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包囲の向こうから

牡蠣灘へ着いた。

そして見えた。

海いっぱいの敵船が……

「三娘ォ、あれ全部相手みたいだねェ」

「見れば分かる!」

「一万だってさァ」

「数字で聞くのと実物見るの、全然違うんだけど!?」

こっちは皇帝を助けに来ただけなのに、何で海戦の規模まで本気なのよ?

孫二娘が火の並ぶ海を眺める。

「でも紅玉も、あの中なんだろォ?」

……そうなのよね。

「じゃあ行くしかないねェ」

「簡単に言わないで!」

「三娘ォ」

「何?」

「もう顔が突っ込んでるよォ」

また顔!?

でも今回は、否定できなかった。

「――牡蠣灘です」

童威が示した先には、海を塞ぐように火が並んでいた。

遠くから見た時より数が多い。

右を見ても左を見ても途切れず、その奥にも赤い灯りが重なっている。

あれ全部、船?

一万って数字では聞いてたけど、実物を見せられると話が違う。

「……何でこんなのに囲まれて生きてるのよ」

思わず口から出ると、孫二娘が後ろから覗き込んだ。

「生きてるから助けに来たんだろォ?」

「そうだけど!」

「死んでたら来なくて済んだねェ」

「言い方!」

でも、その通りだった。

あの包囲の中に高宗がいる。

韓世忠がいる。

そして――紅玉がいる。

どこにいるのかは、まだ見えない。

李俊はしばらく海を見たあと、童威と童猛が広げた海図へ目を落とした。

「全部とはやらない」

「当然!」

即答したら、李俊がこっちを見る。

「お前に言ったんじゃない」

「でも大事なことだから!」

一万を全部倒すなんて話になったら帰る頃には季節が変わる。

そもそも目的は勝つことじゃない。

包囲の中へ入り、高宗たちを外へ出す。

そのための道を作ればいい。

童猛が海図の一角を指した。

「ここが少し緩い」

「緩い?」

アタシも覗き込む。

図を見ても海しか分からない。

童威が説明してくれた。

「潮が横へ流れてる。向こうも船列を保つために、ちょくちょく位置を直してるはずです」

「じゃあ、そこを通る?」

「今のままじゃ無理だな」

やっぱり、簡単にはいかない……

すると童威が、費保、倪雲、狄成、上青を呼んだ。

四人は何を言われるでもなく海を見ている。

何か嫌な予感がする。

最近、こういう時の嫌な予感だけはよく当たる。

「何するの?」

聞くと、費保が何でもないことみたいに答えた。

「下から行く」

「下?」

「海の中だ」

……海の中?

アタシが童威と童猛を見る。

二人とも普通の顔をしていた。

「前に教えたんです」

「何を!?」

「潜って、船底を損ねるやり方を」

何その授業。

「いつ教えたの!?」

「暇な時に」

「暇な時に船沈める練習する!?」

孫二娘が肩を揺らした。

「三娘ォ、この人たちに暇を与えない方がいいかもしれないねェ」

「今すごくそう思った!」

李俊だけは全然笑っていない。

むしろ話が早いという顔をしている。

怖い……

この人たち、海関係になると倫理より先に効率を見る。

「沈めなくていい」

李俊が言った。

「二艘も動きを鈍らせれば列が乱れる」

童威が頷いた。

潮で船列を保ちにくい場所にいる二艘を狙うらしい。

船が傾くなり動けなくなるなりすれば、周囲の船は避けるために動く。

そこで隙間を作る。

「で、その隙間へ?」

聞くと、玉楼が方天画戟を手にした。

「参ります」

ですよね……

アタシも日月双刀の位置を確かめる。

「三娘様が先に入り、わたくしが後ろを整えます」

「いつもの形ね」

「ただし、今回は進みすぎませぬよう」

「まだ何もしてない!」

「先に申し上げております」

その後ろでは、孫二娘が救出用の船を確認していた。

兵を前へ出す船とは違い、救い出した者を寝かせられるよう場所を広く空け、水や布、担架まで用意されている。

「孫二娘は?」

「アタイは後ろだよォ」

「分かってるけど、離れすぎないでよ」

言ったら、孫二娘が妙な顔をした。

「三娘ォ」

「何?」

「アタイが言う方じゃないのかい、それ」

……確かに。

「今日はアタシが言うの!」

「成長したねェ」

「その言い方やめて!」

玉楼まで笑ってる。

戦の直前なのに。

いや、戦の直前だからかもしれない。

こうでもしてないと、ずっと包囲の向こうを探してしまう。

紅玉……

どこにいるの?

費保たち四人が小さな舟へ移った。

敵の火が届きにくいところまで進むと、一人ずつ海へ入っていく。

黒い水に身体が沈み、すぐ見えなくなった。

見送っているだけなのに落ち着かない。

「大丈夫なの?」

「水の中なら、アタシたちよりよほど頼れるよォ」

孫二娘が言う。

「それは分かってるけど」

「三娘ォは紅玉探しときな」

図星すぎて、何も返せなかった。

金軍の船の間を見続ける。

人影なんて見えない。

見えるのは火と船ばかり。

そもそも紅玉がどの船にいるのかも分からない。

韓世忠のそばにいるとは聞いた。

でも、その韓世忠の顔だってアタシは知らない。

これ、見つけようがなくない?

「ねえ玉楼」

「はい」

「韓世忠って顔分かる?」

「存じません」

「紅玉は?」

玉楼がこちらを見る。

「それは分かります」

「そうだけど!」

何で聞いたんだアタシ。

孫二娘が後ろで笑っている。

「三娘ォ、緊張すると少し頭悪くなるねェ」

「うるさい!」

金軍の船列の一角で火が揺れ、一艘が不自然に傾いた。

上から怒鳴り声が上がると、隣の船が巻き込まれるのを避けるように離れ始める。

さらに別の一艘でも船体がわずかに沈み、櫂が乱れたことで、整っていた船列がずれた。

「来たぞ」

李俊の声が飛び、合図が上がる。

それまで灯りを抑えていたこちらの船が、一斉に前へ出た。

金軍もこちらに気づき、鐘が鳴ると、船上の松明が次々に増えた。

「敵襲!」

「列を閉じろ!」

声が海を渡ってくる。

遅い。

閉じる前に入ればいい。

「三娘様」

玉楼が横へ並んだ。

「うん」

敵船が近づく。

鉤が飛び、縄が張った。

「参ります」

「もちろん!」

船縁を蹴った。

敵の甲板へ着地した瞬間、槍が二本来る。

一本を刀で外へ払い、もう一本が届く前に懐へ入る。

柄で腕を打ち上げ、そのまま身体を押し込んだ。

横からもう一人。

そっちはアタシが向くより早く、方天画戟に槍を弾かれた。

玉楼が入ってくる。

長い方天画戟なのに、船上では持つ場所を変え、広く使える場所では長く取り、敵が詰まれば握りを詰める。

そうやって、アタシの背中へ来る槍だけを先に消していく。

「左でございます!」

「見えてる!」

左へ入る。

「右も!」

「一度に増やさないで!」

それでも、玉楼が止めたところへアタシが入り、アタシが前へ出れば、その後ろの形を玉楼が崩させないのは分かる。

二人で同じ敵へ向かう必要はなく、船が狭くなっても、その形は変わらなかった。

「三娘様、そこまででございます!」

「もう少し!」

「目的が変わっております!」

危ない……

敵船を取るところだったけど、今回の目的はそこじゃない。

アタシたちがやるのは、包囲を破ることだ。

「下がって!」

続いてきた兵へ声をかける。

取った場所を守るのではなく、金兵を片側へ押して船の動きを止めればいい。

こちらの船が隙間へ入り、一艘、二艘と抜けていく。

三艘目が続いたところで、海から人影が浮かんだ。

費保が舟へ腕をかけ、少し離れたところでは倪雲も水面へ上がった。

続いて狄成、上青の姿も見え、四人とも無事に戻ってくる。

「全員いる!」

童猛の声を聞いて、やっと息が抜ける。

でも次の船が来た。

包囲の奥にいた金軍が、開いた場所を塞ぎに動いている。

「右だよォ!」

孫二娘の声が飛んだ。

「右の船、前へ寄りすぎてる!」

見ると、右から来る船の兵が、こちらの先頭を止めようとして船首側へ集まっていた。

そのぶん後ろが薄くなっている。

孫二娘は前へ出て戦ってはいないけど、兵がどちらへ寄り、どこに隙間が生まれ、誰が慌てて動いたのかを後ろから見ていた。

アタシや玉楼とは違う場所を見ているからこそ、こっちが見落とした穴を拾ってくれる。

「玉楼!」

「承知しております!」

アタシが右へ移っても、玉楼はついてこなかった。

左の船からこちらへ移ろうとする兵へ方天画戟を向け、その場に縫いつける。

それでいい。

アタシが空いたところへ入り、玉楼は左から来る敵に隙間を広げさせない。

そのさらに後ろでは、孫二娘がこちらの兵まで入りすぎないよう声を飛ばしている。

三人とも別の場所を見ているのに、一本の道ができていく。

右の敵船へ飛び移ると、前へ集まっていた金兵がこちらを振り返った。

遅い。

一番近い男の腕を刀の背で払い、身体ごと押し込むと、その後ろが詰まり、味方も続いてくる。

「倒さなくていい! 押して!」

言ってから、自分でちょっと驚いた。

昔なら絶対、「全部倒す!」だった。

「三娘ォ!」

後ろから声が飛ぶ。

「自分で成長感じてる顔してる場合じゃないよォ!」

「何で分かるのよ!」

本当に怖い。

孫二娘までアタシの顔を読むようになってる。

敵船が流れ、その向こうが開いた。

初めて見えた牡蠣灘の内側では、わずかな宋側の船が岸へ追い込まれるように固まり、その外を金軍の船が何重にも塞いでいる。

火と煙の向こうでは、まだ戦いが続いていた。

「紅玉……」

目を凝らして探しても、人が多すぎて見つからない。

宋兵なのか金兵なのかさえ遠目では判別しにくいうえ、韓世忠の顔を知らない以上、その隣を探すこともできなかった。

「三娘様、前を!」

「分かってる!」

目の前の敵を押し返しながら、それでもまた内側へ目を向ける。

いない……

いや、見つけられない。

その間にも、一艘の宋船へ金軍が取りつこうとしていた。

何度も鉤がかかり、そのたびに宋兵が押し返しているのに、次の兵がすぐ甲板へ上がってくる。

「あの船だけ、激しくない?」

「はい!」

アタシたちはそちらへ船を寄せさせた。

近づくにつれて甲板の様子が見えるようになり、先頭で戦っている男の横に、もう一人いるのが分かった。

細身の人影だった。

男じゃない……?

火が揺れた拍子に姿が見えなくなったかと思うと、次には敵兵の前へ飛び出し、一人を退けて、続けてきたもう一人まで押し戻している。

胸の奥がざわついた。

でも、まだ顔までは見えない。

「もっと寄せて!」

「三娘様、飛び移るにはまだ遠うございます!」

「分かってる!」

飛び移りたいんじゃない。

ちゃんと見て、確かめたいだけ。

煙に遮られていた人影が、また現れた。

金軍の兵が三人まとめて甲板へ上がったが、その向こうで人影が動くと、一人が倒れ、もう一人も下がっていく。

そして、その女らしい人影がこちらを向いた。

まだ遠く、顔までは分からない。

それでも向こうも、こっちを見ているような気がした。

アタシのことが見えてる?

隣で玉楼が息を止めた。

「三娘様……」

「うん」

まだ言わない。

違ったら嫌だから……

目を離さずにいると、金軍の怒鳴り声が間に入り、船同士がぶつかる音まで重なった。

その全部を突き抜けて、声が届いた。

「三娘様! 玉楼様!」

ようやく、紅玉殿の声が届きました。

「玉楼ォ、いたねェ」

「はい、ご無事で何よりでございます」

「三娘、泣くかなァ?」

「その前に飛ぶと思います」

孫二娘殿が黙りました。

「……止める?」

「止めます」

「間に合う?」

「間に合わせます」

何故そこで不安そうなお顔をなさるのでしょう?

もっとも、わたくしにも分かっております。

何年ぶりかに紅玉殿を見つけた三娘様が、大人しく船が寄るのを待てるはずがございません。

「玉楼ォ」

「はい」

「もう船縁に足かけてるよォ」

……三娘様。

まだ飛ばないでくださいませ!

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