第63話
エカテリーナの聖なる奇跡によって救われた魔呪師の少女・ラーシャを保護した翌日のこと。
今回の事件でエカテリーナに直接危険が及んだことを重く見たギルバートは、一切の妥協を許さず、当面は屋敷の中から指揮を執る形で執務を行うことを決めていた。
ギルバートの書斎。
山積みの書類や報告書に目を通すギルバートのそばには、本来なら、すぐそばで自分を癒してくれているはずのエカテリーナの姿が……ない。
(……おかしい。事件のせいで外出は禁止になったから、ずっとカティがそばにいてくれると思ったのに……! なぜだ、なぜカティは今、あの子と一緒にいるんだ……っ!)
ギルバートが内心で嫉妬に身悶えしていることなど知る由もなく、階下の客室では、エカテリーナがラーシャにつきっきりで寄り添っていた。
「ねえ、ラーシャさん。お腹は空いていない?」
「……先生、ご迷惑ばかりおかけして、すみません……」
「ううん、謝らないで。これからはずっと一緒よ」
「あの……先生、これからは『ラーシャ』って呼んでほしい……」
顔を赤らめて言うラーシャに、エカテリーナは「もう、本当に可愛いんだから! じゃあラーシャ、私のことも『カティ』って呼んでね!」と満面の笑みを浮かべる。
すっかり心を開いたラーシャの頭を、エカテリーナがまるで本当の妹を可愛がるように優しく撫でている。
その慈愛に満ちた姿に、ラーシャは胸を熱くしていた。
* * *
やがて、夕食を挟んで夜を迎えた頃。
書斎にやってきたエカテリーナから告げられた一言に、ギルバートは完全にフリーズした。
「あのね、バート。ラーシャはまだ心が落ち着かないみたいだし、夜中にうなされたらと思うとすごく心配なの。だから……当分の間、私がラーシャと一緒の部屋で眠ることにしたわ」
――ガチャンッ!!
ギルバートの手から、持っていた万年筆が滑り落ちて机の上で跳ねた。
「……は? 今、何て言った?」
「え? だから、夜もラーシャと一緒に過ごすの。バート、一人で寂しいかもしれないけれど、すぐ隣の部屋だし、我慢してね?」
(我慢できるかぁぁぁーーっ!! 新婚だぞ!? やっと夜は二人きりで甘い時間を過ごせると思ってたのに、なぜ妻があの娘と寝室を共にするんだ……っ!)
表面上は冷徹な若き侯爵として「あ、ああ……そうだな」と何とか絞り出したものの、ギルバートの精神はズタズタに引き裂かれていた。
* * *
だが、衝撃はそれだけでは終わらなかった。
側近のリチャードが、険しい顔で書斎に入ってきたのだ。
「閣下、報告します。ラーシャを送り込んだ『マスター』がエカテリーナ様を狙って失敗したとあらば、次に狙うのは間違いなく奥様の大切な肉親――王立高等学院に通う弟のアラン様と、ヴェルツ領にいる父親のロバート様である可能性が極めて高いかと」
その言葉に、ギルバートはハッと我に返り、即座に指示を飛ばした。
「そうだ……! カティの家族が危ない。今すぐ、アランとロバート様をこのレイヴン邸に呼び寄せよう。ここなら、俺が張った最高峰の結界で完全に守り抜ける」
すると、リチャードは少し思案顔になってから、主君に問いかけた。
「……アルフレッド様はいかがされますか?」
「ああ。父上は現役を退いているとはいえ、元・聖騎士だ。それに、あの頑固親父のことだ、下手に動かすよりも自身の鍛え抜かれた武芸と屋敷の防衛で、生半可な刺客など返り討ちにするだろう。父上の身の安全は問題ない……と言いたいところだが」
ギルバートは少し考え込み、部下の進言を受け入れた。
「念のため、父上へも状況報告と警戒の連絡だけ入れておいてくれ。相手は手段を選ばない呪術の集団だ。元・聖騎士とはいえ、連絡を入れておくほうが確実だろう」
「かしこまりました。それでは、ロバート様とアラン様の確保・護送の手配と合わせ、アルフレッド様への連絡も直ちに手配いたします」
リチャードが退出すると、屋敷の空気はさらに慌ただしくなった。
* * *
やがて深夜。
執務室の窓から外を眺めながら、ギルバートは一人、深く、それはもう盛大に溜息をついた。
(本当は、カティと二人きりで甘い新婚生活を堪能するはずだったのに……! 昼間はカティがラーシャにつきっきり、夜は別の部屋でお寝んね、おまけに明日からは義父上や義弟までやってきて屋敷は大所帯……っ!)
計算外の事態のオンパレードに、最強の聖騎士であるギルバートのHPは完全にゼロになりかけていた。
――だが、すぐに気を取り直す。
(いいや、腐るな俺! 家族を匿うのも、カティの安全を守るための最強の鉄壁を築くためだ。それに、いつか必ずこの騒動を終わらせて、カティを俺の腕の中に独り占めにしてやる……っ!)
愛する妻と家族を絶対に守り抜くという熱い決意と、切なすぎる夜の独り寝への絶妙な葛藤を抱えながら、ギルバートは静かに夜の執務へと戻っていくのだった。




