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兄より強そう

「紅玉、さっきから重大発表が多すぎない?」

「申し訳ございません。ですが、もう一つございます」

「まだあるの!?」

孫二娘が笑った。

「三娘ォ、今日は紅玉の報告だけで一日終わりそうだねェ」

「笑い事じゃない! 次は何!?」

「悪いお話ではございません」

「その前置き、逆に怖いんだけど!」

「三娘ォ、もう顔が戦場だよォ」

「だって宋江たちの次よ!? 警戒するでしょ!」

紅玉が少しだけ首を傾げた。

「では、先に申し上げます。三娘様に関係する方のお話でございます」

「余計に怖くなった!」

「三娘様には、まだお話ししておかなければならないことがございます」

紅玉の声で、さっきまでの笑いが止まった。

何よ?

その言い方。

宋江、盧俊義、李逵、閻婆惜と続いた後で、それ以上にアタシ個人へ関係する話なんて聞きたくないんだけど。

「……何?」

思ったより警戒した声が出たらしく、孫二娘がこっちを見る。

「三娘ォ、顔が戦場に戻ってるよォ」

「だって紅玉が怖い言い方するから!」

「申し訳ございません。ただ、悪いお話ではございません」

「先にそれ言って!」

紅玉が少し困ったように笑った。

「ある方のお名前を、こちらで耳にいたしました」

「ある人?」

「はい、扈成様でございます」

一瞬、頭の中で名前を探した。

「扈成……あ、兄か。」

孫二娘が嫌な顔をする。

「三娘ォ」

「分かってる!」

「まだ何も言ってないよォ」

「兄でしょ!」

「確認に時間かかってたじゃないかァ!」

「仕方ないじゃない! 兄って実感が薄いのよ!」

言ってから、紅玉が目を丸くしていることに気づいた。

そうだった。

普通は実の兄の名前を聞いて、すぐに思い出す。

でも、アタシにとって扈成は、頭では兄だと分かっていても、どうしても前からずっと一緒にいた兄という感じがしない。

扈家荘への思い入れが薄いのと同じで、そこだけは今さらどうしようもなかった。

「それで、扈成がどうしたの?」

聞くと、紅玉が表情を戻した。

「ご存命でございます」

「……そう」

生きてたんだ。

胸の奥が大きく揺れたわけでも、涙が出たわけでもない。

それでも、よかったとは思う。

死んでいてほしい理由なんてないし、生きて、自分の人生をやっているなら、それでいい。

「現在は南宋の将として働いておられます。わたくしも直接お会いしたわけではございませんが、軍中でお名前を耳にいたしました」

「何で兄だって分かったの?」

「扈という姓でしたので、もしやと思い尋ねてみたのでございます。出身を聞けば扈家荘だというお話でしたので」

「そんなところから!?」

紅玉が頷く。

「三娘様と同じ姓でございましたから」

いや、そりゃそうなんだけど。

紅玉、よく聞いたわね。

隣で孫二娘が笑いかけたところで、別の声が入った。

「待て」

高宗だった。

さっきまで静かに聞いていたのに、今度は明らかにこっちを見ている。

「今、扈成と申したか?」

「はい、陛下」

紅玉が答える。

高宗はアタシを見る。

それから、何か確かめるみたいにもう一度見た。

何?

「そなた……あの扈成の妹なのか?」

「そうみたいです」

「そうみたいです!?」

高宗が本気で驚いた。

孫二娘が横で吹き出す。

「三娘ォ、皇帝相手に兄妹関係を伝聞みたいに言うんじゃないよォ!」

「だって兄って実感がないんだって!」

「それは陛下には分からないだろォ!」

「では、どう言えばいいのよ!」

「普通に『はい』でいいんだよォ!」

高宗はまだアタシを見ている。

そんなに?

「あの扈成って、そんなに有名なんですか?」

「少なくとも朕は名を知っておる。渾名は飛天虎。働きのある将だ」

「へえ……」

ちゃんと働いてるんだ。

それなら本当に大丈夫そうだ。

「……しかし」

高宗が何やら納得できないような顔になった。

嫌な予感がする。

「何です?」

「似ておらぬな」

「そこ!?」

孫二娘が腹を抱えた。

「三娘ォ! 皇帝から兄妹似てない判定もらったよォ!」

「そんな判定いらない!」

「顔立ちだけの話ではない」

高宗が真面目に続ける。

真面目に続けなくていい。

「朕の聞く扈成は、堅実な将である」

「はい」

「そなたは先ほどから双刀を持って敵船へ飛び移っていた」

「はい?」

「妹の方が強そうだな」

「何で!?」

今度こそ孫二娘が声を上げて笑った。

紅玉まで顔を逸らしている。

「紅玉! 笑ってるでしょ!」

「申し訳ございません」

「謝りながら肩震えてる!」

助けを求めて玉楼を見る。

玉楼は何も言わない。

「玉楼?」

「……はい」

「何で黙ってるの?」

「いえ、その……」

珍しく歯切れが悪い。

さっき扈成の名前が出てから、玉楼の様子がおかしい。

李逵の死を聞いた時とは違う。

悲しいわけじゃない。

むしろ、ずっと張っていた何かが急にほどけたような顔をしている。

そこで、東京で昔、玉楼から聞いた「家同士の話」を思い出した。

あの時、玉楼は詳しいことも、相手が誰なのかも最後まで言わなかった。

「……玉楼」

呼ぶと、玉楼がわずかに視線を逸らした。

その反応で、ほとんど答えが出た。

「もしかして、東京で言ってた家同士の話って……」

「三娘様」

「扈成?」

「…………」

黙った。

孫二娘の目が輝いた。

やめろ。

その顔はろくなことを言わない。

「へえェ?」

「孫二娘」

「アタイ何も言ってないよォ?」

「顔が言ってる!」

紅玉は事情が分からないらしく、玉楼とアタシを交互に見ている。

高宗も当然分かっていない。

「何の話だ?」

「陛下は知らなくていいです!」

「三娘ォ、皇帝に隠し事かい?」

「国家機密じゃないから!」

「なら聞いても構わぬであろう」

「何で陛下まで乗ってくるんですか!?」

高宗、もう完全にこっちの会話に慣れてない?

玉楼が小さく息をついた。

「以前、扈家荘におりました頃、家同士で少々お話があったのでございます」

「扈成と?」

「……はい」

やっぱり。

アタシは扈成より玉楼を見る。

兄が生きていたと聞いた時より、今の方が妙な感じがした。

玉楼は、アタシの知らない兄の顔を知っている。

扈家荘でともに暮らし、家同士で何かを話すほど近かった頃の扈成だ。

「玉楼、扈成のこと好きだったの?」

孫二娘が盛大にむせた。

「三娘ォ!」

「何よ!?」

「直球にも程があるだろォ!」

「だって聞いた方が早いじゃない!」

「三娘様……」

玉楼が額へ手をやった。

紅玉が困り、高宗だけが興味深そうに見ている。

「三娘様、昔のお話でございます」

「じゃあ好きだったんだ?」

「三娘ォ!」

「何で孫二娘が止めるのよ!」

玉楼は少し黙ってから、困ったように微笑んだ。

「憧れてはおりました」

それだけだった。

でも、その言い方で十分分かった。

扈成は玉楼にとって、ただ扈家荘にいた男じゃなかったんだ。

だから生きていると知って、あんな顔をした。

「……そっか」

アタシがそう言うと、玉楼がこちらを見る。

「お会いになりたい?」

問いかけると、玉楼は少しだけ考えた。

「ご無事であると分かれば、それで十分でございます」

「本当に?」

「はい」

迷いのない返事だった。

「わたくしは、あの時に選びましたので」

それ以上は言わない。

でも、何を選んだのかは分かる。

家同士の話があっても、玉楼はそこへ行かなかった。

アタシについてきた。

ずっと。

戦場でも、海の上でも、今だって隣にいる。

胸の奥が少し熱くなる。

「玉楼……」

「三娘様」

「何?」

「そのお顔で抱きつかれますと、また孫二娘様が余計なことを仰います」

「まだ何も言ってないよォ?」

「言うつもりでございましたね?」

「さすが玉楼ォ」

感動を返せ……

高宗が何とも言えない顔でこちらを見ていた。

「陛下?」

「いや……扈成の妹というだけでも驚いたが」

「まだ何かあります?」

「その妹が南方の王妃となり、兄より強そうで、かつて兄と家同士の話があった女が、今はその妹に仕えておる、と」

「まとめないでください!」

紅玉がとうとう吹き出した。

「陛下、申し訳ございません……」

「いや、朕も整理しきれぬ」

「整理しなくていいです!」

孫二娘が横から肩を叩いてくる。

「三娘ォ、家系図だけじゃなく人間関係図も必要になってきたねェ」

「メタい!」

「しかも玉楼は今――」

「孫二娘様」

玉楼が笑顔で遮った。

怖い……

ものすごく笑顔なのに怖い。

孫二娘も何かを察したらしく、口を閉じた。

「……何?」

「何でもないよォ」

「絶対何かあるでしょ!」

「気のせいでございます」

「玉楼まで!?」

またアタシだけ知らないやつ!?

問い詰めたい。

小一時間問い詰めたい。

でも玉楼の顔を見て、その気持ちは少しだけ引っ込んだ。

さっきまで李逵の死を聞いて、扈家荘で失ったものを思い出していた玉楼が、今はちゃんと笑っている。

扈家荘も、そこにいた人たちも戻ってはこない。

それでも扈成は生きていて、玉楼が昔憧れた人は、今もどこかで南宋の将として戦っている。

それだけでいいのかもしれない。

「紅玉、教えてくれてありがとう」

「いいえ、三娘様にお伝えできて、わたくしも安心いたしました」

高宗が頷く。

「扈成には、機会があれば伝えておこう」

「何をです?」

「妹が生きておると」

「あ、それならお願いします」

「南方で王妃になっているとも」

「それは……まあ、はい」

「兄より強そうだとも」

「それはいらない!」

孫二娘がまた吹き出した。

玉楼まで口元を押さえている。

「陛下、最後のは絶対いらないですからね!」

「分かった」

「本当に?」

「朕を何だと思っておる」

「ついさっきアタシの扱いを覚えた皇帝」

「三娘様!」

紅玉の声まで飛んできた。

何よ?

事実じゃない。

笑い声が船の上に広がる。

扈成はここにはいないし、これから会う予定もない。

でも、たぶんそれでいい。

兄は兄の場所で生きていて、玉楼も自分で選んだ場所にいる。

なら、アタシもここにいればいい。

そう思ったところで、隣にいた孫二娘が急に笑うのをやめた。

「……三娘ォ」

さっきまでとは違う声だった。

「何?」

孫二娘はアタシの顔をじっと見ている。

「三娘様?」

玉楼までこちらを見る。

何よ、二人して。

「ちょっと待ちな」

孫二娘が眉を寄せた。

「三娘ォ……あんた、顔色悪くないかい?」

扈成様がご無事と知れたことは、素直に嬉しゅうございました。

「玉楼ォ、昔は憧れてたんだねェ?」

「昔のお話でございます」

紅玉殿が首を傾げます。

「では、今は?」

「孫二娘様」

「アタイ何も言ってないよォ?」

「紅玉殿へ余計な情報を渡さないでくださいませ」

「玉楼様、余計な情報なのですか?」

「紅玉殿まで!」

……三娘様が黙っておられますと、止める方が足りません。

そう思った時でした。

孫二娘様が、急に三娘様のお顔を覗き込みます。

「三娘ォ……ちょっと待ちな」

笑っていた三娘様の顔から、血の気が引いておりました。

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