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帰るどころか先鋒

北京大名府が落ちた。

「今度こそ帰れる!」

そう思ったアタシが甘かった。

孫二娘が笑う。

「期待するから失望するんだよォ」

「心理学で人生訓みたいに言うな!」

顧大嫂まで頷いた。

「帰ったら寝ようと思ってたのにねぇ」

「アンタもだったの!?」

「そりゃ寝るさ。人間だもの」

そこへ急報。

官軍、一万五千。

総大将、関勝。

「……誰?」

「そこからかい?」

だって知らないものは知らない。

しかも軍議へ呼ばれたのは、アタシだけじゃなかった。

玉楼、孫二娘、顧大嫂。

第四軍、全員集合。

そして決まった。

「先鋒をお願いします」

……帰るどころか、一番前だった。

孫二娘が笑う。

「李俊にまた怒られるねェ」

「そこまでセットなの!?」

まだ梁山泊にも着いてないんだけど!

終わったと思っていた。

北京大名府は落ちた。

盧俊義も助け出した。

楊雄と時遷も無事だった。

もちろん、こちらだって無傷じゃない。

怪我人はいるし、戻ってこない兵もいる。

それでも、北京大名府へ向かった時とは違って、隊列にはようやく「帰れる」という空気が漂っていた。

街道を進む荷車が軋む。

馬の鼻息に混じって、兵たちの笑い声も聞こえてくる。

アタシも馬上で大きく息を吐いた。

今度こそ終わった。

梁山泊へ帰ったら身体を洗って、食べて、寝る。

できれば三日くらい誰にも起こされたくない。

「三娘様」

横を進んでいた玉楼がこちらを見る。

「何?」

「随分とお疲れでございますね」

「城を一個落としてきたのよ。疲れない方がおかしいでしょ」

後ろから孫二娘が笑った。

「三娘一人で落としたみたいな言い方だねェ?」

「そういう意味じゃない!」

顧大嫂まで肩を揺らす。

「まあ、大将なんだから半分くらい自分の手柄ってことにしときなよ」

「残り半分を何人で分ける気!?」

「アタイは三割くらい欲しいねェ」

「計算合わなくなるからやめて!」

もう戦いたくない……

敵じゃなくて、この人たちと。

玉楼だけが静かに、

「わたくしは三娘様と同じ分だけで結構でございます」

と言った。

「玉楼、それたぶん一番多い!」

孫二娘が吹き出す。

第四軍は今日も平常運転だった。

だからこそ、本当に終わった気がしていた。

その時だった。

前方から一騎の馬が飛んでくる。

土煙を巻き上げ、兵の列を避けながらこちらへ迫ってくる姿を見ただけで、胸の奥が嫌な感じにざわついた。

良い知らせを持ってくる人って、絶対あんな顔してない。

「急報!」

伝令の声で、隊列から笑い声が消えた。

馬が止まる。

伝令は息を整える暇もなく叫んだ。

「梁山泊周辺に官軍出現!」

……はい?

今、帰るところなんだけど。

兵たちが一斉に顔を上げる。

さっきまで流れていた帰還の空気が、風に吹かれたみたいに消えてしまった。

伝令が続ける。

「総大将――関勝!」

今度は、はっきりとざわめきが広がった。

林冲隊の兵も、呼延灼隊の兵も反応している。

名前を聞いただけでこれ?

相当有名らしい。

アタシは首を傾げた。

「……誰?」

孫二娘が振り返る。

「知らないのかい?」

「知らないわよ」

顧大嫂まで目を丸くする。

「三娘、本当に興味ない相手は覚えないねぇ」

「会ったことない人をどうやって覚えるのよ!」

玉楼が答えた。

「関羽将軍の末裔を称する方でございます」

「ああ!」

それなら分かる。

関羽なら知っている。

三国志の人で、赤い顔に長い髭、青龍偃月刀。

横浜の関帝廟にも行ったことがある。

「知ってるじゃないか」

孫二娘が言う。

「関羽はね!」

「じゃあ関勝も同じようなもんじゃないのかい?」

「子孫と本人を同じにしないで!」

顧大嫂が笑った。

「本人だったら面白かったのにねぇ?」

「面白くない! 時代どうなってるのよ!」

孫二娘が肩を揺らす。

「今更そこ気にするのかい?」

「アタシだって最低限は気にする!」

隣で玉楼が珍しく会話へ入ってこない。

見ると、関勝という名を聞いてから、ほんの少しだけ表情が硬い。

「玉楼?」

「はい」

「知ってる?」

「お名前と武名は」

いつもより短い。

「強いの?」

「かなり」

即答だった。

笑えない方の回答が来た。

周りの兵たちを見ても分かる。

関羽の子孫を名乗るから有名なんじゃない。

本人が強い。

そこへ横から馬が寄ってきた。

「三娘」

李俊だ。

「何?」

「また酷い顔してるぞ?」

「帰れると思ってたの!」

「俺もだ」

「アンタも!?」

「俺だって休みたい」

「なんか安心した!」

李俊が笑う。

ただそれだけなのに、肩に入っていた力が少し抜けた。

後ろから、

「へえェ」

と聞こえた。

嫌な声。

「何よ、孫二娘?」

「何も言ってないよォ」

「今の一音だけで十分なの!」

顧大嫂が李俊とアタシを交互に見た。

「顔見たら元気になったねぇ?」

「なってない!」

「声量は戻りましたね」

「玉楼まで!」

三対一じゃない?

いや李俊まで笑ってるから四対一だ。

味方しかいないのに孤立してる。

前方から号令が飛んだ。

「全軍、停止!」

長い隊列が止まる。

兵たちが道を空け、宋江と呉用の周囲へ各隊の頭領が集まり始めた。

林冲も呼延灼も、もう北京大名府の勝利なんて終わった話みたいな顔をしている。

切り替えが早すぎる。

「軍議でございますね」

玉楼が言った。

「でしょうね」

第四軍の大将になった以上、アタシも呼ばれる。

もう分かってる。

諦めて馬を降りようとしたところで、伝令がこちらへ走ってきた。

「扈三娘殿、玉楼殿、孫二娘殿、顧大嫂殿!」

四人とも?

「第四軍の皆様、軍議へお願いいたします!」

孫二娘がすぐ笑った。

「全員だってさァ」

顧大嫂も馬を降りる。

「そりゃそうだろ。あたしらの軍なんだから」

玉楼は当然のようにアタシの隣へ立った。

「参りましょう、三娘様」

「……そうね」

妙な感じだった。

少し前までなら、軍議へ呼ばれたアタシの半歩後ろに玉楼がいて、それだけだった。

今は違う。

左に孫二娘。

右に顧大嫂。

そして隣に玉楼。

四人で一つの軍を預かっている。

……うるさいけど。

「今、失礼なこと考えたろ?」

顧大嫂が言う。

「考えてない!」

「防衛反応が早いねェ」

「心理分析禁止!」

孫二娘が楽しそうについてくる。

松明が集められた場所には、すでに地図が広げられていた。

宋江、呉用、林冲、呼延灼、秦明、花栄。

そこへ第四軍の四人が並ぶ。

呉用が伝令へ目を向けた。

「報告を」

「関勝軍は現在、梁山泊へ続く街道を進軍中。兵数、およそ一万五千!」

空気が重くなった。

こちらは北京大名府を落としたばかりだ。

勝って勢いがある、と言えば聞こえはいい。

実際には疲れている。

負傷者を抱え、兵糧も減り、馬だって休ませたい。

その状態で一万五千。

嫌がらせとして完成されすぎている。

呼延灼が地図を見る。

「関勝なら、正面から形を崩さず来る」

秦明が腕を組んだ。

「慎重な奴だからな。挑発しても簡単には乗らんぞ」

孫二娘が小さく反応した。

「乗らないのかい?」

呼延灼が彼女を見る。

「そう簡単にはな」

「嫌な相手だねェ」

アタシは思わず孫二娘を見る。

「さっきも同じこと言ってなかった?」

「逃げない、追わない、焦らない。心理的に崩しにくい奴は面倒なんだよォ」

顧大嫂が地図を覗き込む。

「なら、押せばいいんじゃないか?」

「全部腕力で解決しようとするな!」

「押せるなら早いだろ?」

否定し切れないのが腹立つ。

林冲が街道の一点を指した。

「梁山泊まで近づけるな。ここで止める」

街道の両側に林があり、その先に緩い丘がある。

大軍が一気に広がれる場所じゃない。

玉楼が地図へ目を落とす。

「先に相手をここへ入れれば、左右の動きを制限できます」

呉用が頷いた。

「その通りでございます」

孫二娘が指先で別の場所を示した。

「この林は使えるのかい?」

「使えますな」

「じゃあ左から見せて、逃げ道をこっちに作れば――」

「孫二娘様」

玉楼が穏やかに止める。

「まだ第四軍にお話が来ておりません」

「先に考えといた方が楽だろォ?」

顧大嫂も身を乗り出した。

「右はこっちの斜面から入れるねぇ」

「アンタも参加するな!」

宋江が笑いを堪えている。

絶対笑ってる……

呉用まで扇の陰で口元が緩んでいる。

「第四軍は――」

来た。

嫌な予感。

「先鋒をお願いいたしたい」

やっぱり!

アタシが口を開くより先に、孫二娘が頷いた。

「いいよォ」

顧大嫂も、

「分かった」

と答える。

「待ちなさい!」

二人がこっちを見る。

「大将アタシ!」

孫二娘が首を傾げた。

「嫌なのかい?」

「嫌かどうかじゃなくて、アタシが返事するの!」

玉楼が真顔で頷く。

「三娘様のおっしゃる通りでございます」

「玉楼だけ! アタシを大将として扱ってくれるの玉楼だけ!」

「では、お返事を」

「そこは淡々としてる!」

でも地図を見る。

関勝軍の前へ出て、形を見る。

崩せるなら崩す。

無理なら本隊まで引き込む。

北京大名府で分かった。

第四軍は、林冲隊みたいに整然と突破する軍じゃない。

相手を動かす。

流れを壊す。

それなら、先鋒は確かに向いている。

「……分かった。第四軍が行く」

呉用が頷いた。

「お願いいたします」

孫二娘が笑う。

「ほら、結局同じだったろォ?」

「過程が大事なの!」

顧大嫂が肩を回す。

「じゃあ明日は先に暴れればいいんだねぇ」

「暴れる前提で作戦を理解するな!」

玉楼が静かに補足する。

「敵陣を乱すことが第一でございます。顧大嫂様、敵中へ入りすぎませんよう」

「二娘よりは出ないよ」

「その比較やめて!」

軍議が終わる頃には、夜がさらに深くなっていた。

四人で松明の外へ出ると、少し離れた場所に李俊がいた。

こちらを見るなり聞いてくる。

「どうなった?」

「第四軍が先鋒」

李俊が目を閉じた。

「やっぱりか」

「何その顔!」

「前へ出すぎるな」

「またそれ!?」

孫二娘が後ろで笑った。

「完全に条件づけられてるねェ」

「アンタは黙って!」

李俊は笑わない。

「三娘」

さっきより真面目な声だった。

「戻ってこいよ」

一瞬、返事が遅れた。

胸の奥が変にざわつく。

「……分かってる」

そのまま行こうとして、足が止まった。

自分でも何で止まったのか分からない。

「アンタも」

李俊がこちらを見る。

「無茶しないでよ」

少しだけ目を見開いて、それから頷いた。

「分かった」

後ろから孫二娘の声がした。

「双方」

「アンタまだそれ言うの!?」

顧大嫂が笑い、玉楼まで口元を隠している。

本当に逃げ場がない。

でも遠くでは、もう兵が動き始めていた。

帰還のために整えていた隊列が、迎撃の形へ変わっていく。

北京大名府の勝利は、まだ身体に残っている。

梁山泊へも戻っていない。

それなのに――

次の戦は、もう始まっていた。

玉楼でございます。

「帰れると思ったんだけどねェ?」

孫二娘様が大きく伸びをなさいました。

「あたしも寝る気だったよ」

顧大嫂様まで頷きます。

三娘様が振り返りました。

「だったら何で二人とも、先鋒って聞いた瞬間やる気出してるの!?」

「先鋒なら暴れやすいだろォ?」

「前に敵がいるからねぇ」

「理由が雑!」

軍議には第四軍、四人揃って参加いたしました。

もっとも――

「いいよォ」

「分かった」

「だから大将はアタシ!」

お返事だけは、三娘様よりお二人の方が早かったのでございます。

そして軍議の後。

李俊様が、

「戻ってこいよ」

と仰れば、三娘様も、

「アンタも無茶しないでよ」

と。

孫二娘様が笑います。

「双方だねェ」

「玉楼まで頷かないで!」

わたくしは何も申しておりません。

さて、第四軍は先鋒。

お相手は関勝様。

今度は――笑って帰れるでしょうか?

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