第74話
静まり返った、アルフレッド・レイヴンの屋敷――かつてセリアが好んだ、季節の花々が咲き誇る静謐な庭園。
そこに、気配もなくそっと忍び寄る黒い人影があった。
足元まで覆う深いローブに身を包んだ男――すべての元凶であるマスター、ゼノヴィアだった。
「……何の用だ、ゼノヴィア」
庭園の奥、セリアが愛したベンチの傍らに立っていた男――アルフレッド・レイヴンが、振り返りもせずに重々しく問いかけた。
かつて学院屈指の輝かしい才能を誇った聖騎士の背中に向けられた言葉に、マスターは一瞬だけ目を見開き、フードの下で醜く顔を歪めた。
「……ククク、驚いたな。私の名前をまだ覚えていたとは。私のような虫けらなど、天下のアルフレッド・レイヴン様の記憶には残ってもいないと思っていたがな?」
ねっとりと湿った嫌味が、静かな庭園の空気を汚していく。
アルフレッドはゆっくりと振り返り、冷徹な双眸で昔の同級生を見つめた。
「ギルバートから報告を受けていた。裏で禁忌の『呪詛』を操り、人々を脅かしていた元凶はお前だったのだな」
「そうだ。気づくのが遅かったな、アルフレッド」
マスターは狂おしい笑みを浮かべ、両腕を広げた。
「お前たちが光の中で讃えられている裏で、私はお前たちが築いたその甘っちょろい平和を内側から泥で塗ってやったのだよ。……ああ、そうだ。それだけではないぞ?」
マスターは一歩踏み出し、勝ち誇ったように身を乗り出した。
「お前の愛しい妻――セリアを病に見せかけて殺したのも、ほかならぬ私だ」
「……なに……!?」
アルフレッドの瞳が、激しい動揺に揺れた。
「なぜ……あいつが死ななければならなかったと思う? お前が私からセリアを奪ったからだ! 私を選ばず、お前などに嫁いだあの女が悪い! だからこそ、私はあの女を最初の『呪詛』の実験体にしてやったのだよ! お前への溢れる殺意と嫉妬を込めてな!」
「貴様……っ!!」
ドッ……と、アルフレッドの全身から凄まじい密度の聖気が吹き荒れた。
理性を吹き飛ばすほどの凄絶な激怒。
最愛の妻を奪われ、しかもその死の原因が、ほかならぬ自分への憎悪だったという残酷な真実。
絶大な誇りと愛を持つ聖騎士の心が、生まれて初めて「凄まじい殺意と憎悪」によって漆黒に染め上げられる。
「許さん……! 貴様だけは……絶対に生かしてはおかんっ!!」
空気が爆ぜ、アルフレッドが超絶的な踏み込みで間合いを詰めた。
かつて一世を風靡した聖騎士が解き放つ、絶対の殺意を秘めた一撃。
本来なら、ゼノヴィアのような男など一瞬で塵も残さず吹き飛ぶはずの威力だった。
しかし――ゼノヴィアは逃げようともせず、ただ歓喜に満ちた歪んだ笑みを浮かべていた。
「クハハハハッ! そうだ! それだ!! それこそが、私がずっと欲していた最高の『呪い』だ!!」
ゼノヴィアが胸元から取り出したのは、古びた黒い小箱――――『石匣』。
アルフレッドの放った圧倒的な殺意と負の感情の奔流が、吸い寄せられるようにして『石匣』へと集束していく。
強大な聖騎士が抱いた強烈な憎悪こそが、バルドの言っていた「最後に必要な、最も強い呪いの感情」そのものだったのだ。
カチリ……。
静かな庭園に、不気味な音が響き渡った。
『石匣』を覆っていた古代の封印が砕け散り、黒く禍々しい光が天を突いて爆発する。
「ついに……ついに開いたぞ!! 世界を滅ぼす禁忌の扉がアハハハハハッ!!」
狂喜するゼノヴィアの叫びとともに、石匣から溢れ出した漆黒の呪いが、レイヴン邸の空を、そして王都全体を覆い尽くさんばかりの勢いで広がっていくのだった。




