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九十九も要りません

「二娘、まだその顔してるの?」

孫二娘は娘を抱いたまま、都の方を睨んでいた。

「三娘ォ、アタイだって戦えるんだよォ……」

「知ってる。でも産後でしょ」

「身体的制約と本人の意欲が一致しないと、欲求不満が溜まりやすいんだよォ」

「自分で自分を分析しないで!」

玉楼が方天画戟を確かめながら、静かに口を挟んだ。

「孫二娘殿には、お嬢様方をお願いいたします」

「玉楼まで正論かい……」

「戻りましたら、お話を伺います」

「前線の自慢話は聞きたくないよォ」

「自慢はいたしません」

「絶対とんでもないことするでしょ!」

玉楼は首を傾げた。

「いつも通りでございます」

それが一番怖いのよ。

三息――

玉楼の足が、甲板を蹴った。

船が城壁へ寄り切るより早い。

方天画戟を携えた身体が船縁を越え、黒煙の中へ飛び込む。

「撃て!」

人質を囲んでいた弓兵が、いっせいに弦を放した。

アタシも甲板を蹴る。

飛んできた矢の下へ身体を沈め、船縁を越えた。

肩口へ迫った一本だけを刀の背で払い、残りは玉楼の方天画戟がまとめて薙ぎ落とす。

矢が乾いた音を立てて散った。

速さを止めたら、狙い撃ちにされる。

空中で格好をつけている場合じゃないのよ。

玉楼が人質の男の前へ降り立った。

地面が揺れた気がした。

いや、本当に揺れたかもしれない。

あの女、着地まで力業なの?

「お下がりくださいませ」

方天画戟が横へ走る。

男の首に剣を当てていた指揮官は、剣ごと弾き飛ばされた。

腕が変な方向へ曲がり、悲鳴を上げながら転がっていく。

アタシは着地と同時に弓兵の列へ飛び込んだ。

一人目の弓を斬り落とし、返す刀で二人目の足元を払う。

三人目が矢をつがえるより先に、柄で顎を打ち上げた。

「何だ、こいつら!」

「女だぞ!」

見れば分かるでしょ!

それより、人質の前で弓を構える方がどうかしてる。

背後で槍が動いた。

振り返るより先に、方天画戟が槍兵の列へ横から食い込み、まとめて押し崩した。

玉楼が一歩進むたび、敵の足並みが乱れていく。

さっきまで砂の地図に枝を走らせていた人と、同じ人物には見えない。

枝を持てば作戦を立て、方天画戟を持てば敵を吹き飛ばす。

便利すぎるでしょ……

「三娘様、縄を」

「分かってる!」

人質たちは、十人ほどずつ一本の縄でつながれていた。

アタシは最初の縄を双刀で断つ。

自由になった男が、その場へ膝をついた。

「座ってる場合じゃない! 動ける人は、動けない人を支えて!」

男は呆然とアタシを見上げた。

「助けに……来たのですか?」

「見れば分かるでしょ!」

さっき敵にも同じことを思った気がする。

今日は説明しないと動かない人が多すぎる。

「軍船まで走って! 乗れない人は水路沿いへ下がって!」

男はようやく立ち上がり、隣の老人へ肩を貸した。

別の男が、石を運ぶための棒を握り直す。

「俺たちも戦います」

「無理しないで!」

「家が燃えております」

男は城内を振り返った。

「もう、戻る場所もございません」

その顔を見たら、止められなかった。

救われるまで待つだけの人じゃない。

この都で生きてきた人たちだ。

「じゃあ、槍兵だけ止めて! 弓兵には近づかないで!」

「承知しました!」

返事だけは軍人みたいに立派だったが、棒を握る手は震えている。

怖くないわけがない。

それでも男たちは、落ちていた石切りの槌や棒を拾い、自分たちを囲んでいた兵へ向き直った。

玉楼が二本目の縄を断ち、迫った槍を方天画戟の柄で受け止める。

「皆様、船へお急ぎくださいませ」

声はいつも通り穏やかなのに、目の前では三人まとめて押し返している。

説得力がおかしい。

童威が軍船を荷揚げ場へぶつけるように寄せた。

板が渡され、負傷した男たちが次々と運び込まれていく。

「左から来る!」

童威の声が飛んだ。

水路沿いの路地から、新たな兵が現れる。

アタシは先頭へ踏み込み、振り下ろされた剣を右の刀で外へ流した。

そのまま肩を入れて男を後続へぶつける。

「玉楼!」

「はい」

呼んだ時には、もう隣へ来ていた。

アタシが正面を崩し、玉楼が横から穴を広げる。

梁山泊にいた頃から、何度もやってきた。

敵の数が増えても、呼吸まで変える必要はない。

最後の縄が切れた。

入り江から同行してきた女が、人質にされていた夫へ駆け寄る。

「あなた!」

「生きていたのか……」

二人は抱き合おうとして、男の身体が崩れた。

女が必死に支える。

泣くのは後にして……

そう言いかけて、やめた。

この二人は、今まで泣くことすらできなかったのだ。

「船へ! そこで泣いて!」

やっぱり言った。

仕方ないでしょ。

ここ、まだ戦場なのよ。

敵の指揮官が、折れた腕を押さえながら後退していた。

玉楼が方天画戟の石突きを地面へ突き立てる。

「お待ちくださいませ」

指揮官の足が止まった。

止まるのね……

アタシなら、あの言い方をされた時点で全力で逃げる。

「共濤は、どこにおりますか?」

「し、知らぬ!」

「では、東門の兵数を」

「言うものか!」

指揮官は腰の短剣を抜いた。

玉楼が手首をつかむ。

短剣が落ちた。

それだけだった。

指揮官は白目をむき、膝から崩れる。

「殺した?」

「気を失われただけでございます」

玉楼、本当に加減が上手くなった気がする。

昔なら、たぶん壁まで飛んでいた。

人質は全員、縄から解かれた。

歩けない者と負傷者は軍船へ乗せ、動ける者は荷揚げ場へ残った兵から武器を奪う。

百人を超える男たちのうち、まともに戦えそうなのは半分ほどだった。

それでも、背中を守ってくれるだけで違う。

童威が船を水路へ戻しながら、こちらを見る。

「東門まで行けるか?」

「問題ございません」

玉楼が答えた。

「開いたら旗を上げろ」

「承知いたしました」

また、それだけ……

この二人、会話を節約しすぎじゃない?

「玉楼、他に何かないの?」

「何かとは?」

「ほら、無事で、とか」

童威が首を傾げた。

「無事で戻るだろ」

玉楼も頷く。

「そのつもりでございます」

アタシが変なの?

戦場で恋愛映画みたいな会話を期待したわけじゃないけど、もう少し何かあってもよくない?

……いや、待って。

何でアタシがこの二人の仲を気にしてるのよ。

李俊のことを考えた瞬間、さっき別れた旗艦の方角が気になった。

あっちは王宮。

こっちは東門。

ちゃんと戻ってきなさいよ。

言ったらまた、「言えば安心したか」とか返してきそうだけど。

童威は救出した者を乗せた軍船を守り、水路に残ることになった。

アタシと玉楼は、動ける男たちを連れて東門へ向かう。

都の中は、海から見た以上にひどかった。

屋根が焼け落ち、道には割れた甕や荷車が転がっている。

火を消そうと水を運ぶ者の横を、槍を持った兵が走り抜けた。

誰が卜青側で、誰が共濤側なのか、旗を見なければ分からない。

こういう戦場が一番嫌い。

敵だけ斬ればいい戦より、ずっと難しい。

「道を空けて!」

アタシが叫ぶと、民が壁際へ下がった。

その向こうから、共濤の兵が十人ほど現れる。

玉楼が方天画戟を構えた途端、先頭の三人が足を止めた。

正しい判断だと思う。

ただ、後ろの隊長が許さなかった。

「進め! 女二人だぞ!」

今日、何回それを聞くの?

女二人だから何なのよ……

玉楼が一人で十人分以上なんだけど……

押し出された兵が槍を向ける。

アタシは路地の壁を蹴り、先頭を飛び越えた。

隊長の前へ着地する。

「二人のうち、弱そうな方が来たぞ!」

「誰が弱そうですって?」

双刀を振り抜いた。

隊長の兜が左右に割れる。

中身まで斬らなかっただけ感謝してほしい。

後ろで男たちが声を上げ、棒と槌を手に敵へ向かった。

さっきまで縄でつながれていた人たちだ。

足取りは重く、構えも揃っていない。

それでも、自分たちの都を取り戻すために前へ出ている。

敵の列が崩れた。

路地を抜けたところで、卜青側の兵と出会った。

血まみれの若い兵が、こちらへ槍を向ける。

「何者だ!」

「李俊の仲間! 卜青に会わせて!」

「李俊……?」

兵の目が揺れた。

使者が間へ入り、国母の印を見せる。

「この方々は味方だ! 水門から入られた!」

若い兵はようやく槍を下ろした。

「卜青殿は東門の内側におります。ですが、門楼から敵が下りてきました。こちらも、もう……」

言葉の途中で、東から太鼓が三度鳴った。

若い兵の顔色が変わる。

「総攻撃です」

「東門まで、どれくらい?」

「この先を抜ければ見えます。ただし、広場は敵で埋まっております」

それでも行くしかない。

アタシたちは煙の中を走った。

火の粉が髪へ落ちる。

崩れかけた門をくぐり、焼けた市場を抜ける。

やがて、石造りの大きな東門が見えた。

その前を、共濤の兵が埋め尽くしている。

百?

二百?

いや、もっといる。

槍の穂先が幾重にも並び、門楼の上には弓兵が立つ。

敵陣の向こうで、卜青の旗が大きく揺れていた。

まだ落ちていない。

でも、門扉は閉じたまま。

敵の後ろから、武将らしい男が馬を進めた。

「東門の内に立て籠もる者どもへ告げる!」

声が広場へ響く。

「今から百を数える! それまでに降伏せねば、国母の首を門楼に晒す!」

若い兵が息を呑んだ。

「国母様は離宮におられるはず……」

「移されたのかもしれません」

玉楼が方天画戟を握り直す。

門楼の奥から、白い衣を着た女が引き出された。

遠くて顔までは見えない。

両手を縛られ、首には刃が当てられている。

敵将が手を上げた。

「一つ!」

数え始めた。

東門まで、敵は三百。

門楼には、国母らしき人影。

アタシは双刀を構えた。

「玉楼」

「はい」

「百までに、あそこへ行くわよ」

玉楼が一歩、前へ出た。

「九十九も要りません」

敵の声が響く。

「二つ!」

方天画戟が朝日に光った。

「三十で十分でございます」

「玉楼、三百人相手にずいぶん楽しそうだったねェ」

孫二娘殿が娘を抱いたまま、なぜか私を睨んでおられます。

「楽しくはございません」

「三十で十分とか言ってたじゃないかい」

三娘様が吹き出しました。

「二娘、玉楼に当たらないの!」

「アタイが留守番してる間に、三百人相手に暴れてたんだろォ?」

「必要でしたので」

「その返しが腹立つねェ……」

私は少し考えました。

「次は孫二娘殿もご一緒できればよろしいですね」

「玉楼、それ慰めてる?」

「はい」

孫二娘殿は、ますます不貞腐れてしまいましたが、なぜなのでしょう?

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