敵は、まだ一枚残していた
「三娘ォ、今日は兵を率いるんだから、大将らしくしてねェ」
二娘に言われて、思わず胸を張った。
「任せなさいよ。威厳ならあるから」
顧大嫂が首を傾げる。
「どこに?」
「探すな!」
「じゃあ、兵が迷ったらどうするのォ?」
「ちゃんと指示する」
「敵が予定外の動きしたら?」
「考える!」
顧大嫂が笑った。
「アンタ、考える前に身体が動くじゃないか」
「今日は頭が先!」
二娘がアタシの額へ手を当てた。
「熱はないねェ」
「何で病気扱いなの!?」
「だって三娘ォが『今日は頭が先』ってェ――」
「そこまで珍しくない!」
その時、幕舎の外が急に騒がしくなった。
馬蹄が、こっちへ近付いて来る。
……ほら!
考える前に、何か来た。
軍議を終えて幕舎を出ると、朝日はもう高くなっていた。
兵達が忙しく動いている。
矢束が前へ運ばれ、縄を抱えた兵が攻城具の材木を避けながら走っていく。
顧大嫂は、もうその真ん中で怒鳴っていた。
「そっちじゃないよ! 丸太は前衛へ回しな! 何で一番重い物から道を塞ぐんだい!」
怒鳴られた兵が慌てて向きを変える。
二娘はその横で、水桶を運ぶ列を止めていた。
「そこ、間を空けて。怪我人を下げる道まで荷物で埋めたら意味ないよォ」
「孫頭領、こっちはどこへ?」
「水はこっち。布は奥。三娘ォは前」
「最後だけ荷物みたいに分類するな!」
二娘が振り返って、妙に艶っぽく笑った。
「いたのォ?」
「最初からいたわよ!」
顧大嫂まで笑う。
「軍議で地図に突っ込んでたから、まだ戻って来てないのかと思ったよ」
「地図には突っ込んでない!」
「袖は引かれてたねェ」
「見てたの!?」
玉楼は隣で何も言わない。
その沈黙が一番腹立つ。
「玉楼も何か言って!」
「事実でございますので」
「味方がいない!」
少しだけ笑いそうになった、その時だった。
宿営地の外から馬蹄が近付いてくる。
早馬だ。
「朱武様へ急ぎ、お取次ぎを!」
泥を跳ね上げながら、一騎が駆け込んで来た。
「急報! 前衛より急報!」
朱武が幕舎の前で足を止め、呉用も羽扇を握ったまま振り返る。
「申せ」
伝令が馬上から身を乗り出した。
「杭州城より敵騎兵出撃! 前衛陣地へ向かっています!」
空気が変わった。
顧大嫂が真っ先に兵達へ向き直る。
「荷を下ろせ! 道を空けな!」
二娘もすぐ水桶の位置を変えさせる。
「水と布を前へ出して、寝かせる場所も空けときなァ! まだ怪我人はいないけど、来てから考えたら遅いよォ!」
それからアタシを見る。
「三娘ォ」
「何?」
「今から怪我人第一号になる予定は?」
「ない!」
「即答出来るようになったねェ」
「成長判定するな!」
玉楼はもう方天画戟を取っている。
アタシも馬へ走った。
張順は戻らず、眠れた感じもしない。
それでも敵は待ってくれない。
馬の首に手を掛けた時には、林冲が前へ出ていた。
慌ててはいない。
ただ敵が来る方角を見ているだけなのに、周囲の兵達の動きが締まっていく。
「扈三娘」
呼ばれて、すぐ顔を上げる。
「はい」
「お前は左へ回れ。正面は我が隊で受ける。敵が流れた所を叩け」
「分かりました」
「深追いはするな。城門へ寄れば矢に晒される」
「はい」
林冲は必要なことだけを言う。
だから、最後の一言が妙に刺さった。
深追いするな。
……最近、これを言われる回数が多くない?
二娘が後ろから声を飛ばす。
「三娘ォ、今ちょっと不満そうな顔したねェ!」
「何で分かるのよ!」
「観察!」
「戦場で心理査定するな!」
林冲がこちらを見た。
「扈三娘」
「はい! 左へ回ります!」
これ以上は怒られる。
アタシは手綱を引き、左へ回った。
「玉楼」
「はい」
玉楼は方天画戟を携え、当然のように半歩後ろへ付いてくる。
「左へ回るわよ」
「既に回っております」
「返事が一歩早い!」
「三娘様が一歩早く出られますので」
「それ褒めてる?」
「さて」
絶対褒めてない。
本陣には顧大嫂と二娘が残る。
二人が負傷兵の道や水の置き場まで整えてくれているから、こちらは前だけを見られる。
顧大嫂が腕を組んだ。
「こっちは任せな。戻る道は塞がせないよ」
二娘も朴刀を肩に担ぎ、笑っている。
「怪我して戻って来たら、今度こそ強制的に寝かせるからねェ」
「もう少し優しく出来ないの?」
「生きて戻った患者には優しいよォ」
「患者にする前提やめて!」
「じゃあ無傷で帰って来なァ」
「最初からそうするわよ!」
顧大嫂が鼻で笑った。
「アンタの場合、予定と実績が一致しないんだよ」
「今日は一致させる!」
「今日“も”じゃないんだねェ」
「うるさい!」
言い返しながら馬を進めると、少しだけ息が抜けた。
玉楼が隣で言う。
「お二人が本陣におられるから、前が動けます」
「分かってる」
「はい」
玉楼はそれ以上言わなかった。
必要な時だけ前へ出て、アタシが動ける場所を作ればまた位置を戻す。
功を取りに飛び出すのではなく、誰かを生かすために玉楼は方天画戟を振るう。
今では、それが当たり前みたいに隣にある。
南の道で砂塵が膨らみ、杭州城から出た騎兵が前衛陣地へ向かって来る。
数は多くないが、速い。
前衛の杭柵を壊し、攻城具の準備を乱すつもりだろう。
こちらが慌てて追えば、城門近くまで引いて矢を浴びせることも出来る。
嫌な動きだ。
「軽騎兵でございますね」
玉楼が敵を見る。
「見れば分かるわ」
「ただの威力偵察ではないかと」
「それも分かってる!」
「では安心いたしました」
「何で確認試験みたいになってるのよ!」
玉楼の口元が、ほんの少しだけ動いた。
絶対楽しんでる。
敵の隊列を見ると、奥が妙に締まっていた。
ただ荒らしに来ただけの兵ではなく、きちんと指揮を執っている者がいるらしい。
敵もこちらを見ている。
どこが薄いか、どこへ触れれば崩れるかを、杭州城の中でちゃんと考えている。
張順がまだ戻らない西湖も気になる。
それに、李俊はちゃんと休んだのかな?
……って何で今、そこまで気になるのよ?
「三娘様?」
「何でもない!」
「まだ何も伺っておりませんが?」
「先に否定しただけ!」
玉楼はそれ以上追及しなかった。
助かった。
今は前だ。
林冲隊が正面へ並ぶ。
槍が揃い、盾が半歩前へ出た。
林冲は馬上で蛇矛を立て、敵の突撃を待っている。
アタシは左へ回る。
正面では止めず、林冲隊が受け流した敵の横を叩く。
「左へ寄せる! 正面には出ないで!」
手勢が動く。
大きな部隊じゃないけれど、今ここで任された分はアタシの責任だ。
玉楼も兵達へ指示を飛ばす。
「馬間を空け過ぎないでください。林冲殿の隊より前へ出ないように」
「そこ大事!」
「三娘様もでございます」
「アタシも!?」
「特に」
兵の何人かが笑った。
「笑うな!」
その笑いが消えるより先に、敵騎兵が迫った。
先頭が槍を構え、馬の脚が土を叩く。
杭柵の手前にいた兵達が盾を持って下がった。
林冲が蛇矛をわずかに動かす。
「受けるな。流せ」
指示が通る。
次の瞬間、敵騎兵が前衛へぶつかった。
槍と盾が鳴り、馬が嘶く。
土が跳ねた。
だが林冲隊は真正面から止めない。
盾を斜めに置き、槍の列をずらして、突っ込んで来た勢いを横へ逃がす。
先頭が左へ膨らんだ。
そこだ――
「今よ!」
馬腹を蹴る。
玉楼も続いた。
左へ流れて来た敵騎兵の横腹へ、一気に入る。
双刀を抜くと、朝日が刃を走った。
敵兵の一人がこちらを向く。
遅い。
右の刀で槍を払い、左で手綱を切る。
馬が横へ跳ね、敵兵が体勢を崩した。
「押し込まない! 横から崩す!」
叫んだ直後、玉楼が横から言う。
「三娘様、先程より指示が分かりやすくなりました」
「比較対象が『下がり過ぎない、でも受け止めない』だからでしょ!」
「ご理解いただけて何よりでございます」
「戦いながら反省会するな!」
方天画戟が敵兵の槍を外へ払い、そのまま穂先ではなく柄で身体を押し崩す。
玉楼は自分で取りに行かず、敵をアタシの前へ流す。
その一人へ馬を斜めに入れ、双刀を交差させた。
敵の隊列が乱れる。
後ろの騎兵が前の馬を避け、さらに外へ膨らんだ。
林冲隊が正面で形を保ち、アタシ達が左から削る。
悪くない。
でも、敵はすぐに引かなかった。
隊列の奥から号令が飛ぶ。
先頭の乱れた兵を捨て、後ろの列が左右へ分かれた。
「来ます」
玉楼が方天画戟を返す。
「分かってる!」
「まだ何も申し上げておりません」
「来ますって言ったじゃない!」
「それ以上は、でございます」
「細かい!」
敵は左翼を潰しに来る。
林冲隊の正面を抜けないと見て、こちらを叩いて横腹へ入るつもりだ。
判断が早い。
「下がり過ぎない! でも受け止めない!」
自分で言ってから嫌な予感がした。
玉楼がこちらを見る。
「三娘様」
「分かってる! また分かりにくかった!」
後ろの兵から笑いが漏れた。
「今笑った奴、あとで覚えてなさいよ!」
「戦の最中に私怨を増やさないでくださいませ」
「誰のせいよ!」
それでも隊は動いた。
玉楼がほんの半歩前へ出て、敵が入りたくなる隙を作る。
アタシが突っ込むんじゃない。
玉楼が流れを作り、アタシがそこを斬る。
敵兵が開いた場所へ入った。
「三娘様」
「今度こそ分かってる!」
馬を斜めに入れ、双刀で敵の槍を下から弾く。
馬首を外へ向けさせると、後ろの兵が盾を突き出し、騎兵の流れがまた崩れた。
「よし!」
声が出た、その時だった。
乱れた軽騎兵の奥に、別の影が見えた。
馬が大きい。
騎手の鎧も厚い。
玉楼の表情から笑いが消える。
「三娘様。奥を」
「見えてる」
今度は、冗談を返す気にならなかった。
重騎兵だ。
軽騎兵でこちらを動かし、陣形が開いたところへ本命を叩き込むつもりだったのだ。
敵は、まだ一枚残していた。
本陣には顧大嫂と二娘がいる。
退路も、負傷兵を下げる道も空いている。
だからこそ、ここで潰されるわけにはいかない。
「林冲へ伝令! 敵の奥に重騎兵!」
玉楼が即座に兵を走らせる。
アタシは双刀を握り直した。
軽騎の乱れの向こうから、重い馬蹄が近付いて来る。
「左翼、持ち堪えるわよ!」
玉楼が隣で方天画戟を構えた。
「参ります」
「ええ」
アタシは息を吐き、双刀を上げた。
敵の重騎兵が、こちらへ向かって来た。
孫二娘殿が、後方から三娘様の声を聞いて笑っておられました。
「『今笑った奴、あとで覚えてなさいよ』だってェ」
顧大嫂殿も肩を揺らします。
「戦の最中に部下へ恨み帳つけてどうするんだい」
「恨み帳じゃないわよ!」
三娘様の声が、前から飛んで参りました。
わたくしは方天画戟を構え直します。
「ご安心くださいませ。笑った者は、わたくしも覚えております」
「玉楼まで!?」
孫二娘殿が吹き出しました。
「三娘ォ、味方を増やす方向が間違ってるよォ!」
「うるさい!」
そこまでは、いつもの三娘様でした。
ですが次の瞬間、軽騎兵の向こうから重い馬蹄が迫って参りました。
さすがに、誰も笑わなかったのでございます。




