第66話
メイドのシビルに頼み、特製のピーチパイを用意してもらったエカテリーナは、自分の分とギルバートの分を綺麗にトレイに載せ、執務中の夫の書斎へと向かった。
コンコン、と軽くノックをして扉を開けると、甘く芳醇なフルーツの香りが室内にフワッと広がる。
「バート。ちょっといい?」
「……カティ?」
山積みの書類に向き合っていたギルバートは、愛しい妻の姿を見るなりぱっと顔を輝かせた。
トレイに載せられたパイや紅茶のポットを見て、彼の表情が一気に緩む。
「うれしいな。カティ、わざわざ持ってきてくれたのかい?」
「ええ。お仕事頑張っているでしょう? バート、一緒に食べましょう」
エカテリーナがテキパキとカップに紅茶を注ぎ、パイを皿に取り分けていく。その慣れた手つきを愛おしそうに見つめながら、ギルバートはふと柔らかい笑みを浮かべた。
「バート、本当にいろいろありがとう。アランたちのことも、ラーシャのことも、すぐに対応してくれて……本当に頼りになるわ」
素直な感謝の言葉を向けられた瞬間、ギルバートの中で何かがスパークした。
次の瞬間、ガタッと椅子が鳴り、エカテリーナは不意を突かれるようにギルバートの強い腕に引き寄せられた。
そのまま、彼のしっかりとした膝の上へとふんわりと乗せられてしまう。
「っ、バート……!?」
「やっと……やっとカティをこうして抱きしめられた……!」
ギルバートはエカテリーナの背中に腕を回し、まるで宝物を抱え込むようにギュッと強く抱きしめた。
その切なすぎるほどの執着に、エカテリーナは思わず苦笑しながら頬を染める。
「もう、バートったら……。まだ数日しか経っていないでしょう? そんなに大げさよ」
「数日だって俺にとっては数年のような長さだ! 昼間はあの娘につきっきりで、夜は別の部屋でお寝んね……。せめて今くらい、こうして二人でいさせてくれ」
子供のようにむずかるギルバートの頭を、エカテリーナは「仕方ないでしょう?」と優しく撫でる。
「気持ちは嬉しいけれど、夜はラーシャのメンタルを落ち着かせるためにも必要なの。それに、夜が一番危ないのはバートもよく分かっているでしょう?」
「わかっているさ……。わかっているけど、夜、俺の隣にカティがいないなんて拷問以外の何物でもない……っ!」
なおも不満そうに駄々をこねる夫の腕の中で、エカテリーナはくすくすと楽しそうに笑った。
そんなギルバートの拗ねた機嫌を直そうと、彼女はふと思い出したように目を輝かせる。
「ねえ、バート。そんなに落ち込まないでよ。それより聞いて、……アランとラーシャがいい感じなのよ!」
エカテリーナが楽しそうにそう切り出した瞬間、ギルバートはふっと冷めたような、しかしどこか呆れたような息を吐き出した。
「……人の恋路など、どうでもいい」
「俺にとって大事なのは、今こうして俺の膝の上で可愛い顔をしているお前だけだ。他の奴らの青春の相談に乗っている暇があるなら、俺の飢えた心を満たしてくれ、カティ」
低く甘く、そしてどこか切なさを帯びた声で囁きながら、ギルバートは彼女の細い腰をしっかりと引き寄せた。
「ほら、お喋りはここまでだ……」
甘い芳醇なピーチパイの香りが漂う書斎の中、彼はもう離すまいとばかりに、エカテリーナの唇へとゆっくりと顔を近づけ――。
重なる唇は、数日間の我慢が限界を迎えていた男の飢えを物語るように、次第に熱を帯びていく。
ただの挨拶のつもりが、いつしか激しさを増す愛しい夫の独占欲に、エカテリーナは甘い息を漏らしながらその首元にしがみつくしかなかった。
「……っ、バート、ここ、書斎よ……? もしかしたら誰か来るかも……」
「誰も入れないよう、さっき鍵をかけた。……今さら、もう離さないからな」
愛おしい妻の温もりを貪るように、彼は二度目の、そしてさらに深く熱い口づけを落としていくのだった。




