私の男ではございません
「二娘、敵将って普通どうやって捕まえると思う?」
「包囲して逃げ道を潰すんじゃないかねェ」
顧大嫂が鼻で笑った。
「アンタが聞くと、突っ込んで殴る答え待ちにしか聞こえないよ」
「アタシを何だと思ってるの!?」
「三娘ォの場合、行動パターンが強化学習されすぎてるんだよォ」
「誰に!?」
「玉楼と李俊」
「二人がかりで学習しないで!」
顧大嫂が腹を抱えて笑う。
「で、今回の敵はどう捕まえるんだい?」
「それが……演奏らしい」
二人の笑いが止まり、アタシも同じ顔になった。
方臘はいない。
杜微もいない。
清渓前で勝ったはずなのに、その二人だけが戦場から綺麗に消えていた。
朱武が放った斥候は山手と水際へ散り、林冲も兵を分けて逃走路を探らせている。
それでも戻ってくる者たちは、方臘らしき一団を見ておらず、通った跡さえ掴めていなかった。
「人間って、そんな簡単に消える?」
思わず口にすると、隣で孫二娘が肩をすくめた。
「三娘ォ、追う側が『ここを通るはず』って思い込むと、それ以外が見えにくくなるんだよォ」
「心理学?」
「注意の偏りだねェ」
「敵に利用されてるってこと?」
「可能性はあるねェ」
嬉しくない分析だった。
しかも、こっちはまだ李俊に支えられている。
ついさっきまで生死さえ分からなかった相手が隣にいる。
それ自体はものすごく嬉しい。
けれど、ずっと身体を支えられていると、別の問題も出てくる。
「もう立てる」
「駄目だ」
「即答!?」
「馬から落ちかけただろ」
「落ちてない。落ちかけただけ」
「同じだ」
「違う!」
李俊はまったく譲らない。
玉楼までこちらを見た。
「李俊殿のおっしゃる通りでございます」
「玉楼まで!?」
「三娘様は昨日も本日も無理をなさいましたので」
「二日分まとめて説教しないで!」
顧大嫂が笑い、孫二娘まで楽しそうに口元を緩めた。
「三娘ォ、愛されてるねェ」
「今そういうまとめ方しないで!」
「じゃあ、恋人による行動制限?」
「もっと嫌!」
本人は独身のくせに、人の恋愛になると急に生き生きするの何なの。
その時、外から馬の蹄が近づいてきた。
斥候かと思ったが、連れてこられたのは梁山泊の兵ではない。
年を重ねた男が一人、若い兵に付き添われて歩いてくる。
粗末な衣を着ているものの、足取りはしっかりしていた。
朱武が振り向く。
「何者です」
男は一礼した。
「葉徳安と申します。この辺りでは社老などと呼ばれております」
葉徳安。
アタシには聞き覚えのない名だった。
「何用でしょう」
「お探しの男について、お知らせしたいことがございます」
その一言で空気が変わった。
林冲もこちらへ戻ってくる。
「誰だ」
葉徳安は周囲を見回してから答えた。
「杜微という男でございます」
身体が勝手に動きかけた途端、李俊の手が肩へ来た。
「まだ何もしてない!」
「今、行こうとしただろ」
「反射!」
「なお悪い」
ぐうの音も出ない。
朱武が葉徳安へ続きを促す。
「どこにおります」
「清渓の外れに、杜微が長く使っていた屋敷がございます。そこへ逃げ込みました」
「一人ですか」
「分かりませぬ。ただ、屋敷におります春香という娘から知らせが参りました」
春香は以前から葉徳安とは顔見知りで、杜微が戻った後、隙を見て屋敷を抜け、助けを求めたという。
「ですが、すぐに兵を近づければ杜微に気づかれましょう」
「では、どうやって足止めを?」
朱武が尋ねると、葉徳安は一瞬だけ妙な顔をした。
「演奏しております」
「……はい?」
今度はアタシが聞き返した。
「王嬌嬌をはじめ、屋敷の女たちが杜微の前で楽を奏で続けております。その音に紛れれば、多少人が動いても外の気配までは届きにくいかと」
思わず孫二娘を見る。
二娘も珍しく目を丸くしていた。
「逃げてきた敵将を、演奏で座らせたままにしてるの?」
「そのようでございます」
何その捕物。
普通、敵将を捕まえる時って槍とか弓とか使わない?
顧大嫂が愉快そうに笑った。
「面白い女どもじゃないか」
「笑い事じゃないよォ」
孫二娘はすぐ真顔に戻った。
「杜微みたいな相手を目の前に置いて、平然と演奏を続けるんだ。怖くないわけがない」
そうだ。
昨日戦ったから分かる。
杜微は力任せに押してくる相手じゃない。
こちらが誰を庇うか、どこへ意識を向けるか、その一瞬の迷いまで利用する。
そんな男に気づかれないまま、女たちだけで時間を稼いでいる。
「行こう」
今度は李俊を見る前に言った。
「お前は馬から降りるな」
「そこまで!?」
「行くなとは言ってねぇ」
一瞬、返す言葉を失った。
完全に止めないところが、ずるい。
「屋敷までは行く。中へ入るかは様子を見てからだ」
「交渉の余地は?」
「ねぇな」
「独裁!」
「三娘ォ、さっき口づけしてた相手をもう独裁者扱いするのかい?」
「今それ関係ないでしょ!」
孫二娘が妖しく笑い、顧大嫂まで吹き出す。
玉楼だけは真面目に頷いた。
「では、三娘様のお馬はわたくしがお引きいたします」
「何で護送体制が強化されるの!?」
誰も答えてくれなかった。
葉徳安に案内されて街道を外れると、やがて竹垣に囲まれた屋敷が見えてきた。
その前で、全員が足を止める。
楽の音が聞こえていた。
弦の音に笛が重なり、その合間を拍板が刻んでいる。
戦の直後とは思えないほど整った演奏だった。
「……本当にやってる」
葉徳安が頷いた。
「杜微に、外の気配を悟らせぬためでございます」
林冲は兵へ手で合図し、音に紛れて門の左右へ回らせた。
朱武も人数を絞り、足音を立てぬよう距離を詰めていく。
それでも屋敷の中から騒ぎは起こらない。
本当に気づいてない。
女の人たちが楽を奏でて杜微をその場へ縫い止め、その外側では梁山泊が屋敷ごと囲んでいく。
怖い。
何が怖いって、これ考えた人たちが一番怖い。
葉徳安とともに戻ってきた春香が、門の陰から屋敷の中を窺った。
「葉伯」
「首尾はどうだ。杜微は?」
「まだ奥で聞いております。王嬌嬌様たちも演奏を続けております」
「飛刀は?」
林冲が尋ねる。
「持っております」
肩の傷が疼いた気がした。
李俊がすぐこちらを見る。
「行くなよ」
「まだ何も言ってない!」
「顔に出てる」
この人まで顔で判断するようになってる。
誰の影響よ?
春香がこちらへ近づき、声を潜めた。
「阿雀が合図の拍を打ちます。それを聞いたら、王嬌嬌様が演奏を終えます」
なるほど。
演奏が止まった瞬間に、杜微も異変に気づく。
その時には、もう囲み終わっている。
林冲が配置を確認し、玉楼も方天画戟を握り直した。
アタシは馬上から双刀へ手を添える。
李俊が横にいる。
「無理はするな」
「分かってる」
「本当に?」
「何で玉楼と同じ確認するの?」
後ろから孫二娘が笑った。
「信用って行動履歴から作られるからねェ」
「今ログの話を蒸し返さないで!」
楽の音が続いている。
一曲が終わりかけた。
弦が伸び、笛がそれを追う。
そして――拍板が鳴った。
阿雀の合図を受けて最後の音が消え、屋敷が静まり返った。
そこで初めて、杜微の声がした。
「……どうした?」
王嬌嬌の声が返る。
「少々、手を休めとうございます」
「続けろ」
「いいえ」
その返事だけで、空気が変わった。
林冲が手を上げる。
梁山泊兵が一斉に門を越えた。
杜微が異変に気づいた時には遅かった。
廊下の先へ姿を現してこちらを見ると、その目つきが変わった。
「扈三娘?」
「また会ったわね」
杜微の指が袖へ滑る。
玉楼が半歩前へ出た。
けれど、アタシもその横へ馬を進める。
後ろじゃない。
隣だ。
杜微の口元が僅かに動いた。
「二人か」
「面倒でしょ?」
「確かにな」
昨日なら、ここから飛刀が来た。
今日は違う。
アタシを狙えば玉楼が入り、玉楼へ向ければアタシが塞ぐ。
しかも外には林冲の兵が回り、後ろにいる女たちはもう杜微を守るつもりがない。
王嬌嬌が奥から歩み出た。
杜微が振り返る。
「嬌嬌、お前――」
「杜微様」
王嬌嬌は静かに頭を下げた。
「杜微様は、私の客でございました」
杜微の表情が止まった。
「けれど、私の男ではございません」
その一瞬を、林冲は逃さなかった。
「捕らえろ!」
杜微の袖から飛刀が出るより先に、玉楼の方天画戟が手首を打った。
刃が床へ落ちた。
アタシも馬上から双刀を抜き、逃げ道を塞ぐ。
「昨日の続きね」
「三娘様、無理はなさらぬように!」
「分かってる!」
「本当ですかねェ?」
「二娘は黙ってて!」
この状況で心理学者まで参加しないで。
杜微はなお抵抗したが、昨日とは条件が違う。
飛刀で距離を作る余地もなく、こちらには林冲と玉楼がいる。
何より、今まで自分の屋敷だと思っていた場所そのものが、すでに杜微を閉じ込める檻になっていた。
やがて両腕を取られ、縄が掛けられる。
杜微はアタシを見なかった。
視線の先にいたのは王嬌嬌だった。
「最初からか?」
「いいえ」
王嬌嬌は首を振った。
「逃げたいと思った日からでございます」
杜微は何も答えなかった。
縄を引かれ、屋敷の外へ連れ出されていく。
その姿が門の向こうへ消えた途端、身体から力が抜けた。
すぐに李俊が馬の横へ来る。
「だから言っただろ」
「まだ倒れてない!」
「威張るところか?」
……違う気がする。
そこへ孫二娘が顔を寄せた。
「三娘ォ、緊張が切れたねェ。交感神経から副交感神経への切り替わりが――」
「人を教材にしないで」
「じゃあ李俊にもう一回――」
「何をさせる気!?」
顧大嫂が爆笑した。
王嬌嬌まで僅かに目を丸くしている。
やめて。
ほぼ初対面の人の前で、さっきのキスを続編みたいに扱わないで。
その時、門の外から馬が駆け込んできた。
朱武の伝令だった。
男は鞍から滑り降りると、息を整える暇もなく片膝をついた。
「急報! 方臘の行方、判明いたしました!」
笑いが消えた。
朱武が振り向く。
「どこです」
伝令が顔を上げる。
「方臘は山中へ逃れ――幇源洞に入ったとのこと!」
幇源洞――
杜微を捕らえたばかりなのに、戦は終わらない。
その名を聞いた瞬間、李俊の表情が変わった。
「玉楼、さっき嬉しそうだったねェ」
「何のことでございますか?」
孫二娘殿が、にやりと笑いました。
「三娘ォが横に並んだ時さ」
顧大嫂殿まで頷きます。
「顔に出てたよ」
「出しておりません!」
「護衛対象に横へ来られて喜ぶ従者も珍しいねェ」
「三娘様は護衛対象である前に、わたくしの主でございます!」
「玉楼、三娘ォへの思いが重いねェ」
「忠義でございますから、重くございません!」
その時、幇源洞の名を聞いた李俊殿の表情が変わりました。
次に何が待っているのか――わたくしにも、まだ分かっておりませんでした。




