不服の一夜編
夜は、終わっていない。
一つを潰しただけだ。
形は崩れ、刃は止まった。
だが、それで収まるものではない。
理屈は通る。
それでも、従えない。
この夜は、まだ続く。
崩れる。一気に崩れる。
前が割れ、散る。
もう止まらない。
追う。
斬る。
当たる。
抜く。
続く。
「止まれ」
前が詰まり、足が止まる。
呼吸が戻る。
「深追いするな」
玉楼が返す。
「止め」
声が通る。
後ろが締まる。
形が戻る。
孫二娘が舌打ちする。
「もう少しやれたろ」
顧大嫂が一言。
「十分だよ」
アタシは前を見る。
敵は崩れている。
もう、形はない。
それでいい。
「退くよ」
全体が動く。
音は戻らない。
夜のまま、離れる。
――帰ろう。
静かに戻ってきた。
梁山泊の門が開く。
迎えはなく、中に入る。
灯りが少しだけ増える。
林冲はもうそこにいる。
「戻ったか」
頷くだけで足りる。
縛られた奴らが運ばれる。
数は多くない。
だが、選んでいる。
玉楼が並べる。
順に置く。
顔を上げさせる。
アタシは、一人一人見る。
外す。
「こいつは残す」
玉楼が頷く。
「分けます」
孫二娘が肩を回す。
「で、どうする?」
顧大嫂は黙っている。
逃がさない目だ。
アタシは視線を落とす。
夜の湿りが残っている。
「吐かせる」
玉楼が動く。
手際が早い。
縛り直す。
場所を分ける。
音は出ない。
終わっている。
だが――終わっていない。
一つ、潰しただけ。
まだ来る。
だから、続ける。
「休むな」
玉楼が返す。
「回します」
孫二娘が笑う。
「いいねぇ」
顧大嫂が一言。
「逃がさない」
アタシは空を見る。
夜はまだ続いている。
――次だ。
夜はまだ終わらない。
同じ夜だ。静かだ。
だが――張っている。
灯りが残る。
人が動く。
声は少ない。
アタシは外に出る。
玉楼が後ろにいる。
向かう先は決まっている。
「出るわ」
玉楼が返す。
「用意は済んでいます」
孫二娘が笑う。
「もう一回かい」
顧大嫂が言う。
「さあ、行こうか」
揃っている。
迷いはない。
一つ、潰した。
だが、足りない。
来る前に、取る。
「場所は」
玉楼が出す。
「動いています。北へ」
頷く。
「追いかけて、叩く」
孫二娘が肩を鳴らす。
顧大嫂は息を吐く。
アタシは手綱を取る。
夜は切れていない。
続いている。
だから――続ける。
「行くよ」
四人が動く。
音はない。
灯りの外へ出る。
闇に入る。
――終わらせる。
闇の中を進む。
速い。
だが、音は出さない。
前に気配。
増えている。
止まらない。
火が多い。
位置が変わっている。
張っている。
「……気付いてるね」
孫二娘。
「遅いけどね」
顧大嫂。
アタシは前を見る。
動きが揃っていない。
間がある。
寄りきれていない。
警戒はしている。
だが、間に合っていない。
「崩れてる」
玉楼が頷く。
「まだ整っていません」
「行くよ」
迷わず、距離を詰める。
一気に詰める。
敵が動く。
合わせきれていない。
叫びが上がる。
だが、もう遅い。
間合いに入っている。
斬る。
押す。
割る。
前を断つ。
流れを切る。
止める暇を与えない。
「押し切る」
短く出す。
全員が前に出る。
夜が裂ける。
裂けたまま、戻らない。
崩れ、踏み直せない。
声が増える。
だが、揃わない。
遅れている。
前に出てくる奴を斬る。
一つ。
二つ。
玉楼が後ろを締める。
抜けさせない。
形を保つ。
孫二娘が横から裂く。
深く入る。
顧大嫂が出口を塞ぐ。
逃げ道が消える。
詰まる。
止まる。
「そこだ」
一点を見る。
火の奥に、動かない影がある。
周りだけが動いている。
守られている。
踏み込む。
押し切る。
目の前に出る。
顔が上がる。
喉元に剣を当てる。
「動くな」
周りが止まる。
「終わりね」
残りが散る。
追わない。
「帰るわよ」
玉楼が返す。
「承知しました」
息が戻る。
前を見る。
もう、形はない。
夜のまま、離れる。
――疲れた。
夜はまだ残っている。
門が開き、中に入る。
人が寄り、視線が集まる。
忠義堂へ進む。
一人、引きずられている。
縛られ、歩けていない。
怯えている。
「……高俅」
周りがざわつく。
抑えている。
だが、隠せていない。
林冲が前にいる。
動かない。
ただ――睨む。
逸らさない。
アタシは、その前で止まる。
「そこ」
高俅が前に転がる。
雑に。
「取ったわ」
玉楼が隣に立つ。
孫二娘が笑う。
「で、どうする?」
顧大嫂は黙っている。
目が変わらない。
逃がさない目だ。
高俅が顔を上げる。
震えている。
声が出ない。
林冲が一歩、出る。
止まらない。
空気が変わる。
重くなる。
張る。
触れれば切れる。
アタシは見る。
横から。
顔は動かさない。
目だけで拾う。
――ここからだ。
林冲が踏み出す。
速い。迷いがない。
間合いを詰める。
高俅が動けない。
間に合わない。
刃が入る寸前――
「待て」
空気が止まる。
林冲の足が止まる。
止められている。
自分で止めたわけじゃない。
止められた。
宋江が前に出ている。
動いていた。
気付かないうちに。
視線は逸らさない。
まっすぐ。
林冲を見る。
「ここで斬るな」
林冲が動かない。
刃が止まる。
わずかに震える。
届く距離だ。
それでも――入らない。
空気が張る。
切れない。
誰も動けない。
高俅が息を飲み、小さい音が出る。
アタシは横から見る。
顔は動かさない。
目だけで追う。
――ここで決まる。
宋江は動かない。
林冲の前に立つ。
視線は逸らさない。
「ここで斬るな」
繰り返す。
林冲が動かない。
刃は止まったまま。
宋江は続ける。
「ここで斬れば、終わる」
誰も動かない。
「我らがな」
孫二娘が小さく息を吐く。
顧大嫂は何も言わない。
玉楼は動かない。
アタシは見る。
宋江は一歩も退かない。
「高俅は使う」
高俅が震える。
声が出ない。
「ここで殺せば、ただの賊だ」
「だが、生かせば――」
言い切らない。
林冲の刃が、わずかに下がる。
「……分かるな」
押しつけない。
だが、逃がさない言葉。
林冲がため息をつく。
刃が完全に止まる。
宋江が目を外さないまま言う。
「縄を解け」
一瞬、空気が揺れる。
だが、誰も逆らわない。
玉楼が動く。
「承知しました」
縄が緩み、高俅が崩れる。
声が出る。
小さくて聞き取れない。
だが、生きている。
宋江が言う。
「お帰りいただく」
場が凍る。
――納得できない。
夜は切れていない。
だが、薄くなる。
東が、わずかに白む。
空気が変わる。
人が散る。
アタシは部屋に戻る。
玉楼が後ろにいる。
姐御達も、ついてくる。
何も言わない。
それで分かる。
そのまま畔に出る。
水が黒く揺れている。
風が、少し出る。
「……分かってるわ」
誰にでもない。
玉楼は黙っている。
「理屈は通る」
「でも、違う」
水面が揺れる。
顔が映る。
歪む。
消える。
「どうしたいの?」
間を置かない。
「アタシ達、何なの?」
風が、抜ける。
「山賊よ?」
玉楼が頷く。
「はい」
孫二娘が肩をすくめる。
「何様のおつもりかねぇ?」
風が一段、強くなる。
顧大嫂が、ため息をつく。
「アタイらは、お上に文句があるから山賊なのにねぇ」
水面が崩れる。
何も映らない。
「そう、そこよ」
誰に向けてもいない。
「替天行道までは分かる」
足を止めたまま、続ける。
「忠義双全って、意味分かんない」
玉楼は黙ったままだ。
孫二娘は笑わない。
「宋江の理屈だろ」
水を見る。
何も映らない。
「だから――」
言葉が続かない。
朝は、白く明けている。
夜の重さが、まだ残っている。
使いが来る。
「林冲様がお呼びです」
理由は言わない。
アタシは立つ。
玉楼も動く。
姐御達は来ない。
廊下を進む。
人の気配が、少しずつ戻っている。
扉の前で止まる。
「入れ」
林冲が呼ぶ。
中に入る。
座っている。
こちらを見る前に、言う。
「昨夜の話だ」
扉が閉まる。
玉楼も入る。
「聞こえていた」
林冲は頷かない。
「高俅のことだろう」
「……そうね」
しばらく、何も言わない。
静かだ。
外の音が遠い。
「俺は、あれに全てを奪われた」
「官も、名も、妻も」
「自分に罪はない」
一拍。
「だが、罪にされた」
視線が動く。
どこも見ていない。
「理由は一つだ」
止まらない。
「妻を奪いたかった」
それだけ落とす。
「それで、人は落ちる」
アタシは何も言わない。
「恨みだと思うか」
間を置かない。
「違う」
自分で切る。
「戻らないものを、戻らないままにしておけないだけだ」
言葉が、固い。
「理屈じゃない」
小さく息を吐く。
「でも、違う」
昨夜と同じ言葉が、落ちる。
「……お前も、その顔だ」
視線が合う。
逃がさない。
「理屈は通る」
「でも、違う」
部屋が静かになる。
「宋江の理屈で、納める気はない」
独り言に近い。
「なら、どうする」
短い。
逃がさない。
アタシは答えない。
一拍。
林冲が、先に言う。
「……ここにいるしかないだろう」
現実を置く。
揺れない。
「梁山泊だ」
続ける。
「外に出れば、終わる」
事実だけを並べる。
アタシは動かない。
否定もしない。
「それでも――」
林冲は止めない。
視線が刺さる。
「終わらせる気はない顔だ」
逃がさない。
アタシは、少しだけ息を吐く。
「終わらせる気はない」
小さく返す。
玉楼は何も言わない。
林冲が、わずかに頷く。
夜は明けた。
だが、何も終わっていない。
取ったはずのものは、手の中に残らず、
斬れるはずの刃は、止められた。
理屈は通った。
それでも、残るものがある。
収まらないまま、次へ行く。




