第60話
その冷酷な研究施設であるアジトの中で、ラーシャは育った。
引き取ってくれたバルドは、彼女の師として呪術のすべてを厳しく叩き込んだ。
技術の修得は過酷を極め、時には恐怖を覚えることもあったが、バルドはただ厳しくするだけでなく、ラーシャに生きる術を教え、確実に導いてくれた。
「お前はよく食らいついている。筋がいいぞ」
バルドから初めてそう認められたとき、ラーシャの胸には確かな温かいものが広がった。
それまで誰からも必要とされず、スラムの泥水の中で生きるだけの存在だった自分を、初めて必要としてくれた。
(バルド様が私を拾い、育ててくださった……。この居場所を守り、師の期待に応えることこそが、私の存在意義だ)
ラーシャはそう信じ込み、師のために、そして組織のために生きることを誓った。
* * *
やがて、レイチェルと組織の連絡役を、途中からラーシャが請け負うようになった。
レイチェルは接触するたび、狂気に満ちた目でこう呟いていた。
――エカテリーナは、何をしても死なない。と。
すぐ目の前で優しく微笑んでくれるエカテリーナの顔と、今まさに自分の手の中にある温かなココアのカップ。
その確かな温もりを感じながら、ラーシャの脳裏にはレイチェルの言葉が蘇っていた。
(だが、私には「あのとき」とは違う条件がある……)
レイチェルがただ闇雲に呪いを投げつけていたのとはわけが違う。
いまの自分は、こうして聖女の懐に完全に潜り込み、警戒心を完全に解かせることに成功している。この至近距離で、無防備な彼女に不意打ちの呪詛を叩き込めば――。
もっとも、それは決して生易しい賭けではない。
世界を救った本物の聖女。その身に宿る神聖な加護と強大な浄化の力は、どれほど完璧な不意打ちであっても、放たれた呪詛を寸分違わず弾き返すかもしれない。
一歩間違えれば、跳ね返った強烈な死の呪いが自分の肉体を内側から破壊し、その場で命を落とすことだってあり得るのだ。
――それでも。
命を失うかもしれない恐怖を抱えながらも、ラーシャは腹をくくる。
(……私なら、殺せる。私しか、こんな至近距離でこの女に近づけない。私が組み上げた魔法陣なら、聖女の加護すら突破できるかもしれない。……私の命と引き換えだったとしても、育ての親であるバルド様の悲願を、そしてマスターの期待を達成できるなら……)
頭ではそう分かっているはずなのに、なぜか胸の奥の澱みがどうしようもなく痛んだ。
差し出されたココアの温もりが、冷え切っていく指先にいつまでもまとわりついていた。




