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一度で終わらなかった

「二娘、朝から胃が反乱起こしてるんだけど」

「反乱じゃないよォ。今は身体の方が主導権を握ってるだけさ」

玉楼が妙に真剣な顔で頷いた。

「でしたら三娘様、確認しておきたいことがございます」

「その顔やめて。絶対ろくな質問じゃない」

「李俊殿とお過ごしになった夜についてでございます」

「朝から何を確認する気!?」

孫二娘がにやりと笑う。

「安心しなァ。回数じゃなくて時期の話だよォ」

「今、回数って言った!」

「アタイは何回だったか知らないからねェ」

「知ろうとしないで!」

林冲が夜を越したと聞いた時、アタシは盛大に吐いた。

安心したからじゃない。

知らせに来た僧が、薬草を煮た湯を持っていたからだ。

戸口へ姿を見せた途端、湿った草の匂いが庵の中へ流れ込んできた。

鼻の奥へ入り込んだと思った次の瞬間には、もう駄目だった。

アタシは僧の話を最後まで聞かず、縁側から庭へ飛び降りた。

「うっ……!」

井戸の脇へ膝をつく。

まだ何も食べていない。

出るものなんてないはずなのに、身体はそんな事情を聞いてくれなかった。

腹の底から何度もせり上がってきて、喉だけが焼けていく。

「三娘!」

孫二娘が追いかけてきて、髪を後ろへまとめる。

玉楼は水桶を抱え、すぐ横へ膝をついた。

「三娘様、無理に止めようとなさらずに」

「止められるなら……とっくに……止めてる……」

言い終わる前に、また吐き気が来た。

何も出ないのに胃だけは、まだ中に何か残っていると言い張っている。

ひどい冤罪だ。

昨日まで戦場にいた身体が、今朝は薬草の匂い一つに負けている。

「盛大にやったねェ」

「実況……しないで……」

「黙ってたら倒れるだろォ」

「喋ってても倒れそうよ」

孫二娘はアタシの髪を掴んだまま、玉楼を見る。

玉楼は返事をせず、背中をゆっくりさすっていた。

二人とも、もう笑っていない。

ようやく吐き気が引き、口をすすいだ。

ところが水が喉へ入った途端、胃がまた縮む。

慌てて顔を背け、半分は飲み込み、半分は地面へ吐き出した。

「水まで駄目かい」

「今のは勢いが悪かっただけ」

「水に勢いも何もあるかねェ?」

「あるのよ。今できたの」

立とうとしても膝に力が入らず、玉楼が腕を取り、孫二娘が反対側から支えた。

「自分で歩けるわ」

「昨日、同じことを言って倒れた人を見たばかりだよォ」

言い返せなかった。

林冲は右手から蛇矛を落とし、それでも立てると言った。

アタシまで同じことをしている。

二人に支えられて庵へ戻ると、薬草を持ってきた僧は庭の端で困った顔をしていた。

「申し訳ございません。匂いが障りましたか」

「お坊さんのせいじゃないわ。林冲は?」

「息は落ち着いております。夜半に一度、目を開けられました」

「言葉は?」

僧は少し間を置いた。

「はっきりとはいたしませぬ。ただ、武松殿の呼びかけには応じておられます」

生きている――

その事実だけで、身体の奥に詰まっていたものが少し下りた。

右半身と言葉が戻るかは分からない。

それでも、昨日のまま目を開けなかったわけではない。

「会える?」

「今は、まだお休みいただいた方がよいかと。武松殿も、再びお目覚めになれば、すぐに様子を知らせると仰っております」

「分かったわ」

僧が頭を下げ、薬草の湯を持って帰ろうとする。

匂いが再び流れた。

「お願い、早く持ってって」

「三娘、言い方があるだろォ」

「今は礼儀より胃を優先させて!」

僧は慌てて庵を出ていった。

孫二娘が戸を閉め、深く息を吐く。

「敵将の首を前にしても平気だった女が、薬草に負けるとはねェ」

「相性が悪かったのよ」

「粥にも負けてたねェ」

「粥との相性も悪かったの!」

「薪の煙でも青くなってたよォ」

「今日は世界全体との相性が悪いの!」

声を張ったせいで胃がまた動いた。

アタシが口を押さえると、孫二娘はすぐ桶を寄せた。

今度はどうにかこらえた。

すると玉楼が静かに言った。

「三娘様。お尋ねしてもよろしいでしょうか?」

嫌な予感がする。

玉楼がこういう声を出す時は、だいたい逃げ道がない。

「内容によるわね」

「月のものは、最後にいつございましたか?」

孫二娘が桶を持ったまま止まった。

アタシも黙る。

「三娘様」

「聞こえてる」

「医師は、まだ日が浅いと申しておりました。どれほど経っているのか、思い当たるところは必要でございます」

「今それ数えるの?」

「今だからでございます」

玉楼の目は真剣だった。

冗談で逃げられる空気じゃない。

アタシは寝台へ腰を下ろし、記憶を探った。

戦続きだった。

杭州が落ちて、その後も休む間はなかった。

李俊は方臘の内側へ入り、アタシたちは先へ進んだ。

毎日、誰かが傷つき、誰かが戻らなかった。

月のものが来たかどうかなんて、気にしている余裕はなかった。

でも、来ていれば覚えているはずだ。

布も水も足りない戦場では、忘れられるほど小さなことじゃない。

「杭州へ入る前には……あったわね」

「その後は?」

「……待って。数えるから」

杭州が落ちたあと、李俊が戻ってきた。

そして、敵の中へ潜ると決まった、その前の夜――

そこまで考えた瞬間、頬が熱くなった。

「三娘ォ?」

「ちょっと待って!」

「何をだい?」

「日を数えてるの!」

あの夜の前。

月のものが来た日と、杭州までの日数、その後の行軍を頭の中でつないでいく。

まずい……

かなり、まずい時期だった。

知識はあった。

前の世界で生きていたんだから、何も知らなかったわけじゃない。

それなのに、あの夜は一度も考えなかった。

翌朝には李俊が敵の中へ入り、戻ってくるかどうかも分からない。

そのことしか頭になかったのだ。

しかも初めてだったから、本当なら慎重になるべきだったのかもしれない。

けれど、実際は逆だった。

一度で終わらなかった。

「……嘘でしょ」

声が漏れた。

吐き気で青ざめていたはずなのに、今度は耳まで熱い。

「三娘ォ、顔が真っ赤だねェ」

「見ないで!」

「さっきからずっと見てるよォ」

「今は見ないでって言ってるの!」

「何を思い出したんだい?」

「聞かないで!」

孫二娘の目が細くなる。

「一度じゃなかったんだねェ」

「どうして分かるのよ!」

「分かりやす過ぎるんだよォ」

顔を両手で覆った。

穴があったら入りたい。

庵の床下でもいい。

いや、床下は虫がいそうだから嫌だ。

そんなことを考えている場合じゃない。

玉楼は口元を緩めることもなく、さらに尋ねた。

「その夜から、どれほど経っておりますか?」

「数えたくない……」

「数えてくださいませ」

「玉楼、容赦なさ過ぎない?」

「三娘様のお身体のことでございます」

仕方なく、もう一度数えた。

正確な日までは分からない。

それでも、医師が「まだ日は浅い」と言ったことと、吐き気が始まった時期、匂いに敏感になった頃、腹の奥が重く感じ始めた頃を重ねれば、だいたいの見当はつく。

合わないどころか、合い過ぎている。

「……やっぱり、あの夜?」

「その可能性が高うございます」

玉楼に真顔で言われると、破壊力が倍になる。

「言わないで! 分かってるから!」

孫二娘が隣へ腰を下ろした。

「診断された時より、今の方が実感出てきたみたいだねェ」

「出したくなかった……」

「現実受容ってのは、告げられた瞬間に全部終わるもんじゃないよォ。後から具体的な出来事と結びついて、じわじわ来ることもある」

「そういう時だけ助教に戻らないで!」

この人、絶対楽しんでる。

でも、腹へ手を当てた瞬間、笑えなくなった。

昨日、医師から身籠っていると言われた時は、頭が真っ白になった。

今は違う。

この中にいる子が、あの夜につながっている。

李俊が戻ってこないかもしれないと思って、それでも離したくなかった夜。

そう考えると、急に存在が近くなった。

「三娘様」

玉楼がアタシの前へ膝をつく。

「医師の診立てがある以上、しばらくは何よりお身体を優先なさってくださいませ」

「戦も終わったし、無茶する予定なんてないわよ」

「三娘ォ」

「何?」

「その台詞、昨日あとがきで禁止されたばかりじゃないかい」

「本編に持ち込まないで!」

玉楼まで真面目に頷いた。

「では、馬はしばらくお控えくださいませ」

「何でそこまで!?」

「揺れますので」

「歩けるわ」

「長く歩かれるのも困ります」

「じゃあどうしろっていうのよ!」

「お休みくださいませ」

「武将の扱いじゃない!」

孫二娘が肩を揺らす。

「妊婦の扱いだよォ」

「まだ慣れてないの、その呼ばれ方!」

言った瞬間、自分で固まった。

妊婦――

今度こそ逃げられない言葉だった。

孫二娘が何も言わず、少しだけ笑う。

玉楼も、それ以上は追い打ちをかけなかった。

その時、庵の外で足音が止まった。

寺の僧とは違う。

草履ではなく、土を踏んできた旅装の足音だった。

戸口から声がする。

「扈三娘殿はこちらか?」

孫二娘が立ち上がり、戸を開けた。

そこには本隊の印をつけた兵がいた。

息を切らし、胸元から封じた紙を取り出す。

「李俊殿より、お預かりしたものがございます」

心臓が跳ねた。

さっきまで腹へ置いていた手を、反射的に引っ込める。

「李俊から?」

兵は何も知らない顔で、紙を差し出した。

「扈三娘殿に、必ず直接渡せと」

受け取ろうと手を伸ばす。

その瞬間、封じた紙から染みついた水と油の匂いが鼻へ届いた。

見覚えのある匂いだった。

李俊の衣にも、いつも残っていた。

「三娘ォ?」

孫二娘の声が遠くなる。

紙を掴むより先に、胃が大きく持ち上がった。

アタシは口を押さえ、届け物を持った兵の前で、また盛大に吐いた。

三娘様が兵の前で盛大に吐かれたあと、私はまず李俊殿からの文を救出いたしました。

「玉楼、そこ最優先!?」

「濡れて読めなくなっては困りますので」

孫二娘殿が肩を揺らします。

「三娘ォ、本人が戻る前から匂いでこれじゃ、再会した時が楽しみだねェ」

「何が楽しみなのよ!」

「李俊の顔を見た瞬間に吐いたら、条件づけとしてはかなり強烈だよォ」

「最悪の学習成立させないで!」

私は文を差し出しました。

「では、三娘様。お読みになりますか?」

三娘様の手が止まります。

「……待って。まず匂いが消えてから」

李俊殿の文は、まだ開かれておりません。

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