第46話
真夜中の静まり返った一室――かつて農機具小屋だった頃の名残を残す、窓の無い淀んだ呪いの小部屋。
その不気味な暗がりに包まれた空間の影から、音もなくローブを纏った魔呪師が姿を現した。
魔術によって意図的に低く歪められた声が、凍てつくように響く。
「レイチェル……何度忠告すれば気がすむ。そろそろ結果を出したらどうだ」
その冷ややかな言葉に、贅沢なドレスに身を包んだレイチェルは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「そんなこと言ったって、あの小娘もしぶといんだから仕方ないでしょう!」
言い訳を口にするレイチェルに対し、魔呪師は怒りを押し殺すように、底冷えのする声を叩きつけた。
「……まったく、呆れてものも言えないな。これまで幾度となく『まずはエカテリーナを始末しろ』と警告してきたはずだ。それなのに、お前はその言葉を完全に無視し続けた。勝手に母親のマリアを中途半端に長引かせて殺した挙句、他の男爵を潰したり商売を繁盛させたりと、自分の私利私欲にばかり走って肝心の目的を放置してきた。……こちらとの約束など、端から守る気などなかったようだな」
冷徹に事実を突かれ、レイチェルは顔を真っ赤にしてテーブルを叩いた。
「うるさいわね! 私だって色々やってるわよ! だいたい、なんだか知らないけどあいつもしぶといのよ。それに、あの小娘! よりによってレイヴン侯爵なんかと結婚するなんて許せない……っ! いっそ、もっとすごい力を使って、うちのジュリアスをどこかの王族と結婚させるとか、思い知らせてやりたいくらいだよ!」
そのレイチェルの浅ましい言葉を聞いた瞬間、ローブの下で、魔呪師は冷ややかに息を吐いた。
(……救いようのない愚か者め。私欲とくだらない私怨に溺れるばかりで、こちらからの言いつけはすべて無視か……)
だが、魔呪師は表情を変えず、あえてレイチェルの欲望をそそのかすような低い声を響かせる。
「……ほう。こちらの忠告を無視し続け、エカテリーナを始末できないのであれば、その新しい結婚相手であるレイヴン侯爵を呪い殺してみせるか? レイヴンを葬れば、エカテリーナが悲しみのどん底に落ちる。お前の望む未来などいくらでも手に入るだろうが……さすがにギルバート・レイヴンに呪いをかけるのは恐ろしいか?」
その言葉に、レイチェルは激しく顔色を変え、歯をぎりぎりと鳴らした。
「ふざけんじゃないよ……っ! あんな若造が、国中で持て囃されている最強の聖騎士だか何だか知らないけれどねぇ!」
若くして完璧な名誉と地位を手に入れたギルバートの存在そのものが、自分の過去のコンプレックスを抉る最大の障害だった。
「あのすました態度が気に入らないね。私の足元に這いつくばらせてやらなきゃ、気が済まないんだよ!」
レイチェルの剥き出しの憎悪を確かめると、魔呪師は低く不敵に告げた。
「……ほう。だが、相手は国最強の聖騎士だ。今までの半端な術では奴の魔力に弾き返されてしまうだろう。ギルバートを呪うとなれば、それ相応の圧倒的な強化が必要だ」
「上等じゃないか! あんな奴、呪い殺せるなら何だってやってやるさ!」
狂気に満ちた瞳で即答するレイチェルに、魔呪師は冷笑を貼り付けたまま、闇に満ちた指先を動かした。
「いいだろう……そこまで言うなら、特別な魔法陣を授けてやろう」
魔呪師が床に這わせたのは、通常の何倍もの禍々しい魔力を孕んだ、強大な魔法陣だった。歪んだ光を放つその陣を見つめ、レイチェルは息を呑む。
「これに、ありったけの憎悪を注ぎ込め。……すべての呪いの力を限界まで引き上げる、禁忌の魔法陣だ。これで儀式をするがいい」
レイチェルの歪んだ劣等感と狂気を聞き届けると、魔呪師は満足げに闇へと溶けていくように姿を消した。
(――いいだろう。散々こちらの忠告を無視して勝手気ままに振る舞ってきたが、その禁忌の陣でギルバートを呪い殺せれば好都合。もし逆に、お前がその強大な呪いの力で聖騎士を怒らせ、返り討ちに遭って破滅しようとも知ったことではない。……どちらに転んでも、私たちにとっては都合がいい。レイチェルがギルバートを仕留めれば、それでいい。もし失敗しても、禁忌の呪いを使ったことでレイチェル自身が破滅するだけだ)
魔呪師が去った闇のなか、レイチェルは狂気に満ちた笑みを浮かべ、圧倒的な魔力を湛える禁忌の魔法陣へと再びその手を伸ばすのだった。




