第17話
翌朝、ふと目を覚ましたギルバートは、自分の腕の中にエカテリーナがすっぽりと収まっている現実と、昨夜自分が「ずっと前からあなたを……」と口走った記憶を完璧に思い出し、内心で激しく頭を抱えた。
(――っ、俺はいったいなんてことを……!)
しかし、そこは「氷の騎士」と恐れられる男である。激しい羞恥心に苛まれながらも、なんとか冷徹な侯爵としての表情を取り繕い、そっと彼女から腕を抜いた。
身支度を整え、目を覚ましたエカテリーナに向かって、彼は静かに、しかしどこか硬い声で告げた。
「……おはよう、カティ。昨夜は酔いに任せて取り乱したことを謝罪する。だが、あれには意味がある」
「え……?」
「曲がりなりにも我がレイヴン家に迎えた妻が、過去の男のせいで不快な思いをしたと聞いて、領主として看過できなかっただけだ。あくまで『我が家の体面』の問題としてな」
「はあ……」
「俺たちは夫婦として契約している。妻がいつまでも過去を引きずっていては、こちらの不利益になる。だから……妻としての役目をしっかりと果たしてもらいたい。それだけだ」
淡々と言い放ち、彼はふいと窓辺へ視線を逸らす。
だが、その言葉を聞きながら、エカテリーナは、まばたきを一つ、二つとした。
(……えっと。「家の体面」の問題だから、あんなことを言ってくれた……?)
これまでなら、「さすが政略結婚のビジネスパートナーね!」とすんなり納得していたはずだった。けれど、昨夜の記憶が鮮明に蘇る。
――『俺のほうがずっと、ずっと前からあなたを……!』
あのとき、耳元で聞こえた切実な声。そして、自分を強く抱きしめて離さなかった熱と、隠しきれなかった焦燥感。
あれを「ビジネス上の指導」として片付けるには、どう聞いたって感情がこもりすぎていなかったか。
エカテリーナはそっと首を傾げ、冷徹に振る舞おうとしているギルバートの横顔をじっと見つめた。
ふと、胸の奥がざわりと波立つ。
まさか、そんなはずはない。だって自分たちは「政略結婚の契約」で結ばれただけの関係なのだから。あの人は冷徹な聖騎士で、自分を本気で気にかける理由なんてどこにもないはずだ。
そう自分に言い聞かせるのに、一度芽生えてしまった「もしかして」という疑惑は、もう引っ込められなくなっていた。
「……あの、ギルバート様」
「……なんだ」
振り返った彼の声は低く落ち着いていたが、窓からの光に透けるその耳の端は、隠しきれないほど真っ赤に染まっていた。
その不器用な矛盾を見て、エカテリーナはハッと息を呑む。
(……もしかして、この人……ご自分の行動を恥ずかしがっているの……?)
「……昨夜は、その……ご心配をおかけして、すみませんでした」
そう小さく微笑んで頭を下げたエカテリーナ。
責められるでもなく、ただ優しく微笑みかけられたことで、ギルバートは言葉に詰まったようにわずかに目を見張った。気まずさと、それ以上の熱を持て余したように、彼はふっと短く息を吐く。
「……朝食の準備をさせる。少し席を外すが、準備ができたら迎えに来よう」
それだけを静かに告げると、彼は足早に部屋を後にした。
その背中にはどこか「これ以上ここにいたら平静を保てない」というような切実さが漂っていた。
残された静かなスイートルームで、エカテリーナは窓辺へと歩み寄る。
彼が去ったあとの部屋で、ふと、胸の奥で渦巻く疑念を確かめるように、彼女は静かに思考を巡らせ始めた。
(ギルバート様が口にした、「ずっと前から」という言葉……)
思い返せば、彼が突然の政略結婚を申し込んできたとき……。彼は、誰も知るはずのない森の奥にある家の場所を知っていた。自分と弟のアラン、亡くなった母マリア以外は誰も知るはずのない、あの小さな家の場所を。
そして、脳裏にふと過る――十三年前の記憶。
あの森で道に迷い、扉を叩いた、あの男の子。
あの時、扉を開けた自分に、彼が向けた瞳。
「……大丈夫? 坊や」と問いかけた自分に、顔を真っ赤にした彼。楽しい時間を一緒に過ごした彼。
あの時出会った「坊や」の面影が、目の前の冷徹な聖騎士と重なっていく。
鮮やかな銀髪に、澄んだ青い目。そして、目の前の彼から漂うどこか懐かしい空気。――あの家を知っていたという事実も含めて、すべてを偶然の一言では片付けられなくなってくる。
(まさか……)




