私たちのフィールド・オブ・ドリームス - 3
酷いですよ悠弐子さん。
塩ビのマスコットバットでも、あんだけ反発しちゃうのに。
釈迦元モデルの木製バットとかヤバいです。そりゃもう種子島並みの反発速度です。放った者へ矢が戻ってきてしまう二指真空把です。
セ界一のヒットメーカーのバットから放たれた『彩波球』は、ほぼほぼ弾丸の速度で弾かれた。
こんなの当たったら首がもげる。そんな予感すら漂うほどの速度で、マウンドへ向かって跳ね返されていった。
「どいて! どいて下さぁい!」
群がる報道陣を蹴散らし、ストレッチャーは通路を走る。三人の救急隊によって球場裏の通路を運ばれていきます。
まぁ、中身は私たちなんですけどね……
マウンドへ倒れ込む福永先生へ猛然と駆け寄ったのはB子ちゃん。
バックネットにスパイダーマンしながら放置プレイされていた彼女は、衝撃シーンの隙を見てグラウンドへと降り立ち、白衣を纏ってマウンドへと走ってった。
『頭を打っている! 迂闊に触らないで!』
【白衣】の言葉はマジックワード、駆け寄ろうとした関係者たちもピタリと足が止まる。
そんな公然達磨さんが転んだ空間を自在に動けるのも、また「白衣」の特権性です。
固まる関係者を差し置いて、
『搬送します! どいて!』
ベンチ裏に用意していた白衣を慌てて着込んだ私と悠弐子さん、ストレッチャーで突入した。
で、ピッチャーライナーでKOされた福永先生を回収して――今に至る。
(にしたってね……)
どうして人は見栄えに騙されてしまうんでしょう、こんなにも簡単に。
混乱極まる修羅場とはいえど、行く手を遮る者は皆無。素性を怪しむものも皆無。ストレッチャーを押す三人の白衣は水戸黄門ばりの権威で、そこのけそこのけ『印籠』が通る。
もし身分証明など求められたら即座に部外者であるとバレるのに……
なんかもう変な汁が出てきます、ヤバいのが脳内で。
「桜里子、そこ!」
「あっ! はいっ!」
脳内汁にボーっと蕩けている場合じゃなかった!
「扉開けて!」
バタン! ガシャリ!
扉の外に「関係者以外立ち入り禁止」のボードを掲げ、内から施錠する。
「はー……」
「ボーッとしてる暇はないわよ、桜里子!」
一息つく間もなく、悠弐子さんから放られるゆにばぁさりぃマスク。
白衣を脱ぎ捨てれば既に衣装も装着済みなのです。小学生の水泳授業並みの用意周到ですよ!
「ここぞ! 此処が見せ場ぞゆにばあさりぃ!」
「誰かが殺らねば為らぬ時――――誰かが征かねばならぬ時!」
「女子高生の平和を壊すもの、許しちゃおけない!」
「日本国民の未来を穢すもの、見逃せられない!」
「桜里子!」
「今よ! ――今こそ!」
「「獅子の瞳を輝かせなさい!」」
「無垢な魂導きし、聖なる職の御霊こそ! ――高く潔しを旨とすべし!」
「少子化克服エンジェル!」
「We're!」
「「ゆにばあさりぃ!」」
「魔女の遁走、私たちが許しません!」
RageAgainstTheLowBirthRateProblemUniversallyRageAgainstTheLowBirthRateProblemUniversally Rage Against The Low Birth Rate Problem U n i v e r s a l l y ……………………
「心愛ちゃん! 心愛ちゃん!」
「…………えっ?」
仰向けの私を覗き込んでくる男の人が三人。物陰のライティングを帯びた、彼と彼と彼。
「良かった、気がついた」
「取り敢えず水飲んで」
スキンヘッドで痩せぎすの彼が水筒を差し出してくれた。
「脱水で意識を失ってたんだよ。分かる? 僕たちのこと分かるかな?」
三人の中でも最も年上に見える眼鏡の男に問われれば、
「……田井中さん、代々木君と大田……君?」
「良かった、障害の兆候はないな」
ホッとした顔を見せる三人。
もしかしたら大丈夫じゃないかもしれないのに。
私の記憶には存在しない名前が、何故か口をついて出る。意識が命じてもないことを身体が行っているのに。これは何か異常なことが私の身体に起きている状態なのではないのか?
まさか私壊れてない? 意識を失うほどの脱水で脳に何か重篤な障害を被ってないか?
「まだ起きちゃだめ、横になってる方がいい」
身体を起こそうとしたら、ゴリラみたいな屈強な体格の男に制された。
確かに彼の言う通りかもしれないな。充分に休めれば意識と記憶の齟齬も治るかも?
「どうします田井中さん? この調子じゃ心愛ちゃん無理できないですよ?」
「でも、今日中にチェックポイントまで辿り着かないと厳しい。代々木も分かってるでしょ?」
「ですけど……」
「ちょっと休めばいけるよね心愛ちゃん?」
気を使っているようでリーダー田井中さん、暗に出発を促していた。
「田井中さん! そっち違いますよ!」
そそくさと小休止を切り上げた眼鏡リーダー、地図を参照しながらPTを率い始めたが……行けども行けども目印もない岩砂漠じゃ、迷うのも当然の成り行き。
「田井中さん!」
GPSで位置を確認したくとも基地局が見当たらない、圏外の荒地を私は彷徨っているらしい。
しかも揃いのサバイバル装備にウンザリするほど重く嵩張るリュック、そのどちらにも所狭しとスポンサーロゴが縫いつけられて……果ては競技者を示すゼッケンナンバーまで。
つまりはそういうこと。
キャンプやトレッキングで道に迷った、とかそういう状況ではないのだ。
好き好んでこの地へ、過酷な道なき道を走破することを選んだアスリートということらしい。
らしい。
分からない。
だって私にはそんな趣味などない。アウトドアなど、せいぜいBBQ程度が関の山なのに。
どんな成り行きでこんなことになっているのか、全く思い出せない。
思い出せないが、よもや私一人が脱落を申し出ることもできない状況では、一刻も早くゴールに辿り着くしかない。ゴールにさえ辿り着けば文明社会へと帰れるのだから。脱水の障害で失われた記憶も埋め合わせることができるはず。
兎にも角にも無事の生還を最優先しなくては。
こんな剥き出しのネイチャーワールドでは、ちょっとしたことで生死の境を彷徨いかねない。
「いや、いいんだ、合ってる」
なのに眼鏡リーダーとスキンヘッド君が火花を散らし始めてる。
「合ってないですってば!」
「いや絶対こっちで合ってるよ」
喧嘩腰で否定するスキンヘッド代々木、意地になって聞く耳を持たない眼鏡リーダー。
なんでこんな修羅場で喧嘩してるの? こいつら? 馬鹿?
果たして私たちPT、制限時間ギリギリでチェックポイントへ辿り着いた。
リーダー田井中の判断ミスで大幅な遠回りを強いられ、PT全員が疲労困憊。
とはいえレースは道半ば。キャンプを離れれば、独力では生還不能の自然が牙を剥いてくる。
どうにかして文明の地へと帰り着かねば。得体の知れない捕食獣の餌食など真っ平御免だ。
「もうやってらんね! あの野郎!」
キャンプ裏のランドリースペース、沢の水を引いただけの洗い場だけど、スキンヘッド代々木が洗濯物に当たり散らしてた。
こんな声で叫んだら当人の耳にも入りかねないのに、そこまで腹に据えかねているのか。
「本当、判断ミスの巻き添えにさせられたら、たまらないよね」
少し馴れ馴れしすぎるかもしれないが、男の目から見ればこれぐらいでいいらしい。特に女性に免疫のない体育会系相手ならば、あざといくらいが最適解となるのだ。
「心愛ちゃん……」
案の定、スキンヘッド代々木、私を「味方」として受け入れてくれた。単純なヤツだ。
「もうほんと何度目だよ! って感じ。あの人のせいで何分遅れると思ってんだよ……俺たちは完走じゃなくてトップを獲るためにレース参加してんのにさ! スポンサーにも申し訳が立たないよ!」
「田井中さんって上に立つ人の器じゃないですよね」
「いや、そこまでは言ってないけど……」
それでも先輩を慮る辺り、体育会系の煮えきらなさ。つまんない男。
「私、代々木くんがリーダーでもいいと思うな」
「……えっ?」
「代々木くんがPTを率いる方がいいんじゃない?」
「俺なんかまだまだ……田井中先輩の方が経験豊富だしさ……」
と口では謙遜しつつ、満更でもない様子。
明日も田井中オジサンが使えないなら、この人に乗り換えよう。
が、
最も若く頑健に見えたスキンヘッド代々木、翌日体調不良に見舞われてるし。
「すんません田井中さん……」
「気にすんな代々木、誰でもそういう時はあるよ。レースの世界じゃ常識だ」
あの威勢はなんだったの? 見苦しいったらありゃしない。
「ほら代々木、掴まれ」
寡黙な第三の男、ゴリラマン大田がスキンヘッド代々木の手を引いて崖を登らせる。
彼、厳しい局面では私の荷物まで持ってくれたりする人。隊長への不平不満など一切口にせず、弱った隊員のサポートまでしてくれる人。
というか、無能な隊長が判断を誤れば、それだけ彼に対する負担も増大していくんだから……言うべき所は言うべきだと思うけど……
「迷った」
またですか田井中隊長?
昨日に引き続き今日もまた、PTは進むべき方向を見失った。右見ても左見ても砂色の砂漠、同じような景色に分かりやすい標識など存在しない。
酷くなる喉の渇きに反比例して、水筒は空に近づく。脳裏にチラつく脱水の恐怖。
再び重篤な脱水症状を被ってしまったら、洒落では済まなくなるかもしれないのに!
「左か? おそらく左……多分左でいいはず……」
「多分じゃ困るんですよ田井中さん! もう残りの水だってギリギリだ!」
体調が回復すると早速噛みつき始める代々木に、田井中隊長も我慢の限界。半ば放り捨てるように地図をスキンヘッド目掛けて投げつけた。
「田井中さん右ですよ、絶対に右です!」
地図と方位磁石、小高い丘から周囲を見渡してスキンヘッド代々木は判断した。
「右行きましょう右」
「俺は左だと思う」
「田井中さんの判断で昨日失敗してるじゃないですか! 俺の言うことも聞いて下さいよ!」
「でも左だよ」
「田井中さん!」
スキンヘッドまで真っ赤にして代々木、
「分かりましたよ田井中さん!」
「代々木?」
キレた勢いで言ってはいけない言葉を吐いてしまってた。
「こうなったら別れましょうよ、自分が正しいと思う方向へ行くってことで!」
ええええ……この極限状態では完全に悪手と言っていい戦力分散。
スキンヘッド代々木のヤケクソ提案に顔を見合わせる、私とゴリラマン大田。
頭に血が上った二人と違って彼はまだ冷静、分散が愚策だと弁えている。
となれば私と彼(大田君)の判断が生死を分けると言っていい。
田井中隊長か、代々木か。
慎重に、慎重に……ここで判断を誤ったらウンザリするほど苦労を背負わされる。
「え。ええと、私が思うにですね……」
まずは冷静に分散の愚策を説くことから……
『オジサンにはついてけないわ』
「「「「えっ?」」」」
鳩が豆鉄砲を食ったような顔で三人は私を伺ってきた。
『オジサン、歳の割に体力あるけどさ、リーダーとしては能力に劣るし、メンバーを従えていくカリスマもないんだもの。ぶっちゃけ男としての魅力ゼロ。隊長とか見掛け倒しもいいとこよ』
「心愛君!」
「違う! 私じゃない! 私は喋っていないのに!」
唇も声帯も動いていないのに声が聞こえる、確かに私の声が。
いずこからか響いてくる声で知られてしまう、私の本心が!
『ハゲは若くて威勢がいいくせに肝心の所でヘマする口だけ男ね。自分が優秀だと思うなら、使えない先輩とかサッサと切ればいいのに、中途半端な情に流される奴って使えない、無能に合わせてどうすんのって話よ? 小物すぎるっつーの』
「は?」
『三人ならゴリラが一番マシ。でもゴリラ君は見かけ通りに頭悪そう。レース中は頼りになってもレースバカじゃ男としての価値がないわ。スポンサーに顔が利くだけでも、オジサンの方が男として百倍マシじゃん?」
「福永さん……俺たちのこと、そんな風に思ってたんだ?」
ポーカーフェイスのゴリラマン大田がここまで感情を露わにするのを見たことがない!
「違う! 何かの間違いよ! こんなの有り得ないわ!」
心の声がダダ漏れになるとかウソでしょ? 何の冗談よ、こんな超常現象!
「でも今の……福永さんの声だよね?」
「私は言ってない! 絶対言ってないわ!」
「じゃあどうして福永さんの声が聞こえたの?」
「知らない! そんなの知らない! こんなの有り得ないわ!」
私に訊かれたって、こんな出鱈目分かるもんか!
般若の様相で寄ってくる男子三人に追い詰められ、一歩また一歩と後退すれば……
ズルッ!!!!
「ひっ!」
下げた足底は宙を掻く。
そこは岩丘陵の末端、鋭角に落ちていく崖が潜んでいた。
伸びた木の枝など存在しない砂漠の岩稜、もはや掴まる物など何もなく。
哀れ落下する肉塊に成り果てた私に、差し伸べられる手は一本もなかった。




