北京大名府攻略戦・後編
北京大名府へ向かう前から、嫌な予感がした。
城攻めは、好きじゃない。
狭いし、詰まるし、止まると、そのまま人が潰れる。
しかも今回は、顧大嫂と孫二娘までいる。
絶対、静かに終わらない。
実際、顔を合わせた瞬間からうるさかった。
「城攻めだって?」
顧大嫂が笑う。
「面白そうじゃないか」
孫二娘も横で笑っている。
嫌な予感しかしない……
でも―― こういう時に前へ出る人達なのも、分かっていました。
押し込む時、止まらない。
崩れた時、そこで暴れ切れる。
多分、城の中でも変わりらない。
だから今回の北京大名府攻略戦は、 静かな戦にはならないわね。
遠くで鳴っていた銅鑼が、今度は近い。
一つじゃない。
重なっている。
城内の奥から、整った足音が響き始めた。
さっきまでとは違う。
慌てて集まった兵じゃない。 最初から、動く形が決まっている。
玉楼が低く言う。
「本隊です」
見ると、暗い通りの奥に灯りが並ぶ。
隊列が揃ったまま、真っ直ぐこちらへ来る。
顧大嫂が鼻を鳴らした。
「嫌な感じだねぇ」
孫二娘も笑みを消す。
「今までの雑兵とは違う」
アタシは前を見る。
敵兵が、道を空け始めていた。
自然に、命令を待たず。
そこへ――
一団が出てくる。
前列が盾を並べる。
槍が揃う。
足並みまで同じだった。
「止めに来たわね」
玉楼が頷く。
「立て直す気です」
速い。
北京大名府側も、完全には崩れていない。
むしろ――
ここからが本番だ。
前へ出ようとした兵が、逆に押し返される。
第四軍の勢いが、一瞬止まった。
「……ッ」
重い。
真正面から押し返してくる。
顧大嫂がぶつかる。
「邪魔だよ!」
だが、崩れない。
孫二娘が横へ回る。
「固いねぇ!」
そこも止められる。
槍が揃っている。
勝手に追ってこない。
無理に乱れない。
玉楼が短く言う。
「中央、潰せません」
分かる。
無茶に突っ込めば、 今度はこっちが止まる。
止まれば終わる。
後ろには、まだ第四軍が流れ込んでいる。
ここで詰まれば、 城門の中で潰し合いになる。
その時、後ろから静かな声が飛ぶ。
「開けろ」
林冲だ。
白い披風が揺れる。
林冲隊が、ゆっくり前へ出る。
慌てない。
走らない。
でも――速い。
前列が割れる。
第四軍の横を抜け、 林冲が中央へ出た。
敵兵の空気が変わる。
真正面。
槍と蛇矛がぶつかった。
重い音。
次の瞬間、 中央が沈む。
「……え?」
思わず声が漏れる。
一撃だった。
崩れなかった列が、 そこで初めて乱れる。
林冲が止まらない。
そのまま前へ出る。
白い披風が、夜の中を抜けていく。
玉楼が小さく呟いた。
「突破しましたね」
顧大嫂が笑う。
「だから軍隊なんだろうねぇ!」
アタシは息を吐く。
第四軍は、流れを壊す。
林冲隊は、 壊れた場所を“突破”に変える。
役割が違う。
だったら――
「第四軍、左右へ広がる!」
玉楼が即座に通す。
「左右展開!」
孫二娘が笑った。
「やっと暴れやすくなった!」
顧大嫂も前へ出る。
「押し潰すよ!」
北京大名府の夜が、 さらに大きく揺れ始めた。
左右へ広がった瞬間、空気が変わる。
今まで、城門の一点へ押し込まれていた兵が流れ始めた。
詰まりが消える。
第四軍が、一気に横へ裂けた。
顧大嫂が右側へ踏み込む。
「固まるな!」
盾ごと押し飛ばす。
無理やり間を作る。
そこへ孫二娘が入り込む。
「遅いんだよ!」
横から首筋へ刃が走る。
兵が崩れる。
崩れた場所へ、さらに後ろが巻き込まれる。
止まらない。
玉楼が中央を見たまま言う。
「右、押せています」
アタシは頷く。
左も崩れ始めていた。
林冲隊が中央を貫いた事で、 敵の“止める形”そのものが歪み始めている。
統率が切れた。
もう、“壁”じゃない。
「今よ!」
第四軍がさらに前へ出る。
敵兵が押される。
逃げ始める。
だが、まだ終わらない。
奥だ。
城内のさらに奥から、また銅鑼が鳴る。
「……まだいるわね」
顧大嫂が嫌そうに吐き捨てる。
玉楼が前を見る。
「内城側です」
北京大名府は広い。
外門を抜いても、 それで終わる城じゃない。
通りが長い。
左右にも兵が流れている。
完全に飲み込むには、 まだ足りない。
その時だった。
前方で、突然火が上がる。
「火!?」
兵がざわつく。
通りの奥。
荷車が倒され、 油が撒かれていた。
火が一気に広がる。
道を塞ぐ気だ。
「ちッ……!」
孫二娘が舌打ちする。
熱気が押し返してくる。
進路が狭まる。
敵は、ただ押されているだけじゃない。
ちゃんと時間を稼いでいる。
玉楼が即座に言う。
「右路地、生きています!」
見ると、細かった。
でも、通れる。
顧大嫂が笑った。
「やっと城攻めらしくなってきたねぇ!」
アタシは前を見る。
火、煙、狭路に逃げ惑う兵。
北京大名府そのものが、 巨大な迷路みたいに動き始めていた。
そして――
その奥には、まだ敵がいる。
右路地へ入った瞬間、空気が変わった。
火の熱が、壁越しに押してくる。
煙まで流れ込んでいた。
「ったく、息苦しいねぇ!」
顧大嫂が前を蹴散らす。
逃げ遅れた兵が壁へ押し付けられた。
孫二娘が、その横を抜ける。
「止まるなよ!」
細い路地へ、第四軍が流れ込む。
だが―― 奥の空気が違った。
玉楼が先に気付く。
「前方、止まっています」
路地の先を見ると、兵がそこで踏み止まっていた。
逃げていない。
押し返している。
しかも――
中央だけ、妙に空いている。
誰かいる。
次の瞬間、怒声が響いた。
「退くなッ!!」
空気が震える。
前列の兵が、そこで踏み止まった。
その奥に、大斧を持った男が馬に乗っていた。
近付くだけで圧がある。
男が前へ出る。
火の中でも、目だけが鋭い。
「大名府兵馬都監――索超だ!」
声が路地へ響いた。
「通りたきゃ、俺を越えて行け!」
顧大嫂が鼻を鳴らす。
「面倒なのが居るねぇ!」
孫二娘が笑う。
「いいじゃないか!」
索超が踏み込む。
大斧のクセに速い。
そのまま横薙ぎに振られた、
壁ごと抉るみたいな一撃。
兵が吹き飛ぶ。
顧大嫂が舌打ちした。
「狭い場所で出て来る相手じゃないよ!」
孫二娘が横へ回る。
「でも、暴れにくそうだ!」
確かに……
広場なら危ない。
でも、ここは路地だ。
振り回せる幅が限られる。
アタシは前を見る。
索超も分かっている。
だから無理に追ってこない。
路地を塞いでいる。
時間稼ぎだ。
「玉楼」
「はい」
「左右から崩す」
玉楼が即座に動く。
槍が走る。
索超の足元を狙う。
だが、大斧が落ちる。
重い。
火花が散る。
玉楼が下がる。
そこへ顧大嫂が突っ込んだ。
「どいた!」
盾ごと押す。
索超の体勢が、わずかに浮く。
その瞬間――
孫二娘が横へ滑り込む。
「隙だらけだよ!」
刃が走る。
索超が避ける。
だが、完全じゃない。
肩口が裂けた。
血が飛ぶ。
「ッ……!」
初めて、索超の呼吸が乱れる。
アタシはそこへ踏み込んだ。
双刀が、大斧へ絡む。
重い。
でも、止まった。
「今!」
玉楼が後ろへ回る。
槍の柄が、索超の腕へ叩き込まれた。
崩れる。
顧大嫂が押す。
孫二娘が腕へ絡みつく。
狭路だった。
だからこそ、 四人で潰せた。
索超が地面へ膝をつく。
それでも、大斧を離さない。
「まだやる気?」
アタシが息を吐く。
索超は睨み返してくる。
負けていない目だった。
でも――
後ろでは、もう第四軍が流れ始めている。
止め切れない。
玉楼が静かに言う。
「縛りますか」
顧大嫂が笑った。
「大物だねぇ」
孫二娘が肩で息をしながら笑う。
「やっと城攻めっぽくなってきた!」
索超が縛られる。
それでも、まだ睨んでいた。 膝をついたまま、大斧だけは離さない。
顧大嫂が呆れた様に笑う。 「しぶとい男だねぇ」 孫二娘が縄を引く。
「こういうのが最後まで面倒なんだよ」
索超は答えない。
血が流れている。
でも、目は死んでいなかった。
その後ろを、第四軍が流れていく。
もう止まらない。
路地の奥へ、梁山泊兵が雪崩れ込んでいた。
敵兵が下がり、押し返せない。
誰かが逃げ始めると、我先にと広がる。
「退け!」
「内城へ下がれ!」
怒鳴り声が飛ぶ。
でも、揃わない。
玉楼が周囲を見る。
「……崩れ始めています」
アタシは頷く。
城の中そのものが、崩れ始めていた。
遠くで、また銅鑼が鳴る。
でも、さっきまでと違う。
揃っていない。
音が乱れている。
顧大嫂が肩を鳴らした。
「終わりが見えてきたねぇ」
孫二娘が笑う。
「長かったじゃないか」
アタシは前を見る。
燃えている。
煙が流れている。
兵が走っている。
叫び声も、足音も、全部混ざっていた。
北京大名府が、落ちる――
その実感だけが、ようやく出始めていた。
その時――
後ろから、静かな声が通る。
「前を開けろ」
林冲だった。
白い披風が、煙の中を抜けてくる。
林冲隊は、まだ乱れていない。
静かなまま、前へ出る。
索超が、初めてそちらを見る。
林冲は止まらない。
索超の前まで来ると、一度だけ視線を落とした。
「……良い踏ん張りだった」
索超は笑わない。
だが、目だけがわずかに動く。
「負けたのは俺だ」
絞り出す様な声だった。
林冲は、それ以上言わない。 ただ、前を見る。
「もう終わる」
静かだった。
でも、断言だった。
その瞬間――
遠くで、門が落ちる音がした。
重い音。
続いて、歓声が上がる。
梁山泊兵だ。
玉楼が小さく息を吐く。
「……内門ですね」
顧大嫂が笑った。
「終わりだねェ」
孫二娘も肩を回す。
「ようやくだよ」
アタシは、ゆっくり息を吐く。
長かった。
でも―― まだ終わってはいない。
城が落ちた後の方が、面倒だからだ。
煙の向こうでは、まだ人が走っている。
火も消えていない。
アタシは双刀を戻す。
「第四軍、暴れないでよ」
顧大嫂が鼻で笑う。
「誰に言ってるんだい」
孫二娘が肩をすくめた。
「今日は城を落としただけさ」
玉楼が静かに続ける。
「……ここからが、梁山泊です」
その言葉だけが、 煙の残る夜へ静かに落ちた。
北京大名府へ入ってからも、顧大嫂殿と孫二娘殿は、最後まで騒がしいままでした。
「押せ押せ! 止まったら潰れるよ!」
顧大嫂殿が怒鳴れば、
「アンタが押し過ぎなんだよ!」
孫二娘殿が即座に怒鳴り返す。
そのまま二人で敵兵ごと押し合いになり、周囲の兵達まで巻き込まれていました。
しかも索超殿が出て来た時ですら、
「デカいねぇ!」
「狭い路地で振り回す気かよ!」
「アンタも大概うるさいよ!」
「ババアの声の方が響いてるだろ!」
――ずっと騒がしいままでした。
ですが、不思議と第四軍は止まりません。
怖くても、燃えていても、狭路で押し潰されそうでも、前で誰かが怒鳴っていると、人は足を止め切れない。
顧大嫂殿は、押し込む空気を作る方です。
孫二娘殿は、崩れた場所へ飛び込むのが速い。
だから第四軍は、城の中でも前へ出続けました。
ですが今回、一番静かだったのは林冲殿かもしれません。
第四軍が流れを壊し、林冲隊が、それを“突破”へ変えていく。
北京大名府の戦は、そんな形で動いていました。
そして――
城が落ちた後、扈三娘様が言われた、
「暴れないでよ」
あの一言だけが、妙に残っています。
多分、城攻めは落とした後の方が難しい。
扈三娘様は、それを最初から見ておられたのでしょう。




