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最後の敵役

敵が増えるらしい。

「三娘ォ、今度は一人倒して終わりじゃないよォ?」

「分かってるわよ。近衛のみんなもいるんだから、アタシだけで全部やろうとは思ってないって」

孫二娘が、ものすごく疑わしそうな顔をした。

「……何よ?」

「前回も似たようなこと言って、沈蘭を一人で倒してなかったかい?」

「今回はちゃんと任せる!」

「へえェ」

「その顔やめて!」

ただ、沈蘭教頭が妙に余裕なのが気になる。

敵が何人増えようと、それだけなら何とかなるはずなんだけど――

「三娘ォ」

「何?」

「たぶん、一番面倒なのは最後に出てくるよォ」

……そういう不吉な前振り、本番前に言わないで。

「次は、敵が一人とは限りませぬ」

沈蘭教頭がそう告げると、訓練場の端にいた女たちが一斉に動き出した。

さっきまで避難する民を演じていた者まで槍や木刀を手にしていて、気づけば正面だけでなく左右にも敵役が散っている。

「ちょっと待って! いつの間に仕込んだの!?」

「王妃陛下が私と戦っておられる間でございます」

「アタシが見てないところで!?」

「それを確かめる訓練でもございましたので」

沈蘭教頭は真顔だった。

ぐうの音も出ない……

輿の上では、孫二娘がいかにも楽しそうに肩を揺らしている。

「三娘ォ、綺麗に引っかかったねェ?」

「敵が槍持って向かってきたら、普通そっち見るでしょ!」

「三娘の場合、見るだけで終わらないから問題なんだよォ」

三百人の近衛候補たちは笑わなかった。

沈蘭教頭一人なら、さっきアタシが先に倒してしまったけれど、今度は数が違う。

正面からアタシを狙う者だけでも八人ほどいる。

その外側では、避難役の女たちへ近づこうとする敵役がいて、さらに後ろへ回り込もうとしている者まで見えた。

沈蘭教頭が全員を見渡してから手を上げる。

「王妃陛下へ刃を向ける者だけが敵ではございません。民を襲う者も、退路を塞ぐ者も、負傷者へ向かう者もおります。何を守るべきか、ご自身でお考えくださいませ」

候補たちが声を掛け合い、自分たちの位置を確かめ始めた。

アタシも日月双刀を構える。

「じゃあ今度こそ、みんなで倒せばいいのね?」

「三娘様」

隣から玉楼に呼ばれた。

嫌な予感しかしない。

「何?」

「三娘様が全員倒す訓練でもございません」

「分かってるって!」

「今、残念そうだったねェ」

間髪入れず孫二娘が刺してくる。

「してない!」

沈蘭教頭の手が振り下ろされた。

敵役が一斉に走り出す。

正面から三人が来たので、アタシも迷わず踏み込んだ。

最初の木刀を右の日月刀で外へ流し、反対側から伸びてきた槍を左で払う。三人目が脇へ回ろうとしたところで身体を入れ替え、刀の峰を肩へ当てた。

一人がそこで動きを止める。

残った二人は距離を取り直した。

いつもなら追う。

けれど、右手の方から近衛候補の声が上がった。

「第五組、後ろへ! そちらを通さないで!」

周蓮だった。

自分から敵へ飛び込むのではなく、後ろへ回ろうとしている相手へ二組を向かわせ、その間に別の候補たちが避難役を奥へ逃がしている。

「王妃陛下の正面は第一組が見ています!」

別の声も飛んだ。

へえ……

アタシのところへ全員集まってこない。

それなら遠慮はいらない。

「行くわよ!」

目の前の二人へ踏み込むと、また孫二娘から声が飛んできた。

「三娘ォ! やっぱり嬉しそうだよォ!」

「戦っていい状況なんだからいいでしょ!」

槍の内側へ入り、木刀を柄で受けながら押し返す。

二人とも下がった。

その向こうを見ると、玉楼は方天画戟を持ったまま動いていない。

「玉楼! そっち三人行った!」

「候補がおります」

本当に動かない。

三人の敵役が避難する女たちへ向かっているのに、玉楼はただ見ているだけだ。

アタシもそちらへ行こうとした。

その前に、六人の候補が敵役の進路へ入った。

二人が正面を塞ぎ、別の二人が左右へ開く。

残りの二人は避難役をさらに後ろへ下げ、敵が抜けようとした場所へ別の組が回り込んだ。

アタシが着く前に、止めた。

思わず足まで止まる。

「……あれ?」

輿の上から笑い声が聞こえた。

「仕事取られた顔してるよォ?」

「してない!」

「今したねェ」

「してないって!」

でも、少しだけ変な感じだった。

誰かが危ないなら自分が行く。

間に合うなら、その方が早い。

ずっとそうやって戦ってきたし、王妃になったからといって身体が急に別人になるわけでもない。

ところが今は、アタシが行かなくても誰かがいる。

玉楼を見ると、候補たちから目を離さないまま口を開いた。

「お任せくださいませ」

誰に向けた言葉なのか、一瞬分からなかった。

たぶん、アタシだけに言ったんじゃない。

この三百人にも言っている。

「……分かったわよ」

正面へ向き直って敵役を押し返す。

その間も訓練場のあちこちで声が飛び交っていた。

負傷者を下げる者、後ろの道を空ける者、敵役の進路を塞ぐ者がそれぞれ別に動き、もう三百人が一つの塊になってアタシの後ろを走ってはいない。

左端で隊列が揺れた。

四人の敵役がまとまって押している。

そこにいた候補の一人が二歩ほど下がった。

見覚えがあった。

最初の訓練で怖くなり、動けなくなった女だ。

また固まったのかと思ったけれど、彼女は自分の後ろを確かめると、前の仲間へ声を掛けた。

「こちらは下がれます! 無理に受けず、二歩下がってください!」

前にいた候補たちが下がる。

敵役が勢い込んで前へ出たところを、左右から別の組が挟んだ。

「へえ……」

孫二娘を見る。

やっぱりあの人も見ていた。

目が合うと、輿の上から満足そうに笑う。

戦っているアタシより早く気づいてる。

全体を見る玉楼とも違う。

誰が怖がっているのか、誰が無理をしているのか、それでも前より何ができるようになったのか。

孫二娘は、そういうところを見落とさない。

「三娘ォ、右!」

また声が飛んだ。

「今度は何!?」

敵役が一人、候補の隙間を抜けてアタシへ向かってくる。

日月双刀を返そうとしたけれど、その女の前へ二人の候補が先に入った。

一人が木刀を受け、もう一人が腕を押さえる。

さらに後ろから三人が来て、敵役はそこで完全に止まった。

今度こそアタシの出番がない。

刀を少し下ろす。

「……本当に取られた」

「何をでございます?」

玉楼がようやくこちらを見た。

「敵」

「よろしいことではございませんか?」

「そうなんだけど……」

何だろう、この釈然としない感じ。

孫二娘がまた笑った。

「近衛が育つと王妃が暇になるんだねェ?」

「暇じゃない!」

「じゃあ何してるんだい?」

答えようとしたところで沈蘭教頭の拍板が鳴った。

「そこまで!」

敵役たちが一斉に武器を下ろし、近衛候補もその場で息を吐いた。

今度は誰もアタシのところへ集まってこない。

敵役を押さえている者がいれば、負傷者役へ肩を貸している者もいる。

避難役を戻す組も、後方の道を確かめる者もいて、それぞれが自分の場所に残っていた。

玉楼が全体を見渡してから頷く。

「先ほどまでより、よろしゅうございます」

「やったねェ」

孫二娘が輿の上から拍手すると、候補たちの表情がようやく緩んだ。

終わった。

今度こそ本当に終わった。

そう思って日月双刀を下ろした時だった。

「では、最後に」

沈蘭教頭が言った。

「まだあるの!?」

思わず叫ぶと、候補たちからも似たような呻きが漏れた。

「ございます」

沈蘭教頭はアタシではなく、隣に立つ玉楼へ視線を向ける。

「最後の敵役をお願いいたします」

玉楼が静かに一礼した。

「承知いたしました」

……え?

そして沈蘭教頭が、いつもとは違う呼び方をした。

「呂玉楼殿」

一瞬、訓練場が静かになった。

アタシまで反応が遅れた。

呂玉楼――

もちろん知っている。

玉楼の名前だ。

でも、普段そんなふうに呼ばないから、知っているはずの名前なのに妙に他人行儀に聞こえる。

その静けさのあと、候補たちの間からひそひそ声が広がり始めた。

「……呂?」

「玉楼様って、呂姓だったの?」

「方天画戟をお使いになるよね……」

「まさか……」

何の話してるのよ?

振り返ると、全員が慌てて口を閉じた。

孫二娘だけが肩を揺らしている。

「三娘ォ、みんな姓の方が気になってるみたいだよォ」

「今から戦うんだから、そこじゃなくて玉楼本人を見なさいよ!」

「見てるから気になるんじゃないかねェ?」

それは、まあ……分からなくもない。

玉楼がアタシの隣から離れた。

さっきまで当然のように隣に立っていた女が、今度は訓練場の中央へ進み、真正面からこちらを向く。

方天画戟がゆっくり持ち上がった。

それだけで空気が変わった。

もう誰も呂姓の話をしていない。

「三娘様」

「何?」

「お相手をお願いいたします」

「本気で?」

「訓練でございますので」

それ、答えになってない。

でも玉楼の構えを見れば分かる。

沈蘭教頭の槍を片手で止め、そのまま押さえ込んだ女だ。

長い間アタシの隣で戦い、アタシが前へ出れば追いついてきて、危ないところへ突っ込めば気づいた時には隣にいた。

だからこそ、こうして正面から向き合うことなんてほとんどなかった。

「面白いじゃない」

日月双刀を構える。

孫二娘が輿の上で額を押さえた。

「また三娘の目が変わったよォ?」

「変わってない!」

「今度は玉楼まで同じような顔してるねェ?」

玉楼を見る。

いつも通りに見える。

たぶん……

沈蘭教頭が手を上げた。

「始め!」

先に踏み込んだ。

沈蘭の槍なら、この距離からでも懐まで入れた。

ところが玉楼の方天画戟は、もうアタシの進路にいる。

右の刀で柄を外へ流しただけなのに、腕へ重さが響いた。

まともに受けたら押し切られる。

左から潜ろうとすれば石突きが先に入り、横へ回れば玉楼も同じだけ位置を変える。

「何でそこにいるのよ!」

「三娘様でございますので」

「説明になってない!」

一度引いてから、上へ行くと見せかけて右側から潜り込む。

それでも柄が下がってきた。

完全に読まれている。

「玉楼、アタシの癖読むの禁止!」

「無理でございます」

「即答しないで!」

候補たちから笑いが漏れたけれど、こっちは笑ってる場合じゃない。

方天画戟が横から来る。

受ければ負ける。

刃を合わせず双刀で柄を滑らせ、身体を沈めながら内側へ入った。

今度こそ届く。

右の刀を玉楼の肩へ走らせる。

ところが玉楼は長い方天画戟を引き戻す代わりに、柄の中央へ手を移した。

短く使った!?

石突きが脇腹へ来る。

身体をひねると、ほんの少しだけ衣を掠めた。

こっちの刀も届かない。

二人とも一度距離を取る。

「……玉楼、強すぎない?」

「三娘様もでございます」

「知ってる!」

「ご存じでしたか?」

「そこ疑わないで!」

もう一度踏み込んだ。

今度は最初から玉楼が知っている癖まで利用する。

右へ行くと見せて左へ入り、そこで一歩引いてから一気に距離を詰める。

玉楼が方天画戟を振る瞬間を待ち、柄へ日月刀を絡ませて力の向きを外へ逃がした。

内側が開いたところへ、左の刀を走らせる。

同時に玉楼が身体を回し、方天画戟の刃をこちらへ戻した。

止まった。

アタシの左の刀は、玉楼の首筋のすぐ横。

玉楼の方天画戟も、アタシの肩口まであとわずか。

どちらがもう半歩動いても届く。

訓練場から声が消えた。

しばらく二人を見ていた孫二娘が、ようやく口を開く。

「……引き分けじゃないかねェ?」

「アタシの方がちょっと早かった!」

「ほぼ同時でございました」

「ちょっと早かったって!」

「三娘ァ、三百人の前で何を争ってるんだい?」

言われて周りを見ると、近衛候補たちが揃って何とも言えない顔をしていた。

沈蘭教頭まで黙っている。

玉楼が方天画戟を下ろしたので、アタシも日月双刀を引いた。

改めて目の前の女を見る。

沈蘭教頭の槍を正面から止められるほどの力があり、アタシと本気に近い打ち合いをしてもほとんど互角。

それでいて普段は当たり前みたいにアタシの横へ立ち、方天画戟を振るっている。

おまけに姓は呂だ。

ずっと隣にいたから、今さら一つずつ考えたことなんてなかったけれど、こうして敵として真正面から向き合った後だと、どう考えてもおかしい。

「ねえ、玉楼?」

「はい」

しばらく顔を見てから、もう一度方天画戟へ目をやった。

――やっぱり、石碣に名前無かったの理不尽よね。

三娘様と刃を交えることになるとは、私も思っておりませんでした。

「玉楼ォ、あんた三娘とほとんど互角じゃないかい?」

「長くお側におりますので、三娘様の動きは存じております」

「それだけで日月双刀を止められるなら、みんな苦労しないよォ?」

もっとも、三娘様も私の間合いをよくご存じです。

だからこそ最後は、互いにあと一歩を残して止まりました。

ところが三娘様は、勝敗より別のことが気になったようでございます。

「ねえ玉楼。やっぱり石碣に名前無かったの理不尽よね」

「石碣、でございますか?」

孫二娘殿が吹き出しました。

「玉楼ォ、知らない方が幸せな話もあるんだよォ」

……では、知らないままでいることにいたします。

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