第47話
ギルバートは、レイチェルが謎の黒いローブの男と密会しているという確証を掴んで以来、水面下で着々と網を広げていた。
ハワード子爵邸にいるジュリアスを秘密裏に動かしてレイチェルの動向を常に報告させると同時に、側近のリチャードには黒幕である男の身元と居場所を徹底的に洗い出させていたのだ。
すべての証拠が出揃ったところで、一網打尽にしてやろうと動いていた。
それと並行して、妻であるエカテリーナをあらゆる呪術から守るため、ギルバートは彼女の周囲に厳重な聖力の結界を張り、護衛たちを忍ばせて万全の防衛を固めさせていた。
これほど幾重もの備えを施していれば、不穏な動きはいち早く察知できるはずだと思っていた。
***
ギルバートが自室の執務室で山積みの書類に目を通していたその時、突如として背筋が凍るような悪寒が走った。
普段であれば、本来の強靭な聖気に守られたギルバート自身へ、直接呪詛を届かせることなど不可能だった。
だが、広範囲かつ高密度の聖力をエカテリーナの護衛へ割いていたことで、ほんの一瞬だけ、彼自身を守る聖気に僅かな揺らぎが生じていた。
その一瞬を――レイチェルは、限界まで憎悪を注ぎ込んだ禁忌の呪いによって、正確に突いたのだ。
次の瞬間、禍々しい呪いの奔流が、ギルバートの身体へ容赦なく突き刺さった。
「っ……! くそっ、隙を突かれた! レイチェルめ!」
異様な冷気が血管を駆け巡り、心臓を直接わしづかみにされたような激痛が走る。国最強と謳われる聖騎士であっても、不意を突かれた致命的な呪撃の波状攻撃の前には抗えず、ギルバートはそのまま執務室の床へと崩れ落ちた。
――まもなくして、「旦那様が突然倒れた」という報せが、瞬く間に屋敷中を駆け巡った。
一報を聞いた側近のリチャードは、青ざめた顔のまま自ら馬車を出し、エカテリーナの待つ小屋へと猛スピードで走らせた。
不穏な知らせを聞いたエカテリーナは、血の気が引くのを感じながらも、いてもたってもいられず、リチャードの馬車に飛び乗り、ギルバートのもとへと駆けつけた。
用意されたベッドの上で、苦悶の表情を浮かべ、荒い息を繰り返す夫の姿が目に飛び込んでくる。冷えかけたその大きな手に、自分の両手をぎゅっと強く重ね合わせた。
「バート……! しっかりして……!」
絞り出すようなエカテリーナの声に、部屋の隅で控えるリチャードやシビルも、こらえきれずに涙を零している。
「旦那さま……っ!」
皆が口々に祈るように名を呼ぶ。
その光景の中で、エカテリーナの胸に去来したのは、これまでの温かい記憶と、失うかもしれないという底知れぬ恐怖だった。
余命を理由に、自分の気持ちに嘘をつき、自らギルバートの元を離れた。すべては彼のことを思っての選択だったはずだ。
だが――もし自分がギルバートの立場だったなら、こんな隠し事をされて一人で逝かれるより、たとえどんな未来が待っていようと、すべてを正直に打ち明けてほしいと願うはずだ。
今、目の前で命の灯火を消しかけているギルバートを失う恐怖に直面し、エカテリーナの胸にあるのはただ一つ――彼女のすべてが、この男を心から愛しているという現実だけだった。
「バート……っ! 私……ずっと、素直でなくてごめんなさい!」
あふれ出る涙を拭うこともせず、エカテリーナは震える声で叫んだ。
「愛してるわ、バート……! だから、お願い、目を覚まして……っ!」
心から愛する人を失う絶望と、すべてを投げ打っても彼を生かしたいという切実な祈り。
その感情が限界を超えた瞬間――エカテリーナの深層に眠っていた「真の力」が、ついに目を覚ました。
――ふわり。部屋の空気が、聖なる奇跡の色に染まる。
どこからともなく無数の光の妖精たちが舞い踊り、エカテリーナの身体から眩いほどの幻想的な光が溢れ出した。
彼女は、ただひたすらに祈り続ける。
――ギルバートが、生きていてくれますように。
その願いに応えるように、光はさらに強くなっていった。
光は留まることを知らず、寝室の窓から溢れ出すようにして、外へと凄まじい勢いで広がっていった。
その光景を目の当たりにし、リチャードたちも息を呑んで立ち尽くす。
「一体……何が起きているんだ……?」
瞬く間に、屋敷全体が神聖な光に包まれ、さらには屋敷が位置する街の隅々まで、夜の闇を払うような圧倒的な浄化の光が波のように広がっていく。
街の夜空を見上げた人たちが、思わず足を止めた。
「わあ……きれい……!」
あちこちで子どもたちが歓声をあげて走り回り、大人たちも「一体、何の光かしら……?」とそのあまりの美しさに息をのんで見とれていた。
その光は留まることなく、やがて領地をすべて覆い尽くすほどの勢いで広がり、隅々までを浄化していく。
その過程で、レイチェルが仕込んだ忌まわしい呪いの瘴気など、光の前に触れた瞬間から一瞬にして霧散し、跡形もなく消え去っていった。
すべてを包み込む光の奔流の中で、ギルバートの顔を険しく歪めていた苦痛の色が嘘のようにスッと消え去り、みるみるうちに健康的な血色が戻っていく。
やがて、長い睫毛がわずかに震え、ギルバートがゆっくりと瞼を開けた。
「……カティ……」
「バート……っ! よかった、よかったぁ……!」
堰を切ったように大粒の涙をこぼしながらしがみつくエカテリーナの姿を見て、ギルバートははじめこそ何が起きたのかと驚いたものの、愛しい妻が無事であることに安堵し、弱々しくもしっかりとその背中を抱きしめ返した。
「また……君に命を助けてもらったな」
「はいっ。だって、私はあなたの命の恩人ですから」
あふれる涙を拭いながら、エカテリーナはわざと少しだけおどけて、ふふん、と誇らしげにはにかんで微笑んでみせる。
その言葉と笑顔が、たまらなく愛おしい。
ギルバートはたまらずさらに強く彼女を引き寄せた。
世界を闇から救った奇跡の光の中、二人は互いの温もりを確かめ合うように、しっかりと強く抱きしめ合うのだった。




