不変の随従編
夜は深い。
人が多い場所でも、その重さは変わらない。
見えるものは限られている。
だが、見えないものの方が多い。
言葉にしないこと。
踏み込まないこと。
間合いを崩さないこと。
それで保たれている形がある。
そして、その形はいつ崩れてもおかしくない。
これは、扈三娘様の隣に立ち続ける中で、
私がまだ理解しきれていない時間の話である。
夜は深い。
梁山泊の中にいても、夜の重さは変わらない。
ただ、静けさの質が違う。
梁山泊には人が沢山いるのに。
ただ見えない場所で、起きている気配はある。
壁の向こうを流れるそれを、アタシは拾っていた。
部屋は狭い。
木の柱と土壁。低い卓と、水差しがひとつ。
扉は厚い。
指で触れなくても分かる。
内側から開くものじゃない。
軟禁するためのものだ。
アタシは床に座っている。
壁に背は預けない。
預けた瞬間に、意識を失う気がした。
前に、玉楼が立っている。
ほんの半歩。
だが、その半歩は、玉楼がアタシに何かあった時に対応する為に、いつも取る間合いだ。
ここから先は、絶対に触れさせない。
そういう距離。
玉楼の背中は、いつも通りだ。
無理に張っているわけでも、力んでいるわけでもない。
ただ、そこにいる。それだけで安心する。
廊下の足音が止まる。
わずかな間。
扉が開いた。
空気が一度、入れ替わる。
入ってきた男は、足音を残さない。
音がないわけじゃない。
ただ、余計なものが削られている。
アタシは顔を上げない。
見なくても分かる。
ああいう立ち方をする奴は、そう多くない。
扉が閉じる。
外の気配が、少しだけ遠くなる。
完全に切れるわけじゃない。
むしろ、閉じたことで輪郭がはっきりする。
逃げ場はない。
最初から分かっていたことだ。
男——林冲は、部屋の奥までは入ってこない。
近すぎず、遠すぎず、踏み込めば届く様な間合い。
だけど、間違い無く林冲の間合い。
そういう位置に立つ。
見極めようとしてる。
アタシじゃない。
アタシたちを。
視線が動く気配が分かる。
まず、玉楼。
次に、その後ろのアタシ。
それから、もう一度、玉楼。
順番を見ている。
玉楼が、わずかに体の向きを変える。
完全に、遮る形になる。
アタシの前に立つ。
「——ここから先は、私を通して」
押しつけるでも、威嚇するでもない。
ただ、決めている。
そういう言い方。
アタシは動かない。
止めもしない。
玉楼が前に出るのは、間違いじゃない。
いつもの事。
一瞬の沈黙。
張り詰めた空気が漂う。
「当分の間、ここでゆっくりするのだな」
林冲が言う。
簡単な言葉。
だが、その中に全部入っている。
「処遇は、その後で決める」
……そういう事ね。
アタシは、そこで初めて顔を上げる。
玉楼の肩越しに、林冲を見る。
目は、逸らさない。
逸らす理由がない。
林冲も、逸らさない。
値踏みじゃない。
もっと静かな、別の何か。
「守る事は三つ」
ひとつ、
「無用な争いはするな」
ふたつ、
「許可なく外へ出るな」
みっつ、
「呼べば来い」
簡単だ。
玉楼が、小さく息を吐く。
「……了承する」
アタシの代わりに言う。それでいい。
ここは、そういう場。アタシは何も言わない。
言葉にするほどのことじゃない。
ただ、一度だけ、玉楼の背中を見る。
位置を確かめる。
そこにいる。それで十分だ。
視線を戻す。
林冲は、見ている。全部見ている。
「食事は運ばせる」
それだけしか言わなかった。
優しさが感じられない
管理だ。
沈黙が戻る。
外で、また足音が動く。
ここは閉じられている。
でも、止まってはいない。
アタシは後ろにいる。
玉楼は前に立っている。
男は、その先にいる。
距離は変わらない。
けれど——ここで何かを誤れば、
この形はすぐに崩れる。
そういう場所に、来ている。
やっと、実感が追いついた。
扉が閉まる。
外の音が、少しだけ遠くなる。
完全に消えたわけじゃない。
人の動きは、まだ向こうにある。
玉楼は、前に立ったまま動かない。
半歩。
いつもの距離。
アタシは、その背中を見てから、視線を卓に落とす。
湯気が、ゆっくり薄れていく。
「玉楼」
「先に確認して」
玉楼はすぐに動き、卓の前に進み、膝をつく。
箸を取り、ひと口。
飲み込んで、待つ。
その間、アタシは何も言わない。
やることは決まっている。
様子を見る。それだけ。
「……問題ありません」
玉楼が言う。
アタシは頷く。それで十分。
箸を取り、少しだけ口に運ぶ。
味は薄い。
余計なことはしていない味。
この場所らしい。
食べる量は抑える。ここで満たす必要はない。
箸を置く。
少しだけ間を置く。
「玉楼」
もう一度呼ぶ。
玉楼は振り返らない。
ただ、次の言葉を待つ。
「これからどうする?」
問いは短い。
玉楼はすぐには答えない。
考えている。
その間の後、
「……急がない方がいいと思います」
静かに言った。
「こちらから動く必要はありません」
アタシは小さく頷く。
同じ考えね……
「見られてるわね」
玉楼が、わずかに視線を上げる。
「はい」
「どう答えを出すか」
そこまで言って止めた。
言い切らなくても、それで足りるだろう。
アタシは卓に指先を置く。
軽く、触れるだけ。
「なら、ゆっくりさせてもらおうじゃない」
玉楼が、わずかに息を吐く。
「はい」
アタシは扉の方へ視線を上げる。
その向こう側を意識する。
「しばらくは、このまま」
結論だけを言う。
「余計なことはしない」
玉楼は頷く。
「承知しました」
言葉はそれだけで良いだろう。
アタシは背筋を伸ばしたまま、動かない。
玉楼は、また半歩前の位置に戻る。
最初と同じ形。
けれど——意味が変わっている。
さっきまでは「守るための位置」だった。
今は「決めた形を維持する位置」だ。
部屋の外で足音が響く。
夜はまだ続く。
急ぐ理由はない。
ここでやることは、一つ。
動かないことを、決める。
それだけでいい。
数日後、足音が近づいて、この部屋の扉の前で止まった。
かすかに声がした。
「……扈家荘が巻き添えで落ちたってよ」
「本当か?」
「李逵が勘違いして大暴れしたらしい」
短い間の後、
「……あー……」
「扈三娘にやられた事の逆恨みらしい」
「誰か止めてやれよ」
「いるわけねえだろ。あいつを止めれる人間なんて、宋江様と戴宗様だけだぞ」
小さく笑う気配。
「そりゃそうだ」
「こっちにも捕まってんだろ? 関係者」
「らしいな」
「誰だっけ」
「……女共だよ。林冲殿預かりの」
「ああ」
興味の薄い声。
「余計なこと考えんなよ」
「分かってるって」
足音が離れる。
静けさが戻る。
アタシは卓を見たまま、動かない。
――扈家荘。
――李逵。
それで足りる。
玉楼は、前に立ったまま。
しばらく、そのまま。
それから——
ゆっくりと振り向く。
「……扈三娘様」
アタシは顔を上げる。
「なに?」
玉楼は一拍置く。
そして、アタシの斜め前に腰を下ろした。
「ご様子が、変わりませんが……」
アタシは玉楼を見る。
「変わる必要、ある?」
玉楼は目を逸らさない。
「ございます……」
静かに言った。
しかし、それで止まってしまった。
アタシは、ほんの少しだけ間を置いた。
「……どうかしらね」
それだけ。
玉楼が、わずかに息を止めた。
「……」
考えている。
やがて、視線を少し落とし、うなだれた感じで、
「……承知しました」
蚊の鳴く様な声だった。
納得はしていないのだろう。
けれど、場を納めるために引いた様だ。
ただ——前と見方が変わっている。
アタシは何も言わなかった。言えなかった。
でも、それでいい。
外で足音が動く。
答えはまだ出ない。
扉の下の隙間から、細く光が差し込んでいた。
扉の向こうで鍵を開ける音がする。
金属音が短く鳴って、扉の向こうで止まる。
「開けるぞ」
外からの声。
玉楼が、わずかに姿勢を正した。
それだけで、部屋の空気が締まる。
扉が開くと同時に、日の光が差し込む。
夜の重さは微塵も無かった。
だが、いつもの様な軽さが無かった。
兵が一人、脇に立ち、頭を下げている。
聚義庁に連れて行かれる。
視線が集まる。笑いも混ざっている。
上座に宋江がいる。
「林冲から聞いている」
穏やかな声。だが、周りは違う。
「女二人、扱いに困ることはない」
軽い笑いが起きる。
「王英」
名が呼ばれる。
「お前には、女を世話する約束をしていたな」
空気が一段軽くなる。
王英が前に出る。
玉楼が、半歩だけ前に入る。
「アタシは、絶対にイヤ」
アタシは視線を上げる。
「アタシは、誰の褒美にもならない」
「ぶっちゃけありえない!!!」
空気が変わる。
王英の笑いが消える。
宋江は黙っている。見ている。
林冲が口を開いた。
「この者達は惜しい」
「いずれ戦力となる」
アタシは答える。
「林冲の下でなら、梁山泊に入る」
「戦う」
林冲がわずかに顎を引く。
「ならば、一隊預ける」
声が低くなる。
「条件は三つ」
「余計な行動は控えること」
「命には従うこと」
「裏切らぬこと」
アタシにとって、簡単な事だ。
「問題ない」
「扈三娘は梁山泊で働く」
周りの気配が動く。
「……了承した」
「案内する」
足音が離れる。
静けさが戻る。
玉楼が、ゆっくりため息を吐く。
「……よろしいのですか」
アタシは視線を上げる。
「ずっと捕虜でいたい?」
玉楼は首を横に振る素振りを見せた。
迷いはない。
「行くわよ」
アタシが立ち上がると、玉楼が半歩前に出る。
いつもの位置だ。
だが、意味が違う。
聚義庁の外へ出る。
廊下は明るかった。
兵士達の視線が集まるが、すぐに目を逸らした。
アタシは進むしかない。止まれない。
李逵の尻拭いで、高廉と戦う羽目になった。
そう考えた瞬間、あの時の雑談が、耳の奥で止まる。
扈家荘が落ちたらしい。
門が焼けたとか、誰が倒れたとか。
噂はバラバラだった。それで十分だった。
玉楼はそれを心の中で押し潰す。
その時、自分の前で槍がぶつかる。
音が、少し遅れて届く。
間合いが合わない。
玉楼は踏み込みをせず、半歩ずらすのみに留めた。
「構えろ」
低い声で言うと、兵の視線が戻り、陣形は保てる。
それでも、何か心に引っかかる。
隣にいた扈三娘を見るが、何も変わった様子は無かった。
いつもと同じ姿勢で、前を見ている。
それだけのはずなのに。
違う。
どこが、とは言えない。
ただ——自分の知っている扈三娘と思えない。
幼い頃から見てきた。
怒る時の間も、言葉を飲む癖も。
あの凄惨な出来事に出くわしたなら、何か思うところがあっても良いはずだった。
だが、何もない……何一つ……
玉楼は視線を戻すと、目の前で土が弾ける。
霧が、わずかに流れる。
この霧は、高廉の妖術だ。
玉楼は足を止めない。
「……扈三娘様」
「なに」
「李逵の尻拭いで高廉と戦う羽目になったのに、何もお思いにならないのですか」
「アタシには関係ないわ」
「今のアタシが、優先する事じゃない」
玉楼は黙ってしまった。
言葉にすれば、心の中で何かが壊れる気がした。
呼吸を整え、前を見た。
いつもの様に扈三娘の半歩前に入り、間合いを合わせる。
足を開き、槍を構える。
その前で、刃が弾ける。
玉楼は、そのまま踏み込んだ。
霧が濃くなり、前も後ろも、境が消えた。
どこで陣形が崩れたのか、もう分からなかった。
見えない誰かが踏み込むが、そのまま戻ってこない。
別の誰かが止まる。
そこへ、何か得体のしれない何かが飛び込み、叫び声が上がる。
遅れて、幾つもの影が重なる。
もう何が何か分からない。
玉楼は足を止めなかった。
今、足を止めれば、そこにあるのは死だと分かっている。
目の前で、刃が空を切る。
次の瞬間、別の場所で血しぶきが飛び散った。
間合いが合っていないのだと玉楼は考えていた。
しかし、現実は違った。
妖術によって見えている世界が、ずれている。
隣で、何かが崩れる。
見ようとするがやめた。
玉楼はただひたすらに扈三娘の姿を見ていた。
また霧の中で、人の形が揺れる。
幾重にも見えた後に重なり、一つになる。
触れたはずの手応えが、また消えた。
玉楼は唇を噛む。
この陣は、もう保たないと悟った。
まず本当の敵がどこか分からない。
横にいたはずの気配までもが、消えていた。
後ろも、見えない。
それでも、足は動かさざるを得なかった。
とにかく扈三娘の隣へ。
それだけは、まだ狂っていない。
自分の前で何かが弾ける。
だが一瞬で見えなくなった。
しかし、何かは来る。
玉楼は息を整え、自隊の兵士に号令を下す。
「前に出るな」
しかし、何一つ返ってこない。
「動くな」
もう一度。
声が霧に吸われる。
扈三娘が、わずかに踏み込む。
玉楼も、同時に出る。
霧の中へ。
号令だけが、むなしく響き渡る。
戦線はもう保たないだろう。
前に出ても押し戻される。
同じ場所で削られていく。
玉楼は扈三娘の肩を見る。
布の縁を伝って落ちる血の細い線。動きはまだ鈍っていない。
まだ行ける、とそれだけで判断する。
退くべきだ、という考えが一度だけ浮かぶ。
「退きましょう」
「殿軍は、自分が引き受けます」
右から来る槍は、風を切る音だけで位置が分かる。
柄で外へ払う。切先が肩口をかすめて抜ける。
そのまま半身を入れて、低く、喉へ返す。
骨に当たる手応えが手の中で鈍く止まり、引き抜くと血が薄く弧を描く。
隣で扈三娘が前へ出る。迷いがない。
「一人で退く気はないわ」
言葉が地面に落ちる前に、左から刃が降りてきた。
玉楼は手首で角度を殺し、受けたまま滑らせる。
金属が擦れる乾いた音が一瞬だけ長く伸び、空いた胴へ横に払う。
相手の重さが崩れ、その隙間に半歩を差し込む。
周りの気配がほどけている。
もう、二人の動きしか残っていない。
「行くわよ」
扈三娘が踏み込み、玉楼も同時に出る。
前から来るものを弾き、返す手で押し切れないものは押し流す。開いた幅は狭い。
そこへ体をねじ込む。
呼吸が詰まり、喉の奥で音が鳴る。
正面の槍はまっすぐ来る。左足を踏み替え、内へ入る。
切先を外へ受け流しながら柄に体重を預け、沈める。空いた肩口へ突き入れる。抜くと同時に右へ一歩。次の刃が空を切る。
足裏が滑る。土が逃げる。踏み直す。あと一歩だけ前へ寄せる。ここで下がれば、さっき切り捨てた形に戻る、と分かる。
押し広げる。腕が重い。感覚が鈍い。それでも動きは途切れない。
次の一歩を出した瞬間、
前が澄む。
重なっていた影がほどけ、ひとつずつの位置に戻る。刃の軌道が、細い線で見える。
空気が、薄く軽くなる。
玉楼の手が、ようやく止まる。
来る気配がないと分かるまでに、一拍遅れる。
その間に呼吸だけが先に戻ってきて、遅れて周りの音が入り始める。
遠くで誰かが名を呼び、別の方向で足音が走り、金属の乾いたぶつかりが断続的に続く。
さっきまで何も届かなかった場所に……
玉楼は扈三娘を見る。肩の傷から血が落ちていた。
だが姿勢は崩れていない。踏み込みも鈍っていない。動ける、とそれだけは確認出来た。
「……ご無事で」
扈三娘は頷くだけで、前を見たまま何も言わない。
玉楼もそれ以上は言わない。
言葉を足す理由がなかった。
視線の先に、散った兵の姿が見える。
さっきまで並んでいたはずの位置に、もう線はない。バラバラに離れ、互いに届かない距離で動いている。隊は形を失っていた。
玉楼は一度だけ周りを見る。数えない。戻らないことだけが分かる。
扈三娘が歩き出す。戦うためではない。
止まらないために、前へ出る。
その歩幅に合わせて、玉楼の足も動く。遅れない。離れない。
戦いは途切れている。だが終わってはいない。
音と気配の戻りきらない境目を、二人で越えていく。
どこか遠くで勝ち鬨がする。
近くにいた敵兵も散り散りになり、我先にと逃げていく。
張り詰めていたものが切れたように、刃と刃のあいだに間が生まれる。
さっきまで噛み合っていた流れがほどけ、追えば届く距離がそのまま遠ざかっていった。
玉楼は追わなかった。背の位置を崩さないまま、呼吸だけを整える。
扈三娘の肩から血が細く落ちている。だが歩幅は変わらない。
玉楼は半歩後ろに収まり、そのまま進む。
逃げていく背中が視界の端を横切るが、見送るだけで手は出さない。ここで斬れば足が止まる。それを選ばない。
足元に倒れた影が続く。動く者と動かない者が混じる。
玉楼は視線を落とし、踏まない位置だけを選んで通り過ぎる。拾わない。止まらない。
勝ち鬨がもう一度、遠くで上がる。こちらには届かないまま、空だけを揺らして消える。
戦はどこかで終わっている。だがここには、終わった形がない。
扈三娘が前を見たまま言う。
「帰ろう……」
玉楼は頷く。それで足りる。
二人は歩みを揃える。さっきまでの間合いを崩さず、同じ速さで進む。
散った気配の中を抜け、音の薄い方へ向かう。
堂の喧騒が波のように寄せては引く中で、王英の足音だけがまっすぐこちらへ向かってくる。軽い足取り。まだ諦めていないのか、と玉楼は思う。
「おい、扈三娘」
呼びかけは明るい。返事はない。扈三娘は盃を持ったまま、視線を上げなかった。
王英は距離を詰める。
「どうだ、この後――」
その先を言わせず、玉楼は一歩だけ前に出る。大きくは動かない。ただ、線を引いた。
王英の言葉が止まる。
玉楼は何も言わない。扈三娘も何も言わず、睨んでいる。
王英は笑うが、踏み込んでこなかった。
「……まあいいや」
肩をすくめて、喧騒の方へ戻っていく。
音がまた混ざる。
乱痴気騒ぎはそのまま続いている。
盃が打ち合わされ、笑い声が重なる。誰かが机を叩き、別の誰かがそれに応じる。
玉楼は動かないまま、扈三娘を見た。
わずかな時間のあと、扈三娘が盃を置いた。
それだけで理解するには十分だった。
玉楼も席を立つ。
言葉は交わさない。
二人は並んで堂を出る。
背後では、乱痴気騒ぎが途切れない。
振り返りはしない。
夜気が少し冷たかった。
火の匂いと酒の気配が遠ざかる。
足音だけが残り、そのまま、二人は暗い方へ歩いていく。
夜は、さらに更けていった……
夜は続く。
距離は変わらない。
ただ、意味だけが変わった。




