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王妃の言葉

孫二娘が、寝台の上で天井を見ていた。

「どうしたの?」

「また出番がないんだよォ……」

「産後なんだから休んでなさい!」

「扈三娘は祭文を読んで、李俊は王らしいことをして王太后殿下も出るんだろォ……?」

「そうね」

「玉楼まで最後に出るって聞いたよォ……」

情報が早い。

「アタイだけ、二話続けて布団だよォ……鎮西将軍じゃなくて、鎮床将軍になりそうだねェ……」

「そんな将軍いないから!」

孫二娘はため息をつき、例の赤い旗を抱えた。

「せめて祭壇の隅に、これだけ置けないかねェ……」

「『女将軍』って書いてあるでしょ!」

「裏返せば分からないよォ……」

「大きさでバレる!」

孫二娘は布団へ潜った。

「じゃあ今回は、扈三娘が祭文を噛むのを寝ながら応援するよォ……」

「失敗する前提で応援しないで!」

「覚えられるわけないでしょ!」

机を叩いた拍子に巻物の端が跳ね、そのままころころと転がり始めた。

机から落ちても止まらず、床を横切って部屋の隅まで伸びていくのに、まだ紙の半分も出ていない。

アタシはしばらくそれを見つめてから、両手で頭を抱えた。

「これ、祭文じゃなくて道でしょ。向こう岸まで続いてるじゃない!」

向かいの机では、李俊が港から届いた報告を読んでいる。

こちらが人生最大級の暗記地獄に落ちているというのに、顔すら上げない。

「読むだけだ」

「暗記しろって言われたの!」

「覚えればいい」

「簡単に言うな!」

李俊の前にある文書は三枚しかない。それに対して、アタシの前には巻物一本……

王と王妃の仕事量として、どう考えても配分を間違えている。

「何でアンタの誓いは短くて、アタシの祭文だけこんなに長いのよ?」

「俺が書いたんじゃない」

「王でしょ。減らして!」

「祭祀は変えない」

そこだけは、一言で切られた。

国の名を変えず、祭祀も供物も礼の順も変えない。

李俊は新しい国を作るために王になったのではなく、共濤に奪われた国を引き継ぎ、壊れたところだけを直すと決めている。

理屈は分かる。

分かるけれど、先王の御霊だって、王妃が一晩でこの長さを丸暗記するところまでは望んでいないと思う。

アタシは床まで伸びた巻物を拾い、最初から読み直した。

先王の御徳に始まり、国の安寧、空と海の恵み、臣民の平穏と続いていくのだが、一つ覚えれば、その前の一つが頭から抜ける。

三つ進んだつもりで気づけば、また最初へ戻っていた。

「無理……」

「まだ半刻だ」

「もう半刻よ!」

「同じだろ?」

「全然違う!」

ようやく李俊が顔を上げた。

「間違えたら、読み直せ」

「先王の霊前で?」

「黙るよりましだ」

「読み直して、また間違えたら?」

「もう一度読め」

「無限に終わらないんだけど!」

李俊は少しだけ考え、たいした問題ではないという顔で答えた。

「朝になったら終わる」

雑すぎる。

玉楼なら間違えた場所へ印をつけ、内容を区切って覚えろと言うだろうし、孫二娘なら旗へ全部書けばいいと言い出すだろう。

もっとも、『女将軍』の文字だけであの大きさになった旗へ祭文まで書き足したら、たぶん祭殿へ入らない。

巻物を睨んでいると、李俊が自分の文書を閉じた。

「全部を覚える必要はない」

「王太后殿下は、全文って言ったわよ」

「紙がある」

「風で飛んだら?」

「押さえる」

「アンタが?」

「他に誰がいる」

あまりにも普通に返されて、言葉が止まった。

王になっても、この男は変わらない。アタシが落としそうなものがあれば、余計なことは言わず、隣で手を出す。

それなら少しくらいは覚えてやろうと思った。

少しくらいで済む量ではなかったけれど。

翌朝、祭殿の前にはすでに多くの者が集まっていた。

王太后を先頭に、先王の御代から仕える老臣、祭官、王宮の役人たちが並び、庭の外には都の者たちまで控えている。

祭殿そのものは古びていた。

共濤が王宮を奪った後も、ここだけは壊されずに残っていたらしい。

柱へ掛けられた布も、壇上の器も、馬賽真王より前の時代から使われてきたものだという。

李俊が王になったからといって、新しく取り替えられたものは一つもない。

その李俊は、今日はきちんと冠を被っていた。

昨日みたいに曲がっていないのは、今朝アタシが真っ直ぐにしてやったのだから当然だ。

そういうアタシも、赤い礼服を着せられている。

ただし、腰には双刀がある。

祭官が一度だけ、刀を外した方がよいのではないかと遠回しに申し出たけれど、王太后が、

「その姿で王妃となった方です」

と返したため、それで終わった。

ありがたい。

同時に、その一言で逃げ道もなくなった。

祭官の合図で王太后が祭壇の前へ進み、香が焚かれる。

細い煙が昇る中、古くからの作法のまま供物が捧げられ、酒が注がれていく。

誰も急がない。

共濤が王位を奪っていた間も途絶えなかったものを、今、先王の母である王太后の手から新しい王へ渡しているのだ。

王太后が先王の位牌へ向かい、静かに口を開いた。

「我が子よ。奪われた国は、再び民の手へ戻りました」

その声は、庭の外にいる者へも届いた。

「新たな王は国号を改めず、祭祀を絶やさず、あなたが守ろうとした民を引き受けました」

続いて李俊が祭壇へ進み、膝をつく。

しばらく先王の位牌を見つめてから、たった一言だけ告げた。

「国が岸へ着くまで、俺は降りない」

短い――

アタシの巻物とは比べものにならないくらい短い。

でも、李俊なら、それでいいのだと思った。

問題は次だった。

祭官から渡された巻物を受け取ると、昨夜より重く感じる。

紙の重さじゃない。

先王の母も、臣下も、都の人たちも、みんなこちらを見ている。

読み間違えたから処刑、なんてことはないだろう。

でも、王妃になって三日目で伝説的な失敗を残す可能性なら十分にある。

アタシは覚悟を決めて巻物を開いた。

最初の一節は覚えている。

声を出すと、自分で思っていたより祭殿によく響いた。

二節目も出た。

三節目だけ紙へ目を落とす。

いける――

これなら何とか最後まで――

と思った瞬間、祭殿の横から風が入り込んだ。

巻物の端がふわりと浮く。

「あっ」

押さえようとした指が滑り、紙が一気に先へめくれた。

まだ読んでいない部分が足元へ垂れ、代わりに最後の方が目の前へ現れる。

どこ?

今、どこまで読んだ?

祭殿どころか庭まで静まり返った。

祭官の顔から血の気が引き、老臣の一人など、今にも倒れそうな顔をしている。

李俊が隣へ来た。

何も言わず、足元へ落ちかけた巻物を拾い、両手で端を押さえる。

昨夜、本当に言った通りだった。

「続けろ」

「場所が分からないの!」

「分かるところからでいい」

「正式な祭文よ?」

「先王は紙を読みに来るんじゃない」

祭官が息を呑んだ。

たぶん、儀式の最中に言ってはいけないことだったのだろう。

けれど、王太后は止めなかった。

アタシは巻物へ目を戻したものの、一度消えた場所は見つからず、昨夜覚えた文章まで半分ほど頭から逃げている。

このまま黙っている方が、よほどまずい。

逃げたい……

今すぐ祭壇を降りて、玉楼が預かっている三百人の中へ紛れ込みたい。

あっちなら槍を持たされても、祭文の暗唱までは要求されないはずだ。

でも、アタシは李俊へ言ったのだ。

舟から降りるなと。

王妃だけ先に飛び降りるわけにはいかない。

アタシは巻物から顔を上げた。

「馬賽真王陛下」

祭官がこちらを見る。

祭文にはない呼びかけだった。

「アタシは、ちゃんとした王妃じゃありません。この国の生まれでもないし、昔からの決まりも、まだ全部は知りません。祭文も、途中で分からなくなりました」

正直に言うと、老臣の一人がうつむいた。

泣いているのか、絶望しているのかは分からない。

「でも、アタシたちは、この国を奪いに来たわけじゃありません。燃やされた家を直して、閉じた店を開けて、逃げた人が戻れるようにします。子どもが腹を空かせないようにして、怪我をした人が置いていかれないようにします」

昨日、中庭にいた三百人の顔が浮かぶ。

周蓮も、沈蘭も、守られる側で終わるのではなく、誰かを守れる人になろうとしていた。

「李俊が逃げたら、アタシが捕まえます。無理をしたら止めます。間違えたら、言い直させます。だから、もう少しだけ、この国を見ていてください」

隣で李俊が、ほんの少しだけ眉を動かした。

言い終えると、祭殿は静かだった。

風が止まり、香の煙がまっすぐ上へ昇っていく。

やってしまった。

王妃になって三日目。

正式な祭文を途中で放棄し、先王の霊前で夫が逃げたら捕まえると宣言した。

歴史書があったら、絶対に変な書かれ方をする。

王太后が祭壇へ進んできた。

怒られる。

さすがに今度は怒られる。

覚悟を決めたアタシの前で、王太后は巻物を閉じ、祭壇へ置いた。

「先王にも、よく届いたことでしょう」

祭官が驚いて顔を上げた。

「祭文は後ほど、祭官より最後まで奉じていただきます。王妃陛下のお言葉もまた、この国が忘れてはならぬ誓いでございます」

救済措置が入った。

庭の外で、一人が頭を下げる。

それを見た老臣たちが膝をつき、役人たちも続いた。

門の外にいた人々も、少し遅れて頭を垂れていく。

李俊が隣で小さく言った。

「終わったな」

「アタシの寿命が縮んだわよ」

「生きてる」

「誰のせいよ!」

祭祀を終えて祭殿を降りると、玉楼が待っていた。

「王妃陛下」

「聞いた?」

「祭文を途中でおやめになったと伺いました」

早い……

宮中の情報網、怖すぎる。

「王太后殿下がお認めになったとも伺っております」

「なら問題ないでしょ?」

「今夜、残りをお覚えになりますか?」

「覚えない!」

即答したところで、門の方が騒がしくなった。

近衛兵が一人の女を止めている。

女は幼い男の子を抱き、何度も頭を下げていた。

服は煤け、片方の草履がなく、子どもも母親の衣へ強くしがみついている。

「王妃陛下に、お目通りを!」

近衛兵が押し戻そうとしたので、アタシは足を止めた。

「何の用?」

女は子どもを抱いたまま石床へ膝をついた。

「夫を、お助けくださいませ」

「夫?」

「共濤の兵でございました」

その一言で、周囲の空気が変わった。

女は額を床へつけた。

「城門を守れと命じられただけでございます。家を焼くことにも、人を斬ることにも加わっておりません。それでも、共濤の兵として捕らえられました。李俊王へ、ただお慈悲を願うつもりではございません。夫は敵方にいた者です」

女が顔を上げる。

「ですが王妃陛下は、この国を奪いに来たのではないと、先ほど先王陛下へお誓いになりました。ならば、共濤の兵だったというだけで夫をお捨てにならず、何をしたのか、お調べくださいませ」

聞かれていた。

自分の言葉で話したせいで、言い逃れもできない。

近衛兵が女の後ろへ目を向ける。

門の外には、同じように家族を連れた者たちが並んでいた。

共濤の兵だった夫を持つ妻もいる。

捕らえられた父を待つ子どもも、息子の行方を尋ねようとする母親もいた。

その数を見た瞬間、祭殿で言った言葉の重さが、ようやく腹へ落ちてきた。

王妃の言葉は、言って終わりじゃない。

聞いた人間が、その言葉を持って戻ってくる。

先王へ国を守ると誓ったばかりのアタシの前へ、その国で昨日まで敵だった者たちの家族が押し寄せていた。

孫二娘殿は、私が戻るなり布団から顔だけ出されました。

「祭祀、終わったのかい?」

「はい」

「三娘は?」

「祭文を途中でおやめになりました」

「やっぱり出番がある女は違うねェ……失敗しても話になるよォ……」

「羨むところではございません」

「玉楼も最後に出たんだろォ……?」

「少しだけでございます」

孫二娘殿は、さらに布団へ沈みました。

「少しでも本編は本編だよォ……。アタイなんて、今日も寝てただけだねェ……」

「それが今のお役目でございます」

「役目が布団なんだねェ……」

「鎮西将軍でございます」

「鎮床将軍じゃなくて?」

「戻さないでくださいませ」

しばらくして、孫二娘殿が顔を上げました。

「で、最後に何があったんだい?」

「共濤軍の兵の家族が、大勢参りました」

「……三娘、大丈夫かねェ?」

「王妃陛下のお仕事でございます」

孫二娘殿は少し考え、また布団へ潜りました。

「じゃあアタイは、出番が来るまで寝台を守ってるよォ……」

それでよろしいかと存じます。

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