↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
200/210

皇帝を拾った

「三娘ォ、皇帝拾ったねェ」

「拾ったわね」

「三娘様、せめて『お救いした』と仰ってくださいませ」

「紅玉まで玉楼みたいなこと言う!」

孫二娘が笑った。

「でもまだ船まで戻ってないよォ」

「分かってる。今度こそ海に落ちない」

「今度こそ?」

「そこ拾わないで!」

紅玉が困ったように笑う。

「三娘様、陛下がおられる舟でございますから……」

「落ちないって!」

「玉楼ォ、聞いたかァ?」

「何で玉楼に報告するの!?」

……皇帝は拾った。

あとは、無事に持って帰るだけのはず。

たぶん……

高宗を拾った。

でも――まだ帰れてない。

沖へ退いていた金軍の船が、次々と船首をこちらへ向けている。

逃げると思わせて戻ってくるとか、聞いてない。

「童威! あれ、こっち来てるよね!?」

「見れば分かる!」

ですよね!

童威が櫂を強く引いた。

高宗を乗せた舟は、李俊の船までまだ少し距離がある。

大きな船なら多少の矢を受けてもすぐには沈まないけど、今アタシたちが乗っているのは小舟だ。

穴が開けば終わる。

ひっくり返っても終わる。

そして皇帝は、たぶん泳がせちゃいけない人だ。

「陛下、舟の中央へ!」

「分かった」

韓世忠が高宗を庇うように位置を変え、紅玉も槍を構えて反対側へ入った。

玉楼は立ち上がろうとして――童威に怒鳴られた。

「立つな!」

「承知しております!」

言いながら腰を浮かせてたじゃない!

でも玉楼はすぐ姿勢を落とし、方天画戟を舟の縁に沿わせた。

長い武器なのに邪魔にならないよう柄を短く持っている。

共濤との戦いでも見た。

この人、船の上でも普通に方天画戟を使う。

普通とは……

「三娘様」

「何?」

「今、余計なことをお考えになりましたね?」

「何で分かるの!?」

飛んできた矢を、玉楼が方天画戟の柄で弾いた。

会話しながらやることじゃない。

その一本を合図にしたみたいに、矢が海上へ飛んでくる。

韓世忠が高宗を伏せさせ、紅玉が槍で一本を払い落とした。

アタシも双刀を抜く。

全部落とす必要はない。

舟へ飛び込み、人に当たりそうなものだけ叩けばいい。

……昔のアタシなら、全部斬ろうとした気がする。

「三娘様」

「分かってる! 全部斬ろうとしてない!」

「まだ何も申しておりません」

「顔に書いてある!」

玉楼の顔はいつも通りだった。

腹立つ。

沖から李俊の船の太鼓が鳴る。

一度、二度、間を置いて三度。

童威がすぐ顔を上げた。

「右へ寄せるぞ!」

意味を聞く前に舟が向きを変える。

李俊の船団も動いていた。

正面から金軍の船を受けるんじゃない。

左右の船が少しずつ開き、アタシたちの舟が通れる道を作る。

その外側では別の船が向きを変え、戻ってきた金軍との間へ船腹を差し込んだ。

あれなら、こっちへ直接突っ込めない。

「李俊……」

高宗が呟いた。

「海の戦なら、あの人に任せれば大丈夫です」

思わず答えると、高宗がアタシを見る。

「ずいぶん信じているのだな」

「夫なので」

「王でもあるのだろう?」

「そうとも言います」

「三娘様」

玉楼が来た。

「何よ!?」

「今のところ、どちらも正しゅうございます」

「じゃあ呼ばないで!」

紅玉がまた笑ってる。

皇帝まで口元が少し緩んでる。

何なの、この舟。

今、敵に追われてるんだけど。

「来るぞ!」

童威の声で空気が変わった。

右手から、小さめの金軍船が一隻、船団の隙間を狙って突っ込んでくる。

大船同士の間へ割り込めないと見て、こっちを直接狙ったらしい。

「陛下から離れるな!」

韓世忠が叫ぶ。

紅玉は返事をするより早く、高宗の前へ槍を出した。

敵船の舳先から鉤縄が飛んでくる。

玉楼が動いた。

方天画戟の刃で縄を引っかけ、そのまま横へ流す。

鉤は舟の縁を掠め、海へ落ちた。

続けて二本目が反対側から飛ぶ。

アタシが身を乗り出しかけた。

「三娘様、舟から出ないでくださいませ!」

「分かってるって!」

双刀で縄を叩き切る。

危な……

あと少しで勢いのまま海に行くところだった。

「今、落ちかけただろ!」

「落ちてない!」

「落ちかけた!」

「童威まで!?」

玉楼が何も言わない。

そっちの方が怖い。

「玉楼?」

「後ほど」

「今言って!」

敵船がさらに距離を詰めてくる。

向こうの兵が槍を伸ばした瞬間、玉楼の方天画戟が先にその穂先を押さえた。

一人を倒すのではなく、槍の向きを外へ流して後ろから続こうとした兵まで止める。

その隙間へアタシが入った。

舟と船の間にはまだ海がある。

それでも届く位置まで身を乗り出した敵兵の槍を双刀で払い、その腕を打つ。

「下がって!」

相手が怯んだところへ李俊の船から矢が飛び、敵兵が甲板へ伏せる。

童威はその瞬間を逃さず櫂を強く引き、舟を一気に前へ滑らせた。

敵船との距離が開く。

「今だ!」

誰に言ったのかと思ったら、沖で童猛の舟も動いていた。

もう一隻の舟には、浜から最後の宋兵たちが乗っている。

費保たちも戻ってきたらしい。

よかった。

全員いる。

……いや、数えるな。

数え始めると不安になるから。

童猛の舟がこちらの後ろへ入り、追ってくる敵との間へ斜めに割り込む。

さらにその横へ李俊の船が寄り、完全に壁を作った。

敵船が速度を落とした。

李俊は追わず、向こうが来れば塞ぎ、下がるならそのまま行かせる。

それだけだ。

「三娘様、左をご覧くださいませ」

玉楼に言われて振り向いた。

金軍の船が、また向きを変え始めている。

今度はこっちじゃない。

沖だ。

「……諦めた?」

「そのようでございます」

一隻、また一隻と距離を取っていく。

李俊の船から追撃の太鼓は鳴らない。

アタシも双刀を収めた。

「追わないわよ」

「何も申しておりません」

「先に言っただけ!」

玉楼が、ほんの少し笑った気がする。

絶対笑った。

「玉楼、今笑った?」

「気のせいでございます」

「紅玉、見た?」

「見ておりません」

「絶対見たでしょ!」

紅玉まで玉楼側についた。

昔はもっと素直だったのに!

舟が李俊の船へ近づくと、今度は別の騒がしさが聞こえてきた。

「そこ空けなァ! 歩ける奴は奥へ行きなァ!」

孫二娘だ。

アタシが言う前に高宗がそちらを見る。

船上では負傷兵が次々と運ばれていた。

孫二娘は浜へ出なかったけど、戻ってきた人間を片っ端から見ている。

顔色を確かめ、歩ける者は奥へ回し、動けない者には場所を作らせていた。

「その人ァ寝かせな! 血ィ止まってないよォ! そっちは水を一気に飲ませるんじゃない!」

高宗がしばらく、その様子を見ていた。

「鎮西将軍だったな」

「はい」

「医者でもあるのか?」

「違います」

「違うのか?」

まあ、そうなるよね。

「アタイは心理の方だよォ!」

聞こえたらしい。

高宗が黙った。

説明すると長いので、今はやめよう。

舟が船腹へ寄る。

縄梯子が下ろされたけど、高宗をこれで上げるわけにはいかないらしく、船員たちが板を渡して即席の足場を作った。

韓世忠が先に上がり、高宗へ手を差し出す。

紅玉もその横についた。

「陛下、足元を」

高宗がゆっくり板を渡る。

その足が甲板へ着いた瞬間、あちこちから息を吐く音が聞こえた。

アタシもだった。

やっと。

本当にやっとだ。

「三娘ォ!」

孫二娘がこっちを見る。

「何!?」

「陛下拾ったァ?」

「拾った!」

高宗が振り返った。

しまった。

「……お救いしました!」

言い直した。

遅かった。

孫二娘が爆笑している。

玉楼は額に手を当て、紅玉は顔を伏せた。

韓世忠まで横を向いている。

「何よ! 意味は同じでしょ!」

「三娘様、同じではございません」

「陛下ご本人の前で『拾った』は駄目でございます」

「紅玉まで!」

高宗だけが、少し困ったように笑っていた。

「構わぬ。実際、拾われたようなものだ」

皇帝公認になった。

「ほら!」

「三娘様、そこで勝ち誇らないでくださいませ」

その時、甲板の奥から足音がした。

李俊だった。

戦いの間ずっと沖から船団を動かしていた男が、ようやくこちらへ来る。

高宗も姿勢を正した。

アタシは一瞬だけ迷う。

夫で、王で、元梁山泊の水軍頭領。

今、この場ではどれが一番先に来るんだろう。

李俊は高宗の前まで来ると、静かに礼をした。

「李俊だ」

短い。

短すぎる。

「李俊!?」

思わず横から言った。

「皇帝相手の挨拶、それでいいの!?」

玉楼がこちらを見る。

「三娘様が仰いますか?」

ぐうの音も出ない。

高宗は李俊をじっと見ていた。

やがて、その顔に何かを思い出したような色が浮かぶ。

「李俊……もしや、梁山泊にいた李俊か?」

李俊が否定せずに頷く。

「そうだ」

アタシも高宗を見る。

そこまで知ってるんだ。

でも、その横で紅玉だけが笑っていなかった。

さっきまでアタシと玉楼のやり取りに何度も肩を震わせていたのに、今は黙ったまま高宗を見ている。

「紅玉?」

呼んでも、すぐには答えなかった。

高宗はそんな紅玉に気づかないまま、もう一度李俊を見る。

「では――宋江は、今どこにいる?」

陛下を無事、船までお連れできました。

「玉楼ォ、三娘ォが皇帝公認で『拾った』ことになったよォ」

「どうしてその部分だけ公認をいただくのでございますか……」

「陛下がお優しいからでございます」

「紅玉殿まで肯定なさらないでくださいませ」

孫二娘殿が笑っております。

「でも玉楼ォ、李俊の挨拶も大概だったねェ」

「三娘様に指摘されておりましたね」

「似た者夫婦でございます」

「紅玉殿、お上手になられましたね……」

ですが、その紅玉殿から笑みが消えました。

「宋江は、今どこにいる?」

陛下の問いに、李俊陛下も三娘様も答えられません。

「紅玉殿?」

……紅玉殿だけが、その先を知っているようでした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。