第33話
穏やかな日常が流れる一方で、二人の胸の内には、それぞれ切実な焦燥感が募っていた。
エカテリーナにとって、ギルバートと過ごす毎日は夢のように幸せだった。彼が自分をどれほど大切に思ってくれているかも、日々の温かな触れ合いを通じて痛いほど伝わってくる。
だからこそ――怖かった。
(幸せになればなるほど、この日々が終わってしまうことが怖い……)
医師から告げられた「余命あと二年」という期限は、刻一刻と迫っていた。
季節が巡るたびに、残された時間が削られていく。もしまたあの発作が起きて、隠しきれなくなったとき、彼がどれほど悲しむか。
(――あとどれくらい、この温かさに甘えていられるのだろう)
夜、ギルバートの腕の中で穏やかに眠りながらも、エカテリーナの心は常に「終わりへの恐怖」と隣り合わせだった。
***
一方、ギルバートの焦燥もまた、限界に達しつつあった。
表向きは「命の恩人への恩返し」という建前を崩さず、彼女に不安を与えないよう穏やかな夫を演じているものの、その内側は狂おしいほどの焦りと恐怖に支配されていた。
半年が過ぎ、残された時間はもう一年半しかない。
(足りない……。全然、足りない……!)
世界中の名医を極秘裏に当たり、東方の秘境に伝わるという伝承を調べ上げ、元夫であるジュリアスからも、当時の発作について詳しく聞き出しているが、決定的な「命を繋ぐ治療法」はいまだに見つかっていない。
彼女が自分の腕の中で笑顔を見せるたび、「もし彼女がこのまま自分の前から消えてしまったら」という想像が頭をよぎり、胸が引き裂かれそうになる。
(絶対に死なせない。どんな手を使ってでも、俺が彼女の未来をこじ開けてみせる)
夜、エカテリーナが寝息を立てたあと、ギルバートはそっと彼女の額に唇を寄せ、暗闇の中で固く拳を握りしめる。
お互いに「相手を傷つけたくない」「自分のせいで負担をかけたくない」と願いながら、本当の恐怖を胸の奥に押し隠しながら――それでも愛する人と生きる未来を諦めない、切なくも熱い時間が過ぎていくのだった。
***
ある日の夜、エカテリーナがゆっくりとお風呂に浸かっている最中のこと。
寝室にはギルバート一人きりだった。彼がバルコニーに出て夜風に当たりながら佇んでいると、突如として目の前の空間がぽんと光を放ち、白いうさぎのような姿をした小さな生き物が現れた。
「あーっ、カティ、まだいないねー!」
その妖精の周りには、他にも動物のような丸っこい精霊たちが集まり、「そうだねー」「待ってようね!」と賑やかにわちゃわちゃと騒いでいる。
突然の珍客の出現に、ギルバートは思わず目を丸くした。
「おい……一体、なんだお前たちは?」
「あ! あなたが、ギルバート様? 僕たちの姿、見えるんだね!」
驚くギルバートに、ポコがぴょんぴょんと飛び跳ねながら無邪気に声をかける。
「なんだ、妖精か?」
「うん! よくわかったね、さすが聖騎士様だ!」
「……そういえば、そこの白いやつ。お前、ずいぶん昔にカティと一緒にいた生き物じゃないのか?」
ギルバートが記憶をたぐり寄せるように尋ねると、ポコはハッとしたように顔を輝かせた。
「そうだよ! ってことは、ギルバート様って……あの十三年前に、あの森で迷子になってた男の子だよね!」
「……!」
図星を突かれたギルバートは、小さく息を呑んで絶句した。
さらに、ポコは首をかしげながら、ケラケラと無邪気に笑いながら付け加える。
「あのあと、ピタリと来なくなっちゃったから、カティが『バート、どうしてるかなー』ってちょっと寂しがってたもんねー」
「っ……!?」
(なにっ……!? カティが俺のことを……!)
「そのあと、随分大人になってからもそうだよ! 街のパーティーの端っこや、屋敷の遠くから、ずっとカティのこと見てたよね! 『あ、またあの人だ!』って、僕たち知ってるんだから!」
「なっ……!?」
ギルバートは盛大に顔を青ざめさせ、慌ててポコに詰め寄った。
周囲の精霊たちも「そうそう!」「木陰からじーっと見てたよねー!」「全然話しかけないで帰っちゃうの!」と面白おかしく茶々を入れてくる。
「お、おいっ……! そのことは絶対に、絶対にカティには言うなよ!」
「ええー? なんで? よーし、カティに全部教えちゃおーっと!」
「待て! 何でもする、頼むから黙ってくれ……! お前の望みは何だ、何でもしてやる! イチゴか、それとも極上の桃がいいか!?」
「ほんと!? じゃあ、人間界のとびきり新鮮な野菜を山盛り頂戴!」
「……わかった、用意する。だから、絶対に口チャックだ……!」
冷や汗を流しながら必死に妖精と交渉していると、ようやく浴室から戻ってきたエカテリーナが寝室に姿を現した。
「あら? みんな、来てたのね!」
「カティ――!」
エカテリーナの姿を見つけた途端、ポコをはじめとする妖精たちが一斉に歓声をあげて飛びつき、彼女の周りにわらわらと群がり始めた。
愛おしそうに妖精たちを迎え入れるエカテリーナは、夫がその小さな精霊たちを目で追っていることに気づき、ハッとする。
「あ、あの……バート、あなた……この子たちの姿が、見えているの……?」
するとギルバートは、複雑に顔を引きつらせながら「ああ」と短く答えた。
「だって聖騎士様だからね!」
ポコがぴょんぴょん飛び跳ねながら無邪気に付け加えると、エカテリーナは「なるほど……!」と、妙に納得したように小さく息を呑む。
自分にしか見えないと思っていた妖精たちの存在を、初めて理解してくれる人ができたことに、エカテリーナは驚きと安堵を覚えた。
「バート。この子たち……妖精なの。昔からずっと、私を助けてくれる大切な友達なのよ」
その言葉を聞き、ギルバートは複雑な表情のまま、引きつった笑みを浮かべる。
「……そうみたいだな。歓迎するよ……」
妖精たちの無邪気な暴露に冷や汗をかきつつも、愛しい妻の懐かしい友人たちとの思わぬ再会に、ギルバートは頭を抱えるのだった。




