第13話
穏やかな日常が続いていたある日。エカテリーナは、屋敷で大切に扱われながらも、ふと「自分も何か役に立ちたい」と思い立った。
ある日の昼下がり、エカテリーナは、近くにいたベテランのメイド長に声をかけた。
「あの、もしよろしければ……私も、お屋敷のお仕事を手伝わせていただけないかしら? お掃除でも、お料理でも、なんでもいいのですけれど」
すると、メイド長は慌てて両手をブンブンと横に振った。
「とんでもございません! エカテリーナ様は侯爵様の奥様なのですから、そんなお仕事をなさるなんてとんでもないです!」
「ですが、私ばかり何もしないのは気が引けますし……」
「それにですね、」と、近くで控えていたシビルもクスリと笑いながら口を挟む。
「私ども使用人がやるべき仕事を奥様に奪われてしまっては、私たちの居場所がなくなってしまいます。もし侯爵様が『妻に雑用をさせた』と知ったら、私どもの首が飛んでしまいかねませんよ」
「そんな大げさな……」
「大げさではありませんとも。侯爵様の奥様に対する過保護ぶりは、この屋敷の者なら誰もが知るところですから」
シビルにそう笑顔で諭され、エカテリーナは苦笑いを浮かべるしかなかった。
お互い干渉しないという契約通り、屋敷の中では読書をしようが庭を散歩しようが何をしても文句は言われない。朝晩の食事を一緒に取ることと見送りさえきちんとこなしていれば、自由気ままに過ごすことができた。
――もっとも、労働だけは絶対に許してもらえないようだが。
あくまでも、自分はこのお屋敷で「大切に保護される妻役」に徹していればいいのだろう。
だが――。
(それなら、いっそ外に出て働くというのはどうかしら……?)
ちょうどその日の夕食の席。
エカテリーナは意を決して、向かいに座るギルバートに切り出した。
「あの、ギルバート様……もしよろしければ、私もお仕事をしたいのですが?」
「仕事、だと?」
フォークを置いたギルバートが、怪訝そうに眉をひそめる。
「はい。以前は実家が困窮した時期もあり、私も外に出て働いていたことがありまして……。学校に通っていた頃は勉強も得意でしたし、卒業後は、貴族のお子さんに家庭教師として勉強を教えたりもしていたんです。弟のアランにもずっと勉強を見ていましたし」
思わず早口になり、慌てて口を抑えるエカテリーナ。だが、ギルバートの表情は晴れないどころか、みるみるうちに険しいものになっていった。
「……外に出て働く、だと?」
「はい。人様にお勉強を教えるくらいなら、私にも――ちゃんと、お相手の方から馬車も出していただけますから、レイヴン侯爵家に余計なご迷惑はおかけしません!」
矢継ぎ早にアピールするエカテリーナだったが、ギルバートの表情はさらに険しさを増すばかりだった。
「却下だ」
ピシャリと冷徹な声が響く。
「ほかの貴族どもと関わって、ろくなことがあるものか。あなたを外に野放しにする気はない。どうしても外の空気を吸いたいなら、庭に出てシビルとお茶でもすればいいじゃないか」
――ピシャリと突き放されたような物言いに、エカテリーナは肩をびくりと震わせた。
(そうだわ、私は何を調子に乗っているのかしら……)
レイヴン侯爵としての立場や、余計な騒ぎを起こしたくないという彼の思惑を考えれば、妻が外で働くなど許されるはずもない。エカテリーナは切なさを押し殺し、作り笑いを浮かべて頭を下げた。
「……かしこまりました。ギルバート様のお立場もありますものね。勝手なことを言って、すみませんでした」
そのひどく萎縮したような、どこか寂しげな返事に、ギルバートはハッとしたように息を呑む。
(……しまった。また驚かせてしまったか……)
不器用な自分はまたしても冷たく突き放してしまった。
妻が口にした「外に行きたい」という願い。
ギルバートは、それを「ずっと屋敷に閉じ込められている息苦しさから逃げ出し、外の空気を吸いたいのだろう」と思い込んでいた。
当のエカテリーナは、気晴らしではなく「自分の力で働き、人の役に立ちたい」という純粋な目的だったのだが……。
ギルバートは考えた。彼女が外の世界を求めているのなら、別の形で叶えてやればいいのではないかと。
そう思い至ったギルバートは、その日から驚異的な執念を発揮した。
溜まりに溜まっていた膨大な公務を猛スピードで片付け、本来なら数日かかる仕事を一日で終わらせ、強引に数日間の休暇をもぎ取ったのである。
――そして、ある夕食時、エカテリーナは、ギルバートから思いがけない言葉を告げられた。
「今度、数日ほど休暇が取れた。……以前、外に行きたいと言っていたな。気分転換に、旅行に行こう」
「り、旅行、ですか……!?」
思いがけない提案に、エカテリーナは目を丸くした。
「め、滅相もございません! ギルバート様には、弟のことをはじめ、いつもこんなに良くしていただいているのに、これ以上ご迷惑はおかけできません……!」
慌てて首を横に振るエカテリーナに、ギルバートはどこか気まずそうに、しかしきっぱりと言い放つ。
「迷惑ではない。それに、これは私個人の都合だ。我が領地の視察も兼ねて、周囲に我々の仲睦まじい姿をアピールしておく必要がある。……つまり、政略結婚の円滑な遂行のための『夫婦の行事』だ」
(なるほど! 周囲に結婚したことをアピールする必要があるのね……例の面倒なご令嬢対策のこともあるし……!)
すべてを「政略結婚の重要なお仕事」と解釈したエカテリーナは、キリッと表情を引き締め、胸に手を当てて力強く頷いた。
「承知いたしました! ギルバート様のお役に立てるよう、良き妻を完璧に演じてみせますね!」
キラキラと目を輝かせ、使命感に燃えるエカテリーナ。
そのあまりにも健気で、ビジネスライクすぎる返答を聞いた瞬間――ギルバートは盛大に自分のこめかみを押さえた。
(ちがう……そうじゃない。ただ君を連れ出して、いろんな景色を見せたかっただけなのに、なぜ俺はわざわざ自分で「政略結婚の行事」などと言ってしまったんだ……!)
自分で自分の首を絞めるような言い回しにしてしまった後悔と、あまりに事務的に納得されてしまった切なさに、ギルバートは内心で頭を抱えてぐったりとうなだれる。だが、一度口にしてしまった手前、今さら「あなたを外に連れ出したくて」などと言い出せるはずもなく、ただ苦い顔をしてごくりとワインを飲み干すのだった。
「……ああ、頼む」
どこか遠い目をしながら絞り出したその返事に、エカテリーナは「お任せください!」と頼もしく微笑む。
こうして、お互いの思惑を乗せたまま、ふたりの急ごしらえの小旅行が決まったのだった。
「明日、出発する」
そう告げるギルバートの横顔は、わずかに期待に満ちているように見えた。
初めての夫婦旅行。不器用な夫と迎える新しい旅の始まりに、エカテリーナの胸は静かな高鳴りで満たされていくのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
また、新たにブックマーク登録してくださった方、本当にありがとうございます!
猛スピードで仕事を終わらせたのに自爆してしまったギルバート……(笑)
次回からはいよいよ旅行編に突入です!
……が、この旅行、一筋縄ではいかない波乱の予感……!?
今後も頑張って更新しますので、見守っていただけると幸いです!




