踏出の朝焼編
夜は続いた。
終わらないまま、刃だけが進む。
理屈は残る。
納得は残らない。
それでも、止まらない。
踏み出すしかない。
朝は来る。
その前に、決める。
「……もう一つ」
林冲が尋ねる。
「扈家荘だ」
アタシは動かない。
「焼け落ちたわね」
「何も残ってないわ」
隣で、空気が崩れる。
玉楼の呼吸が、引っかかる。
一度だけ。
「……っ」
押し殺す。
だが、消えない。
「――申し訳、ありません」
玉楼が視線を落とす。
指先が、わずかに震えている。
「……李逵が」
小さく、こぼれる。
それ以上は言わない。
部屋の空気が張る。
林冲は、動かない。
否定もしない。
庇いもしない。
アタシは、一瞬だけ隣を見る。
「大丈夫」
「アタシがついてる」
玉楼が止まる。
だが、憎しみは残る。
消えない。
林冲は、そのまま踏み込む。
「忘れろ」
逃げ場はない。
アタシは、間を置かない。
「分かったわ」
玉楼の呼吸が止まる。
林冲が、わずかに頷く。
「ならいい」
続けて、言われる。
「宋江に従え」
「顔だけでいい」
アタシは頷く。
日が高い。
空気が乾いている。
使いが来る。
「忠義堂へ」
理由は言わない。
アタシは立ち、玉楼も動く。
中へ入ると、顔が揃っている。
宋江がいる。
笑っている。
柔らかい。
林冲と李俊が座っている。
「来たか」
席が用意されている。
座らずに上座を見る。
人がいる。
だが、囲まれている。
宿元景と、その一行。
顔色が悪い。
逃げ場がない。
「驚かせてしまったようですな」
宋江が穏やかに言う。
「安心して下さい」
「賓客として迎えております」
言葉は柔らかい。
宿元景は答えない。
視線だけが動く。
宋江は笑みを崩さない。
「食事を用意させていただきました」
「酒もある」
「疲れておられよう」
断らせない。
流れを作る。
卓が並ぶ。
料理が運ばれる。
匂いが立つ。
誰も手をつけない。
「遠慮はいらない」
「私達は敵ではありません」
一拍
「そう扱わせていただきます」
逃げ場を消す。
宿元景が、わずかに頷く。
酒が注がれる。
だが、緊張は消えない。
アタシは動かず、見る。
「本題に入らせていただきます」
宋江が言う。
声は変わらない。
「お願いがございます」
宿元景の手が止まる。
「都へ戻る際、言葉を添えていただきたい」
間を置く。
「梁山泊は、逆らうつもりはありません」
「ただ、道を正したいだけなのです」
替天行道が頭に浮かぶ。
「それを――」
宋江が、わずかに前に出る。
「陛下に伝えてほしい」
名は出さない。
だが、誰でも分かる。
徽宗皇帝。
宿元景は黙る。
酒に口をつける。
時間を稼いでいる。
「無理は言いません」
宋江が続ける。
「だが、機会は逃したくない」
押している。
「手土産も用意させていただきました」
「手ぶらで帰す気はありません」
宿元景の視線が上がる。
それで決まる。
断れない。
もう分かっている。
「……承る」
小さく答える。
宋江が頷く。
笑みは崩れない。
「良い縁になりそうです」
アタシは動かず、じっと見る。
理屈は通る。
だが――
違う。
宴が続く。
笑いが絶えない。
音が増える。
「手配を」
使いが動く。
箱が運ばれてくる。
数がある。
中身は分かる。
銀。
絹。
宝石。
宿元景の視線が、一瞬止まる。
「粗末なものですが」
「都までの道中、お役に立てば」
理由を与える。
断らせない。
宿元景が頷く。
「……有り難く」
それで決まる。
「明朝、発たれるとよい」
間を置かない。
「人もつけましょう」
護衛。
同時に、逃がさない。
宿元景は否定しない。
出来ない。
「お気遣い、痛み入る」
形だけ整う。
アタシは、じっと見る。
盃は取らない。
必要がない。
「では、良き旅路を」
宋江が言う。
終わらせる声だ。
宴は、送り出すための場に変わる。
ここにいる理由は、もうない。
アタシは席を離れる。
誰も止めない。
玉楼も立つ。
外に出る。
空気が変わる。
中の音が遠くなる。
廊下に影が伸びる。
しばらく、言葉がない。
玉楼の呼吸が、少しだけ乱れている。
「……どうされたのですか」
アタシは振り向かない。
「……」
玉楼は一瞬、息を止める。
「承知しました」
もう揺れは見せない。
歩き出す。
部屋に戻ると、すぐに宋江からの使いが来た。
「お呼びです」
理由は言わない。
「またぁ……」
アタシは立つ。
玉楼も動く。
廊は静かだ。
扉の前で止まる。
「入れ」
そのまま入る。
宋江と呉用がいる。
どちらも座っている。
「すぐに呼んで悪いな」
呉用は口を開かない。
扇子も動かさず、見ている。
「さっきの件だ」
宋江が続ける。
「宿元景の道中」
「そなたに任せたい」
「孫二娘も一緒だ」
「……分かりました」
宋江の目が、ほんの少し細くなる。
呉用の視線が、一瞬だけ動く。
「助かる」
「道筋はこちらで整えます」
呉用が紙を一枚渡してくる。
「いざという時に」
アタシは頷く。
「東京まで、確実に」
宋江は頷く。
呉用も動かない。
部屋を出る。
廊下は静かだ。
そのまま歩く。
玉楼が後ろにいる。
いつもと変わらない。
外に出ると、日が傾き始めていた。
風が少しある。
「呼ばれたかい」
横から声がする。
孫二娘の姐御。
壁にもたれている。
最初からいたみたい。
「行くわよ」
孫二娘が、口の端を上げる。
「やっぱりねぇ」
「宿元景の護衛よ」
「アンタも一緒」
孫二娘は肩をすくめる。
「聞いてるよ」
早い。もう知っている。
「で?」
アタシは足を止めない。
「東京まで」
孫二娘が一瞬だけ黙る。
笑わない。
計算している。
「面倒だねぇ」
ため息をつく。
「断れない様にって話だろ?」
核心だけ取る。
アタシは答えない。
孫二娘が笑う。
「いいよ」
「楽しくなりそうだ」
玉楼が半歩だけ前に出る。
「ついていきます」
三人で歩く。
足音が揃う。
日がさらに傾く。
日が落ち、空気が冷える。
梁山泊が静かになる。
馬が用意されている。
三頭が並んでいる。
玉楼が確認し、アタシを見る。
「問題ありません」
孫二娘がふらっと現る。
「早いねぇ」
肩を鳴らす。
「もう終わってるのかい」
アタシは馬を見る。
孫二娘が息を吐く。
「明朝だろ?」
「そうね」
孫二娘がわずかに笑う。
「寝とくか」
夜が深くなる。
梁山泊が息を潜める。
まだ薄暗く、空気は冷たい。
梁山泊が動き出す。
三頭の馬が並ぶ。昨日のままだ。
玉楼が一度だけ見る。変わりはない。
孫二娘が来る。欠伸を一つ。
「早いねぇ」
アタシは馬に近づき、そのまま跨る。
孫二娘も乗る。
玉楼が最後に乗る。
門が開く。
「行くわよ」
三頭が前に出る。
振り返らず、梁山泊を抜ける。
道が伸びる。東京へ。
しばらく、何もない。
風も、同じだ。
アタシがぽつりと言う。
「……水戸黄門とか、西遊記みたいね」
孫二娘が目を細める。
「何だい、それ」
「知らなくていい」
玉楼は何も言わない。
三頭は止まらない。
朝は焼けた。
夜は終わったはずだ。
だが、収まっていない。
理屈も、刃も、止まったまま残っている。
踏み出した。
それでも、足りない。
次へ行く。
もう戻らない。




