今回は、一緒にいて
「ちょっと顔色悪いくらいで、二人とも騒ぎすぎじゃない?」
「三娘ォ、その台詞を敵船から戻ってきた直後に言うのやめなよォ」
「三娘様は、ご自身を丈夫だと思いすぎでございます」
「丈夫なのは事実でしょ!」
玉楼が微笑んだ。
「では、お座りくださいませ」
「話繋がってなくない!?」
「座って困ることはないよォ」
「ある! 自由が減る!」
「三娘様……」
「何?」
「本日、何度敵船へ飛び移られましたか?」
「……数える必要ある?」
孫二娘が額を押さえた。
「玉楼ォ、もう座らせよう」
「はい」
「勝手に結論出さないで!」
――この時のアタシは、二人が正しかったなんて思ってもいなかった。
「三娘ォ、あんた――二人目かもしれないよォ?」
孫二娘の言葉を聞いたまま、しばらく動けなかった。
二人目――
意味は分かるけど、ついさっきまで金軍と戦って、高宗陛下を拾って、扈成が生きてると聞かされて、その直後にこれ?
今日、情報量がおかしくない?
「……いや、待って」
ようやく声が出た。
「まだ『かもしれない』なんでしょ?」
「そう言ってるだろォ。だから帰ったら診てもらうんだよォ」
「じゃあ今は保留!」
「何を勝手に会議終了させようとしてるんだい?」
「だって確定してないんだから、考えても仕方ないでしょ!」
立ち上がろうとすると、玉楼がすぐ肩へ手を置いた。
「三娘様」
「何?」
「どちらへ?」
「いや、普通に立とうとしただけだけど」
「お座りくださいませ」
「また!?」
さっき高宗にまで言われたばかりなのに、まだ座らせるの?
「玉楼、妊娠してるかどうかも分からないんだよ?」
「分からないからこそ、大人しくなさってくださいませ」
「その理屈ずるくない?」
「何がずるいのでございますか?」
「確定しても止める、確定してなくても止める。どっちに転んでもアタシが座らされる!」
「よくお気づきで」
「認めた!」
孫二娘が横で笑っている。
「三娘ォ、珍しく理解が早いねェ」
「二人ともアタシを何だと思ってるの!」
「双刀を持たせると敵船へ飛び移る王妃でございます」
「今日だけの話じゃない!」
「そこ威張るところじゃないよォ!」
李俊が少し離れたところから、こっちを見ていた。
さっきから何も言わない。
でも、明らかに気にしている。
「李俊」
呼ぶと近づいてきた。
「何だ?」
「その顔やめて」
「どの顔だ?」
「何か言いたそうな顔」
「まだ決まっていないんだろう」
「そう! 孫二娘もそう言ってる!」
味方が来た。
そう思った瞬間、李俊が続ける。
「なら、戻るまで座っていろ」
「そっち!?」
孫二娘が吹き出し、玉楼が満足そうに頷いた。
何で夫まで敵側なのよ。
いや、敵じゃないのは分かってるけど、味方が誰もアタシを自由にしてくれない。
船が王宮へ戻るまで、結局アタシはほとんど立たせてもらえなかった。
しかも孫二娘は、少しでも動こうとすると目ざとく見つける。
「三娘ォ」
「水取りに行くだけ!」
「玉楼ォ」
「承知いたしました」
「何その連携!?」
玉楼が水を持ってくる。
「三娘様、どうぞ」
「自分で取れる!」
「存じております」
「じゃあ何で!?」
「取れることと、今お任せいただくことは別でございます」
また正論で逃げ道を塞がれた。
今日、これ何回目?
王宮へ着く頃には、敵と戦った疲れより、座らされ続けた疲れの方が大きい気がした。
船から降りる時まで玉楼が横につく。
「一人で歩けるって」
「存じております」
「それ今日二回目!」
「では三回目も申し上げましょうか?」
「いらない!」
孫二娘が後ろから笑う。
「元気そうで何よりだねェ」
「誰のせいで騒いでると思ってるの!」
「元気と妊娠は両立するよォ」
「まだ決まってない!」
けれど、そう言い返しながらも、最後に月のものが来た時期や、食欲が落ち始めた頃を頭の隅でずっと数えていた。
そういえば妙に眠い日もあったし、今日は今まで平気だった血の匂いで吐きそうになった。
一つだけなら疲れで済ませられるけど、並べると嫌なくらい形になってくる。
いや、嫌というのも違う。
嬉しくないわけじゃなくて、ただ本当に心の準備ができてない。
一人目の時だって、最初から全部分かってたわけじゃなかった。
それでも一度経験してるから、二人目なら余裕がある――なんてことは全然なかった。
むしろ、知ってるから余計に分かる。
これから何が起きるのか。
「三娘様?」
玉楼に呼ばれて顔を上げた。
「何?」
「急にお静かになられましたので」
「考え事くらいするわよ」
「珍しいねェ」
「孫二娘!」
王宮へ戻ると、李俊がすぐ医官を呼ばせた。
そこだけは早い。
いや、早すぎる。
「ちょっと待って、着いたばっかりなんだけど?」
「だから何だ?」
「一息つくとか?」
「診てもらってからにしろ」
「李俊まで玉楼化してない?」
「三娘様、それはどういう意味でございますか?」
「今の聞かなかったことにして!」
逃げ場がない。
医官が来るまでの間も、玉楼はそばから離れず、孫二娘は何度も「まだ決めつけるなよォ」と言いながら、明らかにアタシを観察している。
「それ、決めつけてない人の目じゃない」
「職業病だよォ」
「心理職って妊娠まで観察するの?」
「これは心理じゃないねェ」
「じゃあ見るな!」
やがて医官が来て、脈を診られ、体調を聞かれ、月のものの時期まで確認された。
さっき孫二娘に聞かれたばかりだから、今度は答えられる。
たぶん。
いや、そこまで自信ない。
「王妃陛下」
医官が手を離した。
部屋の空気が変わった。
孫二娘も黙る。
玉楼はアタシの隣に座ったまま、じっと医官を見ている。
李俊は向かい側にいる。
「何?」
自分でも分かるくらい声が硬くなった。
医官が頭を下げる。
「ご懐妊で間違いないかと存じます」
医官の声が、やけに近く聞こえた。
聞き間違いじゃない。
孫二娘が言っていた「かもしれない」が、今、なくなった。
アタシはゆっくり自分のお腹を見る。
当然、何も変わっていない。
服の上から見たって、いつもと同じだ。
なのに、この中にいる。
もう一人。
そう思った途端、さっきまで普通にしていた呼吸の仕方まで分からなくなった。
「……本当に?」
自分でも、何を確認したいのか分からなかった。
医官はもう一度、はっきり頷いた。
「はい」
それだけで、胸の奥がじわっと熱くなった。
一人目の時も、こんな感じだっただろうか……
覚えているようで、少し違う。
あの時は何もかも初めてで、分からないことだらけだった。
今回は、一度経験している。
だから少しは落ち着いていられると思っていた。
全然そんなことなかった。
むしろ、この先どうなるかを知っている分だけ、お腹が大きくなって動きにくくなることも、産む時のあのめちゃくちゃな痛さも、一気に頭へ浮かんでくる。
それでも、その全部より先に思った。
また、来てくれたんだ。
「三娘様……」
玉楼の声で顔を上げる。
玉楼は両手を胸元で重ねて、今にも泣きそうな顔をしていた。
「おめでとうございます」
「……うん」
いつもなら、玉楼の方が泣きそうだとか何とか言ったと思う。
でも今は、うまく言葉が出なかった。
代わりに、気づいたら腹へ手を当てていた。
まだ何も分からないし、動いているわけでもない。
それでも、そこにいると思うだけで、さっきまで戦場だった今日一日が、急に遠くなった気がした。
その時、李俊が隣へ来た。
何も言わず、アタシの手の上へ自分の手を重ねる。
そこで初めて、李俊がここにいることを意識した。
一人目の時、妊娠が分かった瞬間にこの人はいなかった。
迎えに来た時に伝えて、その時に喜んでもらったけれど、今回は最初からここにいる。
「……李俊」
「何だ」
「嬉しい?」
聞いてから、ちょっと怖くなった。
何でそんなこと聞いたんだろう。
答えなんて分かってるはずなのに、それでも聞きたかった。
李俊は迷わなかった。
「嬉しい」
その一言で、胸の奥に引っかかっていたものがほどけた。
「即答するんだ?」
「悪いか?」
「……ううん」
首を振る。
「悪くない」
嬉しかったのは、自分が妊娠したことだけじゃなく、この瞬間を今度は二人で知れたことだった。
李俊の手に、少し力が入った。
「一人目の時は、いなかったからな」
「……うん」
「今回は、寄り添っていられるな」
その言葉で、とうとう駄目だった。
泣くつもりなんてなかったのに、目の奥が熱くなる。
「それ……ずるい」
「何がだ?」
「今それ言う?」
「今だからだろう」
返せなかった。
アタシは腹に置いた手を動かさず、その上に重なった李俊の手を見た。
一人目の時にはなかったものが、今回はちゃんとここにある。
「……うん」
今度は、さっきよりちゃんと言えた。
「今回は、一緒にいて」
三娘様のご懐妊が、正式に確認されました。
「玉楼、何でそんなに警戒してるの?」
「三娘様が本日、敵船へ何度も飛び移られたからでございます」
「妊娠してるって知らなかったもん!」
孫二娘様が笑います。
「三娘ォ、知ってたら飛び移らなかったのかい?」
「……状況による?」
「三娘様」
「その顔やめて!」
「玉楼ォ、まず双刀どうする?」
「お預かりしたいところでございます」
「却下!」
「即答なさらないでくださいませ!」
「アタシの武器なんだけど!」
「だから困ってるんだよォ」
ご懐妊が分かったその日から、別の戦いが始まりそうでございます……




