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冷徹な聖騎士様は、地獄を脱出した元令嬢を溺愛したくて仕方がない〜実は十三年前から初恋でした〜  作者: 銀文鳥


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第16話


部屋に戻ると、無理をして睡眠時間を削り、仕事を片付けてきた上に、いつもより酒を重ねていたギルバートには、さすがに強い酔いが回っていた。



ネクタイを緩め、ソファにどさっと深く腰を下ろす。



「ギルバート様、大丈夫ですか? お水をお持ちしました」



エカテリーナが心配そうにグラスを差し出すと、ギルバートは「……すまない」と受け取り、一気に飲み干した。



「ふう……少し、飲みすぎたな」



「あの、ギルバート様。ベッドをお使いください。私はソファで休みますから」



そう気遣うエカテリーナだったが、その表情には、どこか切なさが滲んでいた。


彼女はためらうように小さく息を吐くと、意を決したようにぽつりと言葉を紡ぎ出す。



「……さっき、レストランの店主さんが仰っていたことですが。私、昔、パーティーで具合が悪くなってしまったことがあるんです」



「……」



「前の夫であるジュリアスと出席したパーティーだったんですけどね。お恥ずかしい話なんですが、お酒とジュースを間違えて飲んでしまって……急なめまいと吐き気に襲われてしまったんです」



当時の苦しい記憶が蘇るのか、エカテリーナの瞳が潤み始める。



「人目を引くような失態を晒すわけにはいかないし、誰もいない暗がりの庭の片隅へ、誰にも気づかれないようにこっそりと隠れて……ひとりでずっと苦しんでいたんです」



「でも、ジュリアスは私のことなんてまったく気にかけず、どこかへ行ってしまって……。ただ冷たい夜風に震えながら、耐えるしかなかった」



だからこそ、目の前で酒に酔って苦しそうにしているギルバートの姿と重なってしまったのだろう。エカテリーナは泣きそうな顔で、絞り出すように言った。



「……あのとき。誰も気づいてくれないと思っていたんです。ただ一人で息を潜めているしかなかった。……だけど、どこからか誰かが現れて……言葉もなく、そっとお水を差し出してくれたのです」



「…………!」



「ぐったりしてしまっていたので、ちゃんとお礼も言えなかったけれど……あの時、どれほどその優しさが嬉しかったか……」



(あのとき、君に水を差し出したのは……)



「だから、今、ギルバート様はきっとお辛いでしょうから……」と続けるその言葉が、ギルバートの胸を締め付ける。



「ごめんなさい、これじゃ、ただのジュリアスの悪口になってしまいましたね……ギルバート様、どうかベッドでお休みになってください」



その言葉を聞いた瞬間、ギルバートの表情がわずかに揺れた。



彼女が苦しんでいたあの夜、自分はただ水を渡すことしかできなかった。あのクズ野郎への怒りと、自分の無力さが胸の内で渦巻く。



だが、それ以上に――ギルバートの理性を激しく揺さぶったのは、あふれ出す感情の奔流だった。



「……あなたは」



掠れた低い声で、ギルバートは問いかける。



「まだ、前の夫のことが好きなのか?」



「……いいえ、もう、なんとも思っていません……それでも、一度は夫婦だった人です。あんな人との思い出でも綺麗さっぱり忘れることは、簡単にはできないんでしょうね……」



自嘲気味に微笑むエカテリーナ。



その姿を見た瞬間、ギルバートのなかで嫉妬と愛おしさが一気に膨れ上がり、張り詰めていた理性が、ついに限界を迎えた。



――あんな男に傷つけられた記憶を、なぜ今も引きずらなければならないのか。なぜ彼女にそんな切ない顔をさせるのか。



いてもたってもいられず、ギルバートは思わず立ち上がり、目の前にいたエカテリーナを強く抱きしめた。



「っ……! ギルバート様……?」



突然のことに、エカテリーナは大きく目を見張り、息を呑む。



力強い腕に包まれ、彼の胸元から伝わる熱と鼓動に、思考が真っ白になっていく。



戸惑うエカテリーナをそのままに、ギルバートは強い力で彼女を抱きしめたまま、勢いに任せるようにしてふかふかのベッドへと倒れ込んだ。



「わっ……! ギルバート様!?」



予期せぬ体勢の崩れに驚き声を上げるエカテリーナを、ギルバートは覆いかぶさるようにしてしっかりと閉じ込めている。酔いと抑えきれなかった感情に突き動かされ、熱を帯びた息を彼女の髪に落としながら、途切れ途切れに本音を零した。



「あんな奴……あんなクズ野郎なんかより……っ、俺のほうがずっと、ずっと前からあなたを……!」



「え……?」



頭が追いつかないエカテリーナの耳に、震えるようなギルバートの切実な声が響く。それは、普段の冷徹な「氷の騎士」からは想像もつかない、あまりにも生々しい本音だった。



(――っ!? ずっと前から……って、どういうこと……?)



射抜くような眼差しでエカテリーナを見つめるギルバート。



動揺するエカテリーナが何か言い返そうとしたその瞬間、ピタリと彼の動きが止まった。



エカテリーナに覆いかぶさるようにして、荒かったはずの呼吸がゆっくりと落ち着き、やがて規則正しく刻まれる穏やかな寝息――。



「…………え?」



あまりの急展開に目をパチパチさせながら、エカテリーナはそっと覗き込んだ。



そこには、あれほど激しく感情を爆発させていたのが嘘のように、すうすうと心地よさそうに眠りについているギルバートの姿があった。無理をして仕事を片付け、お酒もたくさん飲んで、そのうえ限界まで張り詰めていた緊張が、彼女を抱きしめた瞬間にプツリと切れてしまったらしい。



(うそ……寝ちゃった……?)



腕を回されたまま身動きが取れないでいると、ふと、エカテリーナの胸のなかに温かいものがこみ上げてきた。



普段は誰よりも厳格で頼もしいギルバートが、今はまるで子供のように自分にしがみつくようにして眠っている。その姿は、どこか不器用で、愛おしくて――胸の奥がキュッと締め付けられた。



年下の夫が見せる、こんなにも予想外な子供っぽさと必死さ。それがなんだかたまらなくかわいらしく思えて、エカテリーナは思わずクスリと小さく笑った。



すっかり尖っていた気持ちがほどけていき、彼女はそっと自由になった片手を伸ばすと、ベッド脇にあったブランケットを引き寄せ、ギルバートの肩口まで優しくかけてやった。



さらに、小さくうなされるように眉を寄せた彼の背中を、まるで子供をあやすようにそっと「トントン」とリズムよく叩く。



「……お疲れ様です、ギルバート様」



耳元で優しく囁くと、ギルバートは安心したようにその大きな体をさらに預けてきた。その温もりを感じながら、彼の整った寝顔を間近で見つめているうちに、エカテリーナのまぶたも急に重くなっていく。



旅の疲れに加え、今日一日で揺さぶられた感情も、もう限界だった。


そして何より、目の前にいるこの人の不器用な優しさに包まれていることが、彼女に大きな安心感を与えていた。彼女はだんだんと意識を手放していき――気がつけば、そのままギルバートの隣ですやすやと深い眠りに落ちてしまうのだった。



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