偽善の構図編
勝てば、宴になる。
盃が回り、名が上がり、形が整う。
その裏で、誰が動き、誰が傷つき、誰が置き去りにされたのか。
見えないものは、すぐに流れの中へ沈む。
アタシは見ている。
見たくないものまで、見えてしまう。
灯りが強い。
宴だ。
声が重なり、盃が回る。
戦の匂いは、もう無い。
中央が騒がしい。
人が寄っている。
視線が集まる。
その中に、二人。
宋江と盧俊義。
「盧俊義殿の働きによって、史文恭を討つ事が出来た」
声が上がる。
重なる。
場が一気に寄る。
宋江が頭を下げる。
「首領の座は、貴殿こそ相応しい」
騒ぎが一瞬、止まる。
盧俊義は動かない。
盃を置く。
一拍。
「……それは違う」
短く押し返す。
「梁山泊は、貴殿のものだ」
宋江は顔を上げない。
「いえ」
それだけ言う。
続けない。
場が揺れる。
笑っている。
だが、目は動いている。
これは、決める場だ。
宴の形をしているだけだ。
玉楼が横で動かない。
顧大嫂が小さく息を吐く。
孫二娘は笑わない。
同じものを見ている。
アタシは盃を受け取る。
口はつけない。
「……始まってるわね」
小さく呟く。
誰にも届かない。
誰も、止めない。
流れだけが、進む。
一拍。
どちらも動かない。
決まらない。
譲り合っている。
だが、場はそれを待たない。
呉用が口を開く。
「宋江殿は、東平府」
間を置かない。
「盧俊義殿は、東昌府」
それで決まる。
誰も異を唱えない。
これで進む。
宋江が頷く。
盧俊義も、わずかに頷く。
戦で決める。
そういう形になる。
アタシは盃を見ている。
口はつけない。
顧大嫂が鼻で笑う。
「また戦かい」
孫二娘が肩をすくめる。
「決め方は変わらないねぇ」
玉楼は隣で見ている。
「またですか……」
小さく呟く。
それでも、進む。
流れは止まらない。
盃だけが回る。
アタシは手綱を取る。
動く前に、一瞬だけ止まる。
視線は前だ。
「……気に入らない奴のため、か」
小さく漏れる。
玉楼は何も言わない。
否定もしない。
分かっている。
顧大嫂が鼻で笑う。
「今さらだろ」
軽い。
だが、外していない。
孫二娘が肩をすくめる。
「誰のためでもないさ」
一拍。
「生き残るためだ」
アタシは呟く。
「……行くわよ」
玉楼が号令する。
「第四軍、前へ」
夜のまま、進む。
陣形が開く。土が乾いている。
蹄が踏みしめる音だけが続く。
誰も話さない。もう宴ではない。
戦の中だ。
アタシは前を見る。
玉楼が隣につく。
顧大嫂が左を押す。
止まらない。
孫二娘が右を締める。
崩さない。
三つ、噛み合う。
陣形は乱れない。
そのまま進む。
遠くに灯りが見える。
東平府。
近い。
気配が変わる。
張っている。
前が重い。
アタシは手綱を引く。
「止める」
玉楼が通す。
「止まれ!」
隊列が止まる。
一瞬で整う。
静かだ。
だが、近い。
気配が、来る。
影が動く。
暗がりから、流れ込む。
声が遅れて届く。
「――来たぞ!」
一瞬。
距離が潰れる。
「左、前へ」
玉楼が通す。
「左翼、出ろ!」
顧大嫂が踏み込む。
左翼が走る。
押す。
ぶつかる。
音が潰れる。
止まらない。
そのまま押し込む。
孫二娘が右翼から入る。
横から絡む。
一人、引きずり落とす。
崩れが出る。
広げる。
三つ、噛み合う。
止まらない。
アタシは手綱を緩める。
流れに乗る。
「そのまま」
玉楼が通す。
「そのまま押せ!」
前が揺れる。
割れる。
隙が出る。
そこへ入る。
迷わない。
踏み込む。
伝令が来る。
「一時後退です」
アタシは手綱を引く。
「退くわよ」
玉楼が通す。
「退け!」
隊列が退く。
距離を取り、止める。
「しばらく待機ね」
玉楼が頷く。
隊列が静まり返る。
しばらく音がない。
やがて、城内が揺れる。
火の手が上がる。
遅れて、叫び声。
門が開く。
間を置かず、宋江が号令する。
「全軍、突撃!」
一斉に動く。
流れが前へ出る。
止まらない。
その中で、アタシと玉楼だけ動かない。
風だけが抜ける。
流れが横を過ぎる。
誰も振り返らない。
アタシは門を見る。
火が上がっている。
中で動いている。
玉楼が低く言う。
「……内からです」
アタシは頷かない。
ただ、見ている。
一拍。
「行かない」
小さく呟く。
玉楼は黙ったままだ。
流れは前へ行く。
アタシは動かない。
火の手は上がったまま。
門は開いたままだ。
中へ、隊列が流れ込む。
風が煙を運ぶ。
焦げた匂い。
遅れて、声。
「内からもだ!」
「太守がやられた!」
「娘だとよ!」
軽い。
軽すぎる。
アタシは門を見たまま。
「……それで、やったの」
玉楼は何も言わない。
否定しない。
顧大嫂が近づく。
足を止めない。
「アンタはやっぱり行かないんだね」
軽い。
決めつける。
孫二娘が横に並ぶ。
肩をすくめる。
「好きにしな」
それだけだ。
二人とも、迷わない。
そのまま流れに戻る。
火の中へ入る。
振り返らない。
アタシは門を見る。
火の向こうで、人が走る。
影だけが見える。
倒れる影もある。
「……巻き込んだのね」
返事はいらない。
煙が流れる。
アタシは息を吐く。
重い。
「……ここにいる」
玉楼が小さく頷いた。
流れは中へ行く。
アタシ達は、外にいる。
煙はまだ流れている。
火は消えない。
内で、人が動く。
こちらは、外にいる。
その中へ、馬が割り込む。
土を蹴り、止まる。
息が荒い。
「東昌府――手こずっております!」
場が一瞬、固まる。
視線が集まる。
アタシは目を外さない。
「……行かない」
玉楼が見つめる。
「参じるべきです」
顧大嫂が鼻で笑う。
「呼ばれてるんだ。行くしかないさ」
孫二娘が肩をすくめる。
「向こうで終わらせりゃ、ここは早く静まる」
現実だ。
アタシは息を吐く。
煙の匂いが残る。
内を見ない。
「……同じことになる」
零れる。
玉楼は否定しない。
一拍。
「それでも、行きます」
受けるしかない。
顧大嫂が一歩前に出る。
「遅れるなよ」
孫二娘が続く。
「後で追いつきゃいい」
もう動いている。
止まらない。
アタシは手綱を握る。
離さない。
一拍。
「……東昌府へ」
玉楼が通す。
「第四軍、東昌府へ!」
隊が向きを変える。
煙を背にする。
走り出す。
火は、後ろに残る。
東昌府では、まだ戦いが続いていた。
押し切れていない。
前が詰まっている。
遅れて、声。
「石だ!」
乾いた音が走り、当たる。
前列が倒れ、進めない。
姿は見えない。石礫の名手がいる。
外から飛んでくる。
避けきれずに、肩が割れる。
馬が倒れ、流れが止まる。
重傷者が増える。
アタシは目を細め、来る方を探る。
遠い。
だが、ある。
一拍。
「詰めるわよ」
玉楼が通す。
「距離を詰めろ!」
隊列が動く。
その瞬間。
音が来る。
視界の端に石が。
避けられない。間に合わない。
当たる。
息が抜け、力が落ちる。
手綱が滑り、視界が揺れる。
地面が近い。
そのまま落ちる。
音が遠くなる。
「――扈三娘様!」
「前を止めるな!」
「押せ!」
隊列が応じる。
止まらない。
流れを切らせない。
顧大嫂が左翼を押す。
孫二娘が右翼を締める。
三つ、繋がる。
玉楼が見る。
全体を取る。
指示を落とす。
「間を詰めろ!」
「下がるな!」
声が通る。
隊が戻る。
前が繋がる。
崩れない。
アタシは動けない。
息が浅い。
気が遠くなる。
だが、聞こえる。
まだ、進んでいる。
気がつくと、幕舎の中で寝かされていた。
天井が低い。
風で揺れる。
外の音が薄く入る。遠い。
一拍。
浅く息を吸う。
体が重い。
動けない。
鈍い痛みが遅れて来る。
肩だ。
敷物の感触。
寝かされている。
隣に玉楼がいる。
動かず座っている。
こちらを見ている。
「……気が付かれましたか」
一瞬だけ、アタシは目を閉じる。
「どこまで」
それだけ聞く。
玉楼は迷わず答える。
「押し切りました」
一拍。
「石礫の将です。宋江の幕舎に」
さらに一拍。
「張清という者です」
外で声が動く。
まだ終わっていない。
アタシは息を吐く。
痛みが戻る。
でも、生きている。
忠義堂は、いつものように賑やかだ。
盃が回り、声が重なる。
笑いもある。
戦の後だ。
アタシは席に着く。
玉楼も隣に座る。
顧大嫂が盃を傾ける。
孫二娘も同じだ。
飲んでいる。
だが、見ている。
中央を。
宋江が立つ。
盃を持つ。
一拍。
言葉を置き、場が受ける。
すぐに、発表される。
「――新首領は宋江殿で」
呉用が言う。
「異存はない」
周りが揃って言う。
顧大嫂が小さく息を吐く。
「結局、そのままかい」
軽い。
孫二娘が肩をすくめる。
「変わらないねぇ」
同じ調子だ。
だが、見ている。
アタシは盃を持ったまま。
口はつけない。
「……段取り、出来過ぎてるわね」
玉楼が小さい声で返す。
「その様ですね」
一拍。
盧俊義が頷き、宋江が頭を下げる。
もう、変えられない。
盃が回る。
声が続く。宴はそのままだ。
顧大嫂が盃を置く。
「揉めないなら、それでいい」
孫二娘が笑う。
「面倒がないのが一番さ」
玉楼は盃に手をかける。
アタシは盃を見ている。
終われば、何事もなかったように戻る。
盃は回り、席は埋まり、名は定まる。
誰が押したか、どこで決まっていたか。
口に出す者はいない。
出す必要もない。
そういう形で、進む。
アタシは見ている。
見ているだけだ。




