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戻るのと、見殺しにするのは別だ

島々がようやくまとまりそうになったところで、大陸から急報が来た。

「三娘ォ、宋の天子が金軍に追われてるってさァ」

「何で次が皇帝なのよ!?」

「話の規模が急に大きくなったねェ」

「こっちは島の話してたのに!」

しかも、護衛している将の名は韓世忠。

「……その名前、知ってる」

「三娘ォ、嫌な顔してるねェ」

「嫌な予感がするのよ」

そして、その隣には妻がいるらしい。

名前を聞くまでは、まだ他人事だった。

いや、まさかね……

「宋の天子が、金軍に追われているそうだ」

誰もすぐには口を開かなかった。

さっきまで、島々がようやくまとまりそうだって話をしていたはずなのに……

何で次が皇帝なのよ?

規模がおかしい。

「……追われてるって、どこまで?」

アタシが聞くと、急使の男はまだ肩で息をしながら答えた。

「明州から海へ逃れ、牡蠣灘でございます。金軍の将、阿黒麻が船団を率いて包囲しております」

李俊の顔がほんの少し変わった。

それでも、アタシには分かる。

「兵は?」

「金軍はおよそ一万。宋の側は敗走の途中で兵を失い、御前を守る者もわずかと聞きます」

「一万……」

数だけなら、共濤の時だって大軍は見ている。

問題は、こっちが今、戦争を終わらせようとしている最中だってこと。

島々はようやく李俊を認め始めたばかりで、鉄羅漢は最後まで返事を寄越していない島へ向かうところだった。

ここで王が兵を連れて出ていく。

どう考えても面倒な話になる。

「宋の天子を助けに行くの?」

李俊はすぐには答えなかった。

海を見る。

考えている時の顔だ。

「三娘ォ」

孫二娘が隣から声をかけてきた。

「何?」

「先に最後まで聞きなァ」

「聞いてるって」

「顔がもう船に乗ってるよォ?」

乗ってない。

たぶん……

急使が言葉を続けた。

「御前には、韓世忠という将が残っております」

知らない名前ではない。

会ったことはないけど、聞いたことはある。

「韓世忠って……」

アタシが玉楼を見ると、玉楼もこちらを向いた。

「以前、瓊英殿と紅玉殿をお預けした屋敷の主でございます」

「そう、それ!」

本人には会ってないけど、名前だけは覚えてる。

急使が頷いた。

「韓世忠殿が天子を護衛しております。そして、その妻も」

妻?

何となく嫌な予感がした。

「名は?」

李俊が聞いた。

男が答える。

「梁紅玉殿と」

「紅玉!?」

思わず声が出た。

孫二娘が耳を押さえる。

「三娘ォ、近い近い」

「だって紅玉よ!?」

「聞こえてるよォ」

「妻!?」

「そこも気になるのかい!」

気になるでしょ!

瓊英と一緒に韓世忠の屋敷へ預けたところまでは知ってる。

その後のことは、何も聞いていなかった。

それが今、妻。

しかも皇帝の護衛。

情報量が多い。

「ちょっと待って。紅玉、韓世忠と結婚したの?」

「三娘様」

玉楼がこっちを見る。

「現在の問題は、そこではございません」

「分かってる!」

分かってるけど気になるものは気になる。

孫二娘が笑いそうになって、すぐ真顔へ戻った。

「その紅玉も、囲まれてるってことかい?」

急使が頷いた。

「韓世忠殿とともに御前を離れず、金軍を防いでいるとのことです」

今度は笑えなかった。

アタシは李俊を見る。

李俊もこっちを見た。

「行く」

先に言ったのは、どっちだったか分からない。

たぶんアタシ。

「三娘ォ」

「何よ」

「やっぱり顔だけじゃなく船に乗ったねェ」

「紅玉がいるのよ!」

「止めてないだろォ」

孫二娘はそう言ってから、李俊を見る。

「で、王様は?」

李俊は急使へ聞いた。

「牡蠣灘まで、ここからどれくらいだ」

「風がよければ急げます。ただ、金軍の船が周囲を塞いでおります。正面から近づけば、こちらも見つかります」

「当たり前だな」

童威と童猛が呼ばれた。

二人は海図を広げ、急使から風向きと海流、金軍がどこまで船を出しているのかを聞き始める。

その横で鉄羅漢が腕を組んでいた。

「行く気か?」

「ああ」

「島はどうする?」

「お前に任せる」

鉄羅漢が目を見開いた。

「俺に?」

「最後の島へ行くんだろ?」

「行くが」

「なら行け。こっちは俺が戻るまで持たせろ」

鉄羅漢はしばらく李俊を見ていた。

「昨日まで刃を向けていた男に任せるか」

「だから任せる」

「意味が分からん」

分かる。

たぶん。

鉄羅漢が途中で裏切るなら、昨日あんなふうに頭を下げたりしない。

それを李俊はもう信じてる。

「俺がいない間に島が荒れたら、お前が困る」

「俺が?」

「せっかく回ったのが無駄になる」

鉄羅漢が鼻で笑った。

「そういう言い方をするか」

「嫌なら別を置く」

「誰が嫌だと言った?」

決まり。

本当に早い。

昨日まで敵だった人が、今日は広報担当になって、明日は留守番まで任されるらしい。

人事が豪快すぎる。

「三娘様」

玉楼が呼ぶ。

「何?」

「こちらも決めます」

もう沈蘭教頭と周蓮が来ていた。

早い。

みんな最近、アタシより仕事を始めるのが早くない?

玉楼は兵を全部連れていくつもりはなかった。

初陣からまだ日が浅く、傷の癒えていない者もいる。

船酔いの激しい者を無理に乗せても戦力にならないし、島々から使者が来続ける以上、こちらにも兵は必要だった。

「三娘様と私が先陣へ入ります。沈蘭殿には残る兵をお願いいたします」

「アタシたちだけで行くの?」

「まさか」

玉楼はさらっと答えた。

「動ける者の中から、船上戦に向く者を選びます。乗り込みに使う人数と、救出した者を受け取る人数は分けなければなりません」

「もうそこまで考えてるの?」

「三娘様が『行く』とおっしゃると思っておりましたので」

「言う前から!?」

「お顔に」

「また顔!?」

孫二娘が笑っている。

本当に最近、アタシの顔に全部書いてある扱いされてない?

「孫二娘は?」

聞くと、本人が自分を指さした。

「アタイ?」

「来る?」

「行くよォ」

即答だった。

「でも走れないでしょ」

「だから何で毎回走らせようとするんだい!」

「戦場だから!」

「戦場には走る奴しかいないのかねェ!」

いないわけじゃない。

むしろ今回は、救い出した人を船へ乗せる方が大変かもしれない。

敗走した兵、怪我人、皇帝についてきた文官や内侍だっている。

孫二娘はそこを見る役だ。

「救い出した後の方を頼む」

李俊が言った。

孫二娘が頷いた。

「最初からそのつもりだよォ」

行くんだ……

まぁ、置いてって、後で絡まれるよりいいか……

いや、何の話だ。

準備はその日のうちに始まった。

大軍を連れていけばいいわけじゃない。

数で押せば金軍に見つかるのも早くなるし、何より相手は海上で包囲している。

童威と童猛は船を選び、玉楼は乗せる兵を分け、沈蘭教頭は残る者へ命令を出していく。

アタシにも仕事があった。

「三娘様、この者たちをご覧くださいませ」

玉楼が連れてきたのは、初陣を終えた兵たちだった。

「何を見るの?」

「お顔を」

「アタシ今ずっと顔で判断されてるんだけど!?」

「そういう意味ではございません」

一人ずつ話を聞くと、今すぐ行ける者もいれば、身体は万全ではなくても行きたいと言う者もいた。

怖いと認めながら、それでも同行を望む者までいる。

昨日までなら、「行きたいなら行こう!」って言ってたかもしれない。

でも孫二娘が横にいる。

「行きたいのと、今行けるのは別だよォ」

分かってる。

一人の女が、船に乗るとまだ吐くと言った。

「残って」

「ですが――」

「次があるから」

自分で言って、少し変な気分になった。

前なら次なんて考えなかった。

その場を生き残るので精一杯だった。

でも今は、帰ってくる前提で兵を出さなきゃいけない。

玉楼が何も言わずにこっちを見ている。

「何?」

「いいえ」

「何その顔」

「少し嬉しゅうございました」

「やめて。照れるから」

孫二娘がすぐ横から入ってきた。

「三娘ォ、大人になったねェ」

「アンタに言われると腹立つ!」

「何でだい!」

夕方には出す船が決まり、李俊は船団全体を見るため、中央の船に乗ることになった。

王だから後ろへ下がるわけじゃない。

前へ出るのはアタシと玉楼――いつもの形だ。

アタシが敵の船へ入る場所を作り、玉楼が後ろから形を崩させない。

ただし今回は倒すことより、包囲を破って道を作る方が先になる。

「三娘」

李俊が呼んだ。

「何?」

「追うな」

「まだ何もしてない!」

「金軍が退いても深追いするな。目的は天子を出すことだ」

「分かってる」

「紅玉を見つけても勝手に離れるな」

「……分かってる」

「今、間があったねェ」

孫二娘!

玉楼までこっちを見る。

「三娘様」

「分かってるってば!」

紅玉を見つけたら飛び出すと思われてる。

否定できないのが悔しい。

日が落ちる前に船へ乗った。

港には残る兵たちが並んでいた。

数日前まで、アタシが走るのを追いかけていた人たちだ。

今は追ってこない。

残る者は残る。

行く者は行く。

それぞれ自分の役目を持っている。

沈蘭教頭が頭を下げた。

「御武運を」

「そっちもお願い」

「お任せくださいませ」

船が岸を離れた。

青霓島のことも、周囲の島のことも気になる。

でも李俊は振り返らなかった。

アタシも前を見る。

大陸へ戻るわけじゃない。

宋へ戻るわけでもない。

アタシたちはもう、ここに国がある。

それでも、海の向こうで紅玉が戦っている。

「ねえ」

李俊の背中へ声をかけた。

「何だ」

「宋の天子だから助けるの?」

「違う」

即答だった。

「じゃあ何で?」

李俊は海を見たまま答えた。

「戻るのと、見殺しにするのは別だ」

それなら分かる。

すごく分かる。

夜に入ると船団は灯りを絞り、童威が先を探り、童猛が後方を見た。

風は悪くないのに、牡蠣灘へ近づくほど行き交う舟は減り、とうとう漁の舟まで見えなくなる。

海が空いている。

それが、かえって怖い。

玉楼が隣に立つ。

「三娘様」

「うん」

「この先でございます」

方天画戟を握る手が変わった。

アタシも日月双刀へ触れる。

今度は誰も止めない。

孫二娘は少し後ろで、救出した者を受け入れる場所を確認している。

三人とも見る場所が違う。

でも向かう先は同じだった。

やがて、前を進んでいた小さな舟が戻ってきた。

斥候が船へ上がるなり、童威のところへ走る。

何かを聞いた童威の顔が変わった。

李俊が振り返る。

「見えたか」

「はい」

童威が海の向こうを指した。

暗い水平線の上に、赤い点がいくつも浮かんでいる。

火だ。

一つじゃない。

海を塞ぐように並んでいる。

その奥にも、まだ灯りがあった。

斥候が息を整えて言った。

「金軍の船です。牡蠣灘を完全に囲んでいます」

アタシは目を凝らした。

その包囲の向こうに、紅玉がいる。

童威がもう一度、暗い海を見た。

「――牡蠣灘です」

紅玉殿は、いつの間にか韓世忠殿の奥方となり、梁紅玉殿と呼ばれるようになっておられました。

「玉楼ォ、三娘の顔見た?」

「はい」

「もう助けに行く顔だったねェ」

「急使殿が最後まで話される前からでございました」

「分かりやすいねェ」

まったくでございます。

もっとも、紅玉殿が包囲されていると知れば、三娘様が動かれないはずもございません。

「で、玉楼は止めるの?」

「いいえ、私も参ります」

「知ってたよォ」

……何故、皆様わたくしまで読めるのでしょう。

ともあれ、牡蠣灘は目前。

今度こそ、三娘様を見失わぬようにいたします。

「それ、前振りじゃないよねェ?」

……孫二娘殿。

今はお黙りくださいませ。

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