第7話
エカテリーナとギルバートの挙式当日――。
王国で最も由緒正しく、厳かな雰囲気を漂わせる大聖堂。その本堂へと続く大扉の手前――参列者たちのざわめきがかすかに漏れ聞こえる控えの場所で、エカテリーナは内心で激しく冷や汗をかいていた。
(ここまで盛大だとは聞いてないわよ……!)
わずかに開いた扉の隙間から、聖堂内を埋め尽くす大勢の着飾った貴族たちの姿や、華やかな装飾がちらりと視界に入る。
確かに、ギルバートは王国最強と謳われる『聖騎士』であり、絶大な権力を誇る侯爵だ。しかし、自分は一度離婚を経験した出戻りの身、しかも形だけの政略結婚のはずである。
それなのに、身にまとっているのは、熟練した職人が丹精込めて仕立てたような、純白の高級レースが幾重にも重なる最高級のウエディングドレスだった。背中から引きずる長いベールに至るまで、どう見ても初婚の、それも身分の高い令嬢が着る装いそのものだ。
(初婚の花嫁に見えちゃうじゃない……。いや、あんな人だらけのところに入っていくなんて、今からでも逃げ出したいんだけどっ!)
扉の向こうを気にしながらエカテリーナがびくびくと身構えていると、背後から足音が近づいてきた。
振り返った瞬間、そこにいた息をのむような銀髪の美丈夫に、彼女の視線は完全に奪われてしまう。
いつもの無造作な髪は綺麗に整えられ、整った顔立ちがはっきりと際立っている。身にまとっているのは式典用の儀礼服――純白の詰襟に、夜空の深い蒼を思わせるベルベットのロングマント。胸元や肩口には精緻な銀の刺繍と勲章が輝き、彼の引き締まった長身と圧倒的な気品を最高潮に引き立てていた。
思わずエカテリーナは、そのあまりの麗しさに「……うそ、かっこよ……」と、見惚れてポカンと口を開けてしまう。
一方のギルバートは、いつも通りの無愛想で何を考えているのか読めない表情を崩さないものの、その蒼い瞳には熱い光が宿っていた。
ギルバートが静かに歩み寄り、エカテリーナの目の前で立ち止まる。そして、ふと従者に用意させていた宝石箱を開いてみせた。
「これを身につけてくれ」
差し出された瞬間、エカテリーナは息を呑んだ。
そこにおさめられていたのは、歴史の教科書でしか見たことのない、伝説の宝石――夜空の星を閉じ込めたかのように青く神秘的な輝きを放つ『月光石』のティアラと、お揃いのネックレス、イヤリングだった。
「こ、こんな高価なもの……! 私みたいな出戻りの身に、こんなすごいものを身につけたら、周囲の視線で穴が空いちゃいますよ……!」
エカテリーナが慌てて辞退しようとすると、ギルバートは低く、どこか有無を言わせぬ声で言い放った。
「我がレイヴン家に代々伝わるものだ。気にしないでくれ。……これは正式な儀式だから……」
ぶっきらぼうな言い方だったが、耳たぶがほんのり赤いことにエカテリーナは気づかない。彼女は「う、うぬぬ……そこまで言うなら、お借りしますけれど……」と引き下がるしかなかった。
やがて、パイプオルガンの荘厳な調べが響き渡り、挙式が始まった。
参列者席からは、
「あれが、噂の……一度離婚したというエカテリーナ嬢か?」
「なぜあんな女がレイヴン侯爵の妻に……」
と、嫉妬と値踏みするようなヒソヒソ声があちこちから聞こえてくる。
しかし、神父の前に並び立ったエカテリーナがベールを少し上げると、参列者たちのざわめきがピタリと止まった。
落ち着いた栗色の髪と深い茶色の瞳をたたえた彼女の姿は、純白のドレスに引き立てられ、息を呑むほど気高く美しい。その圧倒的な佇まいに、大聖堂のざわめきは消え失せ、静けさが包み込んだ。
そして、厳かな儀式が進み、神官の導きによっていよいよ指輪の交換へと移る。
ギルバートは従者が捧げ持つリングピローから、ふっと静かに指輪を取り出した。
そこにおさめられていたのは、大粒のダイヤモンドと『月光石』が隙間なくあしらわれた極上の婚姻の指輪だった。
ギルバートは迷うことなく、その冷やりとするほど美しい指輪を、エカテリーナの左手薬指へとそっとはめる。
そして――いよいよその時が訪れた。
「――それではこれより、誓いのキスを」
神官の厳かな声が響いた瞬間。
エカテリーナは「え?」と軽く目を見開いた。
(形だけの結婚なんだから、きっとおでこに軽く触れるか、あるいは挨拶代わりの形式的なお辞儀程度よね……?)
そんな呑気な予想は、次の瞬間、一瞬で打ち砕かれる。
迷いのない足取りで一歩近づいてきたギルバートは、すっとエカテリーナの腰を引き寄せた。
間近で覗き込んだ彼の蒼い瞳には、冷徹な侯爵としての顔など微塵もなく、ただ圧倒的な熱を孕んだ、底知れぬ色が渦巻いていた。
(――えっ……? ちょっと待って!距離が近すぎ――っ!)
抗議しようと口を開きかけたその隙を突くように、ギルバートの唇が重なった。
「っ……ん……!?」
それは、ただ触れるだけの形だけのキスなどではなかった。
柔らかく、けれど容赦のない熱を帯びた唇がエカテリーナのそれを塞ぎ、逃げ場を奪うように深く、唇をねっとりと絡めていく。頭が真っ白になるほどの濃厚な口づけに、エカテリーナは息をすることも忘れ、大きく目を見開いたまま完全にパニックに陥った。
(ちょっと待って……!私の初めてのキスが、こんな契約結婚の場で……っ!)
体中の血液が一気に沸騰したかのように、耳の先までカッと熱が昇っていく。目の前に広がるギルバートの整いすぎた顔立ち、男性的で色気のある体温、そして口元から流れ込んでくる甘やかな熱に、エカテリーナの理性は音を立てて崩れ去っていった。
ただの形式的な儀式のはずが、まるで魂まで奪われるような、あまりにも情熱的で甘美な口づけ。
やがて、名残惜しそうに唇を離したギルバートが、潤んだ瞳で見つめてくる。
頭の芯がトロトロに溶かされ、自分の足で立っているのがやっとという状態のエカテリーナは、その圧倒的な色気にすっかり当てられてしまい、ただポカンと口を開けたまま、彼の胸元にすがりつくように固まるしか――なかった。
そんな妻の混乱など知る由もなく、ギルバートは満足げに目を細めるのであった。




