虎眼鞭の一撃
「三娘ォ、あれに正面から突っ込んだら駄目だからねェ」
二娘が、向こうの重騎兵を指した。
「分かってるわよ!」
顧大嫂が腕を組む。
「アンタの『分かってる』は信用ならないんだよ」
「何で!?」
「今までの実績」
「過去ログを開くな!」
二娘が頷いた。
「行動傾向を見る限り、三娘ォは危ない物を見ると接近する確率が――」
「心理統計を取るな!」
「じゃあ簡単に言うよォ。重騎兵は重い」
「見れば分かる!」
顧大嫂が笑った。
「なら、ぶつかるんじゃないよ!」
「だから分かってるって!」
二人とも、ものすごく疑わしそうな顔をしている。
失礼ね……
アタシだって成長してるんだから。
その時、地面が揺れた。
……来た。
しかも、思ってたより重そう……
重騎兵の馬蹄が、地面を叩いた。
軽騎とは音が違う。
速さで抜くためじゃない。
馬も人も鎧で固めたまま、前にいるものを押し潰すための音だった。
朝日を返す胸当ての向こうで、騎兵達が槍を揃えてくる。
数は多くなくても、あれを左翼へまともに叩き込まれたら、隊列は一度で割れる。
「来るわよ!」
アタシは手綱を引き、後ろへ声を飛ばした。
「正面から受けない! 馬首を外へ向けさせる!」
言いながら、自分でも簡単じゃないと分かっている。
軽騎なら勢いを横へ逃がせば姿勢を崩せるけれど、重騎兵は馬も人も重い。
多少進路をずらしたくらいでは、そのまま押してくる。
玉楼が方天画戟を構え、半歩だけ前へ出た。
「初手を外します」
「無理しないでよ」
「無理ではございません」
「それ、無理する人がよく言うやつだからね?」
「三娘様にだけは言われたくございません」
こんな時に返してくるの!?
言い返す暇はなかった。
敵の先頭が迫り、馬の鼻息と土煙が一気に近付く。
槍の穂先は真っ直ぐ玉楼へ向いていた。
玉楼は真正面には立たない。
馬をわずかにずらし、方天画戟の柄を敵の槍へ添えた。
金属が擦れた。
受け止めずに滑らせ、敵の槍筋が外へ逃げる。
それでも突撃の重さまでは消えず、玉楼の馬が横へ押された。
「玉楼!」
「まだです!」
アタシはその横へ入った。
右の刀で敵兵の腕を叩き、左で手綱を狙う。
身体は揺れたけれど、落ちない。
軽騎なら、これで崩れていた。
鎧だけじゃない。
乗っている兵も馬も重く、こちらの一撃を受けたまま前へ出てくる。
「しぶとい……!」
もう一度入り直そうとした時、正面から黄信の声が飛んだ。
「弩、前へ! 杭柵の間を空けるな!」
弩兵が杭柵の隙間へ入り、槍兵が位置をずらす。
壁を厚くするのではなく、敵が進める道をわざと狭めている。
林冲が蛇矛を動かした。
「受けるな。寄せろ!」
正面の列が呼吸を合わせて動き、重騎兵の進路が少しずつ左へ曲げられていく。
その外側から、別の馬蹄が響いた。
味方だ。
土煙を割って騎兵の一隊が入り、先頭の孫立が虎眼鞭を振り上げる。
「左を空けろ!」
虎眼鞭が敵の槍の柄を横から叩き、穂先を跳ね上げた。
続けて別の敵の肩を鎧の上から打つと、馬上の身体が大きく傾く。
「今よ!」
孫立隊が横から噛み、黄信が正面を締める。
その全体を林冲が流しながら、アタシ達は左から崩していく。
玉楼が方天画戟で槍筋を外し、そこへアタシが入った。
鎧は狙わない。馬も斬らない。
右の刀で槍の柄を打ち上げ、左の刀を鐙の近くへ滑らせる。
敵兵の膝が浮いた。
「落ちろ!」
馬を寄せ、刃の背で押し込む。
敵兵がついに馬上から傾き、地面へ落ちた。
後続が前の馬を避けようとして進路を変える。
そこへ孫立の虎眼鞭が入り、さらに外へ押した。
「押し合うな! 横へ流せ!」
孫立隊が外側から圧を掛ける一方で、林冲隊は正面を崩さない。
黄信の弩兵もむやみに射たず、敵が進みたがる場所だけを塞いでいる。
玉楼が半歩外へ誘い、アタシが崩れたところへ入る。
一度勢いを失った重騎兵は、むしろ自分達の重さに邪魔され始めた。
前の馬が詰まれば後ろは避けられず、槍を振り回す場所もなくなる。
「三娘様、右です」
「見えてる!」
「では左も」
「増やすな!」
言い返しながら右の一騎を外へ押し、左から入った敵の槍を双刀で弾く。
玉楼の方天画戟がその間へ滑り込み、敵同士の馬首をぶつけさせた。
「今の、わざと?」
「偶然でございます」
「絶対嘘!」
こんな状況なのに、玉楼の口元がわずかに動いた。
こっちは笑ってる暇ないんだけど!
それでも、さっきまで一つの塊だった重騎兵が、一騎ずつ進む場所を失っていく。
馬首が乱れれば槍先も揃わず、足並みが崩れれば、あれだけ怖かった重さそのものが邪魔になる。
突撃線が折れた。
敵騎兵の何人かが杭州城の方を振り返る。
逃げる。
追えば、まだ崩せる。
背中を見せた相手をこのまま帰すなんて、もったいない。
一気に行けば、もっと削れるかもしれない。
身体が先に出そうになった。
その瞬間、林冲の言葉が頭に戻ってくる。
深追いはするな――
城門へ寄れば、矢に晒される。
それだけじゃない。
今までのアタシなら、見えた勝ち筋へそのまま飛び込んでいた。
西京でも、紀山でも、危ないところへ入ってから周りを見ることが何度もあった。
そのたびに玉楼に止められ、紅玉に見られ、二娘と顧大嫂には散々ネタにされた。
……最後の二人はちょっと余計だけど。
見えたから行く。
それだけじゃ足りない。
戻る場所を見て、止まる場所も決めてから行く。
アタシは手綱を引いた。
「追い過ぎない! 杭柵の外まで!」
兵達が振り返り、何人かはまだ行けるという顔をしていた。
分かる。
アタシだって行きたい。
だからこそ、もう一度叫んだ。
「止まれ!」
自分でも驚くほど、声が通った。
玉楼も方天画戟を立てる。
「ここから先は敵の間合いでございます」
その一言で、前へ出かけた兵達が踏みとどまった。
逃げる敵騎兵の背中が杭州城へ遠ざかる。
その向こう、城壁の上で弓兵が動いた。
弓がこちらへ向く。
やっぱり待っていた。
追っていたら、射られていた。
「……危なかった」
息を吐くと、玉楼がこちらを見た。
「ですが、止められました」
「うん」
正面では林冲がまだ敵の動きを見ている。
黄信は弩兵と槍兵の配置を戻し、孫立も虎眼鞭を下ろして隊をまとめ直していた。
重騎兵は退いたが、勝ったという感じはしない。
杭州城はまだ目の前にあり、門も閉じたままだ。
西湖の方も、不気味なくらい静かだった。
水辺へ目を向ける。
李俊達も、水路を探るために動き始めている頃だろう。
アイツには張横や童威、童猛もついている。
……ちゃんと休んだのかな? って、またアイツの心配してるし。
「三娘様」
玉楼に呼ばれ、慌てて前を見る。
「何でもない!」
「まだ何も伺っておりません」
「その返し今日二回目!」
玉楼は何も言わなかったけれど、絶対、分かっててやってる。
その時、林冲がこちらを向いた。
「扈三娘」
「はい」
「左翼を立て直せ。敵はまた来る」
「分かりました」
一拍置いて、林冲が続ける。
「追わなかった判断は良かった」
言葉が出なかった。
林冲はもう前を見ている。
たぶん、本当に事実を言っただけだ。
でも、胸の奥に引っ掛かっていたものが少しだけ軽くなった。
「……はい」
返事をすると、後ろから顧大嫂の怒鳴り声が飛んできた。
「怪我人を下げな! 馬を替えるなら今のうちだよ!」
二娘も負けていない。
「立ってるだけの奴は邪魔だよォ! 動けるなら手を貸して、動けないなら素直に寝てなァ!」
本陣側は、もう次へ向けて動いていた。
アタシが戻ると、二娘が真っ先にこっちを見る。
「三娘ォ」
嫌な予感しかしない。
「何?」
二娘は上から下までアタシを眺め、にやっと笑った。
「怪我人第一号、回避したねェ」
「そこ確認する!?」
顧大嫂が横から口を挟む。
「今日は予定と実績が一致したじゃないか」
「褒め方!」
「成長だねェ」
「朝からずっと成長判定するな!」
二娘がアタシの肩を軽く叩く。
「じゃあ次は、深追いしなかった記念に休養を――」
「しない!」
「まだ最後まで言ってないよォ」
「休養って聞こえた!」
顧大嫂が笑う。
「判断は成長しても、休む判断はまだ駄目みたいだねぇ」
「今は隊を戻すの!」
「ほら、理由付けが上手くなった」
「何で全部評価項目になるのよ!」
玉楼まで横から頷いた。
「本日の成長は順調でございます」
「玉楼まで採点側に回るな!」
兵達の何人かが、また笑っている。
……今笑った奴、本当に覚えてるからね。
二娘はまだ楽しそうだったけれど、やがてアタシの後ろへ視線を移した。
「でも、止まれたんだろォ?」
一瞬だけ言葉に詰まる。
「……止まれたわよ」
「じゃあ上出来」
今度は茶化さなかった。
それが妙にくすぐったくて、アタシは先に兵達へ向き直った。
「隊列を戻すわよ! 怪我人を下げて、馬を替える! 次が来る前に整える!」
兵達が動き始める。
前で敵の勢いを殺し、横から崩した後は、後ろが負傷兵を受け取って道を空ける。
どこか一つでも詰まれば、次の突撃には耐えられない。
朝日は、さらに高くなっていた。
アタシは杭州城を見上げる。
重騎兵を退けたばかりなのに、城壁の上では次に使う矢束が、もう運ばれ始めていた。
孫二娘殿が、戻ってきた三娘様を見て満足そうに頷きました。
「本日の三娘ォ、深追いしませんでしたァ」
顧大嫂殿が腕を組みます。
「珍しいこともあるもんだね」
「珍事扱いするな!」
三娘様が振り返りました。
わたくしも頷きます。
「わたくしも確認いたしました。確かに止まっておられました」
「玉楼まで証人になるな!」
孫二娘殿が指を折ります。
「次は休む、ちゃんと食べる、李俊の心配を隠さない――」
「最後だけ項目がおかしい!」
「そこだけ否定するんだねェ?」
三娘様が固まりました。
顧大嫂殿が笑います。
「分かりやすいねぇ」
「うるさい!」
その時、杭州城の城壁がまた慌ただしくなりました。
わたくしは方天画戟を握り直します。
どうやら、採点の続きは後になりそうでございます。




