第32話
ある休日の朝、ギルバートは珍しく少しだけ柔らかい表情を浮かべながら、エカテリーナの元へとやってきた。
「……カティ。もし時間があるなら、今日、少し出かけないか?」
「お出かけ?」
「あぁ。王都の少し外れに、いまちょうど色とりどりの花が一面に咲き誇る綺麗な丘があってな。……カティが前に作ってくれた、あのサンドイッチがまた食べたいんだが……」
ギルバートが少しだけ視線を逸らしながら、照れくさそうにそう告げる。
その不器用なおねだりに、エカテリーナは思わず目を丸くし、そしてふわりと柔らかい笑顔を咲かせた。
(……バートったら、そんなにあのサンドイッチを気に入ってくれたのね!)
「喜んで! すぐに美味しいサンドイッチを作るわね」
そして到着したその丘は、ギルバートの言葉通り、息をのむほど美しい場所だった。青空の下、どこまでも広がる草原の一面に、風に揺れる色とりどりの花々が咲き乱れている。
心地よい風が吹く木陰にシートを広げ、二人で並んで腰を下ろす。
「はい、バート。特製のサンドイッチよ」
エカテリーナが手渡したバスケットからサンドイッチを取り出すと、ギルバートは一口かじりつき、その美味しさに目を細めた。
「……美味い」
短く、しかし心底からの実感がこもったその一言に、エカテリーナはぱっと顔を輝かせた。
(気に入ってくれてよかった……!)
(美味い……。カティが俺のために作ってくれたという事実が、何より美味い……)
一通り食事を楽しんだあと、ギルバートは「それと、もう一つだ」と、少し誇らしげに、しかしどこか照れくさそうに、小さな箱を取り出した。
「……カティは、イチゴが好きだからな」
蓋を開けると、そこには宝石のようにツヤツヤと輝く大粒のイチゴが乗った、極上のタルトが入っていた。
「わあ……! これ、すごい人気で、取り寄せないと食べられないタルトじゃない!」
エカテリーナはぱっと顔を輝かせ、嬉しそうに目を丸くした。
そういえば――ギルバートはこれまでも、事あるごとに彼女の好きなイチゴや桃を用意してくれていた。
(十三年前に出会った、あの頃からずっと……バートは私の好きなものを覚えていてくれたのね)
わざわざ自分のために取り寄せてくれたことと、長年変わらない彼の優しさが重なり、エカテリーナは胸が熱くなるのを感じた。
「バート、わざわざ取り寄せてくれたのね。ありがとう!」
「ふっ、カティが喜ぶなら」
「じゃあ、いただきます!」
小さなフォークで一口分を切り分け、エカテリーナが口に運ぶ。甘酸っぱいイチゴと濃厚なクリームのハーモニーに、彼女は「美味しい……!」と幸せそうに頬を緩めた。
そのあまりの美味しさに夢中になるあまり、エカテリーナのふっくらとした唇の端に、白いクリームがちょこんとついてしまっていることにも気づかずに――。
(……っ)
目の前で無防備に微笑む妻の顔を見て、ギルバートの思考が数秒間停止した。
(おい……そんなところにクリームをつけて……可愛すぎるだろ……)
「バート? どうかした?」
首をかしげるエカテリーナを前に、ギルバートはふっと息を漏らすと、すっと手を伸ばした。彼女の柔らかい頬にそっと指先を触れ、唇の端についていたクリームを優しく拭い取る。
「……ついてるぞ、ここに」
そう呟くだけで終わればよかったのに、ギルバートは、自分の指先についたその白いクリームを――ふっと目を伏せながら、なんと自分の唇で軽く舐め取ってしまったのだ。
「え……っ!?」
エカテリーナは、自分の頭のなかに大きな疑問符がいくつも浮かぶのを感じた。
(いま……バートは、私の口についたクリームを自分の指で取って……しかも、それを自分で……っ!?)
信じられない光景に、エカテリーナの顔が、一気に沸騰するように真っ赤に染まる。心臓がうるさいほど激しく暴れだし、思考回路が完全にショートしてしまった。
「な、なにを……っ、バート! そんなの反則よ……っ!」
あまりの恥ずかしさに言葉をどもらせ、両手で自分の真っ赤な頬を隠すエカテリーナ。
そんな彼女のあまりの可愛さに、ギルバートもまた、耳を赤く染めながら、しかしどこか得意げに、ふっと満足げな笑みを浮かべるのだった。
(……カティ、可愛すぎるだろ……)
表向きは「命の恩人への恩返しだ」と必死に自分を律している男の行動とは思えないほど、その甘すぎるスキンシップは、二人の距離をまた一段と縮めていく。
色とりどりの花が咲き誇る丘の上で、お互いに顔を真っ赤にしつつ、穏やかで幸せな時間が過ぎていくのだった――。




