王妃を守る必要は?
孫二娘が、槍を持った沈蘭教頭を見ていた。
「三娘、今度はちゃんと守られるんだよねェ?」
「当然でしょ。アタシは護衛対象なんだから」
「日月双刀、抜いてるけど?」
「敵がいるから」
「守られる人って、自分から敵を倒しに行くのかい?」
「襲われるまで待つ方がおかしくない?」
孫二娘が黙った。
またその顔。
「でも三百人いるんだよォ?」
「じゃあアタシが沈蘭を倒してる間、周りを見てもらえばいいじゃない」
「もう役割逆転してないかねェ……」
失礼な……
沈蘭教頭が槍を構えた。
アタシも日月双刀を握る。
孫二娘がため息をついた。
「近衛のみんな、頑張りなよォ」
「何でアタシじゃないの?」
「三娘は放っといても頑張るからねェ」
……否定できないのが腹立つ。
「私は敵役でございます」
沈蘭教頭が槍を構えた。
さっきまで訓練場のあちこちで座り込んでいた近衛候補たちが、慌てて立ち上がる。
アタシも日月双刀を握り直した。
「敵役なら、倒していいのよね?」
「三娘様」
横から玉楼の声がした。
「何?」
「近衛候補の訓練でございます」
「分かってるわよ」
「でしたら、なぜ三娘様が一番楽しそうなのでございますか?」
失礼な……
敵が槍を持って目の前にいるんだから、武将なら普通でしょ?
輿の上から孫二娘が笑う。
「玉楼、もう遅いよォ。沈蘭が敵って言った時点で三娘の目が変わったもの」
「変わってない!」
「変わってるねェ」
候補たちまで何人か頷いた。
だから見えてるって!
沈蘭教頭はそんな騒ぎを気にした様子もなく、槍の穂先をこちらへ向けた。
「候補の皆様は、王妃陛下をお守りくださいませ。ただし、私を討つことだけを目的になさらぬよう」
「はい!」
三百人の返事が重なる。
なるほど、今回はアタシが旗まで走るんじゃない。
沈蘭教頭が敵として襲ってきて、それを近衛候補がどう防ぐかを見るらしい。
それならアタシは守られる側――
沈蘭が踏み込んだ。
速い。
槍が一直線に胸元へ伸びてくる。
「三娘様!」
候補の声より先に身体が動いた。
右の日月刀で穂先を外へ払う。
そのまま左足を踏み込み、もう一振りを沈蘭の手元へ滑らせた。
沈蘭が槍を引く。
遅い。
柄へ刃を添え、押し上げる。
穂先が空を向いた。
「え?」
誰かの声が聞こえた。
アタシはそのまま懐へ入る。
槍は間合いを取られたら厄介だ。
なら、取らせなければいい。
沈蘭が石突きを返してくる。
左の刀で受け、右の刀を肩口へ。
沈蘭は身をひねって避けた。
すぐに距離を取ろうと下がる。
だから追う。
一歩。
二歩。
槍が横薙ぎに来る。
刀を交差させて止め――ない。
片方で柄を滑らせ、もう片方で穂先の向きを外す。
力で止めるのは玉楼のやり方だ。
アタシはアタシのやり方で行く。
「ちょ、三娘ァ!」
孫二娘の声が遠くで聞こえた。
「何よ!」
「近衛が入る隙間ないよォ!」
知らないわよ!
沈蘭が突きを放つ。
一つ目を右へ流す。
二つ目は左の刀で下へ落とす。
三つ目が来る前に前へ出た。
右の日月刀を槍の柄へ絡ませ、そのまま手首を返す。
沈蘭の槍が横へ流れた。
空いた胴へ左の刃が入る。
もちろん寸前で止めた。
沈蘭が目を見開く。
「まだ!」
アタシが言うと、沈蘭は槍を捨てなかった。
さすが教頭。
すぐに柄を立て直し、足を入れ替える。
今度は穂先を細かく振って、近づかせないつもりらしい。
いい、そうこなくちゃ。
「王妃陛下の左へ!」
候補の声が飛んだ。
やっと近衛が入ってきた。
三人がアタシの左へ回り、別の二人が沈蘭の後ろへ行こうとする。
沈蘭はそれを見るなり、進路を変えた。
候補の薄いところへ走る。
「教頭が右へ!」
「追って!」
何人かが動く。
アタシも動いた。
「三娘様、前へ出すぎです!」
「敵が逃げたのよ!」
「敵役です!」
「同じでしょ!」
「違います!」
言い合っているうちに、沈蘭が候補の間を抜けようとした。
そこへ周蓮が入った。
自分で槍を受けに行くんじゃない。
「第二組、右を塞いで! 王妃陛下の前を空けて!」
四人が動く。
沈蘭の退路が狭まった。
よし、そこなら行ける。
地面を蹴った。
沈蘭が振り返る。
槍が来る。
でも今度は候補たちが左右にいる。
さっきまでみたいに好き勝手には振れない。
だから沈蘭も突きへ切り替えた。
その判断が速い。
やっぱり強い。
強いけど――
「遅い!」
穂先が届く前に右へずれる。
左の刀で柄を押さえ、右の刀を沈蘭の腕へ走らせる。
沈蘭は槍を引きながら後退した。
そこへ候補二人が回り込む。
逃げ道がなくなる。
沈蘭は一瞬だけ周囲を見た。
その瞬間を待っていた。
一気に懐へ入る。
右の刀が槍を外へ弾き、左の刀が喉元へ伸びる。
沈蘭も反応した。
石突きを返し、アタシの脇を狙う。
だけど、その手も見えてる。
右手を返す。
日月刀の峰が槍の柄を押さえた。
左の刃は沈蘭の喉元。
右の刀は槍を封じている。
沈蘭は動けない。
訓練場が静かになった。
さっきまで走り回っていた三百人が、全員こっちを見ている。
沈蘭はしばらくアタシを見たあと、ゆっくり息を吐いた。
「……参りました、王妃陛下」
「よし!」
刀を引く。
その瞬間、あちこちから息を吐く音がした。
何よ……
そんなに緊張しなくても、訓練よ?
「三娘ァ」
孫二娘が輿の上で額を押さえていた。
「何?」
「近衛の訓練だったよねェ?」
「そうよ」
「教頭を一人で倒したねェ?」
「敵役だから」
「だから近衛が何もしてない時間が長かったんだよォ!」
そんなこと言われても……
沈蘭だって手加減してないし、アタシがわざと負けるのも違うでしょ。
候補たちの方を見ると、何とも言えない顔が並んでいた。
尊敬というより、困惑に近い。
その中の一人が、おそるおそる手を上げた。
「王妃陛下」
「何?」
「その……私どもは、本当に王妃陛下をお守りする必要があるのでしょうか?」
静まり返った。
あ……
それ言っちゃった。
孫二娘が吹き出す。
「出たねェ」
「何がよ!」
「みんな一回は思うやつだよォ」
玉楼まで否定しない。
ちょっと!
「必要でございます」
玉楼が答えた。
即答だった。
候補たちの視線が玉楼へ集まる。
玉楼は方天画戟を持ったまま、アタシと沈蘭の間へ歩いてきた。
「三娘様がお強いことと、近衛が不要であることは別でございます」
「そうそう」
アタシも頷く。
「三娘様は、お強いからこそ危険な場所へお入りになりますので」
「ちょっと待って」
話がおかしい。
孫二娘が笑いながら続けた。
「敵が強けりゃ逃げる王妃なら楽なんだけどねェ。三娘は強い敵を見ると自分から行くだろォ?」
「武将なんだから行くでしょ!」
「今は王妃でもあるんだよォ?」
それを言われると弱い。
玉楼が候補たちを見る。
「先ほど、三娘様が沈蘭教頭を押している間、皆様の多くは足を止めました」
何人かが気まずそうに目を伏せた。
「王妃陛下が勝っておられるから、近衛は不要だと思われましたか?」
誰も答えない。
「ですが、敵が一人とは限りません。三娘様が一人へ集中なさっている間に、別の敵が民へ向かうこともございます。退路を断たれることも、負傷者が出ることもございます」
玉楼はそこで一度、沈蘭を見た。
「そして、三娘様がお勝ちになるとは限りません」
アタシは口を開きかけてやめた。
まあ、それはそうだ。
今までだって勝ち続けてきたわけじゃない。
怪我もした。
助けられたことだって何度もある。
沈蘭が槍を拾い上げた。
「私も、王妃陛下がお強いことは存じておりました」
候補たちへ向き直る。
「ですが、実際に刃を交えれば別でございます。槍の間合いを取り直す暇をいただけませんでした」
候補たちがざわめく。
沈蘭教頭が自分からそこまで言うとは思わなかったらしい。
「玉楼様には、槍そのものを止められました。王妃陛下には、槍を使わせていただけませんでした」
横を見る。
玉楼と目が合った。
なるほど。
玉楼は止める。
アタシは入る。
昔からそうだった気がする。
「二人並ぶと厄介だねェ」
孫二娘が言った。
「何でそこでまとめるのよ!」
「だってそうだろォ? 三娘が前へ入って、玉楼が逃げ道塞いだら、アタイなら戦わず帰るねェ」
「敵役が帰らないで!」
「賢い敵なら帰るよォ」
候補たちから笑いが漏れた。
張りつめていた空気が少しだけ緩む。
でも沈蘭は笑わなかった。
槍を持ち直し、周囲を見渡す。
「先ほど、王妃陛下へ私が向かった時、皆様は王妃陛下だけをご覧になりました」
候補たちの顔が引き締まる。
「それでは足りませぬ」
沈蘭が槍の石突きを地面へ置いた。
「教頭、まだやるの?」
「はい」
嫌な予感が戻ってきた。
「今ので十分じゃない?」
「王妃陛下のお強さを確認する訓練ではございませんので」
正論。
また正論だ。
孫二娘が楽しそうに笑っている。
「三娘ァ、今度こそ近衛の訓練らしいよォ」
「今までもそうだったでしょ!」
「三娘が一番戦ってたけどねェ」
言い返せない。
沈蘭が手を上げると、訓練場の端にいた女たちが動いた。
さっきまで避難役をしていた者たちまで、何かを取りに走っていく。
玉楼がそれを見ても止めない。
むしろ知っていた顔だ。
「玉楼」
「はい」
「何を仕込んだの?」
「私は何も」
「その言い方、沈蘭教頭が仕込んだってことじゃない!」
孫二娘が輿の上で身を乗り出した。
「増えるみたいだねェ」
「何が?」
訓練場の端から、槍や木刀を持った女たちが次々に出てきた。
一人。
二人。
三人どころじゃない。
候補たちの顔が引きつる。
アタシも日月双刀を握り直した。
沈蘭教頭がこちらを見た。
「次は、敵が一人とは限りませぬ」
玉楼でございます。
孫二娘殿が、槍を持った女たちを数えておられました。
「玉楼、ずいぶん増えたねェ?」
「敵が一人とは限りませんので」
「でも三娘、嬉しそうだよォ?」
見れば、三娘様は日月双刀を握り直しておられます。
「……あれ、守る側より先に敵へ行く顔だねェ」
「存じております」
「近衛、いる?」
「必要でございます」
「三娘、一人で沈蘭を倒したよォ?」
「それでも必要でございます」
孫二娘殿が首を傾げました。
「何で?」
私は三娘様を見ます。
「敵が増えれば、三娘様が喜んでさらに前へ出られますので」
孫二娘殿が黙りました。
やがて、深く頷かれます。
「……近衛、もっといるかもねェ」
三娘様が振り返りました。
「聞こえてるわよ!」
敵は、まだ一人も動いておりません。




