城門だ
水門が開いたからって、何でアタシまで入る前提になってるの?
「三娘ォ、行かないのかい?」
「行くけど!」
孫二娘が即座に頷いた。
「ほらねェ。行動予測は簡単だった」
「心理学使う必要あった!?」
顧大嫂まで腕を組む。
「止めても行くだろ?」
「行く」
「じゃあ聞くだけ無駄じゃないか」
「二人とも判断が早過ぎる!」
孫二娘が水門の向こうを見た。
「まあ、李俊も先に入ったしねェ」
「それ関係ない!」
「まだ名前しか出してないよォ」
「……しまった」
顧大嫂が笑った。
その時、水門の奥で犬が吠えた。
次に聞こえたのは――敵襲を告げる銅鑼だった。
湖州城の夜は、まだ崩れ切っていなかった。
水門の向こうから、もう一度だけ木の軋む音がした。
さっきより大きい。
李俊が上げていた手を下ろす。
「行くぞ」
その一言で、水軍の小舟が動いた。
今まで息を殺していた兵達が、音を立てないまま水門へ寄っていく。
わずかに開いた隙間から水が流れ出し、そこへ先頭の舟が滑り込んだ。
アタシも馬を降りる。
玉楼が方天画戟を持ち直した。
「三娘様も行かれますか?」
「ここまで来て見てるだけは無理でしょ」
「承知いたしました」
「その顔、最初から分かってたでしょ!」
玉楼の口元がほんの少しだけ緩む。
後ろから孫二娘が寄ってきた。
「三娘ォ」
「何?」
「さっきまで李俊の袖掴んでた人が、急に勇ましくなったねェ」
「今それ言う!?」
顧大嫂まで肩を揺らす。
「離れた途端に元気になったじゃないか」
「アンタら後で覚えてて!」
「後があるならねェ」
その一言だけで、笑いが止まった。
そうだった、まだ城にも入っていない。
李俊が舟の上から振り返る。
「来るなら早くしろ」
「誰のせいで話が長くなってんのよ!」
「俺じゃねぇだろ」
それはそう。
アタシと玉楼は次の小舟へ乗り、孫二娘と顧大嫂は後続へ回った。
「三娘ォ、前は任せるよ!」
「二娘は?」
「怪我人が出たら拾う。あと、アンタが暴走したら止める」
「最後いらない!」
「必要だねェ」
舟が動き出す。
水門の隙間が近付くにつれ、胸の奥が締まった。
ここを越えればもう城内で、逃げ道は水路しかない。
しかも、その水路だっていつ閉じられるか分からない。
先に入った李俊の舟が、闇の向こうへ消える。
アタシはまた無意識にそちらを目で追っていた。
玉楼が何も言わずこちらを見る。
「何?」
「いえ」
「絶対何か言おうとした!」
「お気になさらず」
「それが一番気になる!」
小舟が水門を抜けた。
その瞬間、空気が変わった。
城外では水の音しか聞こえなかったのに、内側には人の気配がある。
遠くで兵の声がし、どこかで犬が一度だけ吠えた。
そして、水門脇の石道に二人の男が立っていた。
時遷と白勝だった。
白勝は見張りの上衣らしきものを着ていて、顔色がものすごく悪い。
生きていた。
「白勝!」
思わず呼ぶと、白勝がこっちを見た。
「声出すな! 今まで何のために死ぬほど怖い思いしたと思ってんだ!」
「ご、ごめん!」
時遷が水門の内側を指した。
閂は外れている。
足元には縄と、濡れた鍵束が落ちていた。
「開けられたの?」
「見りゃ分かるだろ」
「それ今日二人目!」
何でみんな同じこと言うのよ。
李俊の兵達が次々と水門内へ入り、狭い通路の両側へ散っていく。
まだ敵は来ない。
時遷と白勝が、どうやってここまでやったのかは分からない。
聞きたいけれど、今はその時間もなかった。
白勝が水門の奥を気にしながら言う。
「見張りを誤魔化してたが、長くは持たねぇぞ」
「何人いる?」
「知らねぇよ! 数える余裕あるように見えるか!?」
「それもそうね!」
孫二娘の乗った舟も入ってくる。
水門を越えた途端、二娘は白勝を見て目を細めた。
「顔色悪いねェ」
「今診るな!」
「強いストレス反応だねェ」
「診断するな!」
「白勝、声」
時遷に止められ、白勝が自分の口を押さえた。
顧大嫂が舟から降りながら笑う。
「元気そうじゃないか」
「どこがだよ!」
こんな場所なのに、少しだけいつもの空気が戻る。
その直後だった。
城内で犬が激しく吠え始め、全員の顔が変わる。
一度ではなく、何度も続けて吠えている。やがて遠くから兵の声がした。
「おい、あっちは何だ?」
別の声が重なる。
松明の火が、角の向こうで揺れた。
李俊が素早く命じる。
「散れ。水門を取られるな」
水軍の兵達が即座に壁際へ広がった。
アタシは日月双刀を抜く。
隣で玉楼の方天画戟が上がる。
もう言葉はいらなかった。
角を曲がってきた湖州兵が、こちらを見て足を止める。
一瞬だけ、向こうの目が見開かれた。
「敵――!」
最後まで叫ばせない。
アタシが踏み込む。
最初の槍を日刀で外へ払い、その懐へ月刀を入れた。
横から二人目が来る。
玉楼の方天画戟が先に届く。
槍の穂先を絡め取るように外へ流し、柄を返して兵の胴を打った。
「三娘様」
「分かってる!」
開いたところへアタシが入る。
敵の肩が崩れ、そのまま後ろの兵まで押し込んだ。
「何で毎回言う前に分かるんですかねェ」
後ろから孫二娘の声がする。
「今質問する!?」
「観察だよォ」
「戦場で研究しないで!」
「三娘ォ、右!」
言われた通り右を見る。
敵兵が一人、倒れた仲間を越えて突っ込んでくる。
二娘が拾った槍の柄で、その足を払った。
敵が転ぶ。
顧大嫂がすぐ後ろから蹴り飛ばす。
「ほら、前見な!」
「二人とも普通に戦ってるじゃない!」
「後ろ守ってんだよ!」
確かに、アタシ達の後ろには水門がある。
ここを取られたら終わりだ。
次の瞬間、城内のどこかで銅鑼が鳴った。
重い音が、夜の湖州を揺らす。
「敵襲!」
「水門だ!」
怒号とともに松明の数も増え、さっきまで眠っていた城が一気に目を覚ました。
李俊が短刀を抜き、角から飛び出してきた兵を受け止める。
刃がぶつかる。
アタシは反射でそちらを見る。
李俊が気付いた。
「見るな! 自分の前見ろ!」
「見てない!」
「今見てただろ!」
「生存確認!」
「早ぇよ!」
孫二娘が後ろで笑った。
「更新頻度高いねェ!」
「うるさい!」
玉楼が方天画戟で敵の槍を跳ね上げる。
「三娘様、こちらを」
「はい!」
また返事した!
そんなことを考えている間にも、身体は動く。
玉楼が広い間合いで敵を外へ追い、アタシがその内側へ入る。
敵がアタシへ寄れば玉楼の刃が届き、玉楼の懐へ潜ろうとすればアタシが止める。
狭い水門通路では、むしろ二人で動く方が早かった。
ただ、敵の数は増えていく。
銅鑼が鳴った以上、もう隠密は終わりだ。
「このまま水門だけ守るの?」
アタシが叫ぶと、李俊が敵を押し返しながら答えた。
「それじゃ城は落ちねぇ!」
その時、時遷がアタシ達の横を抜けた。
白勝も続こうとして、露骨に嫌そうな顔をする。
「まだ行くのかよ!」
時遷が振り返る。
「もう銅鑼は鳴った」
「だから何だよ!」
「城門だ」
白勝が止まった。
アタシも一瞬だけ聞き返す。
「城門?」
時遷は湖州城の奥を指した。
「今、兵は水門へ寄ってる。正面が薄くなる」
李俊が笑った。
「悪くねぇ」
「作戦変わってない!?」
「戦なんてそんなもんだ」
「軽い!」
朱武が聞いたら何て言うんだろう。
でも、理屈は分かる。
水門へ敵を引き付けたなら、今度は城門を開けばいい。
外には盧俊義と林冲の隊が待っている。
正面から壊せなかった門を、内側から開ける。
それができれば、一気に形が変わる。
李俊が水軍の兵へ指示を飛ばした。
「半分はここを押さえろ! 残りは城門へ回る!」
「李俊も行くの?」
「行く」
即答だった。
「じゃあアタシも」
「聞いてねぇ」
「言ってるの!」
孫二娘がすぐ割り込む。
「はいはい、三娘ォは行くと思ったよ」
「止めないの?」
「止めて聞くかい?」
「聞かない!」
「じゃあ時間の無駄だねェ」
顧大嫂がため息をついた。
「アタシらは水門側に残るよ。退路まで全員で捨てたら馬鹿だ」
「頼んだ!」
「勝手に死ぬんじゃないよ!」
玉楼は何も聞かず、もうアタシの隣に立っている。
「行きましょう」
「やっぱり来るのね」
「当然でございます」
アタシ達は時遷の後を追った。
湖州城の中は、完全に混乱していた。
水門へ向かって走る兵と、何が起きたのか分からず立ち止まる兵がぶつかっている。
遠くでは命令が飛び交い、開け放たれた戸口から民が怯えた顔を覗かせていた。
敵兵だけを見ればいい。
あの人達は、アタシ達が斬る相手じゃない。
時遷は迷わず細い道へ入った。
「こっちだ!」
「何で道知ってるの!?」
「入った時に見た!」
「いつ!?」
答えは返ってこない。
速い。
白勝が後ろで息を切らしている。
「待てって……!」
「白勝、生きてる?」
「お前まで確認すんな!」
李俊が吹き出した。
「好きだな、それ」
「アンタは黙って走って!」
城門へ近付くにつれ兵の姿が増え、さすがに正面側も完全には空いていなかった。
前方では三人の兵がこちらに気付き、槍を構える。
時遷が身体を沈めて一人目の脇へ滑り込み、腕を払う。
アタシが二人目へ入る。
日刀で槍を押し上げたところへ、玉楼の方天画戟が横から走った。
三人目が李俊へ向かう。
「李俊!」
「前見ろ!」
また怒られた。
「確認しただけ!」
「さっきしただろ!」
「更新!」
白勝が後ろで叫ぶ。
「お前ら今それやるのかよ!」
やるつもりはない。
勝手になるの!
敵兵を押し退け、角を曲がった先に、大きな門が見えた。
この門の向こうには、盧俊義達がいる。
時遷が短刀を握り直す。
玉楼が方天画戟を前へ出す。
アタシも双刀を構えた。
城門は目の前――
三娘様は、李俊殿をご覧になる回数が増えております。
「三娘ォ、さっき何回『更新』した?」
孫二娘殿が尋ねます。
「知らない!」
顧大嫂殿が笑いました。
「白勝にまで『今それやるのか』って言われてたじゃないか」
「だって李俊が目に入るんだから仕方ないでしょ!」
三娘様が固まりました。
「……違う」
「何が違うんだい?」
「今の言い方!」
「アタイ達、何も足してないよォ」
「そこが一番嫌なの!」
わたくしも申し上げます。
「では、李俊殿が目に入らなければよろしいのでしょうか?」
「玉楼、そういう問題じゃない!」
その時、李俊殿が振り返りました。
「何の話だ?」
三娘様は、わたくしより先に城門へ駆けて行かれました。




