呼延灼たちの支度が整った頃には、さすがに笑っている者はいなくなっていた。

三人の鎧はわざと少し乱され、旗も下げられている。

連れていく兵も少なく、隊列まで崩して、梁山泊を逃げ出した者に見えるよう整えられていた。

戦う準備ではない。

騙すための準備だ。

呼延灼が馬の手綱を確かめる。

韓滔は武器を見直し、彭玘は遠くの官軍陣を見ていた。

アタシは三人のそばまで歩いた。

「本当に行くのね?」

「行く」

呼延灼の返事は変わらない。

「怖くないの?」

口にしてから、余計なことを聞いた気がした。

でも、呼延灼は笑わなかった。

「怖くないわけではない」

少し意外だった。

「疑われれば、その場で終わるかもしれん。だが、関勝と正面から戦い続けるよりは、残せる兵が多い」

また、それだ。

分かってしまう答え。

韓滔が続ける。

「疑わせぬために、我らが行く」

彭玘も静かに頷いた。

「官軍にいた過去が、今は役に立つ」

三人とも、自分が何を使われているのか分かっている。

それでも行く。

だったら、アタシが言えることなんて一つしかなかった。

「……無事に戻りなさいよ」

孫二娘が横から笑う。

「命令だねェ」

「命令よ。アタシ、大将だから」

顧大嫂が口元を上げた。

「こういう時は大将なんだねぇ?」

「こういう時こそ大将なの!」

前に同じようなことで散々いじられた気がする。

呼延灼がわずかに笑った。

「承知した」

韓滔と彭玘も頭を下げる。

やがて三騎が動き出した。

その後ろを少数の兵が追う。

旗は低く、隊列はわざと乱れている。

敗れた者のように。

梁山泊を見限った者のように。

でも、その背中だけは乱れていなかった。

遠くには青龍の旗が見える。

あそこへ呼延灼たちは嘘を持っていく。

関勝が信じれば策は進む。

疑えば三人が危ない。

そして、あの関勝なら最初から何かに気づいていてもおかしくない。

玉楼が隣へ来た。

「始まりましたね」

「ええ」

「策が」

「悪巧みが、でしょ」

玉楼は少し黙った。

「……今回は、否定いたしません」

「今回は!?」

孫二娘が後ろで笑った。

それでも、アタシは振り返らなかった。

戦場は真正面から斬り合うだけでは終わらない。

もう、それくらいは分かっている。

分かっているからこそ――

アタシは、その背中から目を離せなかった。

玉楼でございます。

三娘様は、呼延灼様たちの偽降がお気に召さないご様子でした。

「でも止めなかったねェ」

孫二娘様が笑います。

「正面からやったら死人が増えるもの!」

顧大嫂様も頷きました。

「あたしも悪巧みは好きじゃないけど、兵が減るよりはいいさ」

「ほら、悪巧みって言った!」

「策でございます」

「玉楼まで!」

申し訳ございません。

ですが今回は、わたくしも少々そう思っております。

それでも三娘様は、呼延灼様たちへ仰いました。

「無事に戻りなさいよ。命令だから」

孫二娘様が笑います。

「大将らしくなったねェ」

「今まで何だと思ってたの!?」

さて――

三人は、嘘を携えて関勝様の陣へ向かいました。

あの関勝様を、本当に騙せるのでしょうか?

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