ともに生き残った
孫二娘が、寝台からこちらを見ていた。
「三娘、一人ずつ調べるんだよねェ……?」
「そうよ」
「共濤の兵だけじゃなく?」
「関係した人はね」
孫二娘の顔が曇った。
「そのうちアタイも呼ばれないかねェ……」
「何したのよ!」
「覚えが多すぎて、どれだか分からないよォ……」
怖いことを言うな。
「今回は王宮の中にいる人を調べるの」
「じゃあアタイは安全だねェ……ずっと寝台にいるから」
「そこを誇るな!」
孫二娘は安心したように布団を直した。
「でも王太后殿下まで調べることになったら、大変だねェ……」
「何でそんな話になるのよ?」
「最近の本編、偉い人から順番に仕事が増えてるからさァ……」
嫌な予言をする。
「次は三娘じゃないかねェ?」
「やめて!」
王妃になってから、順番待ちだけはしたくなかった。
「その者は、今もこの王宮におります」
王太后の言葉を聞いた瞬間、アタシは反射的に扉の向こうを見た。
今もいる――
つまり、過去の裏切り者を探していたはずなのに、話がいきなり現在進行形になったということだ。
王妃になってまだ数日なのに、どうして毎日のように王宮の中から問題が生えてくるのよ。
「名前は?」
李俊が尋ねた。
王太后は机に置かれた名簿へ視線を落とす。
「鄭安と申します。先王の御代より、内廷で文書と印札を扱っておりました」
印札――
嫌な単語が出た。
童威と玉楼が見つけた記録では、共濤の兵を乗せた四艘の舟が北水門へ向かい、その前に王宮側から三つの灯りが出ている。
しかも、徐成のもとへ届いた命令には先王の印が押されていた。
全部つながる。
「今は何をしているの?」
「私の居所に近い倉と、内廷の帳面を預からせております」
「近っ!」
思わず声が出た。
裏切り者候補、王太后殿下のすぐ近くで普通に働いてたの!?
アタシが立ち上がろうとした時、玉楼はもう動いていた。
「王宮の門を閉じてくださいませ。ただし、騒ぎにはなさらぬように。鄭安殿へ知らせる必要もございません」
近衛兵が頭を下げる。
「水路側は?」
童威が聞いた。
「お願いいたします」
「ああ」
それだけで童威は部屋を出た。
早い――
アタシが「捕まえに行く?」と考えている間に、陸路の出口は玉楼、水路の出口は童威が押さえることになった。
トップ同士が組むと、王妃に確認する工程まで省略されるらしい。
「玉楼」
「はい」
「一応、アタシ王妃なんだけど?」
「存じております」
「じゃあ何で何も聞かないの?」
「お止めになりますか?」
止める理由がなかった。
「……行ってらっしゃい」
「はい」
負けた気がする。
けれど玉楼自身は鄭安のもとへ向かわなかった。
近衛兵を二人だけ呼び、鄭安へ「王太后殿下がお呼びです」と伝えるよう命じる。
「捕縛しないの?」
「逃がしはいたしません」
「じゃあ、どうして?」
玉楼は廊下へ配置した兵を確認してから答えた。
「まだ罪が定まっておりません。本人が逃げようとするかどうかも、見ておきとうございます」
なるほど――
剣を抜いて囲むより、何も知らない顔で呼んだ方が、その人間がどう動くか分かる。
強い人って、何でも殴って解決する人のことじゃなかったらしい。
玉楼、最近ますます怖くなってない?
しばらくして、鄭安が来た。
五十を少し過ぎたくらいの男だった。
派手な衣服でもないし、見るからに悪人という顔でもない。
帳面を抱えて王宮を歩いていたら、そのまま背景に溶け込みそうな人物だった。
だから余計に嫌だった。
鄭安は部屋へ入ると、李俊、アタシ、王太后の順に礼をした。
そして机の上に広げられた二枚の地図を見た。
顔が変わった。
ほんの一瞬だった。
でも玉楼は見逃さなかった。
「ご存じの場所でございますね?」
鄭安は黙っている。
童威も戻ってきた。
「水路は押さえた」
「ありがとうございます」
また二人だけで話が終わった。
アタシは鄭安の前へ出る。
「聞きたいことがあるの。共濤が王宮を奪った夜、北水門の近くにいた?」
鄭安は答えない。
「三つの灯りを知ってる?」
その肩がわずかに沈んだ。
李俊が言う。
「黙っても記録は消えん」
鄭安は長く息を吐いた。
「私が、灯しました」
あっさり認めた。
こういう時って、もっと「何のことでございましょう?」とか粘らないの?
王宮の人たち、観念すると早すぎる。
沈蘭が一歩前へ出た。
玉楼が横目を向ける。
それだけで沈蘭は止まった。
昨日は槍を片手で押さえ込まれたからね。
学習が早い。
「なぜでございますか?」
沈蘭の声が震えていた。
「あなたが灯りを出したために、水門が開いたのです。共濤の兵が入り、近衛が斬られ、陛下は……」
「存じております」
「存じていて!」
「沈蘭殿」
玉楼が名前を呼ぶ。
沈蘭は歯を食いしばりながらも、それ以上は進まなかった。
アタシは鄭安を見る。
「命令されたの?」
「はい」
「共濤に?」
「共濤の者からでございます」
「断れなかった?」
鄭安の視線が王太后へ向いた。
それだけで答えが分かった。
王太后は静かに目を閉じる。
鄭安が続けた。
「王太后殿下は、あの夜より前にすでに監視されておりました。三つの灯りを出さなければ、殿下を殺すと告げられました」
誰も口を挟まなかった。
「それで、王より母親を選んだの?」
アタシが聞くと、鄭安は首を横へ振った。
「選べるなどと思ってはおりませんでした。陛下には近衛がおりました。王太后殿下のおそばには、わずかな女官しか残されておりませんでした」
「だから助けられる方を助けた?」
「そう思い込みました」
その言い方が引っかかった。
「思い込みました?」
「結果として、私は陛下を死なせる道を開きました」
鄭安は床へ額をつけた。
「言い訳はございません」
またこれだ。
誰も「自分は悪くない」と言わない。
なのに、だからといって全部同じ罪にもできない。
徐成は偽の命令を信じて門を開いた。
鄭安は脅されて灯りを出した。
その二人の行動が繋がって、共濤の兵が王宮へ入った。
じゃあ、どこからが罪なの?
何割?
王宮の裁判、割合で出せないの?
前世なら責任分担表を作りたくなるところだけれど、王様が殺された案件に「鄭安三割、徐成二割」とか書いたら絶対怒られる。
童威が机の帳面をめくった。
「一つ合わん」
鄭安が顔を上げる。
「何が?」
アタシが聞く。
「舟が動いた時刻だ」
童威は水軍側の記録を指す。
「三つの灯りが見えたあと、舟はすぐには入っていない。半刻ほど待っている」
玉楼が王宮側の帳面を見る。
「鄭安殿が灯りを出した時刻と、徐成殿へ命が届いた時刻にも間がございます」
二人がまた地図の上で話し始める。
今回は置いていかれないように、アタシも最初から覗き込んだ。
「何で待ったの?」
童威が鄭安を見る。
「合図が足りなかったからか?」
鄭安は驚いたように童威を見た。
やがて、小さく頷いた。
「本来であれば、灯りを三つ並べたあと、中央の一つを二度隠します。それが、門を開けてよいという最終の合図でございました」
「やらなかった?」
「はい」
沈蘭が息を呑む。
鄭安は床を見たまま続けた。
「三つは灯しました。しかし最後の合図だけは、どうしてもできませんでした」
「だから共濤側が迷った」
童威が言う。
「だが、偽の命令を徐成へ送って開けさせた」
玉楼が続ける。
「完全には従わなかったことで時間は稼げた。しかし、侵入そのものは止められなかったということでございますね」
鄭安は頷いた。
やったことが消えたわけじゃない。
でも、やらなかったこともあった。
本当に面倒くさい。
「そのあと、この人はどうしたの?」
アタシが王太后へ尋ねた。
王太后は鄭安を見た。
「共濤が王宮を押さえたのち、この者は私のもとへ参りました」
「逃げなかったんですか?」
「はい、そして自ら申しました。自分が灯りを出したのだと」
沈蘭が王太后を見る。
「では、殿下はご存じだったのですか?」
「存じておりました」
部屋の空気が変わった。
アタシも思わず王太后を見る。
「知ってて、そばに置いてたんですか?」
「はい」
「どうして?」
王太后は少しだけ考えてから答えた。
「赦したのではございません」
鄭安の肩が揺れる。
「ともに生き残ったのでございます」
王太后は、共濤に支配された王宮で鄭安を使った。
薬を運ばせ、閉じ込められた女官たちの様子を調べさせ、やがて卜青たちへ密かに情報を渡す役まで任せたらしい。
「殺してしまえば、それで終わりました。しかし、生きている者には、まだできることがございました」
玉楼が静かに頷いた。
昨日、沈蘭に言ったことと同じだった。
死ぬ場所を探すのではなく、生きて働け。
それを王太后は、もっと前からやっていた。
李俊が鄭安へ尋ねる。
「お前は、自分をどうしてほしい?」
「裁いていただきとうございます」
「死にたいのか?」
「それを私が決めてはならぬと思っております」
李俊は少し黙った。
「なら勝手に死ぬな。調べが終わるまで働け」
鄭安が顔を上げる。
「王よ?」
「お前が扱った印札、共濤が使った偽命令、全部洗え。どれが本物で、どれが偽物だったか、お前が一番分かる」
アタシは李俊を見る。
「また仕事させるの?」
「使える奴を寝かせてどうする」
どこかの鎮西将軍には聞かせられない台詞だった。
いや、あっちは寝かせないと駄目だけど……
王太后が立ち上がった。
「李俊王」
「何だ?」
「では、もう一人、お調べいただきたい者がございます」
また!?
アタシの顔を見た玉楼が、ほんの少しだけ目を伏せた。
笑ったでしょ、今……
「誰ですか?」
王太后はまっすぐ李俊を見た。
「私でございます」
今度こそ、誰も声を出さなかった。
「鄭安が灯りを出したことを私は知りながら、共濤が倒れるまで口外させませんでした。生かし、使い、卜青たちとの連絡にも加えました」
王太后は静かに手を重ねる。
「この国が、一人ずつ何をしたのかを見るのであれば――」
その視線が、アタシへ向いた。
「王太后だけを、その外へ置いてはなりません」
孫二娘殿は、私が戻るなり眉を寄せました。
「玉楼……王太后殿下まで調べることになったのかい?」
「ご本人がお申し出になりました」
「偉い人ほど自分から仕事を増やす国だねェ……」
「良いことではございませんか?」
「アタイには真似できないよォ……」
即答でございました。
「鄭安は?」
「調べが終わるまで働いていただきます」
「罪があるかもしれないのに?」
「だからこそ、働きながら調べます」
孫二娘殿はしばらく考えました。
「この国、死ぬより働かされる方が怖くないかねェ……?」
「李俊王の方針でございます」
「三娘も逃げられないわけだよォ……」
否定はいたしませんでした。
孫二娘殿が布団を肩まで上げます。
「で、次は誰を調べるんだい?」
「王太后殿下でございます」
「……その次は?」
私は少し考えました。
「三娘様でしょうか?」
布団の中から、大きな笑い声が聞こえました。




