第21話
帰りの馬車の中は、行きとは打って変わって何とも言えない最悪な雰囲気に包まれていた。
ギルバートは終始眉間に深いしわを寄せ、腕を組んで窓の外を睨みつけている。一方のエカテリーナは、「どれもこれも、恩義からの気遣いだったのね。図星を突いちゃったから、プライドが傷ついて機嫌を損ねているのかしら……」と、内心でやれやれとため息をついていた。先ほどまでの甘く熱を帯びたムードは、見事に跡形もなく吹き飛んでしまっている。
しばらく気まずい沈黙が続いたあと、ギルバートは不機嫌さを隠しきれない低い声で切り出した。
「……帰る前に、少し父上の住まいに立ち寄りたい。 近くまで来たからな。顔を出していこうと思う」
「父上」という言葉に、エカテリーナはパチリとまばたきをした。
「もちろんです。お邪魔でなければ、ぜひご挨拶させてください……あ、あの、お義父様は、私が契約妻だということをご存じなのですか?」
その質問を聞いた瞬間、ギルバートはぐっと言葉に詰まり、こめかみをピキピキと痙攣させた。
「……知るわけがないだろう」
「えっ、そうなのですか?」
「当たり前だ! 突然『実は契約結婚なのです』などと言ったら、父上は驚いてひっくり返る。だから……」
ギルバートは悔しそうに歯噛みしながら、拗ねたような口調で言い放った。
「……屋敷にいる間は、いつも以上に『仲の良い夫婦』のふりを精一杯してくれ! いいな!」
(はあ、機嫌を損ねた男の人って本当に面倒くさいわね……)
エカテリーナは内心で呆れつつ、「仕方ない、夫の機嫌をとっておかなくちゃ」と愛想笑いを浮かべた。
「わかりました。お義父様の前では、仲睦まじい夫婦を演じればいいのですね」
あっさりとそう頷くエカテリーナの反応が、さらにギルバートの胃をキリキリと痛ませるのだが、本人は「大人の対応をしているつもり」なので全く気づいていない。
ギルバートの父親である前レイヴン侯爵――アルフレッドは、かつては無敗を誇った聖騎士であり、王国最強と謳われた圧倒的な実力の持ち主だった。現在は第一線を退いて息子に爵位を譲り、領内の静かな屋敷で悠々自適な隠居生活を楽しんでいた。 妻であるギルバートの母・セリアは彼が幼い頃に亡くなっていたが、生前はギルバートそっくりの、息をのむほど美しい銀髪と青い目を持つ女性だったという。
(お父様がそんなすごい方でいらっしゃるなんて……。私なんかで、本当に大丈夫かしら……)
そんな緊張を胸に抱きつつ、エカテリーナはそっと瞳を揺らすのだった。
やがて、馬車はアルフレッドの邸宅の敷地内へと滑り込み、静かに停車した。
ギルバートがため息をつきながら馬車を降り、エカテリーナに向けてそっと手を差し伸べる。彼女がその手を取って降り立った瞬間、待ちきれなかったのか、屋敷の玄関から一人の男性が勢いよく飛び出してきた。 どこかギルバートの面影を残した、上品ながらも豪快な笑みを浮かべる初老の男性――アルフレッドその人だった。
「おお、我が息子ギルバート! よく来てくれたな!」
アルフレッドは満面の笑みで息子を迎え、そのすぐ隣にいたエカテリーナを見ると、パッと顔を輝かせて両手を差し出した。
「あなたがエカテリーナ嬢だな! 初めまして、アルフレッドだ。息子がいつも世話になっているね!」
「はじめまして、エカテリーナと申します。お招きいただき光栄です」
慌ててドレスの裾をつまみ、美しく挨拶をするエカテリーナに、アルフレッドはブンブンと力強く握手を交わしながら大喜びする。
「いやあ、噂に聞いていたが、なんとも気立ての良さそうな美人さんだ! よし、今日は絶対に泊まって行きなさい! 久々に息子と一緒にゆっくり話をしたいし、盛大な歓迎の晩餐を開こう!」
息子の嫁の美しさと可愛さに、アルフレッドのテンションは最初から最高潮だった。
(ちなみに、リチャード、ガワン、シビルたちも同行しているが、彼らは遠巻きにその賑やかな様子を生温かい目で見守っている)
その後、屋敷のメイドたちの丁寧な案内で、二人は宿泊用の部屋へと通された。
「それでは、ごゆっくりお休みくださいませ」
メイドが恭しく一礼して部屋を去り、扉が閉まる。
――室内を見回したエカテリーナは、すぐにある「現実」に気づいた。 そこにあったのは、またしても、部屋の真ん中にでーんと鎮座する大きなベッドが一つだけだった。
(あ、またベッドは一つなのね)
先ほどの一件ですっかり「私たちはあくまで契約上の夫婦(+命の恩人への誠意)」と脳内で処理を完了させているエカテリーナは、動揺するどころか「まあ、前回も一緒だったし、もう慣れましたね!」と、驚くほどあっさりと受け流して荷物を置き始めた。
一方、同じベッドを目撃したギルバートは、複雑すぎる心境で固まっていた。
(……またベッドが一つだと……? さっき彼女にあんな『契約だ、二年で離婚だ』と宣戦布告されたばかりで、こんな同じベッドで眠るのは酷すぎる!)
真っ赤になったり青くなったりと、一人で激しく葛藤するギルバートを横目に、エカテリーナは「さて、お義父様のご挨拶の前に少し身なりを整えましょうか」と平然と振り返るのだった。




