北京大名府攻略戦・前編
「始まったねェ」
孫二娘が鍋を混ぜながら笑う。
「今度は“北京大名府に突っ込んだ回”だったんだって?」
顧大嫂が酒を煽った。
「相変わらず無茶するねぇ」
幕舎の外から即座に声が飛ぶ。
「アンタ達も一緒だったでしょ!!」
孫二娘が吹き出した。
「出たよォ!!」
「責任転嫁だ!!」
「転嫁じゃないわよ!!」
また外から返って来る。
「真っ先に突っ込んだの顧大嫂よ!?」
「左から暴れたの孫二娘よ!?」
顧大嫂が肩を揺らした。
「まあ、それは否定出来ないねぇ」
「出来ないねェ」
即答だった。
「何で誇らしそうなのよ!!」
笑い声が広がる。
鍋の湯気が揺れた。
その時――
孫二娘が鍋杓子を振った。
「でもさァ」
嫌な予感しかしない。
「何よ」
「姐御セット、強かったねェ」
顧大嫂が頷く。
「ハッピーセットみたいに言うんじゃないよ!!」
アタシは額を押さえた。
「アンタ達、絶対楽しんでたでしょ」
「戦だしねェ」
「戦だからねぇ」
全く反省していない。
孫二娘が笑う。
「だって右から押す奴が居てさァ」
顧大嫂が続ける。
「左から引っ掻き回す奴も居る」
「真ん中に玉楼」
「後ろに林冲」
少し間。
「敵が可哀想だったねェ」
「可哀想だったねぇ」
「失礼ね!!」
また笑い声が広がる。
しばらく続いた後――
顧大嫂が酒を置いた。
「でも城は硬かったねぇ」
鍋の音だけが続く。
「そうね」
アタシも頷く。
北京大名府。
河北でも指折りの大城だ。
門一つ開けるだけで何人も倒れる。
矢が降る。
油が落ちる。
押しても押しても開かない。
それでも――
第四軍は止まらなかった。
孫二娘が鍋を混ぜながら笑う。
「開いた時は気持ち良かったねェ」
「アンタは本当に戦好きね」
「違うよォ」
少し考えてから言う。
「勝つのが好きなんだよォ」
顧大嫂が吹き出した。
「正直だねぇ」
「でしょ」
アタシは思わずため息を吐いた。
その時――
孫二娘が急に真顔になる。
「でもさァ」
嫌な予感しかしない。
「何よ」
「林冲隊来た時」
沈黙。
鍋の音だけが続く。
「安心しただろォ」
顧大嫂の肩が震える。
「違うわよ」
即答だった。
「出たよォ!!」
「絶対した!!」
「してない!!」
「白い披風見た瞬間、なるほどねって言ってたじゃないか!」
「それは戦の話よ!!」
顧大嫂も笑う。
「まあ、後ろを任せられる相手がいるのは大きいからねぇ」
アタシは少し言葉に詰まった。
それは否定しづらい。
林冲隊は崩れない。
穴が開けば埋める。
押すべき時に押す。
それだけだ。
でも、その“それだけ”が戦場では大きい。
孫二娘がニヤニヤしている。
「やっぱり安心したんだねェ」
「違うって言ってるでしょ!!」
「はいはい」
「聞きなさいよ!!」
笑い声が爆発した。
しばらく続いた後――
顧大嫂が小さく息を吐く。
「でも終わってない」
鍋の音だけが続く。
「そうね」
アタシも頷く。
門は破った。
甕城にも入った。
敵も崩れ始めた。
だけど――
北京大名府はまだ落ちていない。
孫二娘が鍋を混ぜながら笑う。
「奥から出て来たんだろォ?」
「出て来たわね」
「本隊だねェ」
顧大嫂も頷く。
「ここからが本番だ」
夜は、まだ終わらない。
北京大名府も……
盧俊義も……
第四軍も……
まだ何一つ終わっていない。
だけど――
少なくとも一つだけは分かる。
城門をこじ開けた時点で、もう静かな話には戻れない。
湿った風は、そんな当たり前の事実を――
鍋の湯気と一緒に、静かに夜へ溶かしていくみたいだった。
伝令は息を切らしたまま、馬上で頭を下げている。
誰もすぐには喋らない。
風だけが吹いていた。
アタシは前を見る。
闇しか見えない。
でも、その向こうに北京大名府がある。
盧俊義も、楊雄も、時遷も捕まっている。
石秀が命懸けで戻って来た理由も。
全部、その先だ。
玉楼が静かに聞く。
「距離は」
伝令が即座に答えた。
「半刻ほどです」
近い……
思ったより近い。
顧大嫂が鼻を鳴らした。
「なら走るだけだねぇ」
孫二娘も肩を回す。
「ようやくだよ」
その時だった。
前方から別の馬が駆けて来る。
斥候だ。
馬を飛ばして戻って来る姿が見えた瞬間、周囲の空気が変わる。
ただ事じゃない。
斥候は馬を止めるなり叫んだ。
「城外に騎兵!」
誰かが息を呑む。
「数は多くありません!」
「ですが街道を警戒しております!」
やっぱり……
向こうも気付いている。
完全な奇襲にはならない。
玉楼が小さく言った。
「急がなければなりません」
「分かってる」
待てば待つほど面倒になる。
夜が明けると、城門が更に兵で固まる。
それだけは避けたい。
前方で銅鑼が鳴る。
行軍速度加速の合図だった。
行軍が速度を上げる。
第一軍――
第二軍――
第三軍――
そして第四軍。
隊列が伸びる。
夜道を馬蹄が叩く。
松明の灯が揺れる。
誰も無駄口を叩かない。
ただ前へ進む。
しばらくして――
初めて見えた。
闇の中に、黒い壁が浮かぶ。
夜空を切り取るみたいに、巨大な影が立っていた。
北京大名府……
城壁の上には火が見える。
一つじゃない。
二つでもない。
どんどん増えている。
人が走る影まで見えた。
顧大嫂が笑う。
「起きたみたいだねぇ」
孫二娘が肩を鳴らした。
「寝ててくれりゃ楽だったのに」
アタシは城を見上げる。
思っていた以上に大きい――
梁山泊の寨なんかとは比べ物にならない。
河北最大級の城。
盧俊義が暮らしていた城。
そして今は――
落とさなきゃならない城だ。
玉楼が隣へ並ぶ。
「扈三娘様」
「何?」
「始まります」
アタシは小さく息を吐いた。
「みたいね」
もう戻れない。
ここまで来た……
――なら行くだけだ
真っ先に顧大嫂隊が駆ける。
「行くよ!」
敵兵にぶつかり、何かが潰れる音が響く。
馬が嘶き、泥が跳ねる。
顧大嫂隊は止まらない。
アタシは手綱を引く。
「そのまま、前へ」
玉楼が号令する。
「そのまま前へ!」
顧大嫂が前に出て、叫ぶ。
「まだ足りないねぇ!」
強引に押し、敵の隊列が歪む。
無理やりこじ開け、そこへ孫二娘隊が入る。
「逃がさないよ!」
横から絡み、一人また一人と引きずり出す。
敵軍の崩れが広がる。
姐御セットは、相変わらずパワフルだ。
アタシは前を見る。
「そこ!!」
アタシ達も前に出て、崩した横っ腹を突き崩す。
連携が噛み合い、勢い良く押し込む。
止まらない。
たまらず、敵の隊列が大きく開く。
その先に、城の影が見えた。
高くて、黒かった。
夜の中でも、壁だけが重く立っている。
北京大名府――
盧俊義が絡まなければ、戦わなくて済んだ城……
門は、まだ閉じている。
でも、内側は騒いでいた。
火が増えている。
声も増えている。
こちらの動きに合わせるように……
「間に合ったかねぇ」
顧大嫂が舌打ちする。
孫二娘が笑う。
「遅くなきゃ良いけどねェ」
アタシは前を見る。
城門の前へ、また兵が集まりだした。
まだ揃いきってはいない。
「止まらないで」
玉楼がすぐに通す。
「止まるな!」
第四軍が前へ出る。
顧大嫂が右に、孫二娘が左を裂く。
玉楼が真ん中を締める。
アタシは中央の城門を見る。
あそこに着かなければ、終わらない。
「城門まで突っ込むわよ」
玉楼が頷く。
「承知しました」
その時、城壁の上から声が飛んだ。
矢が落ちる。
夜の中を、黒い雨みたいに降ってくる。
「伏せろ!」
顧大嫂の声が響く。
兵が盾を上げる。
矢が当たり、兵が倒れる。
進みが鈍る。
マズい――。
ここで止まると、後ろが詰まる。
アタシは手綱を引き、前へ出る。
「玉楼!」
「はい!」
玉楼が横につく。
二人で、盾の隙間を抜ける。
矢がかすめ、頬が熱い。
でも止まらない。
門の前で、敵兵が固まり始めていた。
「開ける気はないって顔ね」
孫二娘が横から来る。
「なら、こじ開けりゃいい」
顧大嫂も続く。
「やるよ!」
四人が並ぶ。
そこへ、横から声が走った。
「林冲隊、前へ!」
白い披風が見えた。
林冲だ。
隊列が静かに動く。
でも速い。
第四軍がこじ開けた隙間へ、林冲隊が入る。
空気が変わる。
乱れていた押し合いが、形になる。
「……なるほどね」
アタシは息を吐く。
アタシ達が突破口を開く。
林冲が、そこを抜ける。
それでいいらしい。
「まだまだ行くわよ!」
玉楼が声を通す。
「第四軍、前へ!」
夜のまま、北京大名府の門前が揺れた。
夜の城門は、簡単には崩れなかった。
梁が軋み、鉄が鳴る。
押しても、まだ耐えている。
「硬いねぇ!」
顧大嫂が舌打ちする。
その横で、孫二娘が兵を蹴り飛ばした。
「だから城なんだろ!」
怒鳴り返しながら、さらに前へ出る。
アタシは門を見る。
閉じている。
でも――完全じゃない。
こちらが押している。
内側も混乱している。
「もう少しよ」
玉楼がすぐ横で頷く。
「右側、歪んでいます」
見ると、確かに蝶番側が少し浮いている。
「潰して!」
第四軍が一気に寄る。
盾がぶつかる。
槍が鳴る。
人が押し合う。
その時――
上から、熱い油が落ちた。
悲鳴とともに兵が倒れる。
「下がるな!」
アタシは叫ぶ。
止まれば終わる。
後ろが詰まり、押し潰される。
玉楼が前へ出た。
「盾を上に!」
声が通り、兵が動く。
顧大嫂が笑った。
「やるじゃないか!」
孫二娘も止まらない。
「そのまま押し切るよ!」
夜の帳の中で、第四軍だけが前へ出続ける。
その後ろを林冲隊が埋めていく。
白い披風が揺れる度、隊列が締まる。
「……マジで軍隊ね」
思わず、口から漏れた。
玉楼が小さく返す。
「はい」
その瞬間――
門が重い音を立てて鳴った。
木が裂ける。
「開く!」
誰かが叫ぶ。
次の瞬間、城門がわずかに内側へ沈んだ。
「行くわよ!」
アタシは馬腹を蹴る。
玉楼が並ぶ。
顧大嫂が右へ流れる。
孫二娘が左を裂く。
割れた隙間から、甕城へ雪崩れ込む。
北京大名府の空気が、真正面からぶつかってきた。
甕城の中を一気に突き崩す。
「止めろォ!」
怒声とともに、槍が並ぶ。
アタシは双刀で振り払う。
「邪魔よ!」
火花が散る。
敵兵を斬り払っていく。
押し込んで、道を作る。
後ろから、林冲隊が流れ込んでくる。
第四軍が開けた穴を、そのまま広げていく。
顧大嫂が兵ごと押し飛ばす。
「どいたどいた!」
孫二娘が笑いながら横へ回る。
「逃げ道あると思うなよ!」
玉楼が冷静に通す。
「甕城、抜けられそうです!」
見ると確かに、甕城の向こうで待機していた敵兵も押され始める。
「孫二娘!」
「分かってる!」
返事が速い。
そのまま奥へ食い込む。
敵兵が崩れていき、連鎖みたいに、隊列が歪んでいく。
北京大名府の内側が、ようやく混乱し始めた。
アタシは息を吐く。
――行ける。
そう思った瞬間だった。
遠くで、銅鑼が鳴る。
空気が変わる。
玉楼が目を細めた。
「……奥が動きます」
見る。
暗い城内の奥。
灯りが、まとまって動いていた。
バラバラじゃない。
揃っている。
誰かが出てくる。
顧大嫂が笑みを消した。
「来るねぇ」
孫二娘も前を見る。
「やっと本隊か」
アタシは双刀を握り直す。
北京大名府は、まだ落ちていない。
夜は、相変わらず静かでした。
銅鑼もありません。
馬の嘶きも、怒号もありません。
あるのは、湿った風と、鍋の煮える音だけです。
その中で――
孫二娘殿と顧大嫂殿は、今日も鍋を囲んでおられました。
北京大名府でも鍋。
城門突破でも鍋。
林冲殿が来ても鍋。
もはや、このお二人は戦況より鍋の火加減を優先しているのかもしれません。
――閑話休題
「で?」
孫二娘殿が鍋を混ぜながら笑います。
「結局、アタイが一番活躍したんだろォ?」
顧大嫂殿が酒を置きました。
「何でそうなるんだい」
「左から崩したじゃないかォ」
幕舎の外から声が飛びます。
「自分で言うんじゃないわよ!!」
孫二娘殿が吹き出しました。
「出たよォ!!」
「本人が来た!!」
「だって言い出したのアンタでしょ!!」
また外から返ってきます。
「顧大嫂だって押してたじゃない!!」
顧大嫂殿は平然としておりました。
「押してたねぇ」
「認めるんだ!?」
「押したものは押したからねぇ」
笑い声が広がります。
鍋の湯気が静かに揺れました。
その時――
孫二娘殿が、にやりと笑います。
「でもさァ」
嫌な予感がしました。
「何でしょう」
「林冲隊が来た時」
外から即座に声が飛びました。
「違うわよ!!」
孫二娘殿が机を叩きます。
「まだ何も言ってないよォ!!」
顧大嫂殿も笑いました。
「早いねぇ」
「どうせ変な事言うんでしょ!!」
孫二娘殿は楽しそうに鍋を混ぜます。
「安心したろォ?」
「してない!!」
「白い披風見た瞬間、なるほどねって顔してたじゃないか」
「それは戦の話よ!!」
その時でした。
幕舎の外から、低い声がしました。
「何の話だ」
空気が止まりました。
孫二娘殿が笑います。
「出たよォ!!」
顧大嫂殿も肩を揺らしました。
「本人だねぇ」
外から、少しだけ慌てた声が返ります。
「何で来るのよ!!」
林冲殿は静かに答えました。
「通りかかった」
孫二娘殿が机を叩きます。
「通りかかっただけで、この間の悪さかい!!」
「間が悪いわよ!!」
外からも声が飛びます。
ですが、林冲殿は気にした様子もありません。
少しだけ間を置き、静かに言いました。
「第四軍は、良く戦った」
鍋の音だけが続きました。
孫二娘殿が、得意げに顎を上げます。
「聞いたかい、三娘」
顧大嫂殿も笑います。
「褒められてるよ」
外から小さく声が返りました。
「……分かってるわよ」
照れておられるのでしょう。
私は、そう思いました。
林冲殿は続けます。
「だが、まだ終わっていない」
その一言で、空気が少しだけ締まりました。
はい。
城門は破りました。
甕城にも入りました。
ですが、北京大名府はまだ落ちておりません。
奥から動き出した本隊。
揃った灯り。
銅鑼の音。
あれは、混乱した兵の動きではありませんでした。
顧大嫂殿が酒を置きます。
「ここからが本番だねぇ」
孫二娘殿も笑みを細めました。
「だねェ」
林冲殿はそれ以上、何も言いませんでした。
そのまま、静かに去っていきます。
孫二娘殿が小さく笑いました。
「格好いいねェ」
外から即座に声が飛びます。
「茶化さない!!」
「出たよォ!!」
笑い声が戻りました。
ですが――
夜は、まだ終わりません。
北京大名府も……
盧俊義殿の運命も……
第四軍の戦いも……
まだ何一つ決着しておりません。
ただ静かなまま――
自称・一番活躍した孫二娘殿と、それを笑って聞いている顧大嫂殿と、通りかかっただけで空気を締めていった林冲殿と、
「安心していない」
と言いながら白い披風を見ていた扈三娘様だけを――
湿った風の中へ、静かに残している様でした。




