↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
30/210

こういう時だけ大将扱い

帰ったら寝る予定だった。

本当に、それだけだったのよ?

「期待するから失望するんだよォ」

孫二娘が朝からうるさい。

「心理学で睡眠不足まで処理するな!」

顧大嫂は馬に乗りながら笑った。

「あたしは先鋒、嫌いじゃないけどねぇ」

「アンタは少し嫌がって!」

そして敵の前まで来たら、今度は一騎討ち。

孫二娘が言う。

「先鋒だねェ」

顧大嫂も頷く。

「大将だねぇ」

「こういう時だけ大将扱いするな!」

……昨日、自分で「大将はアタシ!」って言ったの、忘れてないわよ。

忘れてないけど。

郝思文、普通に強いんだけど!?

軍議が終わり、張り詰めていた空気が少しだけ動いた。

頭領たちが卓を離れると、広げられていた地図は巻かれ、伝令たちは決められた配置を各隊へ伝えるため、松明の間を縫うように走っていった。

北京大名府から戻る途中に設けた野営地は、ほんの少し前まで休息の場所だったはずなのに、もう次の戦へ向けた陣へ姿を変えつつある。

アタシも卓から離れた。

玉楼が隣へ並び、孫二娘と顧大嫂も当然のようについてくる。

軍議へ四人で呼ばれ、そのまま四人で戻ることにも、もう違和感がなくなっていた。

「……帰ったら寝る予定だったのになぁ」

思わず漏らすと、玉楼がこちらを見た。

「三娘様は先ほどから、そればかり仰っております」

「だって寝たかったのよ。身体を洗って、ご飯食べて、できれば三日くらい誰にも起こされずに」

「そちらも何度か伺いました」

「そんなに言ってた?」

「はい」

疲れてるわ、アタシ……

孫二娘が後ろから笑った。

「帰れると思ってた三娘が悪いねェ」

「何でアタシが悪いのよ!」

「期待するから失望するんだよォ」

「昨日も聞いた! 心理学っぽい顔して人生訓を押しつけるな!」

顧大嫂が肩を回しながら、

「あたしも寝るつもりだったんだけどねぇ。先鋒なら仕方ないさ」

と、妙にさっぱり言う。

「何でそんなに切り替え早いの?」

「前に敵がいるんだろ? だったら行くしかないじゃないか」

「そうだけど!」

正論なのが腹立つ。

夜風は冷たかったが、北京大名府で戦った熱がまだ身体の奥に残っている。

周囲を見れば、包帯を巻いた兵や腕を吊った兵も少なくない。

それでも誰も声高に不満を訴えず、馬の世話をし、武具を確かめ、明日の配置を聞いていた。

関勝軍が近い。

その一点だけで、勝った後の空気は完全に消えていた。

「関勝ねェ」

孫二娘が闇の向こうを見る。

「アンタ、会ったことあるの?」

「ないよォ」

「ないの!?」

「名前は知ってるってだけさ」

顧大嫂まで、

「あたしも会ったことはないねぇ」

と平然としている。

「二人ともアタシと大差ないじゃない!」

「関勝って名前を知ってただけ、アタイの勝ちだねェ」

「何の勝負よ!」

つい声を上げたら、近くにいた第四軍の兵が笑った。

疲れているはずなのに、笑えるらしい。

それなら、まあいい。

玉楼は一人だけ前方を見たままだった。

「ただ、林冲殿と呼延灼様のお顔を見る限り、油断はできません」

「それはアタシにも分かる」

むしろ、あの二人が騒がないから怖い。

強い相手の名前を聞いて、「大変だ」と騒ぐならまだいい。

林冲は一言で迎撃地点を決め、呼延灼も関勝の戦い方を淡々と説明しただけだった。

知っている人間ほど、余計なことを言わない。

そこへ別方向から足音が近づく。

「まだ起きてたのか?」

李俊だった。

「今から寝るところ」

「なら寝ろ」

「分かってるわよ」

「本当に?」

「何その信用のなさ!」

李俊は肩をすくめた。

「三娘は放っておくと、何か見つけて前へ出る」

「アタシを野良猫みたいに言わないで!」

孫二娘が笑いを堪えながら口を挟む。

「だいぶ学習されてるねェ?」

「誰が何を学習してるのよ!」

「李俊が三娘の行動パターンを」

「分析するな!」

顧大嫂まで、

「明日は先鋒なんだから、放っておいても前にいるけどねぇ」

と言う。

李俊の眉がぴくりと動いた。

「先鋒なのは聞いた」

嫌な予感。

「前へ出すぎるな」

ほら来た。

「もう覚えたってば!」

「なら守れ」

「そこまでセットなの!?」

玉楼が静かに頷く。

「わたくしも賛成でございます」

「玉楼まで!」

「三娘様は大将でございますので」

そう言われると弱い。

李俊も、それ以上は言わなかった。

ただ一度こちらを見て、

「戻ってこいよ」

とだけ言う。

昨日も聞いたはずなのに、胸の奥が妙に騒いだ。

「……分かってる。アンタも無茶しないでよ」

李俊は一瞬だけ目を見開き、それから頷いた。

「分かった」

後ろから何か聞こえた。

「双方だねェ」

「孫二娘!」

笑い声が上がる。

もう知らない。

アタシは逃げるように寝床へ向かった。

朝は、思ったより早く来た。

眠ったというより、目を閉じたら東の空が白くなっていた、という方が近い。

身体にはまだ昨日までの疲れが残り、鎧を着けるだけでも肩が重かった。

外へ出ると、玉楼はすでに支度を終えている。

「おはようございます、三娘様」

「……おはよう。いつ寝たの?」

「三娘様より少し後でございます」

「なのに何でそんなにしゃきっとしてるの?」

「習慣でしょうか」

ずるい。

少し離れたところでは孫二娘が髪をまとめていた。

寝起きだというのに妙に色っぽい。

思わず見ていたら、こちらへ顔を向ける。

「何だい?」

「寝起きでも綺麗ね」

「三娘も十分綺麗だよォ」

「そうやって普通に返されると困る!」

顧大嫂が馬へ鞍を載せながら笑った。

「朝から何やってるんだい」

「アタシには関係ないって顔しないで!」

「実際ないだろ?」

強い。

こういうところでは顧大嫂が一番強い。

やがて長い角笛が鳴った。

野営地の空気が一変し、兵たちが一斉に動き出す。

第四軍も左右と中央へ分かれながら集まり、昨夜の軍議で決めた形へ素早く整っていった。

玉楼が前へ出る。

「第四軍、整列してくださいませ!」

その声で兵の動きが揃う。

顧大嫂は右翼、孫二娘は左翼へ向かい、アタシと玉楼は中央に残った。

大将になったばかりの頃なら、ここで何を見ればいいのか分からなかったと思う。

今は違う。

兵の顔だけでなく、馬の様子や隊列まで自然と目に入る。

疲労は隠せていないが、それでも第四軍の形は崩れていなかった。

北京大名府を戦い抜いたことで、第四軍には第四軍なりの形ができ始めていた。

「三娘様」

玉楼がこちらを見る。

「うん」

「参りましょう」

「第四軍、出るわよ!」

号令を掛けると隊列が動いた。

街道へ出た第四軍は、梁山泊軍の最前へ進む。

先鋒という役目を改めて実感すると、昨夜以上に嫌になった。

一番最初に敵を見る。

つまり一番最初に敵から見える。

「三娘ァ、また顔に出てるよォ!」

左から孫二娘の声が飛ぶ。

「何が!」

「帰りたいって」

「帰れるなら帰りたいわよ!」

顧大嫂が右から笑った。

「あたしは楽しみだけどねぇ」

「アンタはもう少し嫌がりなさい!」

第四軍の兵から笑い声が起こる。

こんな大将でいいのかと思わなくもない。

でも、兵たちの肩から余計な力が抜けたのなら、それでいい気もした。

朝靄の残る街道をしばらく進んだところで、前方から一騎の斥候が駆け戻ってきた。

速度を見ただけで、報告の内容が分かる気がする。

斥候は第四軍の前で馬を止めた。

「官軍前衛を確認しました! 街道前方ですでに展開を始めております!」

来た。

玉楼が目を細める。

「予想より少し早うございますね」

「向こうも待つ気はないってことでしょ」

「そうでしょう」

孫二娘が前方へ目を凝らす。

「関勝本人は見えるのかい?」

「まだ確認できません!」

顧大嫂が笑った。

「じゃあ、まずは前にいる奴からだねぇ」

発想が単純で助かる。

いや、戦場ではこれくらいの方がいいのかもしれない。

霧が風に流され、少しずつ街道の先が見えてくる。

最初に見えたのは旗だった。

その下に槍が並び、さらに霧が薄れると兵たちの姿まで見えてきた。

昨日聞いた通り、官軍は無理に前へ出ようとせず、街道を押さえる形で静かに陣を整えている。

孫二娘が笑みを消した。

「嫌な並びだねェ。こっちを見ても動かない」

「挑発しても来ないって話だったものね」

「だったら、動かしたくなるねェ」

「もう何か考えてる?」

「少しだけ」

怖い。

それでも頼もしい。

その時、官軍の前列が左右へ割れた。

一騎がゆっくり進み出る。

黒い馬に乗った男は長槍を携え、騎乗した姿勢にも乱れがなかった。

華美な動きはないのに、周囲の兵が自然と道を空けている。

男は街道の中央まで来ると、こちらへ声を張った。

「官軍先鋒、井木犴・郝思文!」

声が朝の街道を通る。

「梁山泊に勇将ありと聞く。誰か、俺と槍を合わせる者はおらぬか!」

一騎討ち。

そう来るの?

思わず左右を見ると、孫二娘と顧大嫂が揃ってこちらを見ていた。

「何よ」

孫二娘がにやりとする。

「先鋒だねェ」

顧大嫂も頷く。

「大将だねぇ」

「こういう時だけアタシを大将扱いするな!」

「昨日、大将は自分だって怒ってたじゃないか」

言った。

確かに言った。

こんな形で回収されるとは思ってなかっただけで。

玉楼を見る。

止めるなら、たぶん玉楼だけだ。

けれど玉楼は何も言わず、アタシの目を見返した。

行けとも言わない。

行くなとも言わない。

自分で決めろ、という顔だった。

それなら決まっている。

「行ってくる」

馬腹を蹴って、第四軍の前へ出た。

「第四軍大将、一丈青・扈三娘!」

名乗ると、郝思文はこちらを一度見ただけで、笑いもしなければ眉も動かさなかった。

女だからと侮る様子がない。

むしろ、それが嫌だった。

まともにこちらを敵将として見ている。

たぶん、強い。

「参るぞ」

郝思文が槍を構える。

アタシも日月双刀を抜いた。

二騎の間を朝風が抜け、両軍の旗が鳴る。

先に動いたのは郝思文だった。

黒馬が一気に加速し、長槍の穂先が真っ直ぐこちらを狙う。

余計な揺さぶりもないからこそ、どこへ来るのか分かっていても避けにくい。

アタシも馬を出した。

間合いが詰まる。

槍が伸びた瞬間に身体を沈めると、穂先が肩の上を抜けていった。

そのまま右の刀を振るったが、郝思文は槍を引き戻し、柄で刀を受ける。

金属音と一緒に腕へ衝撃が走った。

重い。

ここだけは考える暇がなかった。

二騎はそのまますれ違い、アタシは手綱を引いて馬首を返す。

郝思文もすでにこちらを向いており、姿勢どころか呼吸までほとんど乱れていない。

「なるほど」

郝思文の口元が、ほんの少しだけ動いた。

「確かに勇将だ」

褒められたらしいが、全然嬉しくない。

一合交えただけで、郝思文が強いことは十分に分かった。

けれど、アタシの後ろには玉楼がいて、孫二娘と顧大嫂がいて、そのさらに後ろには第四軍がいる。

ここで引く理由もなかった。

郝思文が槍を構え直す。

アタシも双刀を握り直した。

朝の街道で、両軍の視線がもう一度二騎へ集まる。

二度目の激突が始まろうとしていた。

玉楼でございます。

三娘様は郝思文様の前へ出る直前まで、「こういう時だけ大将扱いするな」と仰っておりました。

孫二娘様が笑います。

「昨日は大将はアタシって怒ってたのにねェ?」

顧大嫂様も頷きました。

「あたしも聞いたよ。ずいぶん大きな声だったねぇ」

「二人とも覚えてなくていい!」

三娘様だけが不満そうでございますが、わたくしは少し嬉しゅうございました。

以前なら、三娘様が前へ出れば止めようとしたかもしれません。

今は違います。

三娘様が決めて前へ出るなら、わたくしはその先を見ます。

「それにしても郝思文、強そうだねェ」

「三娘なら平気さ」

ええ、そう思っております。

ですが――

二合目は、まだこれからでございます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。