帰順と初陣編
詔が下りる。
受けるか、折れるか。 どちらでも同じだ。 流れは止まらない。
梁山泊は動く。 人も、心も、もう元には戻らない。
その中で、一つだけ確かめる。
外で通じるか。 生き残れるか。
拾った命を、 戦の中に置く。
使者が詔勅を開き、読み上げる。
頭領達は静かに聞いている。
言葉だけが残る。
空気が張りつめる。
奥で、音がする。
椅子が鳴る。
林冲が立つ。
「……今さらだな」
言葉は抑えている。
それでも周囲に響く。
視線が集まる。
続けて、別の気配が動く。
魯智深が笑う。
「今さら何を言う」
吐き捨てた言葉に、場が揺れる。
武松は黙っている。
だが視線が違う。
睨んでいる。
奥で腕を組む影。
楊志も動かない。
だが顔に出ている。
李俊が静かに、目を細める。
それでも同じだ。
場が割れ、どよめきが起こる。
宋江は顔色を変えず、動じない。
「……続けよ」
使者は読み続ける。
場の空気は張ったまま。
使者の声が静かになる。
詔勅は終わり、場に張り詰めた空気が漂う。
呉用が静かに立つ。
「――以上にございます」
誰も反応しない。
続ける。
「内容は明白」
「帰順すれば赦し」
「従わねば討つ」
場が大いに揺れる。
林冲は動かない。
魯智深は笑わない。
武松は睨む。
楊志は腕を組んだまま。
李俊は視線を落とす。
それぞれが残る。
呉用は動じない。
宋江に、視線が一つに集まる。
宋江は座ったまま、顔色は一つ変えない。
張り詰めた空気の中、沈黙だけが続く。
やがて、宋江が顔を上げる。
視線が宋江に集まり、場の空気が止まる。
「……受ける」
場が揺れる。
林冲は静かに。
魯智深は歯を鳴らす。
武松は目を伏せない。
楊志は腕を解かない。
李俊は視線を上げる。
それぞれが違う。
呉用は何も言わない。
分かっている。
使者が深く頭を下げる。
忠義堂を出る。
人の流れが分かれ、声なく、ただ動く。
アタシは廊下へ出ると、後ろに気配がある。
林冲と李俊。
黙ったまま、少し歩く。
足音だけが響く。
林冲が止まり、アタシも止まる。
李俊は少し後ろ。
林冲が口を開く。
「……決まったな」
抑えている。
アタシは動じない。
「ええ」
驚きはない。
最初から分かっている。
李俊が息を漏らす。
「水軍は逆らわない」
林冲は何も言わない。
風が通る。
三人とも立ち止まる。
アタシは一歩動き、林冲の隣へ。
林冲は動かず、視線は前のまま。
「……納得しているのか」
言葉を抑えている。
アタシは動じない。
「してないわ」
嘘はない。
林冲の目がわずかに動く。
「でも」
続けない。
言わない。
林冲も聞かない。
李俊が嘆息する。
「流れるしかない水もある」
扉を閉め、音を遮る。
部屋の中は変わらない。
玉楼がアタシを見て、黙っている。
アタシから口を開く。
「詔が出たわ」
玉楼は動かない。
「……受けましたか」
抑えている。
アタシは事実を言う。
「受けた」
玉楼は目を伏せない。
「承知しました」
紅玉が木刀を持ったまま、止まっている。
聞いている。
だが動かない。
アタシは紅玉を見つめる。
「続けて」
外の話は持ち込まない。
ここはここだ。
玉楼が頷き、紅玉が動く。
振る。
戻す。
木刀を振る音だけが鳴り渡る。
木刀を振る。戻す。
それが続く。
玉楼が見守る。
アタシが立つと、紅玉も止まる。
「そこまで」
木刀を下ろすと、息が上がっている。
だが、目に力がある。
「明日から外に出るよ」
紅玉の顔が上がる。
玉楼は黙ったまま聞いている。
「中だけじゃ足りないわ」
紅玉は、迷いなく頷く。
「はい」
アタシは扉側を向く。
外が変わっているのは、分かっている。
それでも出る。
朝は空気が違う。
人の動きが早く、声は少ない。
紅玉は後ろ。
一歩分空け、離れない。
玉楼が隣にいる。
アタシは、前を見て歩く。
道は変わらない。
だが視線が違う。
寄る。
測る。
値踏みしている。
紅玉も気付く。視線は逸らさない。
門の外へ出ると、風が当たり、人が減る。音が変わる。
「止まって」
三人とも止まる。
アタシは振り返らない。
「人の気配がするわ」
紅玉が息を止め、探る。
遅いけど拾う。
「……います」
玉楼が頷く。
アタシは言う。
「いい」
「見つけたら、次よ」
紅玉が頷く。
外の空気が流れる。
さっきとは違う。
紅玉は前を見る。
逸らさない。
風が止まる。
気配が動くまで、見ている。
アタシは息を潜める。
玉楼も動じない。
紅玉だけが前を見る。
「どうすれば……」
紅玉の目が揺れる。
一瞬、消える。
一歩前に出て、止まる。
「そこにいるの、分かってる」
間が空き、気配が動く。
一つの影が隠れる。
紅玉は追わず、呼吸を整える。
玉楼がわずかに頷く。
アタシは言う。
「いい判断よ」
紅玉が息を吐き、力が抜ける。
風が戻り、音が戻る。
アタシは少しだけ視線を逸らす。
「……今の」
紅玉が言いかける。
アタシは包み隠さず言う。
「味方よ」
紅玉が止まる。
玉楼は動かない。
分かっている。
「……誰ですか」
アタシは一言。
「時遷」
紅玉の目が揺れる。
理解が追いつかない。
「見て帰るのが役目」
「追う相手じゃない」
玉楼がわずかに頷く。
紅玉も頷く。
迷いは消え、口元がわずかに緩む。
風が抜ける。
気配はもうない。
アタシは歩き出す。
玉楼も動く。
紅玉が一瞬だけ遅れ、周りを見る。
視線を流し、拾っている。
一歩分、後ろまで追いつく。
少し進み、人影が交差する。
止まらない。
だが――
紅玉の足がわずかに止まる。
視線が一点に止まる。
違う。
さっきとは違う気配。
近くで動いている。
アタシは何も言わない。
玉楼も動かず、任せる。
紅玉が一歩、道端へ出る。
間合いをずらし、流れを読む。
人の動きが変わる。
接触はない。
紅玉は追わない。
振り返らない。
アタシは言う。
「見た?」
紅玉が頷く。
「……さっきと違う」
玉楼がわずかに頷く。
アタシは言う。
「それでいいの」
紅玉の目が前を向く。
もう、さっきとは違う。
数日が過ぎる。
梁山泊の空気が変わる。
人の動きが早い。
装備が並び、馬が出る。
アタシは、変わっていく眺めを見ている。
もう、同じままではいられない。
「出るわよ」
玉楼が頷き、紅玉も動く。
迷いはない。
門が開き、外へ出る。
戦に出る。
隊列が伸びる。
蹄の音が揃い、土が鳴る。
梁山泊が動いている。
前も後ろも、人で溢れている。
アタシはその中にいる。
玉楼が隣で、紅玉が後ろ。
冷たい風が当たる。
匂いが違う。
遠くで、土煙が上がる。
消えていない。
「見える?」
振り返らず、紅玉に言う。
「……はい」
「近いわ」
玉楼が頷く。
分かっている。
だが空気が張り詰める。
紅玉の呼吸が変わる。
アタシは前を見る。
もう戻れない。
前が揺れ、遠くの線が動く。
黒く横に広がり、止まらない。
「来るわ」
隊列が締まり、空気が張る。
息が荒くなる。
蹄の音が轟き、大地が揺れる。
――お互いがぶつかり、音が潰れる。
前列が押し合い、止まらない。
遼の隊列が割れ、別の一隊が出る。
女ばかりだ。
馬の運びが速い。
動きが揃い、こちらの端を削りに来る。
「……違うわね」
アタシは手綱を締める。
玉楼が頷く。
紅玉も目を向ける。
女の部隊。
ただの突撃じゃない。
誰かが、後ろで動かしている。
今は、まだ見えない。
戦は続く。
前列が一瞬崩れる。
味方が遅れ、足を取られ、倒れる。
そこに、すぐさま刃が来る。
間に合わないと思った瞬間、
――紅玉が動く。
踏み込み、間合いに入る。
朴刀で受ける。
重い。
弾かれ、刃が逸れる。
倒れていた兵士が転がり、
間合いが空く。
紅玉は、位置を戻し、呼吸を整える。
アタシは褒める。
「いい調子よ」
玉楼が頷く。
「はい!」
紅玉の手は震えていない。
目も逸らさない。
戦の中にいる。
もう外じゃない。
前列がひしめき合う。
均衡が崩れ、遼の隊列が下がる。
一歩。
また一歩。
止まらずに、間合いが開いてゆく。
アタシは追わない。
刃を交える音が薄くなる。
馬が嘶く。
アタシは周りを見渡す。
まだ終わっていない。
それでも――
ここは終わりだ。
紅玉が立っている。
微動だにしない。
風が抜ける。
血の匂いだけが残る。
紅玉は動じない。
詔は受けた。
流れは決まった。
梁山泊は動く。
止まらない。
その中で、一つだけ残る。
立てるか。
折れないか。
紅玉は立っている。
動じない。




