側室!?
「三娘様、玉楼様、お久しぶりでございます」
「紅玉ぅぅぅ!」
「三娘ォ、抱きつくのは本編でやっただろォ」
「メタい!」
でも、本当に無事でよかった。
「しかも梁紅玉になってるし!」
「梁山泊の梁をいただきました」
「それ聞いた時、三娘ォ泣きそうだったよねェ」
「泣いてない!」
「三娘様、少し目が潤んでおられました」
「紅玉まで!?」
玉楼に稽古をつけてもらって、何度も一緒に戦った紅玉が、今では韓世忠の隣で槍を振るっている。
「それで側室!?」
「三娘様、結局そこへ戻るのでございますか?」
「そこは聞くでしょ!」
「皇帝は?」
「……あ」
孫二娘がため息をついた。
「三娘ォ、陛下まだ岸だよォ」
今度こそ、皇帝を拾いに行きます……
「陛下は、まだ岸におられます!」
紅玉の言葉で、浮かれかけていた頭が一気に戻った。
そうだった。
紅玉を見つけに来たんじゃない――いや、それも大事なんだけど、本来の目的は宋の皇帝を助けることだ。
「三娘ォ、顔」
すぐ後ろから孫二娘の声が飛んでくる。
「今度は何!?」
「紅玉に会えて安心した顔から、仕事思い出した顔になったよォ」
「いちいち実況しないで!」
こっちは感情が忙しいのよ。
韓世忠が岸を指した。
「陛下はあちらだ。敵が退き始めた今なら、舟を寄せられる」
「なら急ごう!」
船縁へ向かいかけたところで、紅玉に呼び止められた。
「三娘様。その前に、ほんの少しだけよろしいでしょうか?」
「何?」
紅玉が隣の男を見る。
さっきアタシが戦場のど真ん中で、「韓世忠で合ってる!?」と確認した相手だ。
「改めてご紹介いたします。こちらが韓世忠様でございます」
「韓世忠だ。先ほどはまともに名乗れず、すまなかった」
「こっちも戦いながら夫かどうか確認してごめん」
韓世忠が一瞬だけ黙り、隣では玉楼が目を伏せた。
「三娘様、それは謝罪になっておりますでしょうか?」
「なってるでしょ!」
「半分ほどは」
半分なの?
紅玉が困ったように笑った。
「瓊英様の護衛についていた頃、韓世忠様に見初めていただきまして……その後、側室となりました」
「側室!?」
また声が大きくなり、すぐ隣で孫二娘が笑った。
「三娘ォ、さっき結婚したのって聞いてたじゃないかァ」
「聞いたけど、詳しいところまでは聞いてない!」
こっちへ届いた話じゃ、韓世忠の妻としか聞いていなかった。
戦場で再会して、本人に「正確には側室です」なんて確認する余裕もなかったんだから仕方ない。
「護衛してたら見初められて、そのまま側室になったの?」
「そのように一息で申されますと、ずいぶん簡単に聞こえますが……」
「違うの?」
紅玉が韓世忠を見ると、韓世忠も見返し、二人そろって少し困った顔になった。
「詳しい話は、陛下をお救いしてからにいたしましょう」
「絶対あとで聞くからね!」
「はい」
何で玉楼がため息をつくのよ。
でも、もう一人聞かなきゃいけない。
「瓊英は?」
紅玉の表情がやわらいだ。
「ご安心ください。瓊英様も息子の張節様もご無事でございます。今は臨安府の韓世忠様のお屋敷におられます」
「二人とも?」
「はい、母子ともに健やかでございます」
胸の奥に残っていた重石が、そこでようやく落ちた。
韓世忠の屋敷へ二人を預けてから、アタシたちには何の知らせも届かなかった。
紅玉がどうなったのかも、瓊英と張節がどこで暮らしているのかも分からないまま、こっちは海を越えて別の国まで来てしまった。
それが今、ようやく繋がった。
「よかった……」
今度ばかりは孫二娘も茶化さず、玉楼も黙って小さく頷いた。
そこで、もう一つ気になっていたことを思い出す。
「そういえば紅玉」
「はい?」
「梁紅玉って呼ばれてるんだよね?」
「はい」
「その梁、どこから出てきたの?」
紅玉が少し目を丸くしてから、嬉しそうに笑った。
「梁山泊の梁でございます」
「……え?」
「姓を名乗ることになった時、わたくしが選びました。皆様と過ごした梁山泊から、一字いただいたのでございます」
今度は何も返せなかった。
梁紅玉――その名前の中に、梁山泊が残っている。
「三娘ォ」
「何よ?」
「泣く?」
「泣かない!」
「まだ何も言ってないよォ?」
「言ったでしょ!」
……危なかった。 ちょこっとだけ。
玉楼を見ると、こっちも黙って紅玉を見ている。
「玉楼?」
「何でもございません」
絶対何でもある顔なんだけど……
「勝手にいただいてしまいましたが……」
紅玉が少し照れたように言う。
「いいに決まってるでしょ。誰に許可取るのよ。梁山泊なんだから、アタシのものでもないし」
「三娘ォ、今ちょっといいこと言ったねェ」
「ちょっとって何!?」
「全部いいこと言ったみたいな顔するからさァ」
この人は本っ当に余韻をブチ壊す……
韓世忠が咳払いした。
「話の続きは、陛下をお救いしてからでもよいか?」
「そうだった!」
玉楼が額へ手を当てる。
「三娘様……」
「忘れてない! 一瞬だけ!」
「一瞬でもお忘れにならないでくださいませ」
相手は皇帝だった。
さすがに忘れちゃダメなやつ。
その時、李俊の船から旗が上がった。
金軍は沖へ退き始めているけど、完全に消えたわけじゃなく、敵船が反転すれば、せっかく開けた道をまた塞がれる。
李俊が岸へ来ないのも当然だった。
船団を動かす人まで前へ出たら、今度は帰れなくなる。
「童威! 童猛!」
李俊の声が海上へ飛ぶ。
「舟を出せ! 岸との道を切らすな!」
「おう!」
「任せろ!」
二人がすぐに動いた。
童威と童猛の指示で小舟が下ろされ、費保、倪雲、狄成、上青も散っていく。
さっきまで海へ潜って金軍の船底を傷めていた四人なのに、休む気は全くないらしい。
「費保、倪雲は俺と来い!」
童威が呼ぶ。
「狄成、上青はこっちだ!」
童猛も別の舟へ二人を乗せた。
「今度は潜らないよね!?」
思わず聞くと、費保が笑った。
「王妃陛下がお望みなら!」
「望まない!」
何でこの人たち、隙があるとすぐ海へ潜ろうとするのよ。
「三娘ォ、やっぱりこの人たちに暇を与えちゃ駄目だねェ」
「今は暇じゃないでしょ!」
童威の舟が横につけられた。
韓世忠と紅玉が乗り移る準備をする横で、玉楼が岸へ目を向ける。
「童威殿、あちらへ寄せられますか?」
示したのは、少し右手の浜だった。
「あそこか。分かった」
童威は理由を聞かず、玉楼が示した浜を一度だけ見た。
「もう少し右でございます」
「分かってる」
「では、そのままで」
……何、この息の合い方。
玉楼が見ているのは岸に残った敵兵と、上陸した後にアタシたちが動ける場所で、童威が見ているのは波と深さ、舟を安全に寄せられる場所だ。
見ているものは全然違うのに、玉楼が少し言えば童威には通じるらしい。
しかも、普通に返事してる。
童威って、よく玉楼相手にあんな平然としていられるわね。
「三娘ォ」
すぐ隣の孫二娘が、こっちを見る。
「何?」
「今、自分のことものすごい勢いで棚に上げなかったかい?」
「何の話!?」
何で分かるのよ。
玉楼がこちらを見る。
「三娘様、何か?」
「何でもない!」
いや、絶対言わない。
アタシだって玉楼とは長い付き合いだけど、あの人が真顔で「三娘様、後ほどお話がございます」とか言い出した時の怖さは知ってる。
童威は怖くないの?
「三娘様」
「ほら来た!」
「まだ何も申し上げておりませんが」
「その入り方が怖いのよ!」
玉楼が困ったように眉を寄せる。
童威は何事もなかったように舟を押さえていた。
……この人、強いわ。
「三娘ォ、それは戦闘力の話かい?」
「知らない!」
孫二娘まで笑う。
韓世忠と紅玉が舟へ乗り移り、玉楼も続いた。
アタシも船縁へ足をかけたところで、孫二娘に袖を引かれる。
「三娘ォ、アタイはここに残るよォ」
笑っていた顔が、そこで仕事の顔に戻った。
岸から救い出した人たちはこの船へ戻ってくるし、怪我人だけじゃなく、長く追われてまともに歩けない人や、恐怖で動けなくなる人だっているかもしれない。
孫二娘が必要なのは、前じゃない。
「分かった」
今度は止めなかった。
「水と布は用意させる。寝かせる場所も空けとくよォ。歩ける奴と動けない奴が一緒に来たら、動けない方からこっちへ寄越しなァ」
「うん」
「それから三娘ォ」
「何?」
「皇帝拾って、そのまま金軍まで追っかけるんじゃないよォ?」
「しないって!」
玉楼が舟から振り返る。
「孫二娘殿、ご安心くださいませ。わたくしがおります」
「それなら安心だねェ」
「アタシへの信用は!?」
孫二娘は答えず、もう船員へ指示を出し始めていた。
何なのよ……
アタシも舟へ移る。
全員が乗ったのを確かめて、童威が櫂を入れた。
横から来た波を一つやり過ごし、さっき玉楼が示した浜へ舟首を向ける。
振り返れば、孫二娘はもうこちらを見ておらず、船上の空きを確かめながら水や布を運ばせ、救出者を受け入れる準備に入っていた。
切り替え早っ。
でも、それでいい。
あっちは孫二娘に任せて、こっちはアタシたちがやる。
やがて童威が舟を浅瀬へ滑り込ませた。
「ここからなら歩ける」
韓世忠が先に降り、紅玉も続く。
玉楼が船縁へ手をかけると、童威が無言で舟を押さえた。
「ありがとうございます」
「気をつけろよ」
「童威殿も」
それだけだった。
アタシも同じ側から降りようとしたところで、玉楼がこちらを見る。
「三娘様」
「今度はちゃんと同じところから降りるわよ!」
「まだ何も申しておりません」
「顔に書いてあった!」
玉楼が少し笑った。
悔しい。
浜へ上がった途端、横から金兵が二人走ってきた。
アタシが動くより一瞬早く、玉楼の方天画戟が二人の進路へ滑り込む。
足を止めた一人の懐へアタシが入り、もう一人は紅玉が槍で押し返した。
「こちらだ!」
韓世忠がその間を抜け、浜の奥へ走る。
童威は舟を岸へ置いたままにはしなかった。
「費保、倪雲! ここを頼む! 戻ってきた者を舟へ通せ!」
二人を浜に残すと、すぐに舟を沖へ向けた。
少し離れた場所では童猛も狄成と上青を降ろし、次の往復に入っている。
沖に残った李俊の船から旗が上がった。
それを見て童猛の舟が位置を変え、後ろの船も救出者を受け入れられるよう間隔を開ける。
あそこを李俊が押さえているなら、アタシは前だけを見ていればいい。
「三娘様、右でございます!」
玉楼の声に考えるより先に身体をずらすと、横から来た金兵の槍をかわしたところへ方天画戟の柄が入り、敵の進路が外へ押し出された。
できた隙へ、そのままアタシが飛び込む。
アタシが前へ出れば、玉楼が後ろを崩させない。
何度繰り返してきたか分からない動きだから、もう振り返る必要もなかった。
その横では、紅玉が韓世忠につきながら残っている宋兵へ声をかけている。
「海へ! 舟が参ります! 怪我をしている者から先に!」
費保と倪雲がその声を拾い、浜へ出てきた兵を舟まで通していく。
別の場所では狄成と上青も救出者をまとめ、戻ってきた童猛の舟へ乗せ始めていた。
沖へ目をやれば、孫二娘のいる船も受け入れを始めており、運び込まれた人を見ながら船員へ次々と指示を出していた。
あっちは任せていい。
童威と童猛が海と岸を繋ぎ、その間を費保たち四人が支え、戻ってきた人間は孫二娘が受け止める。
その流れごと李俊が沖から動かしていた。
全員が同じ場所へ集まらなくても、一つの救出になる。
「三娘様、あちらです!」
紅玉の声に顔を上げると、浜の奥、崩れた柵の向こうに宋兵が固まっていた。
衣は汚れ、立っているだけで精一杯に見える者も多いのに、その中央だけは何重にも人が囲んでいる。
輪の中にいた男は思っていたより若く、長い逃避行のせいか、衣も顔も疲れ切っている。
周りの兵と同じように、潮と埃にもまみれていた。
皇帝って、もっとこう、見た瞬間に後光とか出てるものじゃないの?
いや、出てたらそれはそれで怖いけど……
韓世忠が何事もなかったように前へ進み、宋兵たちへ声を張った。
「援軍だ! 陛下を海へお連れする!」
囲みが割れた。
その向こうで、男がこちらを見る。
紅玉が足を止め、一礼する。
「三娘様、玉楼様――」
そして、中央の男を示した。
「あの方が、陛下です」
ようやく、陛下のお姿を確認できました。
「玉楼ォ、皇帝って光ってなかったねェ」
「そのお話は、どうか忘れてくださいませ」
「宋兵の皆様が一斉に三娘様をご覧になっておりました」
「紅玉殿まで覚えておられるのですか……」
「忘れる方が難しゅうございます」
三娘様は、皇帝陛下を前にしても三娘様でございました。
「玉楼ォ、教育の成果だねェ」
「何の教育でございますか?」
「紅玉がちゃんとツッコめるようになった」
「孫二娘様にだけは教わっておりません」
「言うようになったねェ!」
……紅玉殿、お強くなられました。
ですが、陛下を見つけただけでは終わりません。
次は、この包囲から無事にお連れしなければ。
「玉楼ォ」
「はい?」
「三娘ォ、もう陛下の方へ行ってるよォ」
……三娘様、お待ちくださいませ!




