燃える都へ
「玉楼、何で砂の前に座ってるの?」
「皆様のお話をまとめるためでございます」
「その枝、完全に軍師が持つやつじゃない?」
孫二娘が娘を抱いたまま笑った。
「三娘ォ、諦めなァ。何でも任せると、できる奴は勝手に仕事を増やすんだよォ」
「それ心理学?」
「今考えた」
「適当!」
玉楼は気にせず、砂の上へ水門と城壁を描き始める。
「まず、こちらから入りまして――」
「待って。もう攻略始まってるの!?」
「都が燃えておりますので」
「急に正論!」
孫二娘が肩を揺らした。
「三娘ォ、今日もツッコミ役は忙しそうだねェ」
その時、玉楼の枝先が南の城壁で止まった。
「……人質がおります」
笑っている場合じゃなくなった。
都は燃えていた。
けれど、その火を放ったのが共濤だけではないと知ったのは、血まみれの男を浜へ引き上げてからだった。
男は、卜青の使者だった。
「国母様は……ご無事です……」
水を飲ませると、男は何度も息を整えながら、都で起きていることを話し始めた。
先王を殺した共濤は、王宮と城門を押さえ、従わない者を次々に捕らえた。
国母は古い離宮へ移されたものの、今も近衛の一部が密かに守っているという。
卜青は国母の命を受け、城内に残った兵と民を集めて反旗を翻した。
最初に都へ上がった火は、反乱の始まりを知らせる合図だった。
ところが、共濤の兵まで町へ火を放った。
反乱へ加わった者の家を焼き、逃げ出した民まで斬っている。
風に煽られた炎は道を越え、今も城内へ広がっているらしい。
「城門は?」
李俊が尋ねた。
「まだ、開けられませぬ。卜青殿は東門へ向かわれましたが、共濤の兵が門楼を固めております」
「水門は」
「鎖が下ろされております。外から船を入れることはできませぬ」
そこで使者が激しく咳き込み、掌へ血を吐いた。
玉楼がすぐに背を支え、水を少し含ませる。
呼吸が落ち着くまで待ってから、静かに尋ねた。
「連れていかれた方々は、どちらにおられますか?」
「南の城壁に……城壁を高くするため、昼夜を問わず働かされております」
「人数は、お分かりになりますか?」
「百を超えます。村々から集められた者もおりますので……」
玉楼の表情が変わった。
「火は、そこまで届いておりますか?」
「まだでございます。ですが、共濤は……」
使者の唇が震えた。
「城外から軍が来れば、働かせている者たちを盾にすると申しております」
浜に集まっていた女たちの顔色が変わった。
夫や父親、息子を連れていかれた者たちだ。
押し殺した泣き声が漏れる。
それでも、誰一人としてアタシたちへ「行かないでくれ」とは言わなかった。
助けを求めれば、助けに向かう側まで死ぬかもしれない。
それが分かっていても、女たちは都の方角から目を逸らさない。
ついさっきまで、生きているのかさえ分からなかったのだ。
やっと生存が分かったと思ったら、今度は人質にされるかもしれない。
本当に、ろくな話が出てこない。
「すぐ行こう」
アタシが言うと、費保が顔をしかめた。
「行くのは決まってる。問題は、どこから入るかだ」
「東門を開けてもらえばいいでしょ」
「開けられねえから、使者が血まみれでここまで来たんだよ」
それはそうだけど!
奪った旗艦の船室へ場所を移した。
床へ砂を薄く広げ、使者が震える指で都の形を描いていく。
砂の上には、城壁と水門、王宮、東門、それに南の作業場が順に描かれていく。
一本ずつ線が増えるたびに、燃えている都が目の前へ近づいてくるようだった。
李俊は黙ったまま聞いている。
童威と童猛は水路の深さや潮の流れを確かめ、費保は使える軍船と人員を数え直していた。
そして、なぜか玉楼が地図の真正面へ座り、枝を手に取った。
「玉楼?」
「はい」
「何で一番、軍師っぽい位置にいるの?」
「皆様のお話をまとめているだけでございます」
そのまとめ方が、完全に軍議なのよ。
玉楼って、本当に何者なの?
方天画戟を振れば敵の列を崩し、怪我人が出れば手当てする。
人が増えれば仕事を割り振り、今度は都の攻略まで考え始めた。
従者という一言に仕事を詰め込みすぎじゃない?
孫二娘が娘を抱きながら、船室の入口から覗き込んでいた。
「三娘ォ、今さら気づいたのかい?」
「何に?」
「玉楼が何でもできるってことにさァ」
「知ってたけど、範囲がおかしいのよ!」
「何でも任せると、何でもできる人間は本当に何でもやるようになるんだよォ」
「それ心理学?」
「今考えた」
「適当!」
玉楼だけが会話を無視して、枝先を水門へ置いた。
李俊が尋ねる。
「どう見る?」
「共濤は、主力水軍が敗れたことをまだ存じません」
枝が、奪った旗艦を示す。
「でしたら、敗北を知らせぬまま都へ戻るべきかと存じます」
費保が腕を組んだ。
「敵旗を掲げたまま、水門へ近づくのか」
「はい、負傷者と捕虜を運び戻ったように見せます」
「水門の鎖は?」
童威が口を開いた。
「俺と童猛が潜る。留め具の位置さえ分かれば外せる」
玉楼は即座に頷いた。
「お二人が鎖を外すまで、船を水門の前へ留める必要がございますね」
使者へ顔を向ける。
「主力水軍が戻る際、どのような合図を用いますか?」
「太鼓を三度、その後に角笛を一度でございます」
「旗艦には残っておりますか?」
上青が頷いた。
「太鼓も角笛もある。敵の旗もそのままだ」
使者は上青の顔を見て、困ったように瞬いた。
「卜青殿のご親類で?」
「違う」
上青が即答した。
「俺は上青だ。卜青とは別人だ」
「そこ、今説明するところ?」
「後で間違えられるよりましだろ」
確かに、名前が似すぎている。
玉楼だけは何事もなかったように枝を動かした。
「水門を開けましたら、李俊殿と童猛殿は王宮へ向かってくださいませ。童威殿には、私どもを南の荷揚げ場まで運んでいただきます」
枝先が水路を進み、王宮と南側へ分かれる。
「費保殿たちは軍船を押さえ、共濤の逃げ道を塞いでくださいませ」
「東門はどうする」
李俊が尋ねる。
「私と三娘様が卜青殿と合流し、内側から開きます」
「ちょっと待って。もうアタシも行くことになってるの?」
「お残りになりますか?」
「行くに決まってるでしょ!」
「では、問題ございません」
玉楼、最近アタシの扱いが雑になってない?
孫二娘が肩を揺らしている。
「三娘ォ、扱いが雑なんじゃないよ。行くって分かり切ってるんだよォ」
「二娘まで玉楼側なの?」
「アタイは面白い方の味方さァ」
最悪……
李俊が南の城壁を指した。
「人質は」
玉楼の枝が止まった。
「東門を開ける前に、救い出す必要がございます。外から軍が来たと共濤に知られれば、人質として使われます」
「南壁を取ってから、東門へ回るのか?」
「はい。卜青殿には、それまで持ちこたえていただくことになります」
費保が眉間を押さえた。
「簡単に言うな。城の中だぞ」
「ですから、敵の軍船を使うのでございます」
玉楼の枝が、水門から南側の水路へ滑った。
「水門を越えた後、二艘だけ南の荷揚げ場へ回します。捕らえた民を運び戻ったように見せかけて兵を下ろせば、作業場へ近づけます」
童威が砂の地図を覗き込む。
「潮が上がれば行ける」
「童威殿がそう仰るのであれば、参れます」
また一言で通じた。
もう驚かない。
いや、少しは驚くけど……
李俊が全員を見回した。
「それで行く」
玉楼は枝を置き、方天画戟を手に取った。
軍師役、もう終わり?
「三娘様、参りましょう」
考える時だけ軍師で、戦う時にはいつもの玉楼へ戻るらしい。
準備に時間はかからなかった。
入り江の守りには三艘の軍船を残し、住民と二人の赤子は孫二娘へ任せる。
「三娘ォ」
出る直前、孫二娘が呼び止めた。
「何?」
「今度は都まで行くんだ。帰ってきた時に李俊へ文句を言う体力くらい残しときなァ」
「何で文句を言う前提なのよ!」
「言わないのかい?」
「……たぶん言う」
「ほらねェ」
妖艶に笑うな。
残る六艘で都へ向かった。
捕らえた水軍大将は甲冑姿のまま旗艦へ立たせ、両脇に童威と童猛が付く。
城壁から見えない位置で、二人の刃が背へ向けられていた。
「妙な合図を出せば、海へ戻す」
童猛が笑った。
「今度は縄なしでな」
水軍大将は青い顔で頷いた。
都へ近づくにつれ、空が赤く染まっていく。
黒煙が城壁を越え、鐘と怒鳴り声が海まで届いていた。
太鼓が三度鳴る。
続いて角笛が一度、朝の海へ響いた。
水門の上から敵兵が旗を振る。
「主力水軍だ! 鎖を上げろ!」
「上げるな!」
別の声が飛んだ。
城内でも命令が割れている。
鎖は動かない。
「童威」
李俊が呼ぶ。
「行く」
童威と童猛が船縁を越え、水へ消えた。
ようやく異変に気づいた兵たちが城壁から身を乗り出す。
「戻った軍船が少なすぎるぞ!」
「弓を構えろ!」
矢が降るより早く、重い鉄の音が響いた。
海面を塞いでいた鎖が、片側から沈んでいく。
「進め!」
李俊の声で軍船が水門へ突っ込んだ。
狭い石壁の間を船腹が擦り、頭上から矢が降る。
玉楼が方天画戟で払い落とし、アタシも双刀で弾きながら甲板の端へ立った。
都へ入った瞬間、熱い風が顔を打つ。
家々が燃えていた。
水路には壊れた荷車が沈み、岸では民と兵が入り乱れて戦っている。
童威と童猛が水面へ姿を現した。
投げられた縄を掴み、甲板へ上がる。
「童猛、李俊と王宮へ行け」
「兄貴は?」
「南へ回る」
童猛は一度だけ頷き、李俊の旗艦へ移った。
遠くの東門で別の旗が上がる。
使者が声を上げた。
「卜青殿の旗です!」
生きている。
まだ戦っている。
「三娘様、南へ参ります」
玉楼が荷揚げ場を示した。
童威が舵を切る。
二艘の軍船が列を離れ、黒煙の下を南へ進んだ。
城壁沿いの高い足場に、縄でつながれた男たちが並ばされている。
百人どころじゃない。
痩せた身体は土と煤に汚れ、手には石を運ぶ棒が握られていた。
周囲を槍兵が囲み、その後ろでは弓兵が矢をつがえている。
こちらを見た指揮官が、一人の男を城壁の端へ引きずり出した。
「近づけば、こいつらを落とす!」
同行した女が、船上で悲鳴を上げた。
「あなた!」
引き出された男が顔を上げる。
女を見つけ、その目が大きく開いた。
見つかった。
生きていた。
でも、まだ助けられていない。
指揮官の剣が、男の首へ押し当てられる。
「武器を捨てろ!」
アタシは双刀を握ったまま動けなかった。
一歩でも近づけば、あの男が落とされる。
だからといって止まれば、残された人たちも救えない。
最悪……
こういう時だけ、敵って頭を使うのよね。
隣で、玉楼が方天画戟を構えた。
「三娘様」
「何?」
「三息、いただけますか」
今度は玉楼が、童威と同じことを言った。
船尾から童威の声が飛ぶ。
「右へ寄せる。三息後だ」
玉楼は前を見たまま答えた。
「承知いたしました」
また、この二人だけで話が通じている。
けれど、今度はアタシにも分かった。
三息後、童威が船を城壁へ寄せる。
玉楼が人質の前へ飛ぶ。
その隙を、アタシが作る。
「やるわよ」
船が大きく右へ傾き始めた。
一息――
玉楼が方天画戟を引いた。
二息――
人質の首に当てられた刃が動く。
三息――
玉楼の足が、甲板を蹴った。
「玉楼、童威と息合いすぎじゃない?」
三娘様が、妙に真剣なお顔でお尋ねになりました。
「戦場で必要なことを申し上げているだけでございます」
孫二娘殿が笑います。
「へえェ。三息で通じる仲ねェ」
「その言い方、何か意味深じゃない?」
「三娘ォが勝手に意味を足してるだけだよォ」
「でも玉楼、童威を片手で引っ張り上げてたし」
「引き上げる必要がございましたので」
「普通、成人男性を片手で上げないの!」
孫二娘殿が私を眺め、口元を緩めました。
「玉楼、そのうち三息どころか、一息で通じるんじゃないかい?」
「それは便利でございますね」
「便利で済ませるの!?」
三娘様は、なぜか頭を抱えておられました。




