第11話
王都の執務室へと向かう馬車の中で、ギルバートは一人、今朝のやり取りを思い出して顔を覆っていた。
(……やってしまった……)
つい、ギルバートが知る由のない彼女の好物について言及してしまった。
その上、どうしても一人で外へ出かけさせるのが心配で、かなり強引に言い伏せてしまった自覚もある。
あの森の小屋があるのは、エカテリーナの実家の本邸から離れてるとはいえ、いつ、あの両親や義理の妹たちが関わってくるかわからない。何より自分の目の届かない場所へ行くこと自体が心配で仕方がなかったのだ。
思い返せば、愛妻家を通り越して過保護な不審者すれすれの発言のオンパレードだった。だが、反省しようにも、脳裏に浮かぶのは――イチゴと桃を目の前にしたエカテリーナがあまりに可愛らしくて、「果物を喜んでくれただろうか」という期待と、次は何をプレゼントすればもっと笑顔になってくれるかという妄想ばかりで、頬の緩みがどうしても止まらない。
そもそも、エカテリーナの好みをここまで完璧に把握しているのには理由がある。遠くから見つめ続けていた片思いの間、彼は、彼女がかごいっぱいのイチゴや桃を嬉しそうに食べている姿を何度も目撃していた。夜会のデザートビュッフェでも、果物の前ではいつも幸せそうに目を輝かせていたのだ。そして――十歳の時、あの森の小屋でエカテリーナと過ごした短い日々の中で、彼女が「イチゴと桃が好き!」と可愛らしく笑って教えてくれたこと。その笑顔と記憶を、ギルバートは十三年間、一言一句違わず心に刻み込んでいていた。
(次は、特製のイチゴタルトを取り寄せようか……それとも珍しい品種の桃がいいか)
真面目な顔でそんなことを考えながら、ギルバートは執務室へと急ぐのだった。
***
一方、その頃。エカテリーナを乗せた馬車は、かつて暮らしていた領地の森へと向かっていた。
馬車の中には、ギルバートが手配した二人の付き人が同乗している。屈強で頼りがいのある男性の護衛・ガワンと、物腰の柔らかい専属の女性メイド・シビルだ。最初は緊張していたエカテリーナだったが、気さくな二人のおかげですぐに打ち解け、道中ですっかり賑やかな雑談に花を咲かせていた。
「あの、お聞きしてもいいですか? ギルバート様って、普段からあんな風にフルーツをたくさん用意されるものなんですか?」
エカテリーナが尋ねると、ガワンとシビルは顔を見合わせて声を上げて笑った。
「まさか! あの冷徹で仕事鬼と恐れられる侯爵様が、フルーツの盛り合わせなんて気にするわけがありませんよ」
「あれは間違いなく、奥様のためですよ。奥様の喜ぶ顔が見たくて、料理長に直接指示を出されたんですから」
「えっ……?」
政略結婚のはずなのに、夫婦としての体裁を完璧に整えるために、料理長にまで気を使って指示を出してくれるなんて――。
(そこまで徹底して「良き夫」を演じてくれるなんて、本当に真面目で誠実な人なのね……)
エカテリーナは、ギルバートの細やかな気配りを「完璧な演技と義務感」だと思い込み、一人で深く感心して胸を熱くさせるのだった。
しばらくして、森の入口に到着した。
馬車を降り、さらに歩いて数十分ほどの森の奥へ。心地よい木漏れ日のなかを進み、小さな小屋の扉の前にたどり着く。エカテリーナはガワンとシビルに「少しだけ中で思い出の品を整理したいので、外で待っていてくれますか?」と頼み、一人でそっと扉を開けた。
「――カティ!」
途端、部屋のなかが光の粒子できらめいた。
「みんな……!」
駆け寄ってきたのは、この森に住む妖精たちだった。その中心で、ひときわ小さな純白の毛並みを揺らしながら、ウサギのような姿をした妖精――ポコが、ぴょんぴょんと飛び跳ねてエカテリーナの肩へと飛び乗る。
「カティ! 結婚式が終わってから、お屋敷に行っちゃってたから寂しかったよ!」
「ポコ……みんな、心配かけてごめんね」
ポコがエカテリーナの頬に自分の頬をすりすり甘えると、他の妖精たちも服の裾にしがみついたり周りをくるくると飛び回ったりして、一斉に話しかけてくる。ジュリアスと離婚してこの家に戻ってきたとき、妖精たちは心からホッとしてくれ、それからは毎日を一緒に楽しく過ごしていたのだ。だからこそ、レイヴン家のお屋敷へ行ってしまったことが少し寂しかったらしい。
「本当は、この森でずっとみんなと一緒に暮らしたかったんだけど……」
「今度の人は? レイヴン侯爵様だよね!」
ポコを含めた妖精たちが一斉にパッと顔を輝かせ、期待に満ちた目をきらきらとさせて問いかける。エカテリーナはふわりと優しく微笑んだ。
「うん。今度のレイヴン侯爵様は……すごく優しくて、色々気遣ってくれるから……たぶん、大丈夫だと思う」
「そっか! そうだよね!」
ポコがフワッと宙で一回転し、他の妖精たちも楽しげに舞い踊る。
「だから、これからはたまにしかここにこれなくなっちゃったの」
「それなら仕方ないね! でも、今度は僕たちの方から遊びに行くから大丈夫だよ!」
「……え?」
エカテリーナが目を丸くすると、ポコが誇らしげに胸を張る。
「ジュリアスと結婚していた時は、カティのことが、心配で心配で、何度も行こうとしたんだよ! でも、あそこのお家はなんだか空気が澱んでて、僕たち怖くてどうしても近寄れなかったんだもん……。カティが苦しんでるのに、遠くから見ことしかできなかったんだ」
悔しそうに耳をピクッとさせるポコに、エカテリーナは胸が締め付けられる思いがした。だが、ポコはすぐにパッと顔を輝かせる。
「でもね! 今度のレイヴン侯爵様のお家は、すごく空気が澄んでいて綺麗だから、僕たちも今度はちゃんと行けるんだ!」
「ほんとう?」
「うん! 今度みんなでレイヴン侯爵家に遊びに行くね!」
「うん、待ってるわ!」
妖精たちの無邪気で温かな言葉に、エカテリーナは思わず胸を熱くさせ、優しく微笑んだ。
思えば、あのときポコを助けたことがきっかけで、いつの間にかこの家は森の妖精たちの格好のたまり場になっていた。気がつけば、窓辺にはいつも誰かしらの妖精が遊びに来るようになっていたのだった。
ふと、懐かしい思い出が蘇ってきた。今でこそ言葉を交わし、懐いてくれているポコと初めて出会ったのは、エカテリーナが十三歳の時のことだ。
あの日は、領地の森で真っ白なウサギのような生き物が怪我をしているのを見つけたのだった。放っておけなくてこの小さな家に連れて帰り、懸命に手当てをした。
当時は、弟のアランがまだ三歳と手がかかり、母・マリアもその世話でつきっきりだった。家を慌ただしくさせないようにと、エカテリーナはこの森の家に泊まり込み、その子の介護をしたっけ。
怪我が治ったあとも、その子はなぜかエカテリーナのそばを離れようとしなかった。
(……あのときも、驚かされたっけ……)
うさぎを助けて数日が経った、ある昼下がりのことだった。
突然、その小さな白い生き物がエカテリーナの前で、ぴょんと宙に浮きながら「ぼくは妖精のポコなんだよ」と初めてその正体を明かしてくれたのだ。
あまりの驚きと嬉しさに、エカテリーナはポコと一緒に大はしゃぎし――まさにその平和で静かな日常の矢先だった。
コンコン、と――誰も来るはずのないこの家の扉を、心細そうなノックの音が叩いたのは。戸惑いながら扉を開けると、そこに立っていたのは、道に迷ったひとりの男の子だった――。
その迷子の男の子を森の出口まで送ってあげようとしたとき、突如として凶暴な獣が襲いかかってきたのだ。怖かったけれど、思わず反射的に自分が前へ出て――奇跡的に、獣のほうが怯えて逃げていったから助かったものの。
その後、「バート」と名乗ったその少年は、僅かな期間ではあったが、何度もこの小屋を訪ねてきてくれた。いつしかお互いにフランクに話す仲になった。だが、ある日を境に、バートはパタリと姿を見せなくなってしまったのだった。
(バート……元気にしてるかしら?)
懐かしい記憶に浸りながら、エカテリーナは胸を温かくする。
そういえば、誰も来るはずのないこの秘密基地に、もう一人、思いがけない「来訪者」がやってきたっけ―― 冷徹で知られるレイヴン侯爵。
わざわざ、こんな鄙びた森の家まで足を運び、まっすぐこの扉を叩いた彼。
「政略結婚だ」と告げるギルバートは、どこかあの時の少年を思い出させる、綺麗な銀髪と蒼い瞳をしていた。
……いや、まさか。
銀髪と蒼い瞳は、高貴な血筋には時折いる。それに、片や王国中から恐れられる凄腕の仕事鬼で、片や森で迷子になって不安そうだった少年。
そんな偶然が、あるはずないわ。
クスリと小さく笑いながら、エカテリーナは持って帰るための思い出の品をトランクへと丁寧に詰め込んだ。 やがて必要な荷物をまとめ終え、妖精たちにしばしの別れを告げると、エカテリーナはガワンとシビルのもとへと戻るのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
カティ、気づいてよ! (笑)
ここから二人のすれ違い(とギルバートの空回り)がどうなっていくのか、ぜひ見守っていただけると嬉しいです!




