守るということ
孫二娘が、輿の上から妙に楽しそうに笑っていた。
「三娘、近衛候補に面白い子がいるんだってねェ……」
「王命に逆らうって言った子でしょ?」
「三娘を守るためなら李俊にも逆らうんだろォ? いい子じゃないか」
「王の命令に逆らう近衛を即採用しないで!」
孫二娘は首を傾げた。
「でも三娘って、守れって言われても日月双刀持って前に出るよねェ……」
「戦えるんだから当然でしょ!」
「それ、近衛からしたら最悪の護衛対象じゃないかい?」
失礼な。
「玉楼なら分かってくれるわよ」
「玉楼が一番分かってるから、三百人も集めてるんじゃないかねェ……」
言い返そうとして、やめた。
孫二娘は満足そうに頷いた。
「今日は近衛の試験じゃなくて、三娘の取扱説明会になりそうだねェ……」
「誰が危険物よ!」
「王命にも逆らうと申しております」
玉楼の言葉を聞いて、アタシは李俊を見た。
李俊もアタシを見ていた。
何、この空気……
王妃を守るためなら王の命令にも逆らう近衛候補が現れました――
なんて、普通なら王様の前で報告する内容じゃない気がする。
しかも本人がいる。
「怒ってる?」
「何にだ?」
「アンタの命令に逆らうって」
李俊は少し考えた。
「理由を聞く」
「そこからなの?」
「一人ずつ見るんだろ」
まだ続くの、それ。
司法祭りは終わったと思ったのに、今度は近衛採用試験にまで同じ制度が持ち込まれた。
輿の上では、孫二娘が妙に嬉しそうな顔をしている。
「いいねェ……その子、見込みがあるよォ」
「何の見込みよ!」
「偉い男の言うことを聞かない見込み」
「近衛として最悪でしょうが!」
玉楼はまったく笑わず、沈蘭へ目を向けた。
「お呼びしてくださいませ」
「承知いたしました」
沈蘭はもう教導の補佐ではない。
三百人の近衛候補を鍛える教頭として正式に採用されている。
昨日まで過去を見て死のうとしていた人が、今日は三百人へ「死ぬな」と教える側にいるんだから、人生って分からない。
しばらくして、一人の女が連れてこられた。
見覚えがある。
「周蓮?」
「はい、王妃陛下」
三百人を受け入れた最初の日、「守られるだけで終わりたくない」と言った女だった。
訓練中、隣の女が転んだ時に列を飛び出して助けたのも周蓮だ。
なるほど、命令より目の前の人。
最初から一貫してるじゃない。
玉楼が周蓮へ尋ねる。
「先ほどのお言葉を、王陛下と王妃陛下の御前でもう一度お願いいたします」
周蓮は緊張した顔で李俊を見た。
それでも逃げなかった。
「王妃陛下をお守りする必要があると私が判断したなら、王陛下より退けとのご命令をいただいても、従わぬ場合がございます」
すごい。
本人の前でも言った。
孫二娘が小さく拍手しようとして、玉楼に見られてやめた。
李俊は怒らなかった。
「俺が命じてもか?」
「はい」
「なぜだ」
周蓮は答えに詰まらなかった。
「王陛下のお命を守ることと、王妃陛下のお命を守ることが、同時にできぬ場合もあると思ったからでございます」
「例えば?」
「王陛下が敵に捕らわれておられた時、王妃陛下を連れて来いと命じられたなら、そのお言葉へ従ってはならぬかと」
部屋が静かになった。
李俊の目が少し変わる。
玉楼も周蓮を見ている。
アタシだけが遅れて理解した。
「ああ……人質にされてる李俊が、アタシを連れて来いって言っても従わないってこと?」
「さようでございます」
「それならアンタに逆らっていいんじゃない?」
「お前が決めるな」
「じゃあどうするのよ!」
李俊は周蓮へもう一つ尋ねた。
「俺が捕らわれていない時なら?」
周蓮が少し迷った。
「その時は……」
「王の命令だから従う?」
「はい、ただし王妃陛下の危険が明らかであれば――」
「そこです」
玉楼が口を挟んだ。
周蓮がそちらを見る。
「ご自身が正しいと思えば、どの命にも逆らってよいわけではございません」
「はい」
「では、三娘様ご本人が退けと命じた場合は?」
周蓮が止まった。
アタシも止まった。
孫二娘だけが楽しそうだった。
「面白くなってきたねェ……」
「アンタは静かにして!」
玉楼は続ける。
「敵が迫っております。三娘様は日月双刀をお持ちになり、ご自身で前へ出られる。あなたへは負傷者を連れて退けと命じられました。それでも三娘様のおそばへ残りますか?」
「……お守りするためには、残るべきかと」
「では負傷者は?」
周蓮の顔が固まった。
「ほかの者が……」
「ほかの者も同じことを考えたら?」
答えが消えた。
玉楼は責めるような口調ではなかった。
それが逆に怖い。
「近衛が守るのは、ご自身が守りたいと思った王妃陛下ではございません」
玉楼の目が、今度はアタシへ向いた。
「三娘様ご自身でございます」
「ん?」
なんでこっちを見るの?
「三娘様には、ご自身で戦う力がおありです。退路を開く力も、敵将を討つ力もございます。その方が『ここは私に任せて負傷者を運べ』と命じられた時、近衛全員が三娘様の周りを囲めば、誰が負傷者を救うのでございますか?」
周蓮は唇を結んだ。
「近衛は三娘様から離れない兵ではございません。三娘様が守ろうとなさるものを、ともに守る兵でございます」
その言葉は、妙に胸へ残った。
アタシを守る。
それだけじゃない。
アタシが守ろうとしている人間まで守る。
それなら、確かに三百人も必要になる。
「でもさァ」
孫二娘が手を上げた。
玉楼が見る。
「何でございます?」
「三娘、命令する前に突っ込まないかい?」
やめて……
全員こっちを見るな。
「突っ込まないわよ!」
玉楼が黙っている。
沈蘭も黙っている。
李俊まで黙っている。
「何よ!」
孫二娘が首を傾げた。
「アタイ、何か間違ったかねェ?」
「全部!」
「では、敵将を見つけた時の三娘様は?」
玉楼が尋ねた。
「玉楼まで参加しないで!」
「お答えくださいませ」
「……行くかもしれないけど」
「日月双刀を抜いて?」
「戦場なら抜くでしょ!」
「護衛へ告げてから?」
言葉に詰まった。
玉楼は小さく頷いた。
「やはり」
「何、その確認!」
孫二娘が腹を押さえて笑い始めた。
「近衛の問題じゃなかったねェ……護衛対象の問題だったよォ……!」
「笑うな!」
李俊まで口元を押さえている。
「アンタも笑ったでしょ!」
「笑ってない」
「絶対笑った!」
周蓮が困った顔をしている。
話が完全に脱線した。
でも玉楼だけは本気だった。
「周蓮殿」
「はい」
「王命へ逆らう覚悟は、時として必要でしょう。しかし、逆らうことそのものを勇気とお考えになってはなりません」
「はい」
「命令が偽物ではないか。王陛下や王妃陛下が脅されていないか?命へ従うことで、かえってお二人を危険へ晒さないか?それを見極める必要がございます」
「私に、できますでしょうか?」
「今はできないでしょう」
容赦ない。
周蓮の顔が引きつった。
玉楼は続けた。
「ですから学ぶのでございます」
沈蘭が、そこで一歩前へ出た。
「私が教えます」
周蓮が振り返る。
「教頭殿が?」
「私も、守るということを間違えました。王とともに死ぬことが近衛の務めだと思っていた時期がございます」
沈蘭はまっすぐ周蓮を見る。
「今は違います。近衛は、王を逃がし、民を導き、仲間を連れて戻る者。そのためには、命を聞くだけでも、逆らうだけでも足りませぬ」
玉楼が頷いた。
「その通りでございます」
教頭、もう完全に教頭だった。
数日前まで玉楼に槍を取り上げられていた人とは思えない。
李俊が周蓮へ尋ねる。
「それでも近衛になるか?」
「なります」
即答だった。
「王命へ逆らうためではございません。王陛下と王妃陛下が、生きて戻られるために」
李俊はアタシを見る。
「どうする?」
「アタシ?」
「お前の近衛だ」
そうだった。
最終承認はアタシだった。
でも、日々の訓練も配置も人選も玉楼が見る。
それを決めたのもアタシだ。
だから玉楼を見る。
「どう?」
「残します」
「合格?」
「まだ候補でございます」
厳しい。
孫二娘が口を挟む。
「王命に逆らうって言ったのに加点なし?」
「ございません」
「減点は?」
「ございません」
「つまらないねェ……」
「採用試験を娯楽にしないでくださいませ」
その日の午後、玉楼と沈蘭は三百人を十人ずつに分け直した。
これまで見てきた体力や足の速さだけではなく、負傷者を運べる者、周囲をよく見て声を出せる者、火や煙の中でも慌てない者を散らして組ませる。
周蓮もその一つへ入った。
誰か一人を正式な近衛にする段階ではまだない。
けれど、ただ集まった三百人ではなくなり始めていた。
アタシはその様子を眺めながら、ちょっと感動していた。
ようやく近衛軍らしくなってきたじゃない。
「三娘様」
玉楼に呼ばれた。
「何?」
「こちらへお願いいたします」
訓練場の中央へ出る。
三百人がこっちを見た。
嫌な予感がする。
沈蘭が一本の線を地面へ引いている。
孫二娘は輿の上から見物する気満々だった。
李俊まで来ている。
「何するの?」
玉楼がアタシの腰を見る。
「日月双刀はお持ちでございますね?」
「あるけど」
「では、お抜きくださいませ」
「何で?」
「実地訓練でございます」
近衛候補から緊張が走った。
アタシまで訓練するの?
「この方々には、実際に三娘様が戦場でどのように動かれるかを知っていただきます」
「模擬戦?」
「いえ」
玉楼はいつもの丁寧な顔で答えた。
「三娘様には、あちらの旗まで向かっていただきます」
訓練場の端に旗が立てられた。
かなり遠い。
途中には木柵、荷車、桶、縄、盾まで置かれている。
「近衛候補は?」
「三娘様を追います」
「アタシ一人を三百人で!?」
孫二娘が輿の上で拳を握った。
「逃げろ三娘ァ!」
「誰が逃走犯よ!」
玉楼が方天画戟を肩へ担いだ。
その隣へ沈蘭教頭が立つ。
三百人が構えた。
アタシは日月双刀を抜いた。
……ちょっと楽しくなってきた。
「玉楼」
「はい」
「本気で走っていいの?」
玉楼は微笑んだ。
「いつも通り突っ込んでくださいませ」
孫二娘殿が、訓練場の端に立つ旗を眺めておられました。
「玉楼、本当に三娘を三百人で追わせるのかい?」
「はい」
「捕まると思う?」
「難しいでしょう」
「即答だねェ……」
三娘様は日月双刀を抜いた時点で、すでに楽しそうでございました。
「あれ、護衛される気ないよォ……」
「存じております」
「玉楼、苦労してたんだねェ……」
「長うございますので」
孫二娘殿はしばらく考えました。
「でも三娘が前へ突っ込んで、玉楼が追いついて、アタイが戻る場所を作るなら――」
こちらを見て笑います。
「昔から、あんまり変わってないねェ」
「さようでございますね」
「じゃあ三百人も、そのうち慣れるかねェ?」
私は訓練場を見ました。
「まずは三娘様に追いついていただきます」
孫二娘殿は黙りました。
難題だと、ご理解いただけたようでございます。




