第18話
馬車に揺られること数十分。窓の外を流れる景色は、次第に森の緑から湿り気を帯びた涼やかな水辺の色彩へと変わっていった。これまで見たことのないような鮮やかな青い花々が揺れ、遠くからは鳥のさえずりと共に、清らかな水音も聞こえてくる。
「……すごいです、ギルバート様。こんなに美しい場所があったなんて」
「ここは領内でも、俺が幼い頃から好んでいた場所なんだ。あなたなら気に入ると思った」
ギルバートは誇らしげに、しかしどこか照れくさそうに口元を緩めた。最近の彼は、以前のような氷のように冷徹な表情だけでなく、こうして不器用に笑う場面が増えた気がする。その変化を密かに嬉しく思いながら、エカテリーナはあらためて彼が自分を気遣ってくれていることを実感し、胸が温かくなった。
「ギルバート様は、領地の隅々まで本当によくご存じですね。頭の回転も早くていらして……。心から尊敬いたします」
「……いや、それは買いかぶりだ」
ギルバートは短く笑い、ふと窓の外へと視線を移した。
「そういえば、弟のアランを、ギルバート様が卒業されたあの格式高い学院に、通わせていただけるなんて、本当に光栄です。あの子が以前、『レイヴン侯爵様の強力な推薦があったから合格できたけれど、試験自体はギリギリだった』と嬉しそうに話していました」
エカテリーナが微笑みながら伝えると、ギルバートは少しだけ表情を和らげ、静かに首を横に振った。
「いや、あいつの合格は俺の推薦のおかげなんかじゃない。アラン本人が必死に努力し、自分の力で試験の壁を突破した結果だ。あいつの剣に対する姿勢や真面目さは、見ていて気持ちがいいからな」
「……ありがとうございます。アランも、きっと喜ぶわ」
弟を認めるような言葉に、エカテリーナはぱっと華やかな笑みを浮かべた。
嬉しそうに自分を見つめる彼女から逃げるように、ギルバートは少し照れくさそうに目を伏せる。
そんな不器用な仕草に年相応の青年の面影が重なり、エカテリーナはふと、以前耳にした彼の噂を思い出していた。
「……ギルバート様は聖騎士として剣の腕が最強なだけでなく、あの王立高等学院を首席かつ飛び級で卒業されるほどの頭脳の持ち主だったとか」
「……確かに、学業は人より早く修めた。聖騎士として十八歳で討伐隊に加わり、その頃は世界中で発生した魔物の討伐に明け暮れていた。ゆっくりと学んでいる余裕などなかっただけだ」
淡々とした口調だが、その言葉の裏にある過酷な道のりを想像して、エカテリーナは胸を突かれる思いがした。彼女は慎重に言葉を選びながら、ずっと抱いていた疑問を投げかける。
「……ギルバート様は、なぜそれほどまでに、ご自分をストイックに鍛え続けたのですか? 幼い頃から非常に過酷な訓練に耐え、若くして聖騎士としての地位を築かれたと伺っております」
問いかけに、馬車の空気がわずかに止まる。 ギルバートはゆっくりと顔を上げると、逃げることのない真っ直ぐな瞳でエカテリーナを見つめた。
「……強くなりたかったからだ」
その声は低く、そしてどこまでも切実だった。
「俺には、何があっても守り抜かなければならないものがあった。……自分の大切なものを、守るために」
心臓が大きく跳ねた。
彼が射抜くような眼差しで自分を見つめている。その視線には、かつてないほど熱く、重い感情が宿っているように感じた。
エカテリーナが言葉を失っていると、外の風景がゆっくりと速度を落とした。
「……そろそろ、目的地に着いたようだ」
ギルバートはそう言うと、何事もなかったかのように立ち上がり、少しぎこちなく彼女に手を差し伸べた。その手を取った瞬間、エカテリーナは彼が先ほど口にした「大切なものを守るため」という言葉の意味を、もっと深く知りたいと願っている自分に気づいたのだった。




