↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
184/210

王妃を追え

孫二娘が輿の上から、訓練場を見て笑っていた。

「三娘、今日は三百人に追いかけられるんだってねェ?」

「人聞き悪いわね。近衛の実地訓練よ」

「王妃が逃げて近衛が追うんだろォ?」

「逃げない! 旗まで進むだけ!」

「日月双刀持って?」

「邪魔されたら斬るでしょ」

「近衛の訓練だよねェ?」

「そうよ?」

孫二娘が黙った。

何よ、その顔。

「玉楼も大変だねェ……三百人育てる前に、王妃の扱いを教えなきゃならない」

「アタシを猛獣みたいに言わないで!」

「じゃあ三娘、今日はおとなしく守られるのかい?」

「もちろん!」

その時、玉楼が向こうから言った。

「いつも通り突っ込んでくださいませ」

孫二娘が吹き出した。

玉楼……

ねえ、話が違わない?

「いつも通り突っ込んでくださいませ」

玉楼がそんなことを言うから、本当にいつも通り突っ込んだ。

「え、ちょ、三娘ァ!?」

背後で孫二娘の声がしたけど、もう遅い。

日月双刀を握り、地面を蹴る。

訓練場の端に立つ旗まで一直線――

ではなかった。

木柵、荷車、桶、縄、盾。

嫌がらせみたいに、進路を塞いでいる。

「これ全部、玉楼が置いたの!?」

返事はない。

振り返っている暇もなかった。

後ろから、三百人分の足音が迫ってくる。

いや、怖いって!

戦場で騎兵に追われたことはある。

敵兵に囲まれたことだってある。

だけど三百人の女が、全員アタシだけを見て走ってくる光景は、なんというか圧が違う。

「王妃陛下、お待ちください!」

「待ったら訓練にならないでしょ!」

「そうですけど!」

言った本人まで困ってるじゃない!

最初の木柵が迫る。

腰ほどの高さだ。

回れば安全だけど、その分だけ足が止まる。

「よっ!」

片足を掛け、そのまま飛び越えた。

後ろで何人かが息を呑む。

続いて桶が転がってきた。

誰がやってるのよ、と横を見れば、訓練場の端に立つ沈蘭教頭が無表情で次の桶を蹴り出している。

「教頭まで何してるの!?」

「訓練でございます!」

「楽しんでない!?」

「まさか!」

絶対ちょっと楽しんでる。

一つを避け、二つ目を双刀の峰で横へ弾く。

三つ目を踏まずにかわしたところで、背後から木のぶつかる音がした。

続いて悲鳴。

反射的に足が止まる。

振り返ると、木柵を越えようとした候補の一人が脚を引っかけて倒れていた。

後続が詰まり、何人かが避けようとして左右へ散っている。

「大丈夫!?」

戻ろうとした瞬間、玉楼の声が飛んだ。

「三娘様、そのままお進みくださいませ!」

「でも転んだ!」

「近衛候補がおります」

そうだった。

アタシを守るための三百人だ。

こういう時までアタシが戻ったら、何のために人数がいるのか分からない。

……分かってる。

分かってるけど、見えたら気になるのよ!

足を止めた一瞬で、先頭の候補が追いついてきた。

「王妃陛下、お進みください!」

別の二人が倒れた女のところへ走り、肩を貸す。

それを見て、アタシも再び走り出す。

直後、後ろから孫二娘の声が飛んできた。

「三娘ァ! 今ので五人くらい全員そっち見たよォ!」

「見ちゃダメなの!?」

「三娘は見てもいいんだよォ! 近衛まで全員見るなって話だよォ!」

なるほど。

輿の上からよく見てるな、あの人……。

次は荷車だった。

道を半分塞ぐように横向きに置かれている。

脇には一人ずつなら通れそうな隙間がある。

今度こそ回る。

そう思った瞬間、荷車の向こうから女の声がした。

「助けてください!」

何!?

隙間から覗くと、候補の一人が荷車の脇へ座り込み、片脚に布を巻いている。

どう見ても負傷者役だ。

「玉楼ォ!」

「はい」

「これも!?」

「はい」

「最初に説明して!」

「説明いたしましたら、三娘様の動きを見る訓練になりませんので」

やっぱりアタシも試されてるじゃない!

旗は正面。

負傷者は右。

後ろには近衛候補。

ほんの一瞬だけ迷って、右へ切った。

だって見えちゃったんだから仕方ない。

「王妃陛下が右へ!」

後ろが一斉に右へ寄った。

そして、また詰まる。

「全員来ないで!」

叫んだところで、玉楼の声が飛ぶ。

「三娘様」

嫌な予感。

「近衛候補へ答えを教えないでくださいませ」

「今のどこが答えよ!」

「十分でございます」

「じゃあどうしろってのよ!」

「いつも通りでございます」

無茶言うな!

その時、人の波の中から周蓮が飛び出しかけた。

また一人で負傷者へ行く。

そう思ったけれど、周蓮は途中で足を止めた。

負傷者を見た。

それから、周囲を見る。

「許芳殿、梅英殿、こちらへ! お二人で負傷者を!」

呼ばれた二人がすぐに進路を変える。

「第三組は王妃陛下の前へ回ってください! 後ろはここへ集まらないで! 道を空けて!」

周蓮自身は負傷者へ向かわなかった。

両手を広げ、後続を左右へ分けていく。

人の流れが二つに割れた。

さっきまでなら、あの人は真っ先に倒れた相手へ駆け寄っていたはずだ。

玉楼を見る。

何も言わない。

でも、ほんの少しだけ頷いた。

見てる。

ちゃんと見てる。

「三娘ァ!」

孫二娘が叫んだ。

「前!」

「え?」

顔を戻したら、盾が飛んできた。

「うわっ!」

双刀を交差させて受ける。

訓練用だから軽いとはいえ、王妃に盾を投げるな!

投げた沈蘭教頭は、真面目な顔でもう一枚持っている。

「教頭ォ!」

「敵は王妃陛下がお考えになるまで待ってはくれませぬ!」

「正論で盾投げないで!」

二枚目が来た。

避ける。

三枚目は来なかった。

代わりに沈蘭が拍板を鳴らす。

すると荷車の向こうから、十人ほどの女が走り出してきた。

候補とは違う布を肩に掛けている。

「何あれ!?」

「避難する民の役でございます!」

今度は玉楼が答えた。

十人は見事なくらい好き勝手に逃げた。

旗へ向かう者。

逆方向へ走る者。

途中で立ち止まる者。

ひとりなんて荷車の陰へしゃがみ込んでいる。

最悪だ。

戦場なら、一番放っておけないやつ。

アタシは旗へ向かいながら叫んだ。

「そっち危ない! こっち来て!」

しゃがんだ女は動かない。

戻ろうとしたところで、近衛候補の一人が先に駆け寄った。

「立てますか!」

別の候補が周囲を確かめ、さらに二人へ声を掛ける。

「こちらへ通してください! 王妃陛下の進路と重ねないで!」

今度は全員がアタシについてこなかった。

十人ほどが避難役をまとめ、残りが前後左右へ広がっていく。

いつの間にか、アタシのすぐ後ろを走る人数はかなり減っていた。

なのに、さっきよりずっと走りやすい。

「……そういうこと?」

思わず口から出た。

守るって、囲むことじゃない。

アタシの周りを三百人で固めたら、アタシも動けないし、ほかの誰も助けられない。

前へ出る人。

後ろを見る人。

倒れた人を運ぶ人。

逃げ道を作る人。

みんなが別の場所にいるから、アタシは前へ行ける。

旗まで、あと半分。

ちょっと悔しいけど、玉楼が言ってたことが身体で分かってきた。

「いい感じじゃない!」

嬉しくなって速度を上げる。

すると後ろから悲鳴が上がった。

「速くなったァ!」

孫二娘だった。

「何でアンタが悲鳴上げるのよ!」

「近衛の気持ちを代弁したんだよォ!」

知らないわよ!

次は低い縄が張られている。

飛び越えようとした瞬間、左右から候補が声を上げた。

「王妃陛下、右へ!」

「左が空いております!」

どっちよ!

右を見る。

桶。

左を見る。

木柵。

前は縄。

「選択肢が全部イヤ!」

結局、縄を飛んだ。

着地した瞬間、孫二娘が笑う。

「やっぱり行ったねェ!」

「行けるんだから行くでしょ!」

玉楼の声まで聞こえた。

「そのための訓練でございます」

絶対、全部読まれてる。

でも候補たちは、もうさっきほど慌てなかった。

飛べる者はそのまま続く。

飛べない者は左右へ回る。

右へ回った者が桶をどけ、左へ回った者が木柵の脇を広げ、後から来る者の道を作っていく。

周蓮はもう先頭にはいなかった。

少し後ろで、遅れた者たちをまとめている。

目の前の一人だけを見るんじゃない。

誰かを助けるために、周りを動かしている。

「周蓮!」

呼ぶと、驚いた顔でこちらを見た。

「そのままお願い!」

「はい、王妃陛下!」

いいじゃない。

ちゃんと変わってる。

最後の荷車を回り込み、旗が目前に迫った。

ここまで来れば終わり。

そう思った瞬間、旗の根元に小さな人影が座り込んだ。

また負傷者役!?

しかも今度は子供くらいの背丈に見える。

「ちょっと!」

考える前に進路を変えた。

旗じゃない。

その人影へ向かう。

背後で候補たちの足音が乱れる。

けれど、今度は全員じゃなかった。

「王妃陛下の前へ三人!」

「旗側を空けて!」

「二人、あの方へ!」

声が重なる。

アタシが着くより先に、二人が人影を抱き起こした。

子供じゃなかった。

小柄な女官だった。

「立てます」

「なら下がって!」

候補たちは女官を安全な場所へ送り、旗までの道を開ける。

アタシはその間を走った。

誰も止めない。

誰も囲まない。

それでも左右と後ろには、ちゃんと人がいる。

旗へ手を伸ばした。

「取った!」

布を掴んで振り返る。

三百人全員が追いついているわけじゃない。

負傷者役のそばへ残っている人もいる。

避難役を端へ誘導している人もいる。

転んだ仲間へ肩を貸している人もいた。

それでいい。

むしろ、その方がいい。

沈蘭が拍板を鳴らした。

「訓練終了!」

歓声より先に、あちこちから長く息を吐く音がした。

「疲れた……」

思わず言ったら、近くの候補が何とも言えない顔をする。

「何?」

「王妃陛下が、一番お元気に見えます」

「そう?」

「はい……」

後ろから孫二娘の声がした。

「三百人が疲れて三娘が元気って、近衛増やした意味あるのかねェ……」

「あるわよ!」

輿がゆっくり近づいてくる。

孫二娘は座ったまま、訓練場全体を見回した。

「でも、最初よりいいねェ」

玉楼がその隣へ来る。

「さようでございますか?」

「最初は全員、三娘の背中しか見てなかったよォ。最後はちゃんと周り見てた」

玉楼が頷いた。

「はい」

「周蓮も、一人で飛び出さなかった」

「ご覧になっておられましたか?」

「走れないからねェ。見るくらいはするよォ」

そう言って、孫二娘は少し離れた場所を指した。

候補の一人が地面へ座り込んでいる。

怪我ではなさそうだけど、まだ息が整っていない。

その横で、別の女が背中をさすっていた。

「途中で怖くなって、動けなくなったみたいだよォ」

玉楼の視線がそちらへ向く。

「でも隣の子に『先に行って』って言って、自分は道を塞がないよう端へ寄った。何もできなかったわけじゃない」

玉楼はしばらくその女を見た。

「名を確認いたします」

「落とすのかい?」

「いいえ」

玉楼は首を横に振る。

「動けなくなることと、何もできないことは同じではございません」

孫二娘が笑った。

「やっぱり玉楼、そういうところ細かいねェ」

「近衛でございますので」

アタシは旗を持ったまま二人を見る。

前へ出るアタシ。

追いついて、形にする玉楼。

その外から、アタシたちが見落とした人を拾う孫二娘。

……確かに昔から、あんまり変わってないのかもしれない。

「じゃあ今日の訓練、成功?」

アタシが聞くと、玉楼は少し考えた。

「最初としては、よろしいかと」

「やった!」

「ですが」

出た。

玉楼の「ですが」は、大体ろくなことにならない。

「何?」

「本日は、三娘様お一人でございました」

「だけ?」

玉楼は訓練場へ目を向ける。

近衛候補たちは座り込んだり、水を飲んだりしながら、ようやく息を整え始めていた。

「実際には、三娘様がお一人で動かれるとは限りませんので」

孫二娘が輿の上で、妙に嬉しそうに身を乗り出した。

「まさか次はァ……」

玉楼が方天画戟を持ち直す。

そのまま訓練場の中央へ歩き始めた。

「ちょっと待って」

嫌な予感しかしない。

候補たちも気づいたらしい。

さっきまで浮かんでいた達成感が、きれいに消えていく。

玉楼は足を止め、こちらを振り返った。

「次は、私も参ります」

玉楼でございます。

孫二娘殿が、息を切らす近衛候補を眺めておられました。

「玉楼、三百人でも三娘についてくの大変なんだねェ?」

「三娘様でございますので」

「その説明、便利だねェ……」

事実でございます。

「でも最後は、ちゃんと周りも見てたよォ?」

「はい、追いつくことだけが近衛の役目ではございません」

孫二娘殿が頷き、私の方天画戟を見ました。

「で、次は玉楼も走るんだろォ?」

「はい」

「三娘と玉楼を三百人で追う?」

「左様でございます」

しばらく沈黙されました。

「……人数、足りるかねェ?」

三娘様が遠くから叫びます。

「ちょっと! 何でアタシたちが増援前提なのよ!」

次の訓練は、まだ始まっておりませんのに……

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。