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内側にいた者

孫二娘が、アタシを呼び止めた。

「三娘、聞きたいことがあるんだけどねェ……」

「何?」

「次、童威と玉楼が一緒に仕事するんだって?」

「水軍と近衛の話でしょ?」

孫二娘の目が細くなった。

「トップ会談ってやつかい……」

「そうなるのかな?」

「鎮西将軍には招集が来てないよォ……」

「アンタ産後でしょうが!」

「しかも玉楼、片手で槍まで止めるんだろォ?」

「まだ始まってないのに何で知ってるの!?」

孫二娘は腕を組んだ。

「アタイが休んでる間に、玉楼だけ武力も役職も恋愛も進んでないかねェ……」

「最後のは進んでない!」

「童威は?」

「知らない!」

孫二娘は満足そうに頷いた。

「じゃあ確認してくるよォ……」

「寝てなさい!」

鎮西将軍は、他人のトップ会談にだけ異様な行動力を見せた。

「馬賽真陛下が殺された、その場でございます」

沈蘭の言葉が落ちた瞬間、王宮の庭から人の気配まで消えたように感じた。

徐成は逃げなかった。

縄を打たれた両手を膝の上へ置き、沈蘭を見返している。

その顔には驚きも怒りもない。

むしろ、いつかこの日が来ると分かっていた人間の顔だった。

最悪……

こういう顔をする人、だいたい話が簡単に終わらない。

李俊が口を開く。

「見た、だけか?」

沈蘭の肩が動いた。

「陛下がお倒れになった時、この男は剣を抜いておりました」

門の外で息を呑む音が重なった。

アタシも徐成を見る。

「誰に向けて?」

「……分かりません」

沈蘭が悔しそうに答えた。

「私はあの夜、陛下をお逃がしすることしか考えておりませんでした。共濤の兵が押し寄せ、廊下には味方も敵も入り乱れておりました。この男が剣を抜いていたこと、陛下がお倒れになった場所にいたこと、それだけは覚えております」

「なら、それだけで決めない」

李俊の返事は早かった。

沈蘭が顔を上げる。

「王よ」

「お前が昨日教わったことだろ」

視線が玉楼へ移った。

玉楼は何も言わない。

言わないけれど、沈蘭の背筋が勝手に伸びた。

教導の補佐、もう完全に教導される側じゃない?

「徐成」

李俊が呼ぶ。

「お前は何をしていた」

徐成はしばらく黙っていたが、やがて頭を下げた。

「門を、開けました」

空気が変わった。

「どの門?」

アタシが聞く。

「王宮北側の水門にございます」

沈蘭が立ち上がった。

「そこから共濤の兵を入れたのですか!」

徐成は否定しなかった。

「三十人ほどを」

沈蘭の手が槍へ伸びる。

速かった。

でも、玉楼の方が速い。

沈蘭が踏み込むより先に方天画戟の石突が床を滑り、槍の柄を下から跳ね上げた。

沈蘭の両手が浮いた次の瞬間には、玉楼が一歩入り、戟の柄で槍を地面へ押さえ込んでいる。

片手だった。

「沈蘭殿」

声までいつも通りだった。

「教導の補佐が、私の許しなく王の前で槍を振るうのはおやめくださいませ」

「しかし、この者は!」

「ですから、何をしたのか調べております」

沈蘭が槍を引こうとする。

動かない。

もう一度引いた。

やっぱり動かない。

玉楼、片手なんだけど。

「……承知、いたしました」

沈蘭が手を離すと、玉楼は何事もなかったように方天画戟を戻した。

徐成の方が青くなっていた。

たぶん今ので、自分が裁かれるより先に玉楼へ逆らわない方がいいと学んだ。

「続けてくださいませ」

玉楼が言う。

徐成は素直に頷いた。

「水門を開けよとの命が届きました。先王陛下の印が押された札もございました。北の水路から兵を入れ、王宮内の守りを厚くせよと」

「本物だったの?」

「分かりません。当時の私は、本物だと思いました」

「思った、で三十人入れたの?」

徐成が唇を噛む。

「兵の鎧が揃っておりませんでした。見慣れぬ顔も多かった。疑うべきでございました」

つまり、気づく材料はあった。

でも開けた。

「そのあと?」

「内へ入った兵が近衛を斬りました。そこでようやく、私は騙されたと……」

「水門を閉めなかったの?」

「閉めようとしました。しかし、すでに内側を押さえられておりました」

沈蘭が睨んでいる。

「それから陛下のもとへ?」

「はい、せめてお逃がししようと」

「間に合わなかった」

徐成は目を伏せた。

「はい」

ここまで聞いても、まだ分からない。

門を開けた責任はある。

騙されたでは済まないかもしれない。

でも、共濤と一緒に王を殺したとは限らない。

こういう時、前世の会社なら始末書で済んだのかな?

いや、王宮襲撃の入口を開けた始末書って何ページ必要なのよ。

その時、庭の入口から声がした。

「北の水門なら、記録がある」

童威だった。

脇に巻いた図面と、濡れ跡の残る帳面を抱えている。

「童威?」

「港の倉から出た。共濤の軍船にあった記録だ」

李俊が顎で机を示した。

「見せろ」

童威は机へ帳面を広げたが、文字の並んだ紙より先に玉楼が図面を引き寄せた。

「北の水路は、こちらでございますね」

「そうだ。だが潮が引けば、この辺りは浅い」

童威の指が水路の途中で止まる。

玉楼は王宮側の古い配置図を重ねた。

「では、大きな軍船では入れません」

「舟なら入る」

「何艘ほどでございますか?」

「三十人なら四艘。荷を捨てれば三艘」

「水門前へ同時に着けるのは?」

「二艘」

「では、先頭を止めれば後続も詰まりますね」

「水の上ならな」

「陸へ上がられる前であれば、でございます」

二人の指が同じ場所で止まった。

何、この会話。

早いうえに説明がなく、しかも二人だけで完全に話が通じている。

「ちょっと待って。アタシにも分かるように言って」

童威が顔を上げた。

「水から入った兵は、一度に三十人全部は上がれない」

玉楼が続ける。

「水門を開けただけでは、王宮を制圧できないということでございます。内側に、兵を導く者が必要です」

分かりやすい。

最初からそう言って。

童威は帳面の一行を指した。

「ここだ。二更、北水路へ小舟四。合図を待つ、とある」

「合図?」

「灯り三つ」

沈蘭の顔がまた変わった。

「三つの灯りは、夜間に御用の舟を入れる時の合図でございます」

玉楼が聞く。

「誰が知っていたのでございますか?」

「水門の守りと、内廷の物資を扱う者……それに、近衛の一部でございます」

童威が徐成を見る。

「お前が出したのか?」

「違います」

返事は初めて強かった。

「私は灯りを見てから門を開けました。だから命が本物だと信じたのです」

「どこから見えた?」

「水門上の小楼から。王宮側の回廊に三つ、並んでおりました」

玉楼は配置図へ目を落としたまま、童威に尋ねた。

「その位置から、水路の舟にも見えますか?」

「見える」

「外から勝手に置けますか?」

「無理だ。壁の内側だ」

二人が同時に黙った。

これが水軍と近衛のトップ会談というものらしい。

華やかさは一切ない。

地図を二枚重ねて、誰がどこから灯りを見たかで国の裏切り者を探している。

「近衛は、今何人動かせる?」

童威が聞く。

「候補者は三百名おりますが、兵として数える段階ではございません。現役で即応できる者は、王宮内外を合わせて百に届きません」

「水軍は港から抜けん。共濤の残党が舟で逃げる」

「お貸しいただけませんか?」

「無理だ」

「私もお貸しできません」

「言うと思った」

二人とも一歩も譲らない。

トップ会談、人員交換ゼロで終わった。

ところが玉楼はすぐに地図を指した。

「兵ではなく、記録をお貸しくださいませ。水軍で押収した舟の出入り、捕らえた舟子の証言、北水路を使った者の名をすべて」

童威が頷く。

「代わりに、王宮の出入りを寄越せ」

「もちろんでございます」

交換した。

人じゃなくて情報を。

ちゃんと会談だった。

李俊が二人を見た。

「明日までに合わせろ」

「今夜やります」

玉楼が即答した。

「おい」

アタシが止める。

「三百人の方も見てるでしょ。寝なさいよ」

「王妃陛下も祭祀のあとから捕虜を見ておられます」

「アタシは王妃だから!」

「私は近衛を預かっておりますので」

言い返せない。

童威が玉楼を見る。

「半分持つ」

「水路側をお願いできますか?」

「ああ」

「では私は王宮側を」

「朝までには繋がる」

会話が早すぎる。

しかも自然に仕事を半分持っていった。

孫二娘がいたら、たぶんここで何か言う。

いや、今は寝かせておこう。

出てきた瞬間に仕事を振られる。

日が落ちる前、徐成はいったん牢へ戻された。

罪が決まったからではない。

まだ決められないからだ。

沈蘭も納得してはいなかったけれど、玉楼の前では槍へ触れなかった。

その夜、王宮の一室に水軍の帳面と近衛の記録が積まれた。

童威は舟の出入りを追い、玉楼は当時の当直と内廷の役人を洗う。

アタシも手伝おうとした。

「王妃陛下はお休みくださいませ」

「何で!」

「明朝、王とともに捕虜の件をご覧になるのでございましょう?」

「玉楼だって寝てないじゃない!」

「私は三娘様より丈夫でございます」

「言ったわね!?」

童威が帳面から顔も上げずに言った。

「事実だ」

「童威まで!」

玉楼は少しだけ口元を緩めた。

腹立つ。

水軍と近衛のトップが組むと、王妃の立場が弱い。

夜半を過ぎた頃、童威が一本の線を帳面へ引いた。

「見つけた」

玉楼がすぐ隣へ寄る。

四艘の舟に三十人が乗り、灯り三つを合図として北水門へ向かった記録が残っていた。

そして、舟が着く少し前に、王宮側から水門へ向かった者が一人いた。

玉楼が別の名簿を開く。

「この方は、水門の担当ではございません」

「だが、合図を知っていた」

「ええ、しかも先王陛下の印へ触れられる立場でございます」

背中が冷たくなった。

「誰?」

玉楼は名を指した。

その瞬間、部屋の入口で杖の音がした。

王太后だった。

紙の上の名を見た途端、その顔から表情が消える。

「王太后殿下?」

長い沈黙のあと、王太后は言った。

「その者なら、存じております」

李俊が立ち上がる。

「どこにいる」

王太后は王宮の奥へ目を向けた。

「その者は、今もこの王宮におります」

孫二娘殿は、私が戻るなり目を細めました。

「玉楼、今日はずいぶん楽しそうだねェ……」

「さようでございますか?」

「童威と二人で地図を並べて、夜中まで一緒に調べ物したんだろォ……?」

「水軍と近衛の仕事でございます」

「アタイが寝てる間に、そっちは仲良くトップ会談かい……」

「孫二娘殿も鎮西将軍でございますが」

「その将軍、今日も布団にいたよォ……」

またそこへ戻りました。

「しかも玉楼、沈蘭の槍を片手で止めたんだって?」

「はい」

「童威、よくこんな女に近づけるねェ……」

「何か問題が?」

「問題に気づいてないところが一番怖いよォ……」

孫二娘殿は布団へ潜りながら尋ねました。

「で、裏切り者は?」

「今も王宮にいるそうでございます」

布団から顔だけ出ました。

「……アタイ、明日も寝てた方がいいかねェ?」

私も少し迷いました。

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