第48話
すべてを包み込んでいた聖なる光が穏やかに収まり、屋敷の寝室には静かで満ち足りた夜が戻っていた。
すっかり体調を取り戻したギルバートは、これまでの寝室のベッドで、エカテリーナをしっかりと腕の中に抱きしめていた。
(ああ……カティが、いま自分の腕の中にいる……!)
失うかもしれないという恐怖を乗り越えたからこそ、その温もりがどれほど尊いか、ギルバートの胸には言いようのない深い喜びと愛おしさがこみ上げてくる。
彼は愛しい妻の髪や背中にそっと触れ、壊れ物を扱うように、しかし決して離さないとばかりに強く抱きしめ続けた。
エカテリーナもまた、ギルバートの広く温かい胸の中で、彼の心地よい香りや力強い心音を全身で感じ取っていた。
(バートの温もり……。私は今、本当に彼の腕の中にいるのね……)
奇跡のような現実と、あふれるほどの幸福感に、エカテリーナの胸は喜びで激しく震えていた。
だが、その胸いっぱいの幸福を噛みしめながらも、エカテリーナの脳裏には、先ほどの恐怖のなかで痛感した強い後悔がよぎっていた。
もう二度と、彼に嘘をつかない。これ以上隠し事をして逃げたりはしない――。
意を決したエカテリーナは、ギルバートの胸元に顔をうずめたまま、震える小さな声でぽつりと言葉を紡ぎ出した。
「……バート、あのね」
「ん? どうしたんだ、カティ」
優しく髪を撫でてくれる彼の腕の中で、エカテリーナは覚悟を固めて顔を上げた。潤んだ瞳が、まっすぐにギルバートを見つめる。
「私があのとき、あなたとの契約結婚を『二年』って言った理由……あれはね、私の寿命が『あと二年』だって、お医者様から言われてたからなの」
ギルバートは、そんな彼女を責めることなく、どこまでも深い慈愛をたたえた優しい眼差しで見つめている。
「発作が頻繁に出れば、さらに寿命は短くなるわ……。だから、私……あなたの重荷になりたくなかったの。迷惑をかけたくなかったのよ……」
絞り出すような声でエカテリーナは真剣にギルバートに伝えた。
するとギルバートは、静かに首を横に振り、すべてを受け止めるように微笑んだ。
「カティ。全部わかっていた。カティが病のことを気にして、俺の元を去ったことも、何もかも全部」
エカテリーナは「え……?」と、驚きに大きく目を開く。
「カティ。君の発作の原因はおそらく呪いの類だ。そして、それを施したのは――レイチェル・ハワードだ」
「――呪い……? レイチェルが……?」
予想外すぎる黒幕の名と呪いの事実に、エカテリーナは息を呑み、絶句した。これまでの苦しみのすべてが、あの女の悪意によるものだったと知って、胸の奥で怒りと気味が悪いほどの恐怖が冷たく泡立つ。
だが、そんな彼女の肩を、ギルバートの大きな手が優しく包み込み、温もりを伝えてくれる。
「そして、カティの余命は二年ではない」
ギルバートは、安心させるように穏やかな声で続けた。
「さっき君が俺を救った聖なる力――あの浄化の光が、俺にかけられた呪いだけを消したわけじゃない。あの光は、この屋敷だけでなく領地全体に広がった。そして、その中にはもちろん、カティ自身もいた」
「……私も?」
「ああ。カティを長年苦しめていた呪いも、あの光がすべて浄化したはずだ」
エカテリーナは、驚きに目を見開いた。
「だから、もうカティの身体を蝕む呪いは残っていない。君の余命が二年だなんてことも、最初からなかったんだ」
「……でも……お医者様は、原因不明の不治の病だと。あまりに発作の時の苦しみ方が激しかったから、二年と見立てたのかしら……」
「ああ。発作の原因が呪いだったのなら、そう考えるのが自然だ。カティの身体そのものが、治らない病に侵されていたわけじゃない」
思いがけない真相を知り、エカテリーナはホッと胸を撫で下ろす。
「じゃあ……私は、すぐ死ぬわけではないということなのよね?」
「ああ、そうだ」
ギルバートは迷いなく頷いた。
「もう、カティを蝕む呪いはない。これから先もずっと、カティは生きていける。だからもう安心しろ。君はこれからもずっと、俺のそばに生き続けるんだ」
それを聞いた瞬間、張り詰めていた恐怖と孤独の糸がプツリと切れ、エカテリーナの目から大粒の涙があふれ出した。
自分を苦しめ続けてきた発作も。
いつか死んでしまうという恐怖も。
ギルバートを置いて、一人で消えてしまわなければならないという絶望も。
すべてが、もう終わったのだ。
「よかったぁ……っ! よかった……! バートと、もう一緒にいられないって思ってたから……っ! あなたを置いて一人で消えてしまうのが、本当は怖くてたまらなかったの……っ!」
堰を切ったように泣きじゃくるエカテリーナの背中に、ギルバートは大きな手を回し、愛おしそうに、すくい上げるように強く抱きしめた。彼の瞳からも、熱い涙がこぼれ落ちていた。
「もう泣かないでいい、カティ。俺の腕の中で、未来だけを見てくれ」
ギルバートは彼女の顎にそっと指を添え、ゆっくりと顔を上げさせた。濡れた瞳をじっと見つめ、吸い込まれるように愛しい唇へと自分のそれを重ね合わせる。
あふれる涙が互いの頬を伝い落ちるのを感じながら、二人は何度も、確かめるように優しい口づけを交わした。
すべての迷いと呪縛が解け、温かな愛に包まれたベッドの上で、二人は二度と離れないと誓うように、しっかりと強く抱きしめ合うのだった。
――だが、愛しい妻をここまで苦しめた代償は、まだ払わせていない。
(レイチェル……。お前が築き上げた偽りの栄華を、俺の手で完膚なきまでに叩き潰してやる)
腕の中で穏やかな寝息を立て始めたカティの髪を優しく撫でながら、ギルバートの瞳の奥に、容赦なき断罪への静かな炎が燃え盛るのだった。




