第34話
それから数日後――
秋風が心地よく吹き抜ける庭園を、エカテリーナはゆっくりと散策していた。
「本当に、美しい庭だわ……。どこを見ても手入れが行き届いていて、おまけに私の好きな花や木ばかり……」
ふふ、と喉を鳴らして微笑んだその時、目の前の空気がぽんと弾け、ポコをはじめとする妖精たちが姿を現した。
「カティ――っ!」
「あら? ポコ、また遊びに来てくれたのね!」
「うん! あのね、侯爵様がすごく美味しい野菜をくれたんだ! だから、また貰えないかなって思ってきちゃった!」
無邪気にそう言って跳ね回るポコに、エカテリーナは目を丸くした。
「……侯爵様から、お野菜を?」
「そうだよー! 『カティには絶対に言うな』って口止めされてたけど、その代わりにおいしい野菜を山ほどくれたのー!」
口々にそう言って得意げに羽を揺らす妖精たちを、エカテリーナは怪訝な顔で見つめた。
「……『絶対言うな』って、何を?」
「い、いや、なんでもなーい……っ!」
しどろもどろになりながら目を泳がせるポコを、エカテリーナはさらにじっと見つめる。
「ポコさん?」
「うう……もう言っちゃお! だって、僕たち隠し事できないもんね!」
ポコは観念したように小さく息を吐き、とんでもない秘密をぽろりと零した。
「あのね、カティ。あの侯爵様ってさ……十三年前に、あの森の家に迷子になってきた男の子なんだよ!」
エカテリーナはわずかに目を瞬かせ、驚きつつも落ち着いた声を返した。
「……うん。それは知っているわ。だって、バートから直接聞いたもの」
「そうなの!? じゃあ、これからのことは知らないかな。あのね、侯爵様はさ……あのあとからも、こっそり森の小屋の近くまで来て、ずっとカティのことを見てたんだよー!」
「――え……?」
すると他の妖精たちも口々に話し出す。
「そうそう! 僕たち、森で見たもん!」
「十歳からずっとだよ!」
「すごい長い間だよね!」
「たまーにだけど来てたよ! 『あ、またあの人が小屋の周りをうろちょろしてるー』って!」
「カティが学校に行くときも、時々こっそり様子を見にきては、遠くからじーっと見つめてため息ついてたんだよー!」
「そういえば、カティが野草を摘んでるときに、近くの木の上から落ちそうになって必死にバランス取ってたこともあったよね!」
「だよねー! あれ絶対、見とれて足を踏み外しそうになってたんだよー!」
「あ、それとね! カティが森の小川で足をつけて遊んでたときも、遠くからじーっと見つめて、『さすがにキモいか……』って自分で自分をぶん殴ってた!」
「そうそう! あとね、カティが作って失敗しちゃったクッキーを、ゴミ箱からこっそり拾って宝物みたいに懐にしまい込んでたのを見たよ!」
するとポコが言った。
「これは極めつけ! 昔大きなパーティのとき、お酒に酔って庭に出たカティに、こっそり冷たい水を差し出したの、あれも侯爵様だからね!」
「そうそう!」
次から次へと飛び出す、あまりにも具体的で、そして想像以上に深い愛情を物語る暴露の数々に、エカテリーナは息を呑んだ。
思考が、一瞬で真っ白になる。
まさかとは思っていた。振り返れば様々な辻褄は合う。けれど、まさか十歳のあの出会いの時から今日に至るまで――彼がそんなふうに陰からずっと、自分を想い続けてくれていたなんて。
頭の中で、音を立てて記憶が繋がっていく。
あの後から狂ったように剣を鍛え上げ、若くして最強の聖騎士へと登りつめた彼。
彼が自分に向けてくれる、あまりにも切なく、温かい眼差し。
自分が大好きなイチゴのタルトを、なぜ彼はあんなにも自然に用意してくれたのか。
まさか、パーティーで、水を差し出してくれた人が彼だったなんて……
――全部、全部。
彼にとって自分は、ただの命の恩人などではない。
十歳のあの瞬間からずっと、十三年もの長い年月をかけて、自分を想い続けてくれていた人だったのだと知る。
「……っ……」
胸の奥が激しく熱くなり、堰を切ったように、エカテリーナの瞳から大粒の涙がぽろりと零れ落ちた。
知らなかった。
誰もが自分から離れていき、すべてを失ったと思っていたこの世界で、こんなにも長い間、自分のことを見守り続けてくれていた人がいたなんて。
(……そんなにずっと、私のことを見ていてくれたのね……バート……)
あふれる涙を拭うこともせず、エカテリーナはただその場に立ち尽くす。
妖精たちの無邪気な暴露は、彼女の中でバラバラだったパズルのピースを音を立てて嵌め込んでいった。
恩人だから気にかけてくれているのだと、彼女はずっとそう思い込んでいた。
けれど、もう疑いようなどなかった。
これまでのギルバートの姿が、鮮やかに脳裏をよぎる。
自分に向ける溺愛めいた優しい笑顔。
契約結婚という形を取りながらも、誰よりも大切に扱ってくれる温もり。そして――あの夜、寝室で向けられた狂おしいまでの嫉妬と、首筋に残された熱い痕。すべては彼が自分を深く愛するゆえのものだったのだと。
――彼は、最初からずっと私を求めてくれていたんだわ。
――私を、一人の女性として、愛してくれている。
自分は、こんなにも長い間、こんなにも深く、一途に愛されていたのだ。
「……っ、うそ……こんなの……」
確信に変わった瞬間、胸を締め付けるほどの大きな幸福感と、どうしようもないほどの愛おしさが津波のように押し寄せる。
自分はこんなにも深く、愛されていたのだと知ったエカテリーナは、両手で顔を覆い、あふれ出る涙を止められなくなるのだった。




